どういうのが毒子なのかというと、自分の親が毒親だ毒親だとのべつまくなしに四方八方に無節操に表出する人間。社会が不満だ不満だと言いまくる人間。
毒親の子が、ぜんぶ毒子という意味ではなく、表出が暴走する人。表出のしかたを間違えるとよけいに悪化するということがわかってない人。毒を吐いて自分に酔っていることがわかっていない。ものには言うべき人、言うべきでない人、言うべきタイミング、誠実さが必要であり、たとえ言うにしても、問題のすり替えや本質の隠蔽も重大なルール違反である。
毒親の子であるという要素はたくさんの人が持っているが、その表出のしかたが問題だ。表出問題といってもいい。個人のいやな話というのは聞くと疲れる。ダークな話を聞くのが趣味だという御姐肌の人、ダーク・ルポ作家みたいな気質を持っている人もいるが、それはそういう人たちの個性であり、通常はそういうものは有料である。聞きたくない人に言うのは、セクハラ・パワハラと同じである。カネを払って、言うべきところに行って射精してこい。
親が毒親だと言うとかっこ悪いので、社会問題にすり替える輩が多すぎる。フェミニズムでも反安倍でも反原発でもなんでもいいが、言っていることがいつも暗い人間は、ほとんど毒子である。暗い世界しか思いつかない。具体的で前向きな提案がないのだ。いやだいやだいやだと言いまくる。でなければ、ないないないか。それでどういう世界がほしいのかとなると観念的なことしか言わない。カネがいるならカネを出せと言えばいいのに、卑怯だからそれを隠したりする。
非モテだと彼女・彼氏がほしいと言いながら、自分のほうが彼氏・彼女になる人に何ができるのか、どう尽くすのか、具体的な考えを何も持っていない。何がほしいのかどういう世界がいいのか自分でもわかっていない。自分や自分の親子問題を分析していない。正面から向かい合ってない。だから、拒否や反対しか言わないし、不平等、奪取とか、非クリエイティブなことばかりになる。スティーブ・ジョブズが100人必要だ。自分が具体的にほしいものをわかってないのだから。もらってみて初めて『コレだコレだ』となる。
いつも暗い話をする。詰問口調、審問口調にもなる。暗いやつというのは他人と社会を敵に見立てている。それで面倒で会うのを避けるようになる。そりゃ人の縁も少なくなるよ。けっきょくは、お前は人生を暗く生きたいのだろうと。いまから何時間か数日か、暗いことを一切言わない、考えないでやることをやる。あの人には言わない。言うべきときに言う貯金としてとっておく。そう決めてやる。人と楽しくやる。これはエクササイズである。毒子以外の人間は、自分にそれを課しているのである。けっして悩んでない人などいない。
と、毒子的な表出をした。ふだんは何も言わないで無視する。毒子のほうは、また社会に無視された、社会は冷たいって思ってるんだろうなあ。