どう思いますか?
しかし、その主張の論者たちの力が弱いと感じる。
こういった視点での議論が無く、そのまま今に至っている。(ビックデータを個人に結び付けなければ分析OKでしょでしょ)
まず、分析とはなんだろうか?
分析とは、数値などを扱い、予想すること
分析結果などは、今の現状と、これからどうなるかという事が分かるだろう。
今のマーケティングにそういった分析が不可欠なのは言うまでも無く、
なぜ分析するかと言うのは、説明しなくても良いだろう。(なぜあいつらが分析が大好きなのかは正直分からない、多分やる事がないのだろう)
そう、分析とは未来の行動がある程度読むことが可能なのである!!
実際不可能だと思うしね。
しかしだ、分析によってある程度まで、読むことが出来ると思っている。
コントロール可能だと思っている。
例えばだ、マックの椅子は座りごごちが悪いのは、店の回転率を上げるために
行っているのは皆さん知っているだろう。(長いしたくないと思わせるため)
・回転率を上げるのにはどうしようか→椅子で無駄な事をしている人が多い→椅子に長く座れないようにしよう!
これの何が悪いの?と皆さん思うだろう。
これは大問題ではなかろうか?つまり、操作されてしまっている。
我々の意志で動いているようで、動いていない事が容易に発生してしまう。しかも、故意によってだ。
しかも、なぜか滑稽に思われないだろうか?
マックを利用している側が、逆に操作されているなどというのは。
なぜ滑稽か?
色々な視点があると思う。どれが正解と言うわけでもないが。
二つあげたいと思う。
1、主体性
まず、考えたのは主体性だよね。
存在しないのであれば、主体性という言葉はよほど近代に生まれた言葉だろうな。
考えるという言葉にしたいけど、動物も考えると言う事は当たり前だ。
その壁と聞いたら前に進めないと思うだろう。
多分人間だけだろう。
(2について、こういうことを一言で言いたいのだが、いい言葉が見つからないな)
ええ、それでマックの観客は、まさにこの壁が見えてない。
どこかで見下している、そうしないとやってられない。(ご飯食えなくなるよね)
つまり、この時点でマックの観客は人間らしさを全く失ってはいないが
なにか、動物のようなアホさを感じるのだ。
動物のようなアホさというのは、あのー
あれのような感覚に近い。