2014-08-22

刺身

どう思いますか?

常々私は分析されることに違和感を感じていた。

分析される事はいいことだと言う主張もある。

分析される事を否定する主張も見られた。

しかし、その主張の論者たちの力が弱いと感じる。

その結果がビックデータによる分析の是非に

こういった視点での議論が無く、そのまま今に至っている。(ビックデータを個人に結び付けなければ分析OKでしょでしょ)

だが、グループ分けで分析される事は我々の将来的に見ると

不安を感じずにはいられない。

特に心配なのは・・・まあそれは、後ほど語る。

そう本題の分析されるという事を危険視した話をしたい。

まず、分析とはなんだろうか?

天気予報を可能にする為に何か分析必要だろう

分析とは、数値などを扱い、予想すること

分析結果などは、今の現状と、これからどうなるかという事が分かるだろう。

分析するからこそ、未来が分かるし、現在も分かる。

分析すれば、相手の動きが完璧に分かると言うわけではないが、

今のマーケティングにそういった分析が不可欠なのは言うまでも無く、

なぜ分析するかと言うのは、説明しなくても良いだろう。(なぜあいつらが分析が大好きなのかは正直分からない、多分やる事がないのだろう)

そう、分析とは未来の行動がある程度読むことが可能なのである!!

私は分析によって確実に未来が読めるようになるとは思わない。

実際不可能だと思うしね。

しかしだ、分析によってある程度まで、読むことが出来ると思っている。

コントロール可能だと思っている。

例えばだ、マック椅子は座りごごちが悪いのは、店の回転率を上げるために

行っているのは皆さん知っているだろう。(長いしたくないと思わせるため)

これは私の言う意味での分析の結果である

 ・回転率を上げるのにはどうしようか→椅子無駄な事をしている人が多い→椅子に長く座れないようにしよう!

これの何が悪いの?と皆さん思うだろう。

我々が本来は長く椅子に座れた物が、座れなくなっている。

これは大問題ではなかろうか?つまり操作されてしまっている。

我々の意志で動いているようで、動いていない事が容易に発生してしまう。しかも、故意によってだ。

しかも、なぜか滑稽に思われないだろうか?

マックを利用している側が、逆に操作されているなどというのは。

なぜ滑稽か?

人間定義とはなんだろう?

色々な視点があると思う。どれが正解と言うわけでもないが。

二つあげたいと思う。

1、主体性

まず、考えたのは主体性だよね。

主体性の無い人間、もしくは動物なんて存在するんだろうか?

存在しないのであれば、主体性という言葉はよほど近代に生まれた言葉だろうな。

2、抽象的な存在理解

考えるという言葉にしたいけど、動物も考えると言う事は当たり前だ。

前に壁と聞いて、我々しか理解できないが・・・

その壁と聞いたら前に進めないと思うだろう。

壁という抽象的な言葉理解し、回避する能力

動物抽象的物を理解できると言う事は聞いたことが無いので

多分人間だけだろう。

(2について、こういうことを一言で言いたいのだが、いい言葉が見つからないな)

ええ、それでマックの観客は、まさにこの壁が見えてない。

そこに人間らしさを感じられない。そこらの動物と同じだ。

我々は、当たり前だが、動物人間として扱ってはいない。

どこかで見下している、そうしないとやってられない。(ご飯食えなくなるよね)

まり、この時点でマックの観客は人間らしさを全く失ってはいないが

なにか、動物のようなアホさを感じるのだ。

動物のようなアホさというのは、あのー

動物馬鹿動画を見た事あるだろう?

あれのような感覚に近い。

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