http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140313-00033522/
を読んでてこれがひっかかった。
sekiryo "本人はこの事件を「人生格差犯罪」と法廷でも呼んでいました" どんな境遇だろうがキチガイが逆恨みを正当化して騒いでいるに過ぎない。被害者に落ち度はないのだから。
これに同意する奴も少なくないのだろうが、本当に「被害者に落ち度はない」のか?
俺はそうは思わない。
被害者に特別大きな落ち度があったとは言わないが、被害者も、そうでない人も、皆等しく落ち度がある。落ち度という言い方が気に食わなければ責任と言ってもいい。何にせよ「俺は悪くない」とは全く思わない。
彼に直接危害を加えたのはいじめっ子と両親で、被害者は直接何かをしたわけでもなければ知り合いですらないだろう。
だが、彼が復讐の相手に選んだのは、いじめっ子でもない、両親でもない、成功者と、成功者をとりまく社会だ。幸せを享受するたくさんの人間がいる一方で自分には何の救いの手も差し伸べてくれなかった社会だ。
社会は、共同体だ。共同体というものは、助け合うことを目的としている。自分が弱った時に助けてもらう代わりに弱っている人を守り、助けるという約束をする。互いに信頼し弱いところを支えあうことで強くなる。
個人は弱い。まして子共はもっと弱い。自分の力で乗り越えろ、同じ境遇でも頑張っている奴はいる、なんてのは強者の理論だ。それができる奴も確かにいるだろうが、誰にでもできることではない。千尋の谷に突き落とされたら人は死ぬ。だから人は助け合い、子供に乗り越える力を身につける機会を与え、あるいは大人同士でも手を取り合って乗り越える。助け合うことでしか社会の発展も、存続すらも成し遂げることはできない。
だが、今の日本社会は弱者に救いの手を差し伸べようとしない。むしろ弱者を叩く風潮さえある。
そして、そういう風潮を作ったのは日本で生活する人間全員で、弱者に救いの手を差し伸べるべき福祉行政を機能不全にしたのは日本の有権者全員だ。
落ち度が無い?
そうじゃない。それは自分が社会に対して、民主主義国家の市民として果たさなければいけない責任を理解していないからそう思えるだけだ。知らないことは罪ではないかも知れないが、知らなかったからといって責任を果たさなくても許されるわけではない。
知っての通り、失う物を持たない「無敵の人」による社会への復讐はこれが最初ではない。当然これが最後でも無いだろう。俺たち加害者は、加害者だという自覚があろうが無かろうが、運良く少なくて済む奴もいれば多目に払わされる奴もいるだろうが、とにかく全員で、責任を果たさなかったその罪のツケを払わされることになる。
http://anond.hatelabo.jp/20140314003532