「デモ」とは「デモンストレーション」のこと。示威行為。要するに「大騒ぎすることによる宣伝効果」を期待するもの。
夕方、TVで15秒スポットの広告打つのに、いくらかかるか? …デモがニュースになれば、その倍近い時間が割かれる。しかも、運が良ければ複数のTV会社で流れる。これはデカい。そこまでいかなくても、新聞、ネット、etc。そして、ある意味一番大きいのが、『その主張、運動へのスポンサー』に対するアリバイ効果。おれたちは、これだけの騒ぎを起こしましたよー、と。宣伝効果ばっちりでしょ、と。だから、来年度も活動費ちょんだいね(はぁと)、と。
まあ、その辺りは総会屋さんとか、街宣右翼とか、「何の意味が?」と思えるようなギャーギャー騒ぐ人らと同じ経済構造だよね。人数とか大声とかそろいの格好、「いかにも」な時代錯誤的定番スタイル、と、共通点には枚挙にいとまがない。シー・シェパードとかも同じ。少なくとも「地元住民のため」とかは、全くその行動原理からは外れてるのは確実(だってお金に直結しないし)。それはもちろん「スマート」じゃない。だが、スマートさで飯を食うのはなかなか大変。スマートにやろうとすると、たった一人で同じぐらいの騒ぎを引き起こす、と……秋葉の加藤か、それとも、テロリストになるのか? まあ、「超偉大な世界的アーチストになる」という手もないではないが、それをすると今度は自身がある日自宅の階段を上っていると「自称ファン」にいきなり撃たれたりすることもあるな。なかなか難しい。
まあ、「民主主義(デモクラシー)」社会だから、そういう非常手段は封印して、「言論」の範囲で合法的に行われている示威活動がデモなのだから、あれ以上どうしようもないとゆーのはある。泥臭いやり方の有効性というのは、これを大きく上回る「スマートな方法」が確立しない限り、なかなか消えるもんじゃないんだよね。当分デモ的手法は続くだろう。
全く、右も左もイノベーションが足らんよね。