俺が初めて何かを書くってことを覚えたのは小学二年生で、当時好きだったアニメ(デジモンだったかな)の二次創作だったんだけど、一年かけて原稿用紙百枚書いたのね。一話一枚で。まあ全然中身も何もないし面白さもクソもないんだけど、とにかく百枚書ききって、あの束になった原稿用紙の厚さはなかなか誇らしいものだった。鉛筆の下手くそな字(まあ今でも字は下手なんだけど)で書きなぐった百枚は俺の原初の「文章」だと思う(もうなくしちゃったんだけど)。別にたいした理由はなくて、知っている表現手段が文章しかなかったってだけなんだけど。それ以来特になにかをするわけでもなかったんだけど、4年位前にmixiに誘われた。で、どうやら日記なるものがあるらしい。そこで俺はインターネットで文章を書くということを始めた。でもまあ、書くって言うのも名ばかりで、自分でもよくわかんないクソみたいなポエムだとかアホみたいな萌え語りだとかをやってた。正直あの時期のテキストを直視する気力はない。消しちゃったし。でもとにかく感想がほしくて、内輪だけの空間で、なんとなく書いていた。そんな時に、あれはゴルゴ31とかだったかな、そっから経由してある人の文章を見つけたんだけど、えらい勢いで打ちのめされた。ああ、文章ってこういう風に使うんだ、っていう。漫然と書いてた自分の文章がどれだけ拙くて幼い生成物だったかよーーーっくわかって。で、その文章って、まあこういうのってすっげぇ当人からすれば迷惑だしキモいんだろうけど、“俺がこのまま大人になったらどうなるか”っていうシミュレーションなんじゃねえかってくらいに志向性が近かったのもあって、ああじゃあ俺はこういう風に文章を書けるようになればいいんだ、って思った。本当に俺が文章を書き始めたのはあの瞬間からだった。文体パクったり展開パクッたり色々やって、自分の志向性との違うところも見えてきて、俺は書くことを能力にするようになった。ブログを作った。ツイッターを始めた。そうやって広がっていったインターネットで、俺は書いた。誇るような量も質もないと思ってたけど、でも書くことが楽しかったから、書いた。
で、書いたものが読んでもらえるっていうのは、当たり前のようで当たり前じゃない。まずなんとなく書いたものを読んでもらうって恥ずかしいじゃん。対面だと無理。死ぬ。でもインターネットそういうのない。だから書き散らかせば、「いつか」「だれか」の範疇で、読まれる可能性がある。その距離感が心地よかったのもある。でも俺のモチベーションでその時一番大きかったのは、その人に自分の文章を読んでもらえるかもしれないってことだった。そうなるまで結構時間がかかった(2年位)。その間に俺は一個大きい出来事があって、本気で死んでしまうくらいに泣いて泣いて、俺には文章しかないんだってことを吐きそうになりながら悟った。それしか俺は俺を超えられない。仕方ない。でもやるしかない。書くことは信じることだった。褒められたいのも読んでもらいたいのも欲望としてはあったけど、でも、そうじゃない領域で、俺はどうやったって書くしかないんだと思い知った。そういうなかで、その人に読んでもらえたのは、ぶっちゃけ昔思ってたほど劇的な経験ではなかった。だって俺は書いてて、その「いつか」「だれか」の射程内にその人がいつか入るのは確実だと思ってたから。でもね、やっぱりね、そうやってわかった振りをしてもね、「読んでもらえる」っていうのは、奇跡みたいなものだった。劇的でなくとも。俺が書いてきたことの証明みたいなものだったから。
そういうことがあったから、俺はインターネットでなにかを書くことを、きっとやめないと思う。書くこと、読むこと、その間にある遇有性が孕む可能性の射程距離は無限だ。「いつか」「どこか」「だれか」に、限度はない。明日俺が交通事故かなんかで死んだとして、それがなんだっていうんだ。今日までに俺の文章は読まれた。変わらない。飽きられて読まれなくなっても「読まれていた」って事実は残る。それは消せない。消えない。じゃあもう、信じるしかないじゃん。そして俺にとって書くことは信じることだ。じゃあ書くしかねえじゃん。で、もちろん俺が今日まで文章を書けた理由って一個どころじゃなくて無数にあるし、どれか一個に劇的な物語を見出すような幼さは自分の中にもちたくないんだけど、でも、そういうことがあって、書くのをやめる人がいて、俺は今日もこうやって書いている、そういうことがあるんだっていう話です。それだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20120617203600 つまり studygiftの発案者、つまりNTTレゾナント社員 吉永龍樹氏はstudygift 坂口綾優さんと結ばれるということか