2011-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20110904174019

ありがとうございます

だったら、子どもが傷ついたというその一点では子どもが全面的に正しいし、子ども認識から出発すべきだというのは妥当だと思います

「正しい」というか、確かに「否定できない一つの事実」だとは思います

あと、忘れ去られがちで、沈黙に追いやられやすいタイプ事実である、と思っています

から言う価値があって、確認されるべきことだと思っています

親に対しての尊敬なら、子どもが真っ当に育ったかどうかは持ち出すべきではありません。何故なら親が苦労を耐えたことが賞賛の的なわけで、子ども別に犯罪者でも殺人鬼でもいいし、そもそも病弱で成人するまで命が保たなかったとかでもいい。

子どもがまともに育ったということを親をほめるための材料にしてるんです。可笑しな話です

ガードがどうとかではなくて、論理的におかしいんですよ。

 

このご指摘は、目から鱗が落ちる思いがしました。ありがとうございます

この観点は、実は私にはあまり無かったです

 

「親の苦労(主に子育てに関わる家事育児労働など)」と、

「親の教育の中身(塾とか大学に行かせる費用を出すとか)」は、

分けようぜ、という指摘になりうるな、と勝手解釈しました。

 

で、「親の苦労」のほうは、子供の成長の結果とはかなり相関が限定的で、

ここを持ち出すのは、筋違いだろう、というのはおっしゃるとおりだと思いました。

(※まあ、虐待とかまでしてたら、虐待ループ現象とか起こりやすいみたいですけどね。)

 

ただ、

「親の教育の中身」のほうは、たぶん文才だとかそういうところとは

たぶんもうちょっと相関が強いかな、とは思います

そこは「親」を持ち出してもいいのでは?

子供の側が「私は中卒です!家に帰ると好きなこと何もできませんでした。弟たちの面倒で手一杯でした!」というとなると、

そこのところは「あ、本当に、親関係ないですね。大変でしたね」って強く言えそうな感じがしますけれど、

たとえば、「親のお金大学院まで出させてもらいました…」とかなると、

「え、それは、やっぱり親の影響はあるんじゃ…」という気になりますけれどね。

そこは部外者にはあんまり強くいえない、というかわからない…

 

ここは実際がわからないので、なんともいえないですけれど、

itiさんはおそらく、「そうは言うけど、大学ぐらいまで出させてもらったんでしょ。」という感じで

yuhka-unoさんの反応は…ちょっとよくわかりません。現実にどういうことだったのかわからないので。

 

すみませんが、肉体的に書くの疲れてきたので、このへんでご飯たべに行きます…)

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