この抗議活動一般について僕は積極的立場ですね。
ただ、思うに、そういう政治的重要事案じゃないからこそ、これだけ多くの人が集まったのかな、とも思う。
「韓流ゴリ押し反対」というのは、政治的なようでそれ自体は政治問題ではなく、「公共的な性格をもつ国内民間企業への批判」にすぎない。だからこそ、特定の政党に関与したり変に利用されることなく、これだけの人を動員できたということはあるだろう。日本人の多くが「政治」より「テレビ」に関心を持っているという事実も、今回の動員に味方した。
「もっと重要なことがある」と言っても、「もっと重要なこと」にはどうしてもキナ臭い政治が絡んできて、ネット上でさえこんな大きな潮流を作れないだろう。その意味では、対韓国の政治問題のとっかかりとして大きなデモを行うには、むしろ今回のテーマがベストだったとすら言えるのかもしれない。
ノンポリ、シラケ世代というものが出てきて、私たちは政治にリアリティを持つことができなくなったのではと思います。
振り返れば60年代、70年代の闘争にあって、おそらく政治はよりリアリティある身体感覚を実現できていたであろうと想像します。
そうであればこそ文化の領域において『特権的身体』なるものを標榜するアングラなんかがでてくる。現状に対する違和感を自分たちの手で具現化しようとしたと。
ところが闘争の祭りが終わって、この違和感は消費活動と直接的なスペクタクルを提供するテレビによって解消されるようになっていったと。
で、政治を知る私たちの大きな手段もテレビで、つまりは私たちは、どんどんどんどん、自分の身体で政治に触れることがなくなった。
劇場的な政治みたいな言葉も一時ありましたね、小泉政権ぐらいから。
もう私たちにとって、政治の現在を私たちの身体でもって変えようという(身体)感覚は極めて遠いものになってしまったんでしょう。
(ネット・コミュニティにおける暴力性も、こうした極端な受け身の立ち方の裏返しと考えられるかも。)
で、今回の抗議活動は、主題がどうあれ、積極的かつアクチュアルな身体でもって、そこに行き、歩き、語った。
先日、南欧ポルトガルの革命後数年の国内状況に関するドキュメンタリーを見ました。
そこで衝撃的だったのは、貧困にあえぐ農家の老婦がかたる、「政治は関係ない。私たちの生活を何も変えない。革命も何も変えなかった。」という言葉です。
1974年に開館した「船の科学館」が、今年9月末で本館展示を休止する。 近くの日本科学未来館には3回ほど行ったことがあるし、お台場メディアージュの中にあるソニーエクスプローラ...
この抗議活動一般について私は積極的立場ですね。 ただ、思うに、そういう政治的重要事案じゃないからこそ、これだけ多くの人が集まったのかな、とも思う。 「韓流ゴリ押し反対...
うーん、偏った人が偏ってない人間のフリをしている、まさにネット○○と同じ感じがする。彼らより冷静っぽいのが救いだけど。 韓流デモに自分は批判的、というかあいつら馬鹿だろ...
次に下らないことではない、公共放送なんだから云々という議論が白熱しやすい話題にうつるけど、これも俺からすれば「こんなこと複雑でもなんでもない」と思う。 なぜなら、NHK以...
で、そうすると利益の追求によって倫理的な問題を起こしてしまう可能性を含む。 倫理的ってどういうこと? 韓流流せば視聴率とれるから韓流流すのが道徳的に問題あるの?あまりに...
test
こんなとこまで工作員、乙でございますw
他の重要な問題のデモより、一テレビ局へのデモが盛り上がるのは、それだけ日本人にとってテレビの影響力が絶大だ、ってこと。 ネットが凄い時代になってもテレビ大好きでテレビ中...
今回のデモを妨害しようと、大音量で君が代を流していた右翼の街宣車がいた 右翼はデモと対立する立場だったのか
「対立」ってより「擦り寄ろうとして拒否された」存在だったあの日は 街宣車「こんなに集まってくれてありがとう!(拡声器)」 デモ「…はあ?」 というあの空気はなかなか現場に...
足元でどさくさ紛れて布教活動に勤しんでる新興宗教の皆さんの方が利口だな 街宣右翼は堂々とすり寄ろうとして大コケしてる感