それは「自衛厨がよく言ってる言説」に対しての反論だろ。
「自衛厨のほとんどは実際に痴漢をしています」なんてこと、はじめっから誰も言ってない。
あと、自衛厨が嫌悪を感じているのは「危機管理意識のなさ、怠惰さ」ではなく「派手な格好をする女」。
実際の自衛厨の本音は「ビッチ叩きがしたい!」というだけであって、その本音を隠すために「危機管理意識のなさ、怠惰さに対しての批判なのです」というポーズを取りつつ女を叩くよねというお話。
まあもっと言うならば、「自分が痴漢したい欲」を隠しつつ、しかしその欲望を正当化するために「『危機管理意識のなさ、怠惰さ』に嫌悪を感じてるんだ」とか言う自衛厨もいるよね。
自衛厨乙。
「ぼくは実際に痴漢なんかしてないもん!」って言いたかったの?
ttp://awfuljapan.livedoor.biz/archives/51316679.html
日本からは
3.また政界からも日本・UAE(アラブ首長国連邦)友好議員連盟会長を務めるなど中東諸国とパイプの太い前総理、福田康夫、
>らが参列した。
↑こうやって比べてみると、「元」民主党代議士が政府特使になっている事の奇怪さがわかるでしょう。
さらに言うと、岩國氏が政治家辞めた理由は秘書給与流用疑惑です。
つまり、一国の元首とタメはるための特使が
というトンデモ無さ。
会談成立する方が不思議だろう?と。
677 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/01(火) 00:49:30 ID:Jr/OWpbx0 (PC)
»58
これひでえな。
http://b.hatena.ne.jp/articles/200912/619
はてブニュースのリンクを見た限りでは書いていないようだったのでここに書いておく。
遠くを見る・近くを見るを繰り返すという方法は知っている人もいるだろうけれど、「近く」は思いっきり近くのものを見るといい。
眼鏡をかけている人にとって、視界に入る一番近くのもの、それは眼鏡のフレームだ。
ここまで近くのものには、もちろん目のピントは合わないけれど、まず、視線をフレームにおいてみよう。さらにフレームをなぞるように目を動かす。そうすると凝り固まった目の筋肉が動いてくるような感じがしてくるはずだ。
このとき息を止めてしまいがちだけど、深呼吸しながら目をゆっくり動かしてやると良いと思う。
後頭部にある有名な目のツボの「風池」などは、この運動をしたあとに押してみると本当に気持ちいい。
なお目のマッサージをする時、まぶたの上から眼球を押さえるのはNG。押さえるのはあくまでも目の周りの筋肉だと覚えておこう。
それこそ戦時中は国家に逆らったら非国民と呼ばれた。(空襲で釣りとかもってのほか・笑)
今でも社会市民として税金を納めない者は〜だとかで。「国家」では無く「社会」。
これぞ「標準化あるいは抽象化」であろう。グローバルスタンダードは物事を酷く抽象化する嫌いは有ると思う。
(脱税総理鳩山の真相は如何に?よりも、「カーチャンのおこづかい」にしては額がデカ過ぎる事が気になります。
エヴァンゲリオンでも作るんでしょうか?・笑)
今更ながら「国家」に注目が集まって来ているのは良い兆しだと思う。
しかしながら、その「国家」に裏切られたら、拠り所は有るのかい?というのが気になってならない。
戦争の香りがするのはその為だろう。
〜T/H
あのね,オタク趣味を娯楽選択肢の一つに置いてる時点で腹立つの。お前らみたいな生半可な奴らが美少女語るとか,ちんこが茶沸かします,はい。
美少女が娯楽じゃなきゃ何だって言うの?
別項1 インフレが起きたとして、消費者の所得が増えるとは限らない。
つ http://d.hatena.ne.jp/nyanko-wonderful/20091113/p1
あのね,今の自称オタクどもはね,堂々としすぎ。
困るの。そういうの。
もともとね,オタクなんて世間一般からしてずれてるの。
それ分かってて,こっち来ないでよ。
俺らは俺らで楽しんでるからさ,迷惑かけないからさ。
ってか,楽しんでもいいよ。ほら萌え萌えですよ。きゅんきゅんですよー。ゲーム楽しいねー。漫画おもしろいねー。ほらほら。楽しいねー。
で,その代わりオタク自称しないでください。
あのね,オタク趣味を娯楽選択肢の一つに置いてる時点で腹立つの。お前らみたいな生半可な奴らが美少女語るとか,ちんこが茶沸かします,はい。
鳩山首相、「お母さん」ヤジの連打浴びダウン寸前
ttp://news.livedoor.com/article/detail/4479744/
事業仕分けを行ったが、あなたが正直に申告していれば、4億5000万円の税収が得られた
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259662572/382n-
411 :名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:26:26 ID:7aIHludg0
・小沢の不正献金の件で西松の社長を逮捕したら、その日たまたま西松元専務が死亡。
・その3日後、重要参考人だった長野知事の元秘書がたまたま自殺。
・その後、小沢を告発していた元議員がたまたまソウルで心臓発作で死亡。
・民主支部家宅捜査の翌日にたまたま民主事務所から出火して全焼、全資料焼失。
・平成16・17年に鳩山の収支監査をやった花田順正税理士が衆院選の前日にたまたま心不全で死亡。
・鳩山個人献金問題が再び取りざた矢先に中川元財務相がたまたま不審死。
・東京地検が鳩山の実母を事情聴取する方向で検討を始めた矢先、たまたま緊急入院。←NEW!!
┌─────┐
│偶 然 だ ぞ |
└∩───∩┘
ヽ(`・ω・´)ノ
ttp://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-ab42.html
「事業仕分け」も国民に好感を持って受け止められていますが、そもそも95兆円という途方もない概算要求を出してきたのは民主党政府なのであって、それを自分達で削ってみせて、「あれも無駄、これも無駄」などといっているのは自作自演以外の何物でもなく、実に滑稽な姿ではないのでしょうか。
「仕分け」をするのは本来納税者から行政官庁をお預かりしている大臣がすべきことであって、全事業のたった15パーセントの仕分け対象はいかにして選ばれたのか、仕分け人の選定基準は何であったのか、無駄の定義は何なのかも不明のまま、「予算編成が透明化された」とただ礼賛するのは何処かが明らかにおかしいと思えてなりません。
1.首都圏の航空需要は羽田4本目滑走路を作ってもスグ満杯になる、
しかし、本当に将来は需要不足に陥るのか?
首都圏といえども早晩減少に転じる。
よって、国内の移動人口は長期的には減少に転じる。
・また、年齢構成も、航空を積極的に利用する
金銭的理由から、国内移動において航空利用する率は
さほど高くないと思われる。
航空利用率は徐々に減少すると思われる。
という理由により、国内航空需要は、今後減少こそすれ
増加はしない、と考えるのが常識的判断ではないのか?
こう書くと「国際線需要は急増するのではないか」と言われると思う。
他方、国外からの観光客流入は、確かに新興国の中間層肥大化により
増加すると思われる。
ただ、その場合、単純に首都圏への観光客が増加するというよりは、
なので、「絶対に需要過多になる」とは言い切れないのではないか?
国内移動者減少と新興国の観光客流入が均衡して、トントン程度じゃないのか?
何のことはない、過大な需要予測に基づき地方に道路そして空港を
「日本の人口は減少する」という前提で、再度首都圏の航空需要を見直した方が良くないか?
(恐らく「出生率は高位推計で推移」という前提で試算しているハズ。
現実的には低位推計で推移する可能性が高いので、この辺試算を見直しすべき。)
2.「羽田に国際線が少ないから、成田に国内線が少ないから、仁川経由の地方空港客が
増えてしまって、ハブ機能を仁川に取られた」と嘆く専門家が多い。
しかし、仮に首都圏に「国内線も国際線も乗り入れている空港」を用意したとして、
「乗り換えが便利で、日本の地方空港からも多く就航している」という理由しか説明されていない。
確かにそれも大きな理由だが、それは「仁川がハブ空港になっている」理由の半分でしかない。
残り半分の理由は、
「大韓航空、アシアナ航空が格安で、仁川経由で欧米に飛んだ方が日系航空会社直行便利用より
安価だから」じゃないのか?
逆に言えば、首都圏に「国内線も国際線も乗り入れている空港」を用意したとしても、
そこに就航する会社の運賃が高いママであれば、地方客はそのまま仁川を
利用し続けるのではないか?
3.そして、そもそもの疑問だが、
逆に言えば、「仁川空港がハブのママで、一体どういう不都合があるのか?」
この点について、航空関係者から納得行く説明を受けたことがない。
単に国威発揚的に、「日本にもハブ空港がないと恥ずかしい」という感覚論じゃないのか?
「ハブ空港がないことによる経済的デメリット」を数値的に説明できなければ、
すごいことを思いついてしまたのでメモ
車のキーをケータイにすることはできないかな。
もし、車のキーをケータイにするとこんないいことが!!
逆にデメリットも
もっとも重要なのは「リンク中はケータイをかけれない、受話できない」ってやつで
こんなにも車の取り締まりが厳しい時代なのに、やっぱり電話しちゃってる人もいるんで
わあ、ありがとう。
そうだね。あまり気にしないようにする。
ただ、一般的に言ってもう少しちゃんと受け答えできるようにはなりたいところなので。
必要な情報交換も今回はできなかったし。
不明である。
最初の年は「傷つきたく無いのなら、コメントはしない。させない。」であった。
次の年は真逆。「片っ端から喧嘩を売る」「偉そうな奴から始末する」「頭落として自分も死ぬ」という革命京劇(笑)であった。
で、最近はコメントのみの日記に、増田である。つまり「本人が書いている保証は何処にも無い」という事にしている。
ワタシの名前で良い事言ってくれるようになれば、こりゃー楽チンである。ウットリですね。(そんな事には成らないと思うのだが)
〜T/H
自衛厨の傾向のひとつに「ムラムラさせられたら襲われても仕方がないだろ。ムラムラさせるのが悪い」という発言もあるけれど、こういう人たちにはムラムラさせられたら自慰で発散するという発想はないのだろうか。
お腹すいてる時に焼きたてのパンを持っている人とすれ違ってより食欲が刺激されたところで普通は相手のパンを奪ったりしないだろう。
家に帰るなりどこかのお店に入るなりしてご飯を食べるのが普通だ。
そういう人の性欲は、刺激されたらもうすぐその場で相手に暴力をふるう形で発散しないとどうにもならないものなのだろうか?
家に帰るなり、家までも待てないなら近くの公衆トイレでオナニーするのではどうしてだめなのか。
ちょっとした刺激でもすぐに辛抱たまらなくなるんだとかいうなら、いろんなオカズで耐性をつけるようにして性欲をコントロールできるようにするのが自己責任なのではないのか。
けれどそうならないのは、実はそういう人たちがムラムラしている時に刺激されているのは性欲じゃなくて嗜虐欲だからだ。目をつけた弱いもの相手に暴力をふるいたいと思うから殴っているだけなのだ。
そして性欲と嗜虐欲があまりにも深く関連付けされ過ぎていて本人に区別がつかなくなっているのだろうと思う。
更に嗜虐欲は発散してはまずいけど性欲なら三大欲求のひとつなんだから諌められる謂れはないと思っているため、あんなにも堂々と「ムラムラさせられたら襲われても仕方がないだろ。ムラムラさせるのが悪い」などと言えるのだろう。
そういうことを考えている人は、自分が満たしたいと思っているのが性欲ではなく嗜虐欲であるということに気づいて欲しい。
そして、世の中は性欲と嗜虐欲が結びついている人の方が少ないか、それが結びついていることに自覚的で故に嗜虐欲の部分については(通常の暴力衝動は他人に向けないように自制するのが当たり前なのと同様)自制的であることを当たり前とする人が大半であることを知って欲しい。
2009/08/01(土)
みんな、泣いてる。とても静かに泣いてるみんなの姿を
僕ははっきりと感じることが出来るよ。
僕は暗闇の中に逃げ込むことで沢山の安息を得たし、
みんなは僕の暗闇を覗き込むことで、あるいは
僕の暗闇にしんしんと降り積もる雪のような悲しみを眺めることで
すこしだけ人を信じたでしょう。
だけどそれももうすぐ終わるんです。終わります。大丈夫。
2009/08/01(土)
僕はいつのまにか逃げることが人生みたいに思って
ずいぶん遠くの暗くて静かなところまでやってきたような気がしていたけど
本当はすこしもあの故郷の匂いから離れることは出来なかったと思う。
僕は今も遠いあの故郷にいて、夏の夜にふく風の心地とか
夕暮れが町を包み込むときの空気の触れ合いを少しも忘れていないし
むしろそれをいつも心の綺麗で優しい場所に暖めていた気がする。
2009/08/14(金)
こんばんは。僕です。
みんなには随分不憫な思いをさせてしまってとても僕は反省しています。
殺せ。俺も殺す。
そんな気分でしたから、僕がここにスレを立てるのはすこし大変でした。
人が人として生きることはそんなに難しいことではありません。
でも誰がそうしていますか?あなたですか?では僕もです!
2009/09/12(土)
こんばんは。僕です。僕は夢をみていました。
絶望だけの夢です。
太陽が死んで、明日のまた次の日も
そこに新しい一日が二度と訪れない世界にいて
僕は死んでいったジョニーや麻井、それからJのことを想っていました。
そうしている僕は、しかし何も感じず何も見ず、ただ世界が終ったあとのこの
風景にやっと時間だけが流れていることをかすかに意識することが出来るだけだったとも思います。
僕は過去と現在においてただそこにある時間だけが流れさったということを自覚することができたから、
今ここにいない彼らの過去にあった現在もまた確かに現在の過去として存在することを認めることができました。
夢の中にいた僕にはだからそこに彼らの生があることを認めることができたけれど、
その夢が醒めた今となって、かえって僕はまだ自分が世界の終ったあの日にいて、
それからすこしの時間にも流されず、ただあの突然の巨大な破壊の前に
焼け爛れた人々の死の壁の前に立ち尽くしたままなのかもしれないと思うようになりました。
みんな死んだのだ。そして僕だけがまだここにいて、こうしてただ振り返ることにおいてのみ生きているのだ。
僕はこうして過去の存在の、失ったものすべてを一つ一つ認めることにおいて現在の生と時間を生きているのだ。
僕は死んでいないのだ。だからこそ僕は死を認めるのだ。
麻井の死を、ジョニーやJのその死を。そしてあの破壊。彼らの生を、魂を簡単に粉砕したあの破壊を。
そして彼らの破壊された時間だけがそこに留まり、僕だけに新しい時が訪れたのだ。
だが本当にそうだろうか。彼らは死に、僕だけが生きている。そんなことが本当にあるだろうか。
あの恐ろしい破壊が僕の時間だけをさらい忘れるというようなことが。否、そんなことはないだろう。
僕はまだ、夢を見ていてこうしてここに過ぎていく時間も全て本当には存在しないのではないだろうか。
時間が止まった後そこに夢だけが、死の数だけの夢がそこにのこされているのではないだろうか。
僕も死に、彼らも死んだ。あるいは彼らが生き、僕だけが死んだということもできよう。
だが僕の夢がまだこうして続くのなら僕はただその夢を、夢の中の生に流されていようと思うのです。
2009/09/12(土)
みなさんこんばんは。僕です。おひさしぶりですね。
この頃は元気ですか、僕は元気です。
雨は降ったり止んだりといった感じで、
せっかくの休日なのにと言う人もあるかもしれませんが、
僕のほうは休日に降る雨のことが好きだし、その雨にしてもどうもこちらに気があるらしいから、
この静かな午後の雰囲気をいっそう穏やかなものにしてくれるし、
僕はそのなかでずいぶん落ち着いた時間を過ごしています。
それで今、パーラメントを聴いています。マザーシップ・コネクションです。
1976年、地球征服を企む宇宙人ジョージ・クリントン(本名不明)が
この音楽を人々の脳に直接流し込むことで
街を一瞬のうちにP-FUNKと呼ばれる興奮状態に陥れたという話ですが、
その威力は本当に凄まじく、
いまこうしてスピーカーから流れるボリュームを極力抑えた旋律ですら
僕の下腹部の奥に熱を与えそこからごりごりとした欲望が膨らむのを感じます。
アンニュイな休日の午後にはすこし強すぎるスパイスでありました。
2009/09/27(日)
痛みがある。随分苦しい気分でいる僕です。恥かしい気持ちだけが脳を満たしていて
独りでいないとどうしようもない気がするので僕は今日もそうしています。もしもそばに誰かいたら
やっぱり駄目になりそうです。気付いたら誰もいない生活が当たり前なので、人の声がうるさくて仕方ないし
それで怒りみたいな感情がどんどん溢れてきたときには、それがもしもこぼれ出したりしたらと思うと
やっぱり恐ろしくて仕方ないです。わからない間にとんでもないことをしていたりするんじゃないかといった不安が
あることと、もうイロイロなことが前とは違う風に見え始めていること。
良くなることが有るような気もしますが、それは記憶が褪せるのと同じように
ただ痛みを忘れているだけの気もします。忘れているのは自分だけでそれは決して許されること
ではないのかもしない。最初からわからないことが多すぎるし、
僕の知らないところで僕が撒き散らした破壊によって今おびえる僕はもうとても苦しい気分でいるのです。
2009/10/06(火)
すいぶん時間の進み方が変わっている。と俺は考える。
朝、と思っていたらもうすっかり夜になっているし、
秋だ、と感じたそばから冬だったりする。
そもそも俺は、過去と未来がこの瞬間とどういう具合に組み合わさっていくのだか知らんが、
こうやって生きていくにつれ、過去というのが次第にその体積を増加させ、
そして過去は、いずれ俺の現在と未来に与えられた全ての時間を少しも残らずに覆い尽くしてしまうのだろう。
それは始め、とてもゆっくりだったのに、今ではもう決して追いつけない速度になっているし、
そのせいでこの現在は、この瞬間はただ過ぎ去っていき、そこに自分が生きたという実感も無く
ただ過去という巨大な闇に飲み込まれていく。
とても速い。と俺は思う。それから、もう遅すぎる。と思う。
俺が歪んでいるのか、時間の方がそうなのか、
どちらにしても俺の精神は既にこの時間の速度を認めることが出来ないでいる。
2009/10/07(水)
精神の悪化が著しい。
このところずっと俺の背後に立っている男が俺の精神の自発的な破壊をもって
俺の完全な抹殺を開始する算段を企んでいることなどもあって、
俺はすこしも心を落ち着ける時がなく、
何者かがこちらの精神の崩壊の瞬間を窺っている様子もある。
そして俺は今日もこうして睡眠などに身を任せるような危険な状態を避け、
俺の抹殺を企てるもの、現在も俺の後ろに立っている男などを筆頭に
俺の精神を一刻も早く破壊せしめ、俺の存在と俺の時間の完全な抹殺を遂行しようとする輩から、
すくなくともまだ、こうしてかろうじて日常生活をぎりぎりで保てる段階に留まっている限りは
その手に安易に落ちることを拒否し続けることにしている。
しかしそれももう長くは続かないだろうことは、俺もそして俺を抹殺しようとする奴らにも
既に大方は了解されていることではある。
問題は、俺がその瞬間においてどの程度人間であるかという点にあり、
そのことが今の俺の最大の関心事となっているのである。
2009/10/07(水)
たしかいつだったかに俺は雨が好きだ好きだというようなことを言った覚えがある。
そのことは今も変わらない。俺は今も雨が好きで好きでそうしてその雨量は多ければ多いだけ好きで、
その時間は長ければ長く降り続くだけ俺の精神を安らかな状態に満たしてくれるから
俺は一層に雨を好きになるという按配なわけだ。
そしたらさっき、台風なんぞが来たる。なんつう声が耳に入ってきよったもんで俺、にたにたしたっきり外を眺めとった。
俺は雨が好きで好きだというようなことが、そのまま台風にも通じるんであって、
俺はベランダに静かに立って、そこから見える景色、家の前を流れる小さな川とその川の向こうにある小さな公園と
その向こうにある人家とマンションとそれから小学校の校庭と、もっとむこうの山々とに、
今も降り続く雨をこのベランダにも降りかかる雨にしとしととこの身を濡れそぼらせながら見とるわけだ。
そうして俺が恍惚とした表情で見とれておる間にもその雨は、次第に風を増し
雨量を増し、その一粒一粒の重量は益々に肥え、
俺のこの目の前に広がる人の気配のない空間に降り続ける雨の質感が
より重厚によりドラマティックに揺れるのを俺はもう、俺はもうここに俺の時間がただこの瞬間にだけはっきりと
流れその流れが雨の時間と混ざり合っていくのを感じているということなんよ。
つまり今夜だけは俺もこの精神に静かな安らぎを与えられるということなんよ。誰も俺を抹殺にかかるようなことはないんよ。
今日だけは、深く沈む闇の中から俺を監視する視線は消えるんよ。目を閉じてそして狂ったように振りつける雨の呻きも
ふいに静かになる雨の押し引きにもそのどこにも俺の精神に痛みを与える気配はないということなんよ。
2009/10/08(木)
休日のこと
朝、目が覚めて
たしか9時くらいだったと思います。
まず洗濯機を回して、
そのあいだとりとめもない空想に浸りながらストレッチをして、
部屋の電球を交換して、セロニアス・モンクを聴きなが小説を読みました。
しばらくして眠くなったので、本を閉じて眠りました。
目が覚めて、夜ご飯を食べにいって、戻ってきてお風呂に入ってから眠りました。
一体人生とはなんでしょうか。
2009/10/09(金)
Jっちこんばんは。
僕はニンテンドーじゃなくて時給780円の弁当工場に勤務していますけど、
高収入?なんすかそれ。幕の内とどっちが美味いの?みたいな世界ですね。
なんつって、来る日も来る日も目の前を過ぎ去っていく焼肉と筑前煮見てて
ああ、もうこんなに筑前煮ばっかりで人生うんざりだなってこともある俺だけど、
そこは俺、プロなわけで、なんだかんだ、すんげえ良い感じに盛り付けちゃったりするわけですわ。
だからこその焼肉弁当ラインなわけです。そこは俺の領域なわけね。俺の場所。超クール。
とかなんとか、この俺の人生だけど、まあそれ以外にも楽しみはいっぱいあるよ。
一体何に喜べばいいの?
ってそんなもん自分で見つけないといけねえにきまっとるだろが。
生きるっていうことは考えることだし、学び続けることだろが。
昨日より明日、明日より明後日の焼肉弁当がもっと美味い。それが人生だし、
今日の筑前煮、その煮汁が完璧な旨みを含むまで何回でも煮込む。
それが生きるってことなんちゃうかなあ。と思うけど、
たまにはやっぱり人生ってなんですか。って思う俺です。
2009/10/12(月)
昨日も、朝起きて、やっぱり、何かむなしいような気持ちでいた僕は、
お昼ごろになってご飯を食べて、
静かに流れていく川。それを眺めている間だけ、このむなしさも僕から離れていく。
と、そんな風に思いながら僕は歩きました。
しばらくしてベンチを見つけて、そこに座って本を読みはじめました。
堀辰雄の風立ちぬでした。ずいぶん綺麗な言葉たちが鴨川の水面に浮かび僕の心をさらさらと流れました。
原っぱには白人の家族がいて楽しそうにボール遊びをしていました。
その向こうのベンチには若いカップルが、そんな家族の様子を眺めて幸せそうに笑いあっていました。
空は気持ちよく晴れ、そこにうすい雲が流れています。ゆるい風の中には秋のぴりとする冷気を認めますが、
ふりそそぐ陽光の暖かさがそれを心地よい肌触りに感じさせます。
僕はベンチに寝転がって、本を読みながら、ときどき空を見上げ、うすい雲のそばに淡い空想をゆらしたりもしました。
そんな風にしている僕はいつのまにか眠ってしまったのだと思います。
ふと気付くと、すっかり陽は傾き、辺りは秋の気配に包まれ、周りにはもう誰もいませんでした。
ふらと起き上がった僕は、帰ろうと思いました。そしてまた歩き始めました。
途中のうどん屋さんで夜ご飯を食べました。そうしてまた電車に乗って帰っていきました。
家について、お風呂に入ってからからチューハイを飲みました。やっぱりいろいろ恥かしい気がして、
まだ誰にも会えない、と思いました。それはすっかり冷たくなった夜の風のせいかもしれません。
いろんなことが、駄目になり始めてから、もうずいぶんの時間が過ぎたようです。
2009/10/13(火)
告白します。
8月、私は毎夜モンスターハンター3ばかりやっておりました。
それは真夏の世の夢、日暮れを待っては無法残虐の限りを尽くす暴君と化した私、
気が付いた時にはカーテンの向こうが白々と輝き、
すっかり日が昇っていたというようなことも何度かあったほどです。
そんな風にして過ぎた9月のある日に、私はふと思い立ち
コントローラーを静かに床において、普通のサラリーマンに戻りました。
そして今、なにかがふいに私の内を過ぎたのです。
ああ、我が燃ゆる夏、灼熱の鉄槌を再びこの腕に。
誰か、一緒に狩りに行きませんか?HRはたしか30か40くらいだったと思います。
ハンマーを背負っております。テクニックはございません。ただ破壊を
振りかぶったハンマーが獣の脳髄を揺らします。
よろしくおねがいいたします。
2009/10/14(水)
僕にはさっぱりわかりません。
僕は日々その間を、あっちこっちに振れている人間です。
2009/10/14(水)
昨夜、私はこの苦しみから逃れるため酒に溺れ、そして苦しみの底でこの世界を強く呪いました。
バーモンド・キッス。いかにも私は、是をパクったことを認めます。
しかし今になって、私はその事実に対してただ一片の後悔もこの心に認めてはいません。
それは相対性理論という楽団こそが、
言わずもがな「地獄先生ぬ~べ~」の周到なパロディに過ぎないという事実を私が知るからです。
その楽曲の全ては、「鬼の手」を持つ小学校教師「ぬ~べ~」こと鵺野鳴介が生徒を守る為に、
妖怪や悪霊を退治する学園コメディーを、一話一話、楽譜の上に置き変えただけのものなのです。
であれば今、私がこうして、相対性理論をパクったという一つの現象は
はたして私をこうまで苦しめる理由になるでしょうか。
あなた達がいかに厳しく私を断罪したところで、私の心には今も清涼な風が吹き抜けるばかりなのです。
2009/10/14(水)
言わずもがな私は今夜、言わずもがなという言葉を多様しています。
繰り返す時間が私を言わずもがなの罠に誘います。
言わずもがな、私はこの罠を、罠と認めることなく、一度、そしてもう一度、
言わずもがな二度三度とその失態を繰り返します。
私はこの痛みをもったまま言わずもがな次の言わずもがなへと進みます。
すこし度が過ぎたようでう。今夜はすこし酔いすぎたでしょうか。
秋の風が頬の熱を奪い、私は風の王に嫉妬します。
これは現実の時間です。そして私の精神は今、確実にその強度を失っています。
2009/10/15(木)
本当のことを言うと、僕は文通がしたいのです。
こうして、誰とも無く世界の果てに向けて自分の精神を拡散させるのではなく、
確とした誰かに、己が胸のうちをひっそりと告白したい。
そうして僕は彼方にあるその存在に思いを馳せ、
ただじっと待ちたい。私はその時間を愛し、その距離を空想したい。
文はその遥かなる旅路の内に芳醇な感動を携えて私の心を狂おしく酔わすであろう。
2009/10/15(木)
わし今から自分の住所と名前を念じるから感じ取ったら着払いで送ってください。
替わりに高校のときに使ってた数Bの教科書送ります。
もし数Ⅲの方がいいとかだったら相談に乗ります。念じてください。
よろしくおねがいいたします。
しかしモンハンやろ言うても誰も乗ってくれへんし、
わしも寂しい男やなあ実際。
まあ、こうやって毎晩、部屋で独りビールのんで、絶命しかけた肝臓に毒の油塗り込むような人間なんぞ
そりゃ誰も相手にせんやろってなもんやけど、せやかてまだわしも人間の姿はしとるで。
徐々にやけどまあ顔は獣じみとるけどな。実際狂うように美しいで今のわし。
鏡にもずいぶんはっきりと狂気が写りこんできとるしな。そやしそもそも人の美しさなんつうもんは
ひっくり返してみたらこんなもんや。やっぱり腐りかけがうまいんやな。健康的なもんの美しさには
わしなんぞも興味ないわい。それはしかし生きとらんわな。なんの歪みもない美からは
人を狂わす色気はでえへんで。わし自分の妖気に酔いそうや。そやからまだ誰にも会うわけにはいかん。
人がおったらたまらんで、会うたら畢竟まぐわうことになるのはわかりきっとるからの。くわばらくわばら。
恐ろしいのう。生きることはずいぶん辛いことやのう。
徐々に言葉が離れていくようになった。
元通りにしなくちゃ。生きるんだもの私。
無理だ。もう本当に無理だよ。
駄目になるのがはっきりとわかる。
もうすぐだよ。一度は超えたヒューマンの境界線。
もう2度と見たくないあの地獄。いやだ。助けてよ。
酔ってしまったような気もするし、
かといって時間が歪むのを確かに判別できる程の理性は
確保されているような気もする。
すこしの間忘れていたことを思い出す瞬間が訪れる。
それは、最もおそろしい闇を見るのが溺れていく私だけではないからです。
私の周りにある人々をも同様に捉えて離さない深く濃い闇がそこにあります。
必死で手を伸ばすもの、私を捉えてその暗黒から救い出そうととするものそれら全て飲み込む
闇がそこにはあるのです。今、その闇の中に沈んでいく私にできることは限られています。
選択肢は、そこにある結末は。
家庭内とか友人内とか、いろいろあるべ。皮肉言われてるのに気がつかないで「空気読まないコメントやめれ」と言われてもなあ。
じゃあ、「大学生になれて幸せ」とか「勉強楽しいサイコー」とか書いておけばいいかって言うと、それはそれで、また反感コメントきたりする。
要は、まったくの赤の他人に言われたことで、いちいち傷つくような、お子さまが、インターネットで日記なんか公開しちゃだめってこと。
よかった、鬱陶しがられていた男はいなかったんだ