はてなキーワード: 愚民政策とは
オレは帰国子女でも何でもなく、生粋の日本人。独学+海外駐在数年経験して英語がぺらぺらになった今、英語は手段にすぎないとかぬかしてるクソどもへ一言言いたい。
英語は手段であるとか、英語だけ出来るやつなんて要らないとか、最近の若者は英語できればいい仕事に就けると思ってるとか、分かったような事を言って、それを理由に英語学習をしなかったり、英語学習を妨げたりするやつが世の中には結構いる気がする。こういう事を言うやつらは、たいてい英語が中途半端にできるか、もしくはできない。
確かに、こいつらの言っている事は多くの場合、ある前提のもとでは間違っていない。無駄に親のすねをかじって語学留学してきましたみたいな無能を批判したいという気持ちもまあ分かる。だがしかし、こいつらに決定的に欠けているものがある。それは、こいつらが、本当に言語をマスターした時のブレークスルーを知らないという事である。
言語をマスターするという事は、その国の人と話をしたりメールをする事ができるようになるだけではない。言語をマスターすることは、一言で言えば、他国の文化を理解する事であり、それは同時に自国の文化に気づく事である。
文化と一言で言うのは簡単だが、宗教、制度、政治、経済、メディア、会社、学校、など、社会システムのあらゆる要素をさす。言語をマスターすることで、こういったものの役割とは何で、日本と他国はどう違って、日本がガラパゴス化してると言われるが何がどこまでガラパゴス化しているのか、そいういう事が分かるようになる。たとえば、オレは日本に帰ってきて、日本のテレビも新聞もほとんど見なくなった。全く価値のない情報をたれながしている事に、海外メディアに長い間触れて、違いを理解したからだ。もはや、日本のメディアは愚民政策でコントロールされているとかしか考えられなくなった。
言語なしでは世界は存在しえない。人は全ての感覚がある人だって、耳が聞こえない人だって、目が見えない人だって、言語を通してしか、物事を認識する事ができない。言語とは、それだけ重要であり、思考や存在を形づくるものであり、人格を変えるくらいの力がある。だから、「英語は手段でしかない」とか、分かってないやつが分かったような口を聞いてるのを聞くにつけ、「言語は目的たりうる」と反論したくなるのである。そして、若い人には、余計なことは考えず、言語学習が楽しいと思ったら、マスターするまでやってほしいと思う。