はてなキーワード: レッズサポーターとは
理系の人間の「僕はオボとは違う」宣言と、似非サッカーファンの「僕はレッズサポとは違う」宣言は醜悪の一言である。
聾者は上記の二種類の人間のような宣言をあちこちで行わなかった。
それは何故だろうか?
それは、あのような宣言が全く無意味であると知っているからである。
マイノリティの生きている世界に「説得」の概念は無い。もしくはあっても非常に小さい。
「説明すればわかってもらえる」などという幻想をマイノリティはとっくに捨てているからである。
そしてまた、「僕はあいつとは違う」という宣言は、自分自身を生き辛くするということも知っている。
「僕はあいつとは違う」とわざわざ言う人間は、「連帯責任」を内面化している証拠でもある。
「連帯責任」という言葉は普通のことをできない障害者にとっては心に突き刺さるものである。
であるから、障害者は連帯責任の概念を意識的にも無意識的にも捨てている。
そんなことを考えていたら生きてはいけないのだ。
障害者にとって、「僕とあいつは違う」のは当たり前なのである。だからゴーチが騒ぎになっときも、
聾者はいちいち「僕とゴーチは違うから~」などという情けない弁明をしていないのである。
ところが今回この「連帯責任」の内面化を露呈したのが、はてサの方々である。
レッズサポがあの横断幕を出したことは、日本のサッカーファン全体が罪を負うべきであり、
Jリーグサポーター全員が重く受け止めねばならないとはてサは主張する。
そんなアホな話はない。レッズのアホがアホなことをしたのだから他チームのサポーターは喜ぶべきである。
「韓国人お断り」なんて雑誌で表明してるのは浦和レッズだけであり、そんな馬鹿なことやって自爆してれば世話ないのである。
浦和レッズサポーターと他チームのサポーターは友達ではない。ライバルである。優勝と残留を争っている。
レッズの失敗は我々の喜びである。レッズはDQNを上手くコントロールできてなかったからこんな騒ぎになったのである。
それを、普段スポーツを見ていないはてサがノコノコとやって来て、「スポーツに政治を持ち込むな!」だの「スポーツに憎悪を持ち込むな!」
などのキレイゴトを言い、「サッカーファンも連帯責任だよね・・・恥ずかしい・・・」「他チームのサポーターも同罪だよね・・・恥ずかしい・・・」
と、お得意の「恥ずかしい恥ずかしいオナニー」を始めるのだ。
冗談ではない。レッズサポーターの罪をなんで我々が引き受けなければいけないのだ。Jリーグのチームのほとんどに韓国人や北朝鮮人・在日朝鮮人が居て、
日々そういう選手を必死で応援しているのに、なんで我々が責められなければならないのだ。
今回のはてサの奔走ぶりは、戦時中に近所を陰湿に監視していた、戦争に協力する主婦と何も変わらない。ファシストである。
はてサはレッズサポーターの心ばかりを責めている。態度や誠意ばかりを問題にしている。だがそれで差別問題は解決するのだろうか?私は不思議でならない。
レッズサポが「ごめんなさい・・・」と言いながらも心の中ではアッカンベーしてたらどうするのだろう?
私は、「あいつが○○をしているから止めさせる」という考えを持っている。
だがはてサはどうであろうか?「あいつが○○と考えているから止めさせる」という行動様式である。
というやり方は、「朝鮮人が井戸に毒を入れたに違いない!朝鮮人は連帯責任だ!」
ただ、私がお気に入りに入れている左派の方々はスポーツの世界をきちんと知っているので、
レッズのゴール裏にいる人間の心や存在を糾弾しても何も始まらないことを知っているのである。
私は今回のはてサの「連帯責任」戦法は悪手だと思うし、欧米では全く通用しないものであるとも思っている。
我々もそろそろ、「話を聞くべき左派」を選別するときが来ている。
(文:masudamaster)
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