80年代にはイケイケで、大企業に入ってガシガシ稼ぐのが大正義で、給料はジャンジャンあがるし金利はメッチャ高い、という前提で生活していた。
基本的にこの時の嫉妬は大企業に向けられていて、大企業は好き勝手に金儲けをして蓄えてると思われていた。
公害良くない、バラマキ良くない、企業よりも個人が大事、お金よりも心が大事なんや、というのはそのアンチテーゼとして底流になった。
それが90年代に入ると一気に景気が悪くなり、大企業はバンバン業績を悪化させてつぶれ、分裂し、弱くなった。
逆に嫉妬の向けられ先は、それまでとるに足らない、個性のないつまらない仕事をしてると言われていた公務員に向けられた。
公務員は高給を取りすぎている。公務員が大勢いる団体は効率もよくない。だから民営化しようと民営化が進んだ。
そもそも、企業のなかでぬくぬくしてる奴らよりも、仕事をする実力に応じて給料が出るべきなんや。
と、就職口が細くなったのと合わせて、企業に勤めない個人が専門性をもつ生活が良きものとされた。
ところがどっこい、0年代になって、弱った企業では個人にノルマが押し付けられ、公務員も数を減らされた結果、非正規雇用が増えた。
この時代の羨望の先は外資系の高給サラリーマンたちだった。彼らは多大なノルマに向かい合い、次々と燃え尽きながら仕事をこなした。
どんどん世間は貧しくなり、80年代に多数派だった「大企業勤めでぬるま湯に浸かってる会社員」「親方日の丸の公務員」というのはいなくなった。
ジリ貧のなかで「一髪グレートリセットを掛けてみたらいいんじゃないか」という話になって民主党政権になった。
ところがこの人らは、80年代、90年代の感覚のまま政権運営をしたので、景気対策に消極的であり、世間はさらに貧乏になった。
10年代になって、現場の疲弊が頂点に達し、自民党政権に戻り、グレートリセットから安定に世論が変わった。
0年代に横行していたブラック労働に改善が入り、政府のバラマキ的な景気対策で景気は回復に向かったので、給料水準も改善した。
ただ、非正規雇用をもう一度雇い直すほどの企業体力はまだ回復していない・・・・・と企業側は言い続けた。
世間の構造はあまり変わらず、再度「好きなことをして生きていく」に世論は変わった。ネットで騒いで客を得る商売が流行った。
ただそれは90年代の「お金より個性」とではなく「個性を売ってお金を得る」という方向に変わった。
20年代である。安定路線で10年きたことで、逆に腐敗が生じたが、世間はまだ大変革には忌避感がある。
10年代にあったブラック労働の改善、パワハラ、セクハラの撲滅から、逆にポリコレへの反感を育てた。
企業は10年代にかなり業績を回復し、立ち直りつつあったがそこにコロナが直撃し、明日が見えない。
ネットで騒いでお金を儲ける方法論は飽和して、社会迷惑行為と認識されるに至った。
大阪都構想は基本的にこのうちの、「ジリ貧だからグレートリセットをするべきだ」というのと、
「公務員はロクに仕事もしてないのに安定して給料を貰ってるやつらだ」の合わせ技をベースとして、
コンドラチェフですねわかります