2018-04-10

得体の知れない何か

この前、増田投稿した記事ホッテントリに上がって、いくつかのコメントをいただいた。それをみていて思ったのは、ネット世界には匿名の向こうに人間がいると認識している人と、記事をただのコンテンツとして認識している人の二種類がいるということだ。

匿名増田人間であることを認識している人は、それを書いている”人”に向けてコメントを書いている。

コンテンツ認識している人は”自分が求めていたことが書いてない”と文句を言い、あるいは自分承認去って行く。

まぁそれはどっちでもいいのだけれど、そういうネットでの人の関わりを見て、そこに確かに人間がいるんだなと実感できる。テキストだけの関係は直接人の精神に触れるようなもので、そういうのを見ていると自分の他にもたくさんの人間がいるんだなと思える。

逆に現実で、たとえば街ですれ違う大量の人たちを見ていても、それが人間であるという実感がいまいちない。ただ、移動する障害物みたいなものだ。そして自分も移動する障害物の一部になっている。

近頃、毎晩実家の夢を見る。

夢に出てくる実家には普通に家族がいるが、そこにあるものは何もかもが実際よりも古くてボロボロだった。壁にあるカレンダーも、メモ帳も障子もボロボロで黄ばんでいて、穴が開いていた。テレビもなく、部屋は薄暗かった。

兄が癌でもうすぐ死ぬという話を夢の中で聞いた。それを聞いて、夢の中での自分は少しだけ不安に思った、と思う。

実際の兄は元気に仕事をしている。

自分東京にある一人暮し用の狭いマンションの一室のベッドに寝ているのに、気がつくと実家の、かつて自室だった和室で寝ていた。金縛り状態だった。その部屋の障子もボロボロで穴が開いており、焦げたような穴の縁も鮮明に見えたのを覚えている。

部屋の外を、得体の知れない何かが移動していた。

手首から手が3つ生えているのを入り口の曇りガラス越しに見て、ああこれは夢なんだなと認識した瞬間に目が覚めた。

毎朝こんな調子で、起きたい時間より1時間以上も早く目が覚めてしまう。おかげで毎日寝不足だ。

現実と夢が混在していることもたびたびある。ベッドに入ってスマホをいじっているつもりだったのに、実際の自分は寝ているだけだった。

スマホは手元になかった。そうして目が覚めたときにどっちが現実かわからなくて一瞬混乱する。

さっきまで確かに、あるwebページを見ていたはずなのに、それが現実ではなかったのだから

電車で運良く座れてウトウトしているとき、隣の席に座っている人が立って居なくなった気配がしたのに、気がついたらまだ座っていた。隣の人が降りたと思ったのが夢だった。

日に日に現実に近づく夢を見ていて、現実から現実感が薄れつつある。

唯一人間存在を感じるときインターネットを見ているときで、そこで繰り広げられる論争を傍から見ているときや、Youtubeのなかで騒いでいる人を見ていると安心感がある。ここに確かに人が存在するんだという感じがする。でも、そこに自分は居ない。

おもしろいのが、例えば増田や他の匿名インターネット自分体験を書いたときに、場所などを特定されないために多少のフェイクを入れることがある。

そうすると、投稿した後に自分文章を読み返しても、本当に自分が書いたのか分からなくなるときがある。

しか自分がそれを書いた記憶があるのに、他人文章のような気がしてくる。

基本的増田は書いたら放置だけども、注目記事に上がっているのを目にするとものすごく違和感がある。

この違和感は、自分現実に対して持っている違和感とよく似ている。

現実での行動も確かに自分意識がやっていることのはずなのに、他人事のような気がしてくるのだ。

この感覚は去年の年末辺りから徐々に進行中で、どこまで行くのか興味がある。と、自分のことすらも他人事に思って観察している。

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