2016-12-15

この世界の片隅に」を観に行きました。

君の名は。」に隠れてあまり話題に上がりませんが、少なくとも界隈ではヒートアップしている気がします。

観に行った友達からSEが良いとのことでしたが、確かに、といった感じ。

弾がいくつも落ちてきて、時期によって種類も変わるのですが音声ともに視覚描写を変えていくところが丁寧。

爆破してから金属が残って燃え続けるやつって何の種類・・・

爆弾で思い出しましたが、核については必要以上に触れておらず、そういうところもいい。あえて日付をぼかしておいて、視聴者に察せさせる配慮(?)もうれしい。

呉の人からすると、広島に新しい爆弾が落とされたらしい(爆破過程がいつもと違うことと、何やら雲らしきものが見える)・・・くらいの事実認識がおそらく確かに普通なのでしょうなあ。

また、あのときの雲から「あの子」を想起させるところも小気味いい。ほかにも「あの子」をすずが何度も何度も思い起こすシーンがありますが、フラグ回収という意味では気持ちいいし、悔恨の意としてもしつこくない。これも理由がはっきり説明されているからなんだよなあ。

そういえば、後悔のもととなった事故シーンはこの作品の一番奇特な場面だった。あそこで初めて、「ああ、映画を観てるんだぼくは・・・」みたいな、聴覚視覚がフル刺激されているような感覚が走った。すずの感情起伏もあそこでガラッと変わるし、視聴者からしてもあれだけ時間をかけて場面を見たからこそ後半への準備ができたのでは。

あと、すずの描く絵はシーンを一気に童心への回帰へと持っていき、そのたびに涙腺が少し刺激されるのは「昔を懐かしむ」人間の定め?でも別に恣意的に場面を挟んでるなあという感じがしないのは、紙自体が貴重だったりする時代背景(つまり紙の出てくるシーン自体が少ない)からか。

この映画クラウドファンディングでの応援公募されたことで話題に上がりましたが、そういう意味でもこの映画が作られた理由というのは、「この世界の片隅」を動かしたい(してほしい)・聴覚刺激を加えたい(ほしい)という願望がやはり大きいのだと思う。

戦争を題材にするにあたって、人の恐怖心を駆り立てる轟音はあってしかるべきだし、感情の起伏こそ動きがあってなんぼのもん、だ。

戦争ものってどうせお涙頂戴か、見てたら気まずくなるんやろ?」って僕は今の今まで思ってましたし、ほかのものは実際そんなのがあるかもしれないけど、コミカル要素がままあって、あくま日常を実寸大に描いてるこの作品は僕にとっては非常に観やすかった。いやほんとNHK連続テレビ小説でどれだけ胸糞悪い思いをしたか。本当にこの作品にあえてよかった。戦争に対する思いは描く人それぞれが覚悟をもって確固たるものを抱いていると思いますが、たぶんそれは敗戦直後のすずの叫びそのまんまでしょうし、僕はこの台詞でやっと戦争ものへの全体的な反発から解かれるよな気がするし、なぜ人々はここまで戦争について語るのだろう?というわだかまりまで自分の中でもう少し消化できそうな気さえしてきた。

表面的な感動だけを呼び起こすことなど全くせず、心の底からの(原始的な?)感情を目覚めさせてなお上位な思想を頭の中でくぐらせてくれました。

何度も見よう、とはならないけど、たぶんふとした時にまた呉の風景が僕の頭に戻ってくるのだろうな・・・その時にはもう少し戦争観を成熟させていたいものです。

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