最愛のおばあちゃんがお昼頃亡くなった。
朝、妹にたたき起こされた。「おばあちゃんが救急車で運ばれたって!」母親からの電話をとった妹も目を丸くしていて、なんだか現実味がなかった。
おばあちゃんは高血圧持ちで、3年前の夏もそれで倒れていた。そのときも体の衰えに「しぬしぬ…」とこぼしていたが、高血圧以外の異常はなく、薬を飲むことで持ち直していた。
今年の6月ぐらいからか、おばあちゃんは自己判断で高血圧の薬を飲むのをやめた。薬を飲むのをやめて、少し経ったごろから気温がばかみたいにぐんぐんあがった。
むしむしした空気はおばあちゃんからあっという間に覇気という覇気を奪った。おばあちゃんはまた「もうだめかもしれない」と口にするようになった。
わたしは、家族のだれよりもおばあちゃんにかわいがられていた。一人娘である母が少しやきもちを焼くほどである。
おばあちゃんは少女時代のほとんどを戦争と共に過ごした。とはいいつつおばあちゃんの実家は田舎のお金持ちでだった。家にはお手伝いさんがいるような、当時にしては裕福な家庭だったと話してくれたのを覚えている。
子供の頃は足が速くて、トロフィーもいくつか持っているのよ、と嬉しそうにしていた。
おばあちゃんはお見合い結婚だった。成人したら家を出るのが普通だったのよ、と言っていた。
おばあちゃんは愉快な人で、少しわがままなところもあった。
おばあちゃんはすっとした切れ長の目の持ち主で顔は小さく、いわゆる美人の部類だ。そのためたくさんのお見合いの申し込みがあったそうだ。
その中からおじいちゃんを選んで結婚した。おじいちゃんはぱっちりとした二重まぶたを持ったハンサムなひとだ。
数ある中から気にいって選んだおじいちゃんも、結婚後に借金が発覚して、おばあちゃんは物心ついたときから私にその話をよくした。
お母さんがいうには、小さいころから二人は口げんかばかりだったという。それでも、わたしはおじいちゃんと口げんかをする元気なおばあちゃんだ大好きだった。
おばあちゃんの口癖は「借金のあるひと、田舎の長男とは結婚しちゃだめよ」だった。
これは、さっきも話したおじいちゃんの借金の件と、母の結婚相手が北海道から出稼ぎに来ていた長男坊だったことに由来する。
お母さんは、高卒で事務員として働いていた。その先輩社員が私のお父さんだった。お父さんはお母さんの8つ年上で、就職したばかりのお母さんとすぐに付き合い始めたのを快くは思っていなかったそうだ。
おばあちゃんは、私のお父さんのことを自分の息子としてそれなりにかわいがっていたし受け入れてはいたが、娘をたぶらかした男として、私だけに、内緒の話として、お父さんの悪口を教えてくれた。
わたしは、これがうれしかった。父親の悪口を受け入れる娘など、世間的には非常識かもしれないが、おばあちゃんとする秘密の共有がくすぐったくて仕方がなかった。
関東生まれのお母さんはもちろん生まれた時代も土地も違うお父さんの実家では苦労した。これがおばあちゃんがお父さんを少しいじわるな気持ちで見てしまう理由だった。
おばあちゃんは少女漫画のような人で、フリルとレースとリボンが大好きなひとだった。会いに行く度に満面の笑みで向かい入れてくれて、家族で一番の私の理解者だった。
おばあちゃんは、お父さんとお母さんが妹に甘いことを知っていた。だから、わたしをその分飛び切り甘やかしているのだ、と言っていた。おばあちゃんのそういうところがだいすきだった。
おじいちゃんに「おばあちゃんが元気がないから、会いに来てくれ」と言われた。わたしはいくら元気がなくとも私に会えば元気になるだろう、と能天気にも高をくくっていた。
ところが、玄関を開けてくれたおばあちゃんの声はか細く、首筋には骨と血管が浮かんでいた。おばあちゃんは笑ってくれなかった。
わたしはなんとかおばあちゃんを元気づけようとした。なかなか彼氏ができないこと、就活がままならないこと、妹の高校の話、昔飼っていた柴犬の話、お母さんの話……。
おばあちゃんは少しだけ笑ってくれた。だぁら、きっと元気になるだろう、そう思っていた。またね、とあのとき確かに、言ったのに。おばあちゃん。
そのあともおばあちゃんの具合はすぐれなかった、いろんな病院に行った。胃カメラもしたし、レントゲンも撮ったし、脳もスキャンした。以上はどこにもなくて、高血圧と気候の所為だと、安心していた。
そのうち、実は目が見えないと訴えたので、眼科へ行くと白内障だったことが分かった。すぐに手術が決まって、目がゴロゴロする、と言いつつ手術は成功した。先週の木曜日のことだった。おばあちゃんは、まだまだ生きると思っていた。
でも、全然そんなことなかった。おばあちゃんは突然倒れて、突然死んでしまった。おばあちゃん、わたし、就職も結婚も子供もまだだよ、ねえ、おばあちゃん。
おばあちゃんは藤とか、スミレのような淡い紫色がよく似合う品のあるかわいいおばあちゃんだった。わたしは、こんなにかわいくて、すこしわがままで、でもなんだか許してしまう女性を知らない。
世界で一番かわいいおばあちゃんが今日亡くなった。願うように、かみさまにすがるように叫んだ「またね」の約束はもう永遠に果たせない。
けれど、いつまでも悲しむことをおばあちゃんはよく思わないだろう。だから、わたしは世界で一番大好きなおばあちゃんへの愛のしるしとしてこの文章を残そう。
おばあちゃんの孫になれて、こんなに幸せなことはなかった。きっと、またどこかで会えると願っている。
おばあちゃん、このさきもずっとずっと大好きだよ。
創作だと思いたい。 おばあちゃんへの愛のしるしとして文章を残すには、ここはあまりにも肥溜め臭い。
http://anond.hatelabo.jp/20150720171410 たくさんのコメント、ブックマークありがとうございます。 おばあちゃんが病院から帰ってきました。安らかな顔をしていました。とても美人でした。 な...