2013-07-22

wikipediaのおかげで長年の疑問が解けた気がする。

wikipediaのおかげで長年の疑問が解けた気がする。

思いつくままに書いたので、ちょっとひどい文章です。

何か殺人事件のような凶悪な事件があったときテレビコメンテーターなんかが自分勝手だどうだと言い立てるのに、疑問を感じていた。

もちろん、そのような事件に怒りを覚えるが、その犯人の生い立ちや環境に向かい、当然偏光報道の小さな情報しかいから、わからず、ただ怒りを覚えるだけだった。

もし殺人を犯した本人として、同じ遺伝子で、同じ親から生まれ、まったく同じ環境で生まれ育ったら、必ずその凶悪犯罪を犯すことになる。

俺は違うというのは成り立たない。意思で何とかするというのも成り立たない。その人として生まれ、まったく同じ経験をしていけば、同じ精神構造になり、同じ行動を起こす。

自分自分であったのはただのラッキーなんじゃないかと思う。

死刑制度について

正常な人たち、というか、大多数のメジャーグループが少数派の異常なものを殺す。

ラッキーにも普通の家に普通に生まれ、普通に成長し普通に生活しているものの群れが、不幸にも異常な家か異常にか、異常な環境で成長したものが異常な行動を起こした1人の者を殺す。

国・社会というシステムを正常運転するために、見せしめであって、それが死刑終身刑かというプロセスであって、

これに自分勝手だどうだと感情を入れ出した瞬間、プロセスから殺人に変わるんじゃないかと疑問に思っていた。しかもたちの悪い大義名分を持った正義と言い張る集団殺人

それとも、見せしめを自認して、見せしめ効果を拡大させるのがコメンテーター仕事なのだろうか?

昔、殺人などの凶悪犯罪への処罰特に死刑について考えたとき、そういった人だけの世界を作って別々に生活できれば、それが理想じゃないかと考えた。

普通な人は普通な世界で、普通なから見た異常な人(少数派な人)は異常な世界で。

(文章が長くなるので、以降あえて異常という言葉を使う)

刑務所はそういう場所のようにも見えるけど、普通な人が管理・支配し罰を与える狭い場所からちょっと違う。

実際には犯罪の凶悪性、タイプも違うから、というか他にも多々問題ありそうだから、不可能だけれども。

wikipedia先生に聞いてみた

と昔そんなことを考えてたんだけれども、ふとさっき刑罰についてwikipedeaで調べてみた。

冒頭を引用すると

刑罰(けいばつ、英: Penalty,独: Strafe)とは、形式的には、犯罪に対する法的効果として、国家および地方自治体によって犯罪おかした者に科せられる一定法益の剥奪をいい、その実質的意義は犯罪に対する国家的応報であるとともに、一般予防と特別予防をも目的とする[1] 。広い意味では犯罪行為に科されるもの[2]。刑ないしは刑事罰ともいう。

と書かれている。

気になったのは以下の意義の部分

その実質的意義は犯罪に対する国家的応報であるとともに、一般予防と特別予防をも目的とする。

システム上の見せしめプロセスという事で、一般予防と特別予防は、やっぱそうだよなと思った。

気になったのは国家的応報の部分。

なるほど。

まったくの個人的な納得ではあるけれど、殺人者には殺人者世界を、凶悪犯には凶悪犯の世界普通な人の世界と重なり合った形で仮想的に実現されてるのかなと思った。

凶悪犯罪を犯してからの後追いではあるけれど、犯人に対して相当する罰が与えられるという事は、その犯人の取った行為が通常である世界にいるという事なのかもしれない。

殺人には殺人で答える仮想的な世界が、殺人を犯した者に対して、後追いではあるけれど、用意されている。

適当な刑罰は、少数派の異常と呼ばれる人に対して、自分自分でいられる、もしかすれば楽園かもしれない仮想的世界を用意しているのかもしれない。

法律ってよくできてんなと思う。

ただ、殺人(罪)に対してに対して国が殺人(罪)を負う事で少数派・多数派両面に理想的な仮想世界適用しているとしたら、国でもないマスコミなんかが凶悪犯に勝手コメントを加え、適当な刑罰以上の罰(=罪)を加えている罪は償わなくてもいいのだろうか。

誤報偏向報道必要のない罰(=罪)を加える事は大罪じゃないのか?

最後に。。。

文章酷かったり、無駄に長かったりで、なんか申し訳ないです。

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