が、1日出社してから2週間以上出てこない。
なんつーかどーすりゃいいんだ。そいつがやる分の仕事はこんもりたまってる。
ヤツがやめるとか、やめないとかいう意思表示はない。
今はとにかく会社に行けないと。
辞められたら辞められたで困る。
が、辞めるまではそいつの分まで仕事量がこっちは増えてるわけで
でも当人は精神状態として、他人に迷惑かけてるとか実際どーすべきかどかは判断できない状態なんだろう。
なんつーかなー。
そいつの心理を無視して窓際チームに一時的に割り振るとかすればいいのかもしれないと思うが、
そいつの復帰を阻む行動になりかねないので、上もどーにも判断しかねている。
そもそも、そいつにどーしたいのかをゆっくり聞いている余裕もない。
あー、どーしたもんかな、ほんと。
迷惑なのは確かだが、無情に切り捨てるほどの勇気も権利もなく。
inspired by あなたに自分の好きなことをする自由な時間を取り戻す20の方法 - GIGAZINE
1.オナニーしない
オナニーをすると眠たくなってやりたいことができなくなる
2.お酒を飲まない
お酒を飲むとムラムラしていつの間にかオナニーしていてオナニーをすると眠たくなってやりたいことができなくなる
3.アニメを見ない
アニメを見るとかわい子ちゃんにむらむらしていつの間にかオナニーしていてオナニーをすると眠たくなってやりたいことができなくなる
4.インターネットをしない
インターネットをしているといつの間にかオナニーしていてオナニーをすると眠たくなってやりたいことができなくなる
5.風俗へ行かない
オナニーしないとムラムラするからと風俗へ行くと気持ちいいけどお金がなくなってやりちことができなくなる
6.増田を書かない
7.
一応突っ込んどくが、中毒患者に毒売って儲けるやつが善良そうに見えるわけないだろ。弁茶企業以下。ついでにいっておくと小泉内閣のおかげでITとかの弁茶が発展したってのは怪しい。新興市場整備とか金持ち減税は小渕あたりにやったことだし小泉の功績ではない。
便所飯の話聞くといつも思うんだが、一人で食べるのは周りの視線外野とか言うけど、毎日便所に弁当もって食べに行くのは耐えられるってのが不思議。毎日やってたらばれるだろjk。一人で飯食べるより便所で空砲がどう見ても変人だぞ。自分は常に一人で食べてたがなんともなかったし。
アホか
自宅警備員は金が無いから消費量も一般人より劣ってる。主な消費者層は一般人とか、働きながらオタやってるヤツだろ。
タスポはええ仕事しとるよ。タバコ屋つぶれまくって思惑どおりっつーか。
そもそも世界的にタバコは「くさい。」「キモい。」「喫煙者が許されるのって昭和までだよねー!!」なんであって、タバコ屋なんてこの世からとっとと消滅させるべき忌まわしい職業なんであります。こういうこと言うと「酒はどうなる。酒のほうが他人に迷惑かけてるじゃねえか。」という向きもあるでしょうが、自制心を持って接すれば覚せい剤もたばこと同じ程度なのです。みんなでレッツトリップ!!
テレビなんか見ると善良そうな爺さん婆さんがやってて思わず同情しそうになるが、小泉改革以降、善良そうな爺さん婆さんがやっていける商売なんか存在自体が悪なのであります。小泉改革の申し子たるベンチャー企業の皆さんなんかどう見ても詐欺師でしょ。これから先のビジネスは、如何にユーザーにコミュニティ心と忠誠心を植え付けて金を巻き上げるのかが勝負であります。マスコットにウエルシュコーギーなんか起用するとグンバツですよ。何がiPhoneだ、お前ら全員死ね!
漫画喫茶とP2Pの決定的な違いは、権利者(漫画家や出版社等)と話し合う相手が存在しているかどうかにある。
漫画喫茶の場合、店舗や、それを経営している企業といった「窓口」があって、権利者側は「俺らの漫画のおかげで客が入ってるんだからちったあ分け前よこせやコラ」といった交渉が可能なわけ。そうやって話し合ったり喧嘩したりする事でお互いの妥協点を見いだす余地があるし、権利者側は最終手段として、「俺の漫画を勝手に商売に使うんじゃねーよ!店から撤去しろ!」と訴訟を起こす事も可能だったりする。多分、今現在もそういった交渉はどこかで続いているはず(もしくは既に完了しているのかも)。音楽CDのレンタルもそうやって落ち着いたわけだしな。
しかしP2Pには「窓口」が無い。権利者は、放流者に「やめろ」と言えないし、カネもせびれない(だってどこに居るのか分からないんだもん)。さらに放流停止を強制する手段も無い(一度拡散したら削除はほぼ不可能でしょ)。つまり「やられっぱなし」なわけ。作品に対する正当な権利を持っているにも関わらず、勝手にばらまかれている状況に歯止めをかけられない。だから漫画喫茶とは完全に事情が違うんだよ。
当たり前の常識を持っていれば、漫画喫茶とP2Pが同じだなんて結論には至らないはずなんだが、まあ夏休み中にあまりハメ外さないようにしとけと。妙なウィルスに引っかかって私生活をインターネットに大公開してからじゃ遅いぞ。
あんまり「仕事」が出来ない人の安易な考えだなー。
高度な仕事ってのは、一人ではできない。ニーズのある仕事こそ、複数人の手が必要となる。
社会に必要とされるような高度な仕事は、人手が必要になる。どうやって人手を増やす?終身刑の受刑者を増やすわけにはいくまいよ。
仕事には「引継ぎ」やら「周知」やら、いろんな手順がある。それらを受刑者にやらせるのは無理だろ。
それを受刑者と一般人が分け合ってやるのは無理だ。メールだけで周知が出来るようなら会社など存在しない。SOHOがプログラム分野にほぼ広まっていない現状を見てみろ。顔をあわせないと無理な仕事ってあるんだ。
プログラマは絶対無理。RFCとかどうやって見るんだよ。全部プリントアウトってか?お前は○○Tか?古いバージョンでN○NのSI○仕様を作って関係会社に笑われるのか。ネットワーク繋げない状況でlinux組み込み開発なんて無理。オープンソースどうやって入手すんだよ。メモリで?それこそ(略
というわけで、誰でも出来る低所得向けの作業しかできないし、それならさせてるんだよ。
P2Pの場合は無限にコピーが作れてしまうところが問題じゃないかなあ。しかもコストがかからず。
「これよかったよ!」って人に薦めるときに現物を添えてしまえるし、無制限に人に渡すことができてしまう。
漫画喫茶の場合は「これよかったよ!」って薦めるだけだから、薦められた人は買うかもしれないし、
読まれる漫画は紙媒体だから何人も読めばボロボロになって店が買いなおすだろうし
人気がある作品なら読む人にいきわたるように何冊も買うだろうし
少なくともP2Pよりは作者に金が渡ると思うよ。
今思いついたんだけど、受刑者に金をかせがせればいいんじゃね?
日本でも家具とか小物とかを作らせて売っているという話を聞いたことあるし、アメリカではジーンズを作らせて売っているという話を聞いたことがある。
もっと手を広げて、プログラミングとか金融トレードとかもさせてみるとか。稼ぎに応じて刑務所の環境が良くなったり悪くなったりするの(環境の上限と下限は決めるとして)。
抜いた歯の歯茎の骨のカドが丸くなるまで
多少あたって痛いのは仕方ないんだと。
長く使う物だし今は我慢
せんべいとかはカケラが隙間に入って危険なのはCMでしってたけど
まさかから揚げ君でやられるとは!
あと、慣れないのでメシ食うのにすごく時間がかかる。
意識的によく噛んで食べるからむしろ体にいいかもね。
入れ歯ダイエット
「便所飯」とは、昼休みに一緒に食事する相手のいない学生が、ひとりでいる姿を周囲に見られないよう、トイレの個室にこもって食事をとることである。
都市伝説とみなす向きもあるが、ネットでは実体験がしばしば語られている。2年ほど前の2chでは「便所飯」スレッドが流行っていた。
Wikipediaに「便所飯」の記事が登録されたのもその頃であり、激しい削除&投稿バトルが繰り広げられた。削除派の言い分は、「便所飯」なる行為は一般的にその存在が認識されておらず、Wikipediaに掲載するに値しないというものであった。これに対し、掲載派は、小説やマンガ等の資料を援用しながら、「便所飯」が以前から行われていた行為であることを示そうとしていた。
現在、Wikipediaからは「便所飯」の記事は削除されており、「便所飯」なる現象はネットの奥底に葬られたかと思われた。だが、今日の朝日新聞夕刊(大阪版)を見て驚いた。なんと、「便所飯」がデカデカと記事になっていたのである。
http://suzuka.mine.nu/nijiup/upfiles/niji12456.jpg
記事の執筆者は、社会学者の辻大介氏である(阪大准教授)。「便所飯」現象についての辻氏の解説は秀逸であり、一読に値する。「若者たちが恐れているのは、ひとりでいること自体よりむしろ、そこに向けられるピア・グループ(同輩集団)の視線なのである」、「限られた関係の中で友達を作らねばならず、それに失敗した者は、孤独だけでなく、『友達のいない変な人』という烙印の視線にも耐えなければならない。二重の意味で疎外されるのである。その視線から逃れる場所は、それこそトイレの個室くらいしか残されていない」。
いまや「便所飯」現象は、国立大学の教授が全国紙に紹介するまでになった。Wikipediaでの削除派に先見の明がなかったことは明らかである。
察する察しない論争がちょっと盛んだったけど、自分はなんでも口に出すタイプの女だ。察してもらうのを待っているのはまだるっこしいし、やっぱり自分の意図を伝えるなら口に出してハッキリ言う方がいい。
しかし昔から私は自分の要望をハッキリ口に出すタイプだったというわけではなかった。きっかけとなったひとつの事件がある。あれは今から15年前…私が高校生の頃、いわゆるバナナフィッシュ事件である。
私は昔から隠れオタクで、中学にあがった頃から別コミを読んでいてバナナフィッシュという(少女漫画にしては見た目が地味な)漫画を愛読していた。その日もいつもどおり、本は買えないにもかかわらず書店に通っていた。本棚を「これもあれも面白そうだなあ」と眺めているだけで満足だった。そんな私の横で、店員さんがマジックで張り紙を書き始めた。ポップというほどではないが、○○最新刊発売中とかそういうもの。ちらっと見るとどうも売れ残りのカレンダーの裏側を使ってるみたい。ビリビリと破るその手元を見ると……ア、アッシュ!?
そう、それは私が欲しいなあと思いつつ買うことができなかったバナナフィッシュのカレンダーだったのだ!
私は隠れオタクで、自分のオタクな部分があまり好きではなかったため、書店にわざわざ予約注文しなければならないカレンダーなどというものを手に入れることはできなかった。でも本当は大きな絵柄のカレンダーには憧れがあった。しかもバナナフィッシュは絵柄として地味だからなのか、当時のファンの年齢層が高かったせいなのかあまりカレンダーとかにはならなかった(カラーページも極端に少なかった気がする)のでとてもレアなカレンダーだった。
そ、それが張り紙に! ああああアッシュの顔が真っ二つになってるぅぅぅぅ!
私の心は千々に乱れた。このままではすべてのカレンダーが破かれて張り紙にされてしまう。ああああもったいない! 今なら! 今ならまだ間に合う!
私は勇気をふりしぼって店員さんに声をかけた。
「あああああのっ、その、それ…欲しいんですけど売ってくれませんか?」
店員さんは怪訝な顔して「これですか?」と言った後「いらないものなので別にいいですよ、どうぞ」といって無造作に輪ゴムで丸めて私にくれた。ただで。あまりのあっけなさにポカーンとしたのを覚えている。冷静になって考えてみれば店員さんにとっては売れ残りの何の価値もないカレンダーで、別にその裏を使わなければ張り紙が書けないというものでもない。
でもそのとき私は、自分にとっての価値と、他人にとっての価値がイコールではないことや、だからこそ交渉や要望を伝えることで自分の願望を満たせるということを身をもって実感してものすごく感動していた。だってタダで! カレンダーがもらえるなんて! すごいすごい! もっと早く言ってみればもう一人くらいアッシュを救えたかもしれなかったなあ!
この出来事があってから、私はできるだけ自分の要望を口に出すようになった。意外と他人にとってはたいしたことではない場合も多いので、望みをかなえてくれることが多い。嫌なら断られるだけだしね。世の中言ったもん勝ちですよ!
単価を10万円くらいにして漫喫に置いて貰えば万事解決ですね!