はてなキーワード: 烙印とは
目の前に巨乳の女性がいたら、ジロジロ見てはいけないと思っていながら、本能的につい視線を向けてしまう。
次の瞬間、「胸ばかり見ていたら変態だ、セクハラだと言われても申し開きできない」と思い、不自然に視線を背ける。
もうこの時点で胸よりも「どうすれば自分が変態だと思われないか」ということに意識が集中している。
本能のレベルでは見たい。しかし、見続けたら変態の烙印を押されて社会的に抹殺されてしまう。
巨乳の女性なんて今時珍しくもない。こんなことで社会的地位を失ってたまるか。
もう頭の中は、自分が「本能を制御できないケダモノ」と認定される恐怖でいっぱいだ。
巨乳に視線を向けることは、犬がエサを眼の前にして涎を垂らすのと同じくらいの本能だ。
もし犬が涎を垂らすたびに電気ショックを与えられて罰せられていたら、犬はエサを見るだけで恐怖を感じるようになるだろう。
それと同じレベルで、私は巨乳に対して恐怖している。自分の巨乳に対する本能に恐怖している。
巨乳の女性が胸元の開いた服を着たり、ピッチリした服を着ることは自由な権利として認められている。
着たいものを着るのは確かに自由だ。誰もそれを咎める権利なんてない。
「もしドラ」自体が単なる便乗本だったはずなのに分不相応な売れ方をしてしまったせいで、それによって得た地位や印税が純粋な自分の能力に由来しない事に苦しんでるように見える。その結果発信されたのが例の電波エントリなんじゃないの。
あの人が救われる唯一の方法は、「もしドラ」と同等近いヒットを定期的に、最低でもあと2、3作品コンスタントに出して、「有象無象がどれだけ騒ごうが知ったこっちゃないね」と自分に自信を付ける事だと思う。逆に最悪なのは、「もしドラ」だけの一発屋で終わって、そういう烙印をネット上で押されてしまう事かな。
本文中では「父親に殺人鬼として烙印を背負わせたい」私の強い意志を強調するために私が義妹を盾に奥さんを脅しているように脚色しましたが、
実際は脅すまでもなく奥さん(義母)は割合すんなり養子縁組に応じました。
本文中にもあるとおり義母にとってはメリットが多い、
デメリットがあるとすれば自分の遺産が実子と私とで等分されることぐらいですけど、
被保険者・被相続人の意思が優先されますし、彼女もともとそんなにたくさん財産持ってないと思いますしね。
DNA鑑定を受けることと養育費の支払いについては、本文中にあるような調子で、
「要求に応じなかったら娘や会社に今までの行いをばらすぞ」と何度も夫婦ともども威嚇して要求を飲ませましたけどね。
家庭や仕事や財産を得て幸せになるということは同時に人質を持つということでもあるんですね。
その点私は失うものが何一つないから何でもできます。これは強力な武器だなあと他人事のように思いました。
父親は奥さんと私が養子縁組することに対して難色を示していましたが最終的には義母の主張を聞き入れて同意しました。
なんといって父親を納得させたかと聞いたら私がアドバイスしたとおり、
「保険金に加入して私たち母子が保険金を受け取れるようにしておく。
私も夫に認知していない非嫡出子がいたということでは格好がつかないし、
せめて自分の養子にして育てようとすることで世間体を良くしたい。」と言ったそうです。
金と世間体のために何の愛情も抱いていない人間を自分の子供にしているんだから、
この人が父親と結婚したのも、金と世間体のためだったのかもしれませんね。
父親の老後の介護を引き受けるということも、養子縁組してもらうことの条件の一つでした。
厄介者を引き受けてくれるということでちょうどよかったんでしょう。
介護者にでもならないと父親を物理的精神的にいじめるチャンスは得られないので、
今から父親が足腰の立たない老体になって私に介護を求めるようになるときが楽しみです。
本当なら今でも刺し殺してやりたいぐらいですけど、腕力では大人の男にかないませんし、何より暴力に訴えたほうが負けですからね。
「経済的理由」という隠れ蓑のもと野放しになっているのが現状。
もっと言うと堕胎罪は女性にしか適用されず男性はこの罪を負うことにならない。
これも不公平。
殺人なのに、平気で「できちゃったらおろせばいいじゃん」とか言ってる奴を見ると頭に血が上って手が出そうになります。
そうでなければ、「親は自分が産んだ子供を殺す権利がある」と認めてほしいです。
同じ人間を殺しても、お腹の中にいたら合法、お腹の外に出てきたら犯罪。
こんなの理屈に適っていない。
結局大人が自分たちに都合のよいように正義や道理そっちのけで法律を作っているからです。
命を作りだしたら、いかなる事情があれ男女が共同で責任を取るべきです。
http://anond.hatelabo.jp/20110807232635
保険金の件は人殺しに加担するようなことはできないと断りました。
そしたら隠し子は
「あんたたちへの償いであると同時に、父親に私を殺させて殺人犯の烙印を押すことは私の究極の目標でもあるんだよ。
ただ養子縁組して保険に入って、『死んだ時ぐらい役立ってもらいたい』ってそれとなく言うだけでいいんだよ。
あるいは旦那と離婚して単身になってから、勝手に縁組するのでもいい。
どうしても協力しないってんなら、あんたたちに対する出方も変えるぞ。
娘さん、今回の件であの屑に絶望したんでしょ?
まっとうな子供だな。
私だけでなく私の母親も一旦認知調停を起こそうとして証拠を収集したし、
これまでの父親の私たち親子に対する数々の悪行を示す痕跡はたくさん残ってる。
その一端がさっきの録音。
これまで私たち親子から逃げてきて、捕まえられそうになったら暴言と暴力で追い払おうとしてきた事実を示す証拠は、
たくさん形として残っている。
それらの証拠を娘に見せたら、娘すごく傷つくだろうね。
今回の件でも傷ついてるんでしょ?
そういう子ならきっとね。
私に協力しなかったら、あの屑の醜い姿を記録した証拠を、娘に見せるけど?」
さらに、
「今はどんな形だって事実があればそれを暴くことはできるんだよ。
ネットに父親の実名入り顔写真入りでばらすことだってできるからな。
娘にICレコーダーを仕掛けるよう仕向けたのもあなたか、と聞いたら
「そんなことはしてないよ」
娘も「自分で不審に思って仕掛けただけで、他の人に仕込まれたわけではない」と言っています。
聞かせたくありません。
彼氏から友達でもなく、廊下で会えば露骨に嫌な顔をされる奴に成り下がるというのはよっぽどのことである。
けんか別れから、ようやく話あいの機会に恵まれたと思えば、結局メールでのやりとりだけ。理由は対面はまともに話せないから。
お互いに悪いといいつつも、付き合った当初と険悪になった期間をごっちゃにされ都合よく改変され、あたかも最初からダメ男であったかのような烙印をおされ。
終いにはちゃんと謝ってくれたことなどなかったとか、勝手な勘違いしてすぐにきれるとか。
謝る場をくれなかったのは貴女だし、だから精一杯考えたメール送ったし
勝手な勘違いをさせてくれたのも貴女だし、何も教えてくれないから自分で情報集めて解釈するしかなかったし。
でもなあ
あーあ良いなあ、うらやましいなあ。
この先俺なんかよりいい男が、不安定な自己完結しがちなあの娘をさばききれる奴があらわれるんだろうなあ。
可愛いし、良いこだもんなあ。
かなり嫌われたのに嫌いになれないなんて馬鹿だよなあ
僕が今の会社に入ったのは、とある技術職の技術を磨いて独り立ちしたかったからだ。
その技術職で一流になるために必死で頑張ってたが、目が出なかった。
必死だった。その割にあまり成果が出なかった。
「つらそうにしている君には苦渋の決断になると思うが。。。」
何度か言われていたが、その技術職でひと通りの業務を経験してから。。。
と思っていた。ちょうどその区切りだったのと、
魂が抜けかけていた時が重なって、
あっというまにその後の過程はすすんだ。
実際言われて承諾して、部署転向の手続きが進む過程は、
前みたいにサービス残業は絶対しない、
絶対に終わらせてやるという決意で目がギラギラしていた。
この職種に執着ないから、肩の力が抜けた。
みんなのためになると思われる、自分が正しいと思うことやろう。
それで、首になっても、構わないや。
悲壮感が満足感に。徒労感が充実感に。
公私共にいまのほうが充実しているのは、
すごく不思議な感じで、
簡単な業務を担当してるって理由かもしれないけどね。
正直案外悪くないなとかおもってる自分がいたりして。
僕が今の会社に入ったのは、とある技術職の技術を磨いて独り立ちしたかったからだ。
その技術職で一流になるために必死で頑張ってたが、目が出なかった。
必死だった。その割にあまり成果が出なかった。
「つらそうにしている君には苦渋の決断になると思うが。。。」
何度か言われていたが、その技術職でひと通りの業務を経験してから。。。
と思っていた。ちょうどその区切りだったのと、
魂が抜けかけていた時が重なって、
あっというまにその後の過程はすすんだ。
実際言われて承諾して、部署転向の手続きが進む過程は、
前みたいにサービス残業は絶対しない、
絶対に終わらせてやるという決意で目がギラギラしていた。
この職種に執着ないから、肩の力が抜けた。
みんなのためになると思われる、自分が正しいと思うことやろう。
それで、首になっても、構わないや。
悲壮感が満足感に。徒労感が充実感に。
公私共にいまのほうが充実しているのは、
すごく不思議な感じで、
簡単な業務を担当してるって理由かもしれないけどね。
正直案外悪くないなとかおもってる自分がいたりして。
僕が今の会社に入ったのは、とある技術職の技術を磨いて独り立ちしたかったからだ。
その技術職で一流になるために必死で頑張ってたが、目が出なかった。
必死だった。その割にあまり成果が出なかった。
「つらそうにしている君には苦渋の決断になると思うが。。。」
何度か言われていたが、その技術職でひと通りの業務を経験してから。。。
と思っていた。ちょうどその区切りだったのと、
魂が抜けかけていた時が重なって、
あっというまにその後の過程はすすんだ。
実際言われて承諾して、部署転向の手続きが進む過程は、
前みたいにサービス残業は絶対しない、
絶対に終わらせてやるという決意で目がギラギラしていた。
この職種に執着ないから、肩の力が抜けた。
みんなのためになると思われる、自分が正しいと思うことやろう。
それで、首になっても、構わないや。
悲壮感が満足感に。徒労感が充実感に。
公私共にいまのほうが充実しているのは、
すごく不思議な感じで、
簡単な業務を担当してるって理由かもしれないけどね。
正直案外悪くないなとかおもってる自分がいたりして。
横にずれますが風俗嬢への性感染予防をとりくむ動きがあります。でもこの動きに違和感あり。
業界では風俗嬢のことをコマーシャルセックスワーカー(公式なセックスワーカー)とか呼んだりするんですが風俗嬢だろうが風俗嬢。
ここで風俗嬢への差別があるってことが書いてありますが<風俗嬢>=そういう如何わしい仕事という烙印(スティグマ)なわけだから、コマーシャルセックスワーカーなんて呼び名にしてスティグマを外そうとしちゃいかんだろ。理由は元増田さんが書いてあるとおり。
「もし今、売春者への道を歩もうとしている少女たちがいたら、お前たちは以後差別され蔑視されると言ってあげよう。それが『現実』なのだ」
ああ、風俗嬢への感染予防についてだ。風俗の現状知らずに啓蒙だ予防だ言っている医療関係者多すぎ。税金使って感染予防対策だ、やってる一方で風俗産業を容認してる国家あありかたあるじゃない?これはどうなのよ。
男性は音楽に対して批評・批判的な場面が多い。自分が普段聴いているものをやたらと披露できない。
うっかりiPodを取り上げられ、聞いたこともない演奏者がボイトレ不足でか細い声を絞り出している音源など聴かれようものなら、「素人のカラオケ聴いて何が面白いの? 耳大丈夫?」といった具合に、「あいつは音楽のセンスが無い」と烙印を押される。
一方女性は、まず同調・共感から入る。「歌ってみた」などというキワモノでも「○○いいよねー」と受け入れられる素地がある。
ニコニコ動画の「歌ってみた」が特に女性に人気があるというよりは、演奏者の技術などはあまり関係なく、身内で共通して盛り上がれるものが選ばれている。素人がカラオケでJPOPもどきを歌うという敷居の低さは、ウケる要素としてそれなりにアリだろう。
同窓会は「受け入れられていた」人間が参加するイベントだし、そりゃそうだ。
儀礼的に開催通知はくるだろうけど。
当時なかった?
「え、なんでお前(こいつ)がいるの」みたいな反応。
歳をとった分、場の空気を壊さないよう過去のことをなかったかのように普通に接してくるだろうけどね。
何かしら成功を収めて見返してやるため、とか場の空気を壊すとか、何らかの形での復讐目的で乗り込む奴がいるけど、今度は「空気を読めない人間」「成長のない人間」「分別のない社会不適合者」の烙印を押されるだけ。
そもそもお呼びでないってことさ。
関わりたくない人間に無理して関わる必要なんてないんだし。
胸元が開いた服を着ている女性がいたら、つい本能的に胸元を見てしまう。
その視線によって女性が不快感を感じたらセクハラになってしまう。
でも根本的には理性で制御できるのもではないから、書類に目を落としたり、
無理に顔を見て喋ったりして、挙動不審な感じになってしまう。
何か、理不尽なものを感じる。悪いのは俺だけなのか?
胸元が開いた服を着て、意図せずに異性の性欲を刺激するのは許されるが、
それによって本能的に視線を胸元に向けて、意図せずに異性に不快感を与えるのは許されないらしい。
これではどう転んでも俺は加害者で、女性は被害者になってしまう。
「あなたが今日着てきた服は胸元が大きく開いており、私は本能的に胸元を見てしまうけれども、
それはいわば条件反射のようなもので、あなたを性欲の対象としてのみ見ているわけではない。
もし私の視線が不快感を与えてしまうのなら大変申し訳ないが、上に何か羽織るかして胸元を隠して欲しい」
と、事前にはっきり言うべきだったのだろうか。
でも、こう言った時点で「胸ばかり見ていた俺」を確定させてしまうことになる。変態の烙印。
そもそもの発端は、これを読んだこと。
これを読んであらかた納得できたことと、最近のSoftBankの「光の道」なるCMは、ちょっと調べたら「お前それ携帯のCMじゃねーだろ」と思って納得できてなかったので、考えをまとめるメモを増田に書き捨てる。
リンク多いけど、記事書いた一番の理由は自分用のメモなんで許して下さい。
「光の道」の導入はとりあえずこれ。大々的にCMしてるよね。次郎さん大変だ。
光の道についてはそこからさらに「A案かB案か」をたどって、「3分でわかる光の道」なるPDFがあったので見た。
PDFには「2015年を目途に、全ての世帯におけるブロードバンドサービスの実現!」って書かれていたが、「よくわからねーよ!」と思ったのでググった。
ということで、光の道ってのは、FTTP、xDSLとかのブロードバンドの利用率を100%にするって事か? と思ってたら違うみたいな感じ。
上を適当に読んで、「光の道」ってのはブロードバンドの中でも光回線を全世帯に普及させようという話で、それを「5年で出来る」って言ってるSoftBankと「できねーよ」って言ってるNTTの対立構造って事になってると私は解釈した。
大綱案では2010年8月末時点で「整備すべき水準は、100Mbps以上の超高速ブロードバンド」ってことになって、メインは光回線を予定するけど、他の技術も代替的役割で使う」って事になってるんだな。でも、見た感じだと、整備と利用ってのは意味違うっぽい。なんか、都市部でも光回線は整備90%以上だけど、利用率は30%とかITProの記事に書いてあったし。今はどうなってるか分からなかったが、SoftBankが次郎さんまでつかってCM打ち出してきてるって事は、全部光回線にしようぜ! って方針ではないんだろうな、多分。
でも、そもそもこの「光の道」って携帯関係ないんじゃ? だって携帯って線つながってないじゃん! と思ってググってみた。
見つけたのはこちら。
つまりは「携帯⇔(電波)⇔基地局⇔(電話線)⇔基地局⇔(電波)⇔携帯」って仕組みで、「光の道」ってのはこの中の「基地局⇔(電話線)⇔基地局」の部分がすごくなるってことか。
で、ここまで来て、そういえばSoftBankってそもそも「電波悪い」って言う話をよく聞くけど、電波悪いって言われるって事は悪いのは「携帯⇔(電波)⇔基地局」の部分だから、「基地局⇔(電話線)⇔基地局」の部分をすごくしても仕方ないんじゃ? って思ったのでググってみた。
@Wikiの注意書きに「携帯電話基地局には、大出力のものから小出力のものまで様々です。数や周波数帯だけで優劣を語ったりしないようにしましょう」って書いてあったけど、やっぱりSoftBankだけ少ないのは否めない気がする。
SoftBankに「電波改善計画」なるページがあるけど、過去からどれだけの推移で増えてるんかよく判らなかったので、魚拓を漁った結果出てきたものが一番下。@Wikiと比べるとなんか数値がおかしくね? と思ったが申請の手順とかで前後してるかもしれんので、とりあえずスルーする。
ということで、魚拓と現時点で比較すると、そもそもの起点が魚拓が11/9で73495、12/14で75917。1ヶ月で2500くらいしか増えてなくて、この推移でいったら2011年3月までに基地局12万って無理なんじゃね? と普通に思う。
結局あの「光の道」ってのは、SoftBankの携帯に関しては、ほとんど関連がなさそうと思った。
というか、きづいたんだけど、これ最初にあげた「巨大隕石「光の道」、地球接近中! | ソフトバンクモバイル」ってのはソフトバンクモバイルだけど、リンク飛んだ先の「「光の道」は、AかBか。|ソフトバンク株式会社」はソフトバンク株式会社なのね。もう白戸家族全員SoftBank全体の宣伝に起用しちゃえばいいじゃない。
最初にあげた「光の道、その誤謬と、必死なのはなぜの話 | 無線にゃん」の記事では、B案は金銭/工事の面から『案としてそもそも実現不可能』って書かれている(と私は読んだ)のだけども、私がここまで調べるにつけ、「電波改善宣言」で言ってるSoftBankモバイル単体での目標を達成することが厳しそうなのに、日本全体で改革を迫られる「光の道」構想を5年でやるって言うB案なんてなおさら無理なんじゃない? って思う。逆にいえば、2011年3月までに本当に無線基地局12万個に出来たなら、5年で全部光回線に替えられるって話も信憑性が出てくるんじゃないかな。
でも、「電波改善宣言」の方に2011年9月までに14万件とか言う案が追加してあって(魚拓にはなかった)、なんか先延ばし案っぽいなーと思ったので、「光の道」のB案も始めた後で5年は無理だったけど! みたいなことを言い出しそうだなぁとか思ったりした。
例えば部活とか会社とか一度自分で決めたものを辞めるってことに対して世間の風当たりは強い。風当たりが強いだけに辞める本人も罪悪感、自己嫌悪、情けなさを感じて疲弊してボロボロになって辞める。逃げる奴は逃げる事を繰り返す。いつまでたっても充実感のない人生になる。組織に属しているといつも自己嫌悪に苛まれている。そんな俺の人生を俺を例に俺が全力で無理矢理肯定してみる。
俺は子供の頃から何をやっても続かない子だった。運動音痴のくせにすぐにいろんなスポーツに手を出す。しばらくたって辞める。これの繰り返しだった。勉強も特に結果を出せず、特に興味のある学問もなく、ただだらだらと塾へ通い、惰性で中途半端に勉強しては平均点くらいで留まる奴だった。高校ではついに勉強すらもあきらめ退学しフリーターになりバイトを半年周期くらいで転々とし金が貯まっては2ヶ月くらいNEETになり、また求人広告を探し始めるといった毎日だった。時間ができればパチスロばかりやっていた。本当に何をやっても続かなく目標のかけらもない10代だった。
20代にさしかかっても明確な目標なんか見えてなかったがてとにかく一念発起一発逆転しなければならないと強く思い、極道の妻から弁護士になった人の本を読みモチベーションを高め、とにかくバイトの求人広告で一番時給の高いプログラマとかSEなるバイトが割がいいということで素人でも簡単に取れそうな MicrosoftのWord,Excel,Accessの資格をとってデータ入力のバイトを得てそこの社内公募から技術部へ入ってLinuxとか触らせてもらって合間に自主勉強して大学に行き、大学院に行き、就職し、就職先を1年ちょいしか経っていないが今度会社を辞める俺がいる。せっかくどん底から這い上がり社会のレールに乗ったにも関わらず俺は今回もまた例の長続きしない根性を朽ち果てさせる悪い虫が再び心の中に現れて、先輩社員からの白い目、裏切り者のレッテル、根性無しの烙印を押されるのにも関わらず今まさに退職の意思を伝えようとしている。世間が見ればどう見ても俺が初心を貫徹できない根性の無いクズであることは明らかだ。
ただ何でもすぐ辞めるには訳がある。勝手な意見を100も承知で言うが、全ては衝動だ。次への衝動が湧く、影響を受けやすい、常に変わりたい、新しいものを見たい、自分を変えたい、そのために生きている。明日に向かって全力疾走で走る何かが欲しい、10代に散々味わった惰性はもう十分だし惰性で生きていくくらいなら死ぬ、先が見えることをこれから何十年も会社でやり続けることは拷問に近いとすら感じた。自分は人から与えられた枠組みの中にじっとしていることはできない、いやどうせ辞めたくなるのだから迷惑がかかる、いつも申し訳ないほどに。自分でやるしかない、俺らみたいな人種はおそらく社会の中でクズ扱いされてボロボロになっているだろうが俺らみたいな社会のクズはクズなりに起業なり起業なり起業をしなければならない。野垂れ死んでも起業しなければならない。自分で考えた会社の枠組みの上でジタバタジタバタ新しいものを追いかけ回してひたすら技を磨いてADHDらしい発想で直感的に発想してモノをサービスを付加価値を創っていかなければならない。はっきり言って俺らのような人種は挑戦する回数と行動と瞬発力は並大抵のものじゃない(長続きしないのは致命的だがうまく管理してくれる相方がいればよい)。失敗ばかりでお金も全然貯まってないけれど、これまでの人生を急ハンドル切ってきた回数、独学の瞬発力とノウハウ、社会の底辺で味わった修羅場の回数、地を這い回り泥をすすって生きてきた人生経験に起業というフィールドでは勝るものはないはずだ。今ここでやらずにいつやる。
辞めるという事は決して負けることではないはずだ。会社に関していえば、労働契約である以上双方のメリットがなくなれば契約は解消される。俺は申し訳ないが辞めさせてもらう。先輩方には本当に感謝しているが辞めさせて下さい。完全に完膚なきまでに組織に従属し自分の頭でモノが考えられないことに、規律や空気に徹底的に従うことにもう疲れ果てた。5年経ったらとりあえず1人前になれるから5年は我慢って言われて、この俺のゴミクズのような人生模様からそれは完全に無理ってことをわかって下さい。それよりももっと自分の頭にあるワクワクすることを死ぬ気で追いかけて自分の人生をおもいっきり泣きながらもがき苦しんで生きていく。家族は飢えさせやしない、切羽詰まったらバイトだって何だってやる、俺はいつ死んでも構わない、ただ全力で泣きながら走らせてくれ。
辞めるってことは、俺の理想に向かう全力疾走のプロセスにただ「辞める」があっただけだ。いくつもの出会いや別れを越えてようやく俺は自分のフィールドに立とうとしている。遺伝的アルゴリズムのように評価値の高い広範囲なフィールドを確率的にうろうろうろうろ学習しながら探索した結果、探し当てた一山に今一気呵成に鬼神のごとく局所探索をかけようとしている。この山にこれから登り続けるかもしれないし、もしかしたらまた辞めて他の山を探索しにかかるかもしれない。いつまでたってもダメな奴かもしれないがいつまでたってもジタバタ走り回るバカでいさせてほしい。そんな人生をただ自分だけは肯定し受け入れて胸にしまい込んで一瞬一瞬を全力疾走で駆け抜けたい。
しかし、無能であるという事実は程度程度において揺ぎ無いので、無能であるということは無能であること以外を表さない。
無能ということは、言い換えれば能なしである。
能なしというのは、他人が決めることである。
その他人が、自分より劣ったものを見下して、能なし、ろくでなし、無能、ばか、というのだ。
それの信頼性は先に述べたとおり程度問題なのだが、言った者と言われた者の間においては絶対なのだ。
誰が誰に言ったかでは、手間もかかるし、信頼性も薄い。
だから、社会的に信頼のおける基準をクリアしたかどうかで、無能かどうかを判断しようというものだ。
たとえば、電話帳にアクティブな関係(たとえば半年以内に一度は連絡をとるような関係)のアドレスがどれだけ登録されているか。
いろいろあるが、どれもないよりはあったほうが善いとされるものである。これを否定するのは、単なる嫉妬や、自分の現状を認められないゆえの逃避である。
だから、大学に入れないというのはある意味で無能であり、就職できないというのも、やはりある意味で無能なのだ。
そういうと、大学に言ってないけど働いてるぞ、無職だけど東大出たぞ、などと言うアホウがいるが、考えてみて欲しい。一方のフィルターをくぐることは、もう一方のフィルターをくぐることを、必ずしも意味しない。数あるフィルターをくぐりぬけた強者が、他のフィルターにくぐりやすくなることはあるが、絶対ではない。
しかし、傾向はある。一子相伝、形質遺伝の獲得、ではないが、同じフィルターをくぐったものは、やはり、別なフィルターもくぐりやすいものである。
つまり、有能なものは有能に、無能なものはより無能に、なるものなのだ。海に棲むように、陸に棲むように。
こうしたことを繰り返し、ニッチを獲得するように、各人の居場所が固定化されていく。
これは悪いことではない。無能は無能らしく生きればいいのだ。他人に蔑まれ、蹴飛ばされ、つばを吐かれるような人間も、必要なのだ。
それが誰とは言わない。そこにいるものが、無能というだけで、誰である、ということを定めまではしない。
ところが、人間というのはわがままで勝手で、無能という烙印を捺されたにも拘らず、有能になりたがる。有能な人間は有能なままでありたがる。
同じところに必要以上の人間は住めぬのだ。
諦めよ。
定員オーバーになったエレベーターは、誰かが降りねば動作しない。
足を切る、首を切られる、そんな人間は必要なのだ。
堀は何重にも重ね、石垣は何層にも積み上げ、敵を阻むのだ。
ただ無能な人が、最初に捨てられる、最初に踏破される、最初に埋められるだけに過ぎない。
脂肪を蓄えるのは、寒さと飢餓への備え。豊かなときに蓄えた脂肪が、何日もの寒さ、何日もの飢えから身を守ってくれる。
無能なものを踏み越えて、有能なものは進むのだ。
誰も言わないことだけど。
格差社会とか言う割には、政治を動かす立場の人間たちが皆金持ちだらけになってるじゃん。
いつの間にか国会議員、都道府県議会議員、市町村公務員が世襲だらけになってるじゃん。
そういう人間たちの子供も小さい頃から私立の難関中高一貫校育ちだったり、スポーツの英才教育受けてたり、親のコネで将来の進路が安泰だったりするじゃん。
フィギュアスケート、ゴルフ、カーレースとかで世界のアスリートと張り合えるようになるには実家が金持ちじゃないと無理。知ってた?
勉強して這い上がろうとしてもゆとり教育導入された上に教育予算削減されて、公立の学校で勉強するだけじゃ社会に出て有利な大学に行けない。
そんな大学に行けそうな難関国立高校とかトップ公立高校に行こうと思ったら塾通いしまくらないと無理で結果的にお金がかかる。
で、努力しまくって公立の学校から社会に出て有利な大学に行ったとしても就職決まるのは実家が裕福なリア充だったりするじゃん。
毛並みのいい育ちしてる連中と話題を合わせるのに苦労してる間に非コミュの烙印押されて排除されて、
けっきょくそれなりの大学行ったのに親とたいして変わらない仕事に就くじゃん。学力じゃなく育ちの部分で敗北するのがオチ。
上流階級はどんなものを食ってるか、どういう習慣を身につけてるか、どういう人間と交流しているかが知られるようになったけど、
もう時すでにお寿司ってことでお疲れ様でした。
悲しいね。それだけ人間にはこの世界を理解する力がないってことだ。
世界=自然=神(?)の世界を探求していい気になっているが、根本では一人じゃ生きていくことすらできない。吹けば飛ぶような弱い生き物。
宗教を失った人間は快楽という本来の欲求追求だけを加速させていくだろうね。
それが良い世界か悪い世界か。しかし少なくとも、宗教は悪の烙印を押され、一方では快楽追求も白い目で見られるこの息苦しい現代よりはいい世界となるだろう。
快楽だけ。気持ちよくなるために生きながらえる人類。神に奉仕するために労働していた過去の人間たちからはどんな目で見られるんだろうか。動物以下のクズだと罵られるだろうね。
人間所詮この程度。中途半端に賢くなった動物は不幸になる。今後何億年か経って新しい知的生物が生まれても、同じように不幸な歴史を繰り返し絶滅するだろう。
MMOの話だけど、MMOに限ったことではない。たぶんすべてに適用できる話。
グローバル化したことで、何が一体「一番良い」のかが丸わかりになってしまった。
その結果、皆がそれを追従することになり、ゲームの多様性が失われつつあると思う。
しかしここで言いたいのは、だからなんとかしようということではなく、なぜ多様性が失われていくのかということへの考察。
MMOにはいろいろな種類があったんだと思うのだが、ここ最近は本当に「クリゲー」とそれ以外しかなくなってしまった。もちろん、それ以外の数はクリゲーとは比べられないほど少ない。
なので、量産クリゲは嫌だ、という人や、量産だというだけでプレイしないという人が増えてきているのだが、だからといって量産クリゲがなくなるかというとそういう気配はない。
これはつまり、ある一定の需要があるということで、嫌だと言っている人はかなりの少数派ということだ。もし嫌だという声が強ければとっくに量産クリゲなどなくなっているだろう。(量産クリゲを作っている会社の大部分は、競争力のない小さな企業)
で、この量産クリゲというものが一体どうして増え続けているのか、それを考えてみると面白いことがわかってくる。
巷でアンチクリゲ派が言っているような「簡単に作れて集金も楽」というのはあくまで金銭から見た、運営からみたメリットの一部分でしかない。
一番重要なのは、「プレイヤーがとりあえずプレイできてしまう」その安定感だ。
クリゲーはまず、操作が楽。クリックするだけでいい上、騎乗アイテムなどもあり、全体的に移動速度は速くなるようにしてある。
さらに、中毒性のある成長システムが多数存在すること。比較的長い期間、ユーザーの厳しい評価にもまれたおかげか、効率的かつ「楽に気持ちよくなれる」強化成長システムが実によくできている。
具体的に言えば生産や装備の強化、ペットの育成など。これらの成長システムをほとんどすべて詰め込むことで、量産であるにも関わらず「たくさんのシステムがある奥の深いゲーム」のように見える。実際は、ほとんどが流用であり開発側はそれだけたくさんのシステムを詰め込んでもあまり人員を必要としない。これはとんでもなく効率的な開発方法だと思う。
なぜ量産クリゲがはやるのか。ここまでくれば大体わかってくる。開発する側にとって、「これが一番効率的でいいものらしい」と認識されているからだ。
ユニクロのような個性的とは言い難い商品を売る企業が潰れないのも同じ理屈で、「苦労して作った」というのは、所詮はただの自己満足に過ぎない部分がある。苦労して作ったので量産品の3倍の値段です、と言われて喜んで出すのは金が余って困っている人間だけなのである。
MMOで考えると、FF14と量産クリゲが非常に好対照だと思う。
FF14はたくさんの人間を使って非常に苦労して作られたゲームのはず。なのに、レビューの点数は軒並み低く、クソゲーと連呼されてしまっている。
一方の量産クリゲーは、雨後のたけのこのように苦労せず次々出てきているにも関わらず、批判の声といえば「量産だからクソ」というもので、システム面が根本的にダメというのはあまり聞かない。
これは、MMOという市場におけるスクエニという企業と量産クリゲ開発ツールの熟練度の差なのだ。
スクエニは八年もFF11を運営していたが、そもそもFF11は同社の初オンラインということで、MMOでユーザーが一体何を求めているのかはほとんどわかっていなかったと思う。リサーチをかけたとしても、何年も運営してきたほかの会社と比べれば未熟そのもの。
にも関わらずこれだけ続いたのは、ひとえにスクエニが持つ「ブランド力」というMMOとは関係ない過去の遺産によるところが多い。つまり、スクエニが開発しなければ、そしてFFでなければあのゲームは淘汰されていたのである。
それは、量産クリゲにFF的な特徴を持ったものがほとんどないことからも裏付けられる。時間を使わせ、できるだけ攻略されないようにということだけでユーザーの快適性を考えなかったゲームのノウハウは、流用されることすらないのである。
現在のMMOにおける状況というのは、まさに黒船到来といった感じ。黒船とは量産クリゲで、開港させられるのはスクエニである。
量産クリゲのような「世界が認めた」システムの前に、独自性やグラフィックがきれいといった小さな利点は何の役にも立たない。非効率なシステムが生き残れるのは、グローバル化していない世界においてだけだったということだ。
そして、ここから考えるに、今後はゲームのみならず、あらゆる面で「量産型」が出回り、多様性が失われていく時代に入っていくと考えられる。というか、21世紀はそういう世紀になるだろう。
グローバル化がもたらしたものとは、「誰が一番なのかを見つけやすくする」ということだったのだ。
多様性は生まれるのではなく、失われていく。なぜなら、誰が一番なのかがわかれば、一番ではないと烙印を押された人間は、そこから撤退するか、一番のまねをするしかなくなる。
そうでなければ生き残れない。
グローバル化時代というのは、頂点とその模倣だけで構成される非常に「画一的」な世界であり、いままさにそれがあらゆる面で進行している。
世界はグローバル化しなかったからこそ多様な島宇宙を創りだしていたんだと思う。
たとえば都市。都市は効率化を進めることで巨大に、そして便利になれる生き物である。発達した都市は、皆同じような姿をしており、もはや「どこにいっても同じ風景」なのが当たり前なのだ。
人類は発展するにつれて次第に「他の場所に住む人類」との交流をするようになったが、そういった発展の過程で動植物は次々と絶滅している。これも、グローバル化によって多様性が失われていることの証拠といえる。
いまさかんに多様性を残そうという動きが高まっているが、残念ながら人類が発展し続ける限り多様性は失われていくだろう。ある一つの地域の多様性を守るための活動が、3つの地域の多様性を失わせているような状況である。人類の努力とはその程度のものでしかない。欺瞞と言われてもしょうがないと思う。
そこで、多様性を失わせないためにどんなことが必要なのか。これはもう、「過去の遺産」をデータ化して守るしかないと思う。
MMOの話でいえば、初期UOなどは、現在のMMOとはかなり趣が違うものであり、MMOの多様性を残すために、初期UOをエミュレートサーバで起動させ続けることは非常に意義がある。
量産クリゲではないものは、すぐにつぶれてしまうのだから、そういったものを忘れさせないためにエミュレートする。こういった努力は無駄ではない。第一、MMOの歴史など地球の歴史と比べればカスみたいなものだ、生まれた多様性もはっきり言ってほとんどあってないようなもの。だからこそ、守るのも楽だろう。地球が長い年月をかけてはぐくんできた生き物の多様性を守るのは人類には荷が重すぎる。
このように、グローバル化が進むと物事の淘汰が行われ一番のものだけが生き残り後はすべてその模倣になってしまうという話をした。
量産クリゲがはやるのは当然で、それを否定するのも意味がないだろう。ただし、それとは違う、すぐに淘汰されてしまうMMOを保護することはとても大切だと思う。
この先一体ゲームやそのほかの娯楽がどんなふうになっていくのか興味がある。もし多様性が失われ続ければ一体どんなことになるのか。時代が出す答えを待ちたい
また補足書く。
今気になってるゲームがあって、アロッズオンラインっていうんだけど、これはまさしく スポーツ のようなものらしい。
完全にプレイヤースキル依存で、じゃんじゃんPKされる。PKしなきゃどうにもならない仕様にわざとしているらしい。
PKって概ねスポーツだよね。殺し合いスポーツ(?)というか。
ソーシャルゲームだったら、数字が大きいほうが絶対に勝つし、勝たなければクソゲー、バグの烙印を押される。
で、このスポーツスポーツしてるアロッズオンラインだけど、えらく不評らしい。
これがまさに、マニアック化して一部の人間しか出来なくなったゲームの典型だと思う。
こういうのはもう、無理でしょ。全員が全員やるのは。本当に一部の人しか出来ない。いや、やれるけど続けられないという。
こういうものが俺は衰退していくと思っていたんだけど、おそらく縮小するだけだ。縮小は衰退と同じか(w
プロスポーツの世界はなくならないからね。STGや格ゲーみたいなマニアックなゲームの代表格は、既にスポーツの世界の野球やサッカーみたいなもんだろう。
それらは一定数発売され続けるんだと思う。ただ、万人がやれるものではない