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はてなキーワード: 書評とは

2024-06-06

決して講談社の回し者ではございませんので

世の中には自分サイコーだと思っていても、何故か、全く評価されず、あれは重版でこれは重版でないのはなんで?ということがたまにある。

なんでだろーとほわわんと思っているうちに、打ち切りになって、なんとなく胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになる。

これまでは、それを受け入れて来たけれども、今どき、とりあえず狂気的な熱量でその魅力を発信すれば、一定の評価までいけるんじゃねと思い至った。思いついたら試してみたくなる性分で、自分の知るあらゆる場所で喚き散らそうと皆様のお目汚しさせて頂いております

その漫画やら小説やらが、おもしろーと思う前提が大きく2つあると思ってる。

一つは、いかにうわぁーそれわかるわぁって深いところで思わされるかどうかである

下の人は、手に取ってもらえれば少なからず思うところがあるのではないかと思う。

自分マイノリティで、生きにくさを感じている人

●「馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない」を日常的にひしひしと感じている人

自分に対して卑屈になって、大した事ない人間だと思っている人

他者コントロールできず、自分自身のことしか自分コントロールできることはないという事実はは、人が幸せ人生を歩むうえで一番大切な考え方であると思う。

隣の芝は青く見える、アドラーの言う「他者競争しない」ということ、古今東西かに嫉妬凋落するという話は絶えない。

自分ではどうしようもないこと、他者との比較を駆り立てられるような仕組みが、今この世の中は多すぎる。そしてなぜだか、人の性質の一つとして自分が持っていない他人の何かに痛烈な魅力を感じてしまう。本来であれば、それは危機察知や、欲望自分自身に向けることができれば、とてつもない力を発揮するはずであるのに、間違った使い方を推奨させるような、情報蔓延ってしまっている。

自分人生自分のもので、他人比較しようとどうしようと、結局自分が何を考えどう行動するかでしか自分人生は動かないという事を痛烈に感じさせてくれる。

主人公がその事を少しずつでも確実的に自覚するに連れて、心臓をえぐり取られるような衝撃が体を走り、一旦目を閉じ深呼吸することを強いられる。

嫌われる勇気読んだ人とかも、読んでないけど興味がある人も、この作品を足がかりにしてから解像度が上がるかもしれん。

自分人生幸福にするためのヒントがわかりやすく散りばめられているこの本を読まん奴は本当に損だと思う。

おもしろーと思う要素2つ目は、王道要素である

弱いと思ってたやつが実は強い、正体不明の助けてくれた相手は、実はめちゃくちゃ権力者でひょんなことからコネが出来る等々。

葬送のフリーレンも、勇者が死んだあとのストーリーエモいと言う部分にフォーカスされがちで、言うまでもなく、それがあれの根幹の面白さではあるのだけれど、これでもかというほどに、「あいつ実はめっちゃ強いやん」、が詰め込まれている。それなのに、ブリーチのようにあーはいはい、またそのパターンねとならない。消費されない。十分なタメを作ったうえでのどんでん返しなので、読む方は毎回純粋に重く気持ちよさを感じ取れるのである

ただ、この紹介したい作品は、その要素を表に出さずに既に7巻まで進んでいる。ずっーと匂わせて、明らかなシーンとして強者を表立てない。それが読者に考えさせる余白を与える。

答えを早々に矢継ぎ早に、気持ちよくわかりやす正義を振りかざし、相手に考えさせないことで、我々をコントロールしがちな様々なコンテンツとは毛色が違う。私自身もどちらも面白いと思うのだが、あとに引き、心の奥に残り、他の人と共有をしたいと思うのは圧倒的にこの作品である

月刊からさ、ゆっくりなのよ進み方が、でもさ絶対終わってほしくなくて、ずーっとゆっくーり1年とか半年かに1回これが読めるだけでもうLOQバク上がりでさ、打ち切りなんてなったらショックもとてつもないからさ、応援したいわけ。

みんな頼む、マガジンで今なら一巻無料だ。

6月8日最新刊から、それに伴って、3巻無料キャンペーンがなされるかもしれん。私は、ユーチューバーの誰かが書評しているのをみて何かの記念で3巻無料でそこから入った口です。

ここのコメントが、そんな王道面白いの知っとるわであふれることを祈る。

本のタイトル

図書館の大魔術士」

2024-05-17

anond:20240517163353

対戦ゲーム

→どういうゲームを想定しているかからないが

 まずメタ存在して、一定数の参加者がいて、競技性があるのなら立派な趣味になる

 それでいて、メタの変遷があって、ある程度の歴史があればなおよし

 コミュニティもきちんとあればなおよし

 ソシャゲ区別したのは、ギャンブル依存症と同じ無料ドーパミン中毒ゾンビが増えているから。

プラモ

→やったことないんだろうが、細部のこだわりは本当に性格が出るぞ

 カラーリングや削りなど、唯一無二の世界もある。

漫画小説

好きな人間なら、一度は描いてみたり、書いてみたりするだろう

 そこに自分なりの解釈を入れたり、他人解釈書評を見たりするだろう

 アニメ区別したのは、単純に"周囲と仲良くなる"ツールとして消費している人間が増えているから。

ま、結局はどのような姿勢でその物事と向き合うか、だけだから本来は貴賤なし、だけどね。

大資本が入り込むと決まって衰退するのよな。

ファスト消費する層、イナゴ人間がわらわらと湧いてくるから

から初心者お断り的な雰囲気のあるコミュニティはいいのよ。格ゲーとかも長年そうだったし。

からこそ、歴史のある趣味ってのがあるのには、それなりの理由がある。

2024-04-11

anond:20240410001303

他者批評して自分正義を貫きたいなら、他人商売土俵の上じゃなく自分運営するブログ上とかでやるべきだよ

ま、この手の批評者ってのは往々にして過度に偏屈な(そして一般人にとってはどうでもいい)視点に執着して色眼鏡かけすぎるもんだからAmazonが常習的に攻撃的な文章を書く人を雑に締め出していく方針は間違ってないと思うけどね

部分的に正しいことを言ってたとしても、そういうトゲトゲした人の存在コミュニティにとって有害なんだよ

これが書評コミュニティだったら看過されてたかもしれんが、Amazonはモノ売るためのプラットフォームから

anond:20240411173926

あいいじゃん、そういうの。

面倒くさそうな意識高い本が知りたいなら、新聞書評でも読んだらいいわ。

2024-04-10

本屋大賞ホント糞。早く終われ

出版界隈の端っこにいる人間だけどさ。

 

 

早く終われこんなもの出版界の癌やろ。

 

参考:

https://anond.hatelabo.jp/20140413133010

2024-04-04

anond:20240404103033

原著 "Irreversible Damage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に 米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表ハフポスト日本語版サイト書評翻訳されている医師ジャック・ターバン氏です)。

実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています

すでに英国欧州北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります

米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学エビデンスレベル評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています

原著出版から数年が経ち、政治医学的論争・世論メディアの状況は少しずつ動いています

米国リベラル代表であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、デトランス若者たち取材した同書とほぼ同趣旨・同主題記事が昨月掲載される状況になっています

原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理破綻してしまます

2024-04-03

「あの子トランスジェンダーになった」 について

原著 "Irreversible Damage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に 米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表ハフポスト日本語版サイト書評翻訳されている医師ジャック・ターバン氏です)。

実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています

すでに英国欧州北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります

米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学エビデンスレベル評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています

原著出版から数年が経ち、政治医学的論争・世論メディアの状況は少しずつ動いています

米国リベラル代表であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、ディトランスの若者たち取材した同書とほぼ同趣旨・同主題記事が昨月掲載される状況になっています

原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙(ニューヨーク・タイムズ紙)までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理破綻してしまます

2024-03-12

anond:20240312105704

Bing(Copilot)ちゃんに聞いたら下記がお勧めだって言ってたよ。ワイは書評についてはいくつか目を通したが未読

アルフレッド・ミーリーアメリカ大学生自由意志科学について語るようです。』蟹池陽一訳,春秋社2018年

 

評者:李 太喜

https://tarb.yamanami.tokyo/2021/08/0028-alfred-mele-free-will.html

 

聞き方変えたら下記もおすすめだって言ってたよ

自由意志についての入門的な理解を深めるために、以下の書籍おすすめです:

 

 

 

 

これらの書籍は、自由意志概念についての基本的理解を深めるのに役立つでしょう。興味がない方でも、これらの本は読みやすく、自由意志問題を考える良い出発点になります。興味を持たせるためには、日常生活での意思決定や行動の背後にある科学的、哲学的な考察を示すことが重要です。それには、このような入門書が適しています

2024-02-23

anond:20240223200930

暇空関係のことはよくわからないが「文章力がない」「長い、もっとまとめろ」的な指摘は

あえてつっこめるところがそこ以外にないというとき負け惜しみ的に出るものだなあとはてブを長く見ていて感じる

ブコメで出てくるこの文言は、はたから読んでいて本当にわかりにくい文章とき以外には

「この私にわかやすく読ませることができない/すべての分量を読ませる文章を書けないお前が悪い・普通に意見が気に入らない/もっともだがそうストレートに言うのは品がないか癪なので知的な部分で混ぜ返したい」みたいな意味意図しかないと思う

これが少なからブコメにちらつくときはわりとクリティカルな指摘が行われている場合のこともあるように思う

文章に関する能力と箸の持ち方と地方問題喫煙問題に関しては結構むきだしの上から目線差別意識が露呈するよね、はてなにおいては

長文増田へのブコメで「文章力がある」というほめ方が頻発するのもこの裏返しだと思う

とにかく「知的に劣る」という点を指摘すれば相手が委縮するだろうとかバカにできているだろう、こいつの上に立てているだろうという意識の人が多くて、結構いいこと言うなというブクマカさんも「頭が悪い」とか普通に書いちゃうことがあってさすがにそれ見たときは本当に面食らった

多くの人が書評家か評論家のごとくふるまいがちなのははてブというサービス構造のせいなのかな

2024-02-19

伊東純也がフランスで干されない本当の理由

シロだという証拠を掴んでいる訳ではなく、「干した後、万が一シロだった場合リスクがある」からである

フランスは元々、性加害告発に冷淡な国

なぜフランスで「#MeToo 」への反対が起きたのか、という本が出版される程、フランスは性加害告発を冷淡に見る風潮が以前からあった。書評をググればわかる。

メンディ・ショック

バンジャマン・メンディという元フランス代表のサッカー選手が居る。彼は2021年8月に6件もの強姦容疑で起訴され、それを受けて当時の所属クラブであるイングランドマンチェスターシティから事実上追放された。しかし昨年1月に全て無罪判決が確定。

これを受けてメンディはサッカー界に復帰したが、マンチェスターシティには戻れず、母国フランスロリアンというクラブ移籍

そして、メンディはマンチェスターシティに対して2021年から2年間、無罪が確定するまで干された時期の給料を払えという裁判を起こした。これは未だ係争中。

伊東純也の所属クラブはメンディ・ショックの再来を恐れただけに過ぎない

日本代表伊東純也を外した理由は「スポンサーへの配慮」であり、スポンサー伊東純也を通じて浴びてしま風評被害リスクを恐れたためであった。

一方、スタッド・ランス伊東純也を外さな理由は「シロだった場合裁判を起こされ、風評と金銭の被害を被るリスク」を恐れたためである

彼の扱い方自体真逆だが、両者とも判断理由は「リスク回避」という意味本質は同じであることは覚えておくべきだろう。むやみに日本企業を下げたり、フランスを上げたりするのは近視眼的である

2024-02-13

anond:20240213191133

実際は大学講師とか書評家とか社会的地位権力を手に入れて、プライド自尊心が満たされた奴らこそ満を持して全力で男叩きをしてんじゃん

2024-02-07

週刊文春って山田太郎下ろして作家たちの生成AI対抗を難しくした上で文藝春秋主催芥川賞で生成AI使用作品賞与えて、未だ書評欄あるのなんか腹立ってきたな

2024-01-31

anond:20240131200900

ぐぐってくれてありがとう

母が「新聞書評に載ってたよ」と好きなラノベの事を褒めてくれた、あの綺麗な思い出を返して欲しかった

2024-01-29

友達欲しいけど完全に同じ趣味の友だちはいらない

好きなものに対する姿勢の違いとか、解釈の違いとか、そういうのでいちいちモヤッときしまいそうだし

自分批判的に見ているものも、他の人はそうじゃないかもと思ったら言えなくなっちゃうし、他の人に「これいいよね!」って言われたら、自分がそう思ってなくても首肯してしまいそうだし

というかそもそも、それが好きな人達の前で間違ったことを言うのが怖くて、当たり障りのないことしか発言できなくなってしまう気がするし

好きなものは、それを好きな人が誰もいない空間で延々ひとり語ってるくらいでちょうどいい

書評だって書くのは好きだけど、誰もそのジャンルに興味のないTLで垂れ流してる。私がどう思ったかを書き記していきたいから、批判的なことでも普通に書いてる。もしこれを公開したら「読解力なさすぎて的外れ」云々クソリプが付くんだろうなぁ、と思いながら書いている

から趣味から友だち作るのとか難しいんだよな

でも正直Xで〇〇好きな人と繋がりたい、みたいなタグでワイワイしてる人たちが羨ましい

友だち欲しい……

2024-01-09

平将門祟りを信じる=幽霊を信じる、なのかどうか

別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学説明の外にある現象……思念怨念呪い妖怪

死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか

祟りは信じていない。しか祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる

祟りは信じていない。しかし何か起きたとき祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる

幽霊非実在を完全には証明できない?

では龍であればどうか

「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか

タブーを侵さない=龍神(の実在)を信じる、なのかどうか

実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう

いや、これは本当に自信が無い

ルールから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし

シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう

これは例えば江戸時代明治時代史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかい記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話

「野暮と化け物は箱根から西」という江戸時代ことわざがある

箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎バカにする言い回し

これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか

それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか

また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回し存在する

この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……

南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい

そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ

こういう言い回しがある時点で当時既にお化け実在は信じられていなかったのでは?と感じる

でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ

お化け妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?

当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい

江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査

しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?

竜巻あたりも同じ話だ

明治時代錦絵竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある

貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室

その絵には

怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり

という文も添えられている

「これぞ謂る龍の昇ならん」というのはどう解釈したものか?

この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか

「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか

あるいは「あれこそ龍が昇天するとき現象だ」という文意なのか

「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文によると、

明治維新以後も、龍の実在を信じていた人が少なくなかったことがうかがわれる。

大正初期ごろまでに、龍はほぼ消滅したと考えられる。

との記述がある

「怪雲現る」が明治23年なので矛盾はしない……

妖怪の話は西洋だと妖精の話と近いように感じる

コティングリー妖精事件」についても調べるべきか……

ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に

なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。

というフレーズがあるようだ

テンペスト』の最古の上演記録は1611年11月1日

だいぶ古い!

やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで

ユニコーン聖書に登場するのが話を厄介にしているんだよな~

キリスト教知識が無いとよくわからない箇所が多くある

グリフィンなんかはこれより少し後の時代実在否定する人が出てきたようだ(しか実在から反論を受けている)

『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

グリフィン実在否定した作家トーマスブラウン反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。

グリフィン想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物存在するからであるアコスタスペインイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランス探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である

そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ

なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジー誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ

こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果

日記

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大鯰信仰について調べたが、今「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文について再考すべきかもしれない

明治時代の人が何にリアリティを感じていたか」という視点で串刺しにして考えをまとめることが出来るかもしれない

2024-01-06

Youtube詳しい人おしえて

いわゆるタイムパフォーマンスとは別の文脈で本を効率的に見つける手段としての本の紹介チャンネルみたいなものを探しています

でも本要約チャンネルのようにものすごく低い解像度で本の紹介をし、その紹介内容も執筆内容自体になんの敬意もなく己のマーケティング欲求だけで制作しているような軽薄(かつタイ用途)なチャンネルは除外したいと思ってます。このチャンネルマジで害悪だと思っていて個人的には無限健康知識本を紹介する傾向があることから令和のみのもんたって呼んでます。FUCKノイズ

一方でアバタローのように普段自分が読まないような古典名著を周辺の歴史的背景や教養知識も含めた解像度の高い形で紹介してくれるチャンネルは未知の本を読んでみようという気になるのでとても有用だと思ってます

そこで詳しい皆さんにお聞きしたいのですがアバタローのような高い解像度面白い有用な本を紹介してくれている書評YouTuberチャンネルがあったら教えてもらいたいです。

2023-12-27

はてブとかSNS不安を抱いている多くのITエンジニアに届け

定期的にはてブSNSを見ているとITエンジニア投稿を見ることも多いだろう。それを見ると色んな感情が湧くと思う。

これ以外にも色々あるだろうが端的に言うと自分ITエンジニアとしての偏差値が低いんじゃないか?って思うことが多いのではないか

そんなわけ無いぞ。上に書いているようなレベルの人ってホント上澄みレベル世間エンジニアが全員勤勉だと思うなよ。

あと結果のみアウトプットしているから凄い事スラスラしているように見えるけど、実際はインプットからアウトプットまでに時間結構あるぞ

結構気にしてあれこれ手を出して潰れる人を見てきたし、じゃあ自分はその上澄み除いた部分でどの辺なんだって拘る人も居るのでいくつかアドバイス

無駄資格は無い

エンジニアあるある。応用なんて学生が取るもの。高度でやっと書類に書ける。んな訳ない。あの時代遅れ試験を午前午後クリアできるエンジニアは少ない。ITパスポートだって立派。業界変われば評価も変わる。取らないけど凄い人も居るけど大半の凡人は取ることで土台が固まる。IPAでもベンダーでも興味のあるものは取ろう。転職エージェントが何を言おうが資格目的はその技術知識確認だ。

時間を捻出するな

上澄みの人の業務形態は様々だ。経営者正社員フリーランス職場によっては業務中の勉強可能だったりする。フリーランスなら仕事勉強自由だ。その相手と同じ環境でも無いのに自分もやろうと捻出して睡眠時間削っても意味ない。ある日2時間やるより毎日10分で良い。重要なのは今の稼ぎ。努力教信者意味なく努力しろと言うけど気が向いたときにやれば良い。週末に遊びと勉強あったら遊び取れ。仕事パフォーマンス最優先。

とりあえず本読め

最新技術キャッチアップしてサンプル作ってって焦るだろうけどとりあえず本読もう。読み終わって全部知ってるわ!って本かも知れないが今はメルカリで売れるから傷は浅い。オライリーの本を手あたり次第買って積むのは焦った人が良くやるパターンだけど、とりあえず自分が興味ある分野の本を1冊買って読もう。はてブにはだいたいこの季節に上澄みの方が書いた読んだ技術書を書評付きで載ることが多い。そこから1冊選んで読む。ハンズオンあるなら自宅のPCでやる。やり切ったらぶっちゃけだいぶ偉い。業務じゃ使えないとか言われるけど基本と実際はどこが変わるか分かるだけでもだいぶ役に立つ。ちなみに裁断してPDFにするのは個人的にはお勧めしない。電子化するとマジで読まない。個人差あるけど

いやホント基本情報持ったエンジニアで良いのよ

もちろん年収1000万とか稼ぐフリーランスとかは無理だけど緩やかなキャリアアップ目指すなら基本情報持ってれば良いのよ。マジで社会には自分達より手に技術持ってないくせに年収1000万越えの変な人多いよ。だから企業案件現場に行ってプロジェクト全体像も分から毎日コード書いているだけで漠然とした不安を抱えているなら一足飛びではなくまずは土台を固めよう。レーダーチャートのどっか1か所だけ飛びぬけるのはマジで選ばれた人間。大半は平均的に高めるしか無いよ。焦んな、何もやらないのは駄目だけどコスパは求めるな。

2023-12-09

anond:20231209100735

読んでなかったけどそんな酷いのか?

はてな書評家はけっこう絶賛してたような

anond:20231209113818

ファクトフルネス」は、ハンス・ロスリング氏による著書で、データに基づいて世界を正しく理解するための方法提唱しています¹²³。その中で、以下のような主張があります

1. 収入対数変換していることについて: ロスリング氏は、世界を「低所得」「中所得」「高所得」の3つに分けるのではなく、1日あたりの所得ごとにレベル分けすることを提唱しています²。これにより、所得分布をより正確に捉えることができます対数変換は、所得のような指標が広範囲にわたる場合によく用いられますしかし、この方法が全ての状況に適しているわけではなく、特定文脈目的によっては無理があると感じることもあります

2. 人口増加と文明発展が環境問題悪化させているという事実直視していない: ロスリング氏は、世界人口が増え、エネルギー使用が増えた場合世界がどうなるのかについて、具体的なデータを用いて説明しています¹。彼は、「エネルギーほとんどは先進国の一握りの人間が消費している」ことを指摘し、省エネ技術を含む経済発展こそが問題解決の鍵であると主張しています¹。

3. ビル・ゲイツ押し売り: ビル・ゲイツ氏は「ファクトフルネス」を高く評価しており²、その影響力を使って本を推奨していますしかし、それが「押し売り」と感じるかどうかは、個々の読者の主観によるところが大きいでしょう。

以上の点を考慮すると、「ファクトフルネス」は、データに基づいた視点から世界理解するための一つの方法提供していますが、その解釈適用には注意が必要であると言えます。また、批判的な視点を持つことは、情報をより深く理解する上で重要です。⁴

(1) 『FACTFULNESS』著者に聞く 世界を正しく見る習慣 | NIKKEIリスキリング. https://reskill.nikkei.com/article/DGXMZO40385070T20C19A1000000/.

(2) 『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』の要約と解説 | 経済ノート. https://keizainote.com/1017/.

(3) 「可能主義者」の希望あふれる遺言『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』 | 本がすき。. https://honsuki.jp/review/14629/index.html.

(4) 書評:『ファクトフルネス』を読んだ感想 | 筋トレ&ダイエット以外. https://liftingdiet.firebird.jp/2019/03/14/%e6%9b%b8%e8%a9%95%ef%bc%9a%e3%80%8e%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%af%e3%83%88%e3%83%95%e3%83%ab%e3%83%8d%e3%82%b9%e3%80%8f%e3%82%92%e8%aa%ad%e3%82%93%e3%81%a0%e6%84%9f%e6%83%b3/.

(5) 「FACTFULNESS(ファクトフルネス10思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」ハンス・ロスリング:本ナビ. https://1book.biz/2019/12/10/factfulness.html.

2023-12-07

anond:20231207120731

元増田の冒頭部分によれば原文は心理学教授らしいけど、医学レベルの厳密さやエビデンスレベルは頭に無さそうなので、あんま持て囃すような書評では無いと思う。

しかし、トランスかどうかは脳の神経学的所見で判断できるという、トランス活動家からはおよそ受け入れ難い前提に立脚した論なのに、例の本を叩いているというその一点だけでこれを持て囃してるトランス支持者は、もうちょっと中身を読む能力を身につけてほしい。

anond:20231206174416

なんか、この書評ゲーム脳レベルオカルトであることを分かってなさそうなブクマが付いてんな。

2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-10-11

anond:20231010143347

間違った解説すぎる。ネット上の書評を読んだだけもそんなバカにまとめにならない。

誤「男の方がよりキツく長時間仕事をするから。同じ仕事でも男の方がよりキツく長時間の部分を担当するから。」

正「給与水準の高い高度専門職管理職が、依然として男性しか可能ではない長時間労働依存していることと、育児担い手女性に偏っていること」

この問題に少しでも関心のある人間からすれば、学部1年生レベルで学ぶ常識ではあるんだけど。

2023-09-29

anond:20230929004131

本は好きだから書評とかアニメ感想とか書こうと思ったことあるけど、やっぱ面白くないんだよね。書き上げたもの愛着も湧かないし。虚無しか無い。

てか正直こうやってコメント応酬してる何倍も楽しい。きっと俺はコミニュケーションが取りたいんだろうな。

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