はてなキーワード: 社会的制裁とは
「レイプする奴らも怖いけど断罪する奴らも怖い」というのは、全く馬鹿な意見だと思う。
「思うこと」と「実行すること」は全く別であり、実行すれば悪事であっても、思うだけなら問題ないというのが俺の考えだ。
「レイプしたい」と思ってもよいが、実際にするのは絶対に駄目と言うことだ。
しかし、思っていると実行したくなるのが人の常であるから、むやみに実行させないための心理的な歯止めとして、法があり、社会的制裁があるのだと思う。
レイプする奴らがいたのは、この歯止めが効かなかったことを意味する。
これは怖い。
現在の社会的な歯止めでは、同様の犯罪を阻止する効果が不十分であるかもしれないからだ。
だからこそ、人は社会的制裁を強化することで、より強い歯止めを求めようとするのだろう。
レイプ加害者に対し、赤の他人が「死ね」とののしる理由のひとつは、ここにあると思う。
リンチしそうで怖い?
http://anond.hatelabo.jp/20090504201747
横書いたものだけど。
「タバコ、やめていただけませんか?苦手なので。」
っつってるよ。「苦手」というのは「個人的嗜好」だろ? 「副流煙のほうがガンになる物質が多く入っているらしいので」と言うのなら、動物愛護と同じ精神だろうよ。
喫煙をとがめることを社会的制裁と思っているのなら、まー、クライアントとがめてもしゃーないかなーと思うけどさ。
でも、どうしてもとがめたい場合でも、「苦手なので」じゃなくて、「あのー、お楽しみのところ申し訳ないんですが、タバコは発癌性が問題になっているので、出来るだけ本数を減らしてはいかがでしょう?」とか……。ごめん、自分で書いといてなんだけど、相手の機嫌を損ねないようにとがめるのは無理だと思う。
だから、やっぱり、とがめちゃいかんだろと思うよ。
反応を見て、いろいろ考えました。
本当にそうですよね。申し訳ないことをしました。
自分でも、どこにでも必ずあると思っているわけじゃないのです。たまたま漏れ伝わる学内の話も、わたしがこういう人間だから届くだけで、全体から言えばレアケースなのだと思います。
ただ、起きるときには起きるし、集中すれば辛いし、そういう話を耳にしたときに、せめてそういうことがあること自体を疑わないで欲しい、出来れば、怪しい気配を「あるわけない」という先入観で見なかったことにしないで、ちょっと気を配って欲しいと思います。
あと、やっぱり環境というか雰囲気が大きいと思うので、知らないこと自体がそういう環境を作ってしまうので、可能性としては気に留めておいて欲しいです。昨日のエントリに書いたように、女子を意識しなさ過ぎの環境こそが危険だと思います。「うちじゃそんなことありえねーよwそもそもうちの女なんか女じゃねえしw」という感想を持ったら、環境としてはかなり熟成していると思います。行きずりの痴漢の件とちょっと違ってて、女っぽくて大人しくて欲情をそそる(と一般に思われている)女子相手よりも、こういう風に蔑視された相手の方が簡単に行動に出るし暴走しやすい傾向があると思います。
「女の子は進むべきではない」と一般化出来ないのはその通りです。あれは自分の子供の話です。わたしは高校と大学の研究室(複数)全てでこの手の経験があったのですが、それというのも、自分が引き寄せている面もあるのかもしれません。そういうことをする人には分かるんだと思います。なんというか、自分の娘もやっぱり引き寄せてしまう予感がするんです。わたしの娘だから。全く非科学的な話で、つくづく情けないですが。
そう思わせるようなことを書いてすみません。こう思う方々は、元エントリに書いた人々からは一番遠い存在だと思います。心配性で、ちょっとでも挙動不審になったことを重く考えすぎのタイプじゃないでしょうか。基本的に臆病でたまに距離感に失敗する人と、そんな発想すらない人は、外から見たらまるで違います。
ネットでは後者の情報を見て怯える前者の声をよく見かけますが、あまりにもかけ離れてると思います。何故一番遠い人がわざわざそんな心配をするのかと毎回思います。ついでにそういう話だと、後者をイメージしながらレスする人に絡まれて難癖付けられて気の毒です。
- 女のこういう話は大体誇張されている 仮に本当なら増田などで呟いていないで法をもって対応すべき
誇張しないように細心の注意を払って、印象操作になりがちな主観を避けて起きたことだけを書いたつもりですが、また別の立場から見たら、誇張しているように見えたり、大切なことを省いて書いているように見える可能性は否定出来ません。
法でもって対応ということなんですが、わたしはそんなことは全然望んでいないのです。望んでいることは、ただひとつ、こういうことが起こらないことだけであり、起こった後の処罰ではないのです。法に訴えるという手段は、社会的制裁がメインであり、再発防止に関しては疎かであると思います(軽犯罪の場合)。学生時代に軽犯罪で公にされたりすると、挫折感からやけになって常習者にならないか心配です。なんとか年齢的に落ち着くくらいまでやり過ごして、若いときは馬鹿なことをしたと思うところまで無事に到達してくれないかと思います。
- 「お前ははっきり言ったのか?」「察しないあいつが悪い」と言いたげ
「誤解が生じつつあるらしいことに気づく。その状況を続けて誤解を加速させるわけにはいけないから、不本意だが疎遠にする。」の件ですよね。はっきり言うしかない状況に陥らないように予防してるつもりですが、駄目でしょうか。だって兆候に気づいててもそのままで引っ張って、挙げ句はっきり言うって、ひどくないですか?兆候の時点で予防に動きませんか?
それとも、兆候の時点で、相手にとってダメージが少ない時点で、明らかに誰がどう見てもこちらが自意識過剰という時点で、はっきり言葉にして、もっと分かりやすい嫌われ役を演じることこそが求められているのでしょうか。
あと向こうが悪いとは思ってないです。一人一人にとっては自然なプロセスのひとつなんだと思います。グレーなんて書いて申し訳ありませんでした。この件はグレーではないです。ただ、こっちから見たときに、あまりにも集中するので、また悪役をやらなきゃいけないのかと思うと、精神的に参ってしまうんです。一人一人が悪くなくても。誰も悪くないけど巡り合せが悪いんです。
http://anond.hatelabo.jp/20090430121420
いや、まあ、あの
・・・普通、学科の旅行とか社内旅行とか、気のない男子たちの前で水着にならないのでは
いや普通じゃないかも知らないが、なんで彼氏でもない奴らの前でハダカに近い格好をしなけりゃならんのだと
文科系女子はもっと出し惜しみというかTPOを考えると思うのだが
その中に気になる男子がいたのならまあそうかなとも思うけどえーと
呆れ具合がよく伝わりました。常識を知らなくてすみません。秘書さんとか大先輩(昔の話)とか助教授の家族も水着になってたし、全く疑いませんでした。たぶん研究室の反応的には「・・・なんだそりゃ。そんなん意識する方がおかしい。というか俺らに失礼。」あたりではないかと。そんなこと言わずに黙って不参加か偶然生理になればいいんですけど、そんな頭がまわらないんですよね、初回は。その後黙って不参加の人になりました。
「気になる男子がいたら」とか「彼氏でもない奴らの前で」という発想はありませんでした。完全に、中高の体育の時間の延長で考えてました。殆ど義務だと。
就職したらって、一回就職して民間に行ってその後大学に出戻って、30代既婚なんですが。そういえば民間の方の職場でも20人くらい(うち職場の女子2名+社員の奥さん2名)で海水浴に行って、全員で撮った記念写真が職場で普通に回覧されてました。どうもわたしの周りは、そんなん意識する方がおかしい派のようです。
http://anond.hatelabo.jp/20090430113526
俺の場合,女友達にならこのくらい平気で言う。
つーかさ本当に気があったらこういうこと言えねーべや。
言った人は、その通りのキャラです。普段エロ話を交わしたりはしませんが、誰にでもそういう話を遠慮せず振って、秘書さんあたりから「もうー」と言われてたりする人物です。この人に関しては、本気で言ってないのはこっちも分かってます。ただ、そういう要素が全くない写真からああいう台詞を思いつく人かと言えばそれはなくて、良くも悪くも直球の人で、例に挙げてくれたようなシチュエーションギャグの可能性は無く、思ったことを悪気無く口に出しているだけということで・・・つまりどういう写真だったかという推察をしてるだけです。
こういうことを面と向かって言う人の方が心配要らないというのは同意します。
あっさり決定打が出ましたね。
物的証拠がある直接的な事例であっても自分が表沙汰にしなかったのも、これを恐れていたからです。この方はかなり露悪的に書いてますが、これほどでなくても、
性絡みの事件が起こる
↓
↓
次からは女子学生は採用しない、他にも研究室は一杯あるんだから他所に行けばいい
これって、自分の子供だけは危ないところに入れたくないという心理と一緒なので、わたしには批判出来ません。もっとも、こういうことが実行可能なのは、学科に一人女子学生がいるかいないかというレベルまでで、各学年数人いて、数年に一人は絶対当たるようになると実行不可能になってなし崩しになると思います。女子率が1割超えたらもう心配しなくてよいんじゃないでしょうか。そうなる前の笑い話になるといいと思います。
あともうひとつ表沙汰にしなかった理由はあって、普段なんとなく疎まれていたり、一人で行動したりといったタイプの人に疑いがかかると思ったんですよね・・・そう考えること自体が失礼でしょうか。でもそうなったら、自分(が原因となったこと)が辛すぎると思ったので。
TENGA EGGが甚大なる衝撃とともに発売されてから4か月が経過した。そしてその間に、われわれの社会は水面下で大きな変貌を遂げた。
TENGA EGGはこの社会になにをもたらしたのか。一言でいうならそれは、「変態の一般化」という名の“革命”だ。
どういうことだろうか。この変化について理解するためには、まずEGGの革新性について知る必要がある。
TENGA EGGはただのオナカップではない。手軽に使えるオナカップという枠にとどまらず、それはポータブル・ザーメン・コンテナーでもある。キーワードは「三安」だ。
安全――内容物を露出・漏出することなく注入・輸送できる。
安価――1個たったの500円、しかも何度でも使える。(※使い捨てと称されているが、実際には洗えば繰り返し使用可能)
安心――外見から内容物を悟られる可能性がきわめて薄い。
これまでの精液輸送業務は多大な危険と負担と不安とを従業者に負わせるものだった。それは一般にコンドームなどを用いて行われるものだったが、いずれの手段もこの「三安」を同時に実現できるものではなかった。
たとえばコンドームは日本が世界に誇る品質だけあって、輸送中の漏出の危険は存外低いものであったが、使い捨てゆえにコストパフォーマンスはそこまで優秀なものとはいえなかった。なによりも外見が致命的なまでに不審である。
あるいは注射器を愛用する者もいた。これは一見、「安全」と「安価」を両立できるようなアイテムに思われるかもしれない。しかしながら実際のところは精液の注入が大きな手間となるし、やはりフォルムの怪しさはいかんともしがたい。
TENGA EGGは精液の採取から密封、輸送、放出までを一手に担う、変態界のジェネラリストだ。しかも見た目はただの卵。事前事後の露見のおそれは驚異的に低下する。ただTENGA EGGをドラッグストアで購入し使用するだけで、誰でも気軽にお手軽に"BUKKAKE"を実行できるのだ。街角で、電車内で、オフィスで。
その登場でBUKKAKE事業参入のハードルはぐっと下がった。誰でも一度は思ったことがあるだろう。「あの娘にかけてみたい……」と。でも思いとどまったはずだ。手順の煩雑さにうんざりして。犯行後の社会的制裁を恐れて。下は小学生から上は後期高齢者まで、この幅広い潜在的需要に応えた結果としてTENGA EGGは生まれた。
実際、TENGA EGGの発売後、電車内・駅構内での被害事例は急増の一途をたどっているという。これまで秘めたる欲望を抱えながらも実際の犯行には及べなかった「潜在的変態層」へのインセンティヴとしてTENGA EGGは働いているのだ。
“革命”は着々と進行しつつある。
無から自信を作り出せる、自信の錬金術師は限られた一握りだ。
だから多くの人は他人と比較し、その優劣から自信を得る。
一番無難な方法は、努力し結果として人より優れた存在になる事だろう。
ところが世の中にはそうした労力を払う事を嫌うものも存在する。
そうした人間が労せずに自信を得ようと思った場合、方法はかなり限られる。
自分が変わらないのだから、他人が変わらなければならず。
他人の方が優れている場合は、他人を貶めるしかない。
集団心理も助けとなり、かなりお手軽な手法となっているのではなかろうか。
幼少期ともなれば、これはもっと露骨に現れる。
いじめはその最たるものだが、こうして理不尽に奪われた自信は、
それが幼少期である場合、取り戻すのにかなりの労力を必要とする。
自己を肯定する材料に乏しいからだ。
本来なら家族や教師がそれに当たるところだが、それが望めない時も多い。
人間不信にでもなれば、それはコミュニケーション能力の欠如にも繋がる。
そうしてコミュニケーション能力に欠如した場合、その事実がさらに
当人から自信を奪い、他者に自信を与えてしまうスパイラル構造。
抜けるのは相当に大変。
しかし、こうして考えると。
大した罰則も社会的制裁も無く、無邪気に笑い話に出来る幼少期のイジメは
かなりコストパフォーマンスの良い自信交換方法ではないかと思う。
減税に関しては少なくとも、現状の「産みたくても経済的に産めない」人々に対しては何らかの効果はあるかと。
まあ、それだけじゃなくて、保育園などの設備の充実や、企業の理解協力など、
仕事を持った女性へのフォローは不可欠だけど、時間かかりそうだし、減税は手っ取り早い手段だと思う。
ニートを抱えた親は、困ってないで今からでも手を打つべきだと思う。
親は大抵子より早くいなくなるわけだし、
子の事を思うなら今多少厳しくても仕事させるのが、本人の為にも国の為にもなる。
就業のハードルは高いが、時間が経てば経つほどより高くなるわけだし。
それでも、ニート子供を容認するだけの経済的ゆとりがあるなら、増税しても問題なかろうて。
あと、ニートかどうかによらず、犯罪者になったら裁かれるのは本人のみだが、
親は社会的制裁喰うでしょ。論点がずれてる気がする。
社会的制裁ってのは批判を受けることや信用をなくすことが結果的にそいつに対しての制裁になってしまうって話だ。
制裁しようって目的で正義の味方気取って制裁するとしたらそんなもん全面的にその行為は悪いに決まってるんだよ。
「納得がいかない」も何も明確に全面的に間違った行為なんだから納得がいかなくて当たり前だろ。
大学側め、自分たちは報道されるまで散々隠しておいて学生に注意するたぁー、どーいう了見だ。
大麻等の違法薬物の乱用について【Regarding illegal drug abuse】【重要】
大麻等の違法薬物の乱用について
11月15日に本学学生が大麻所持容疑により逮捕されたとの報道があ
り、また本日本件についての記者説明会を行いました。本学はこれまで、
7月10日の学生向け広報紙「早稲田ウィークリー」で「覚せい剤・麻薬、
薬物乱用から身を守れ!」と題して違法薬物への警告を発し、また併せて
啓発パンフレットを配布しましたが、再度ここに警告します。学生諸君は、
違法薬物を勧める際の常套文句「疲れが取れる」「頭がスッキリする」
「らくにダイエットができる」などの誘い文句はすべて誤った情報です。
いかなる麻薬・覚せい剤も、違法ドラッグも、各種犯罪を誘発し、生涯に
わたる脳や心身への危害は計り知れません。また、違法薬物を手にした時
点で、厳しい社会的制裁を受け、人生を棒に振ることになりかねません。
学生諸君は、問題の重要性をよく認識し、決して違法薬物には手を出して
はなりません。早稲田大学の学生としての本分を自覚し、良識ある行動を
とるよう強く望むとともに、本学はこのような違法行為に対して厳罰をも
って臨みます。
今回の件に鑑み、今後本学は再発防止に向けて全学的な取組を実施して
いきます。その一つとして、違法薬物に関するアンケート調査をWaseda-n
et ポータルにて実施しますのでご協力をお願いします。また、11月20
日発行の早稲田ウィークリーに違法薬物注意喚起特集を再掲載しますので
必ずご覧ください。
<ご参考>
http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2008a/1163/163g.html
http://www.dapc.or.jp/data/index.htm
以 上
2008年11月17日
学 生 部 長
そういう奴、絶対居ると思う。
社会に出て一般常識のようなものがわかりかけてくる頃の奴に特に多そう。
高校生ぐらいになってくると「企業の要職にあるものは、たとえプライベートでも発言には気をつけなければいけない」という常識っぽいものを学習してくる。
例えば「店員と言う立場を利用して私的な行為に及ぶ」ということが非常識だってことも高校生はわかりかけてくる。だからこそファストフードでゴキブリを揚げたことを告白した店員のことをみんな叩いた。あれ、行為そのものが不愉快だから、という動機だけで叩いたわけじゃないと思うんだよね。
世の中の仕組みや道徳が身についてくると子供って無邪気にそれを行使したくなるもんなのよ。ゴキブリを揚げるような店員を叩くことには圧倒的な正義があるじゃん。だからこそみんな叩いたんだと思う。
人は自分に正義があると確信できたときは、調子に乗っていくらでも残酷になれるんだよ。
で、今回の梅田叩きっていうのも正体は案外そこにあると思ってる。旧来の考え方では「取締役が顧客に向かって愚痴をこぼす」なんてことは絶対にあってはならないとされてきたはずだ。だからこそここぞとばかりに「あるまじき行為だ!」と叩いて社会的制裁を加えている俺カッコイイって気分に浸りたかったんじゃないだろうか。
痴漢冤罪200人とかさすがにちょっと正当性を欠く数字だと思う。
ただ、そもそも「痴漢」とされたもの自体の立件に問題が多いのは事実で、そこは是正されなければいけないだろう。
第一、日本社会システムは本当に犯罪を犯したのかどうかもわからない段階で、裁判になった、拘留された、というだけで経歴に傷が付きすぎる。
もっと裁判は気軽に起こされなければならないし、裁判に対してもっとみんな気軽に構えなければいけない。
「ああ、なんか裁判らしいよ」
「えー、また裁判かよ。今度はなによ?」
「あいつらしいなおい。まぁしょうがない、とりあえずなんとかしとくか」
くらいのノリで十分で、最終的に痴漢であるという判決が出たときに始めて社会的制裁を受けるべきだし、その結論は「疑わしきは罰せず」の精神に基づいて行われなければならない。訴えられる事が致命傷になりかねないこんな世の中じゃポイズン。
法定の罰を受け入れた上で「罪滅ぼし」もしなくちゃいけないって感じだね。
社会的制裁+法的制裁+罪滅ぼし(道徳的な賠償)でようやく埋め合わせることができる感じかな。
罪滅ぼしも「偽善」とか言われる場合もあるだろうけど。
「あなたは、あなたの魂に率直に生きるべきだ。いかなるときも先ず自分が満足できるように、行動するべきだ。個人主義といえば分かりやすいが、これはもっともっと自分主義な考えだといっていい。好き勝手絶頂に生きればいいといってもいい。人生を生きる中で、様々な選択肢が私たちに投げかけられる。その際に、本当にあなたが望む選択肢以外を選んではいけない。後悔するような選択肢を選んではいけない。そうやって生きていないから自分を愛せなくなる。魂が濁る。
絶対的な正しさ、というのがあれば、それは自分の心に率直かどうか、それ以外にはありえない。あなたはいつだって正しい行いをしなければならない。どうか魂に率直に、迷ったときは直観で、正しく生きて欲しいと思う。
法律を犯すことは確かに罪だ。法律で裁かれる。しかし、本当の罪とは、自分を裏切ることだ。盗みをはたらくことも、人を殺すことも、幼女を監禁することも、法律を犯すことは、はっきりって社会との関係の中で構築された罪でしかない。社会的制裁を受けることにはなるが、これは社会とあなたの関係であって、あなたとあなたの心の問題ではない。本当の罪は、社会から与えられるものではなく、自分が、自分の心が与えるものだ。社会的な罪は刑期を終えれば、あるいはお金を払えば許されるが、自分の心を裏切る罪とは一生拭うことの出来ない罪だ。許されることのない罪だ。
しかし、迷うときもあるだろう。社会と自分の心に沿って生きることの間に葛藤が生まれることもあるだろう。それならばきっちり天秤にかければいい。傾いたほうが、あなたの正しさだ。
あなたが人を殺したいのならば、あなたとあなたの魂とに誓えるならば、家族親類友人社会的地位を失うリスクを考慮しても一切後悔することなく全ての責任を負うことができるなら、あなたは殺すという選択肢を選ぶことができる。つまりあなたは人を殺してもいい。
いや、それを選ばなければ、人を殺さないほうを選べば自分の心を裏切ることになってしまうならば、むしろあなたは、あなたとあなたの魂のために人を殺しなさい」
まあ、わかりきった答えだった。彼と話すということはそういうことだ。自分のことをプロテスタント系だという彼は牧師で、近所の教会に住んでいて、なぜか休日にはケーキの焼き方教室をなんかをしている。で、なんとなく私はケーキ教室に通っているのだ。
それにしても……この考えかたって、つまり、キリストすら正しくないときがあるということをいっているのだ。私がキリストの言葉に納得できなかったら、違うと思えば、それはそれが正しいというのだ。その正しさのみが絶対的な倫理の軸になりえるというのだ。法律も道徳も宗教すらも自分を律するものにはなりえないということだ。宗教をある部分では否定している宗教だなんて、なんだかそっちのほうが信用できそうと思った自分にびっくりする。
私は今年で五歳になる子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれた。そして答えることが出来ず、とりあえず三日の猶予を貰った。そしてあれこれ悩んで、タイムリミットとなる今日、協会を訪ねたのだ。
私はこれを自分の息子に話すだろう。分かってもらえないかもしれないが、私は五歳になる息子を信頼しているのだ。それに、それ以上に私は、私の選択を信頼しているのだ。