はてなキーワード: 小中学生とは
やおい同人誌は美形化美形化と言われまくってますが、単に作家さんが自分なりの絵柄で描き直すから、結果的に美形になってるだけのような気がします。
今の女性向同人界の絵柄の主流は、小畑健・星野桂あたりのスタンダード絵柄か、雁須磨子・羽海野チカあたりのサブカルオサレ絵柄かな、と思ってるのですが、基本はやはり少女漫画。少年漫画的なデフォルメが得意な作家さんは少ないでしょう。極端な体型とか、髪型とか、不細工には対応できない。絵柄のテンプレートが既に美形だから何描いても美形に見えてしまうんですね。わざと美形にしているというより絵柄の問題なんです。
そう思うと、腐女子の中で流行る漫画やアニメって、「描ける」っていう条件がかなり重要なんじゃないかな、と。やっぱり少女漫画的絵柄だと、標準体型で奇抜な髪型でもない、普通or美形の10歳から30歳ぐらいのキャラクターが一番描きやすい。
遊戯王なんて「城之内くん、大好きだ」みたいな核弾頭級のセリフがあったのに、腐的に大流行しなかったのは、ひとえに遊戯の髪型のせいじゃないかと思うのです。
アイシールドも男子高校生がたくさん出てくるけれど、標準体型で普通の顔が圧倒的に少ない。一番人気のヒル魔がそもそもギリギリラインで、セナ、十文字、進、桜庭(ヒゲレス)、高見あたりまでが描写可能範囲。でも少女漫画に近い絵柄でモン太や栗田、照光を描くのは辛いでしょう。
事実、「描ける」キャラクターが少ないと腐界ではあっという間に廃れていきます。Dグレも廃れています。
反対に、テニスはその点すごく優秀な漫画。3桁を軽く越える男子中学生がいて、描けなさそうなのは田仁志と樺地ぐらい。リボーンや銀魂、おお振りもおおむね描きやすいだろうと思います。
この条件がアクロバティック解決されたのが、最近人気の電王ですね。イマジンにはそれぞれ分かりやすい擬人化ビジュアルが決められていて、萌えるのに描けない…というジレンマが起きない。実際にジャンル内の人に話を聞いてると、ガワ萌えだけど描くときは擬人化する人が多いようです。
もうね、やおい同人誌を出されたくない少年漫画家さんは登場キャラクターをデブ・奇抜な髪型・不細工で固めるしかありません。そうしたらいくら男同士の友情を描こうと、間違いなく同人誌・同人サイトという媒体では広がりません。描けないもんは描けないですから。まぁ、そういう漫画が大人の男性ならともかく昨今の男子小中学生に受けるのかどうかは甚だ疑問ですが。
もちろんそうしたとしても、本が出ないだけで腐女子が萌えるのは止められないでしょう。大概の腐女子はデブ・奇抜な髪型・不細工でも関係性に萌えることは可能ですし、文字媒体や2chの801板あたりで大人気になる可能性は高いと言えます。アイアンリーガーのように、福本作品のように、情熱で絵柄の差異を凌駕するジャンルになるかもしれない。
やおい的流行を狙う漫画家さんが勘違いしているだろうなと思うのは、キャラクターは特別に美しくなくてもいいということです。描きやすい絵柄であれば補正可能です。それよりも、「私はこの漫画が好きだ」と人に誇れるような、純粋に面白い漫画であって欲しい。やおい流行を狙って作品が面白くなくなれば、購買力のある年齢層の腐女子は逃げてしまいます。そもそも女性読者を狙うのと、腐女子読者を狙うのとでは、アプローチが全く違います。いくら目立っていても腐女子は所詮女子の5%程度です。男子小中学生に人気のない面白くないものを流行らせるほどのプラスにはならない、と申し上げておきます。
はいはい、今のジャンプが面白くないのは腐女子のせいなんですね!ちっとも面白くない漫画が前の方に載ってるのは、美形の男に腐女子がキャーキャー群がってアンケート出してるからなんですよね!
ばっっっっっっっっかじゃねーの。腐にそんな影響力あるかよ。アンケート出すぐらいなら同人誌出すわ。ジャンプの女性読者は1割だぞ。ひょっとしてジャンプ読んでる女は全員腐女子ですとでも言いたいのか?だったら女子3割のサンデーの方が腐雑誌だろ。
あのね、ジャンプはね、少年誌なの。アンタが面白くないと判断しているものは、腐女子が支持してるんじゃないよ。読者の6、7割を占める小中学生男子が支持してるんだよ。
美形ばかりって言うけどな、小中学生男子が小汚いおっさんの主人公を支持する方がキメェだろ。最近の子供は劇画には慣れてねんだよ。見栄えのする男子が複数出たら即腐女子のせいですか。そう思うんならエロ本でも読んでろ。
ワンピの尾田が中学生のころの自分に向けて描いている、女性向のことは考えてないっつってたけど、腐対策なんてそれで充分。明らかなコアファン向けのグッズ展開で判断してんじゃねーよ。
自分が編集部が想定している読者層からズレてることを自覚しないで、俺様が面白くないと思っているのに流行ってるのはおかしいとか腐のせいだとか、片腹痛いわ。
って、言えれば良かったのに。何故、私が説教された上、謝らなきゃいけなかったんだろう…。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071022i1w5.htm
このニュース見て「子供は騒いで当然、自分が子供のころ同じ事してたんだから我慢しろ」とか言う人いるけど、どの子供も騒ぐのが好きなのばかりだと思ってるんだろうか。物静かな子供くらいクラスに何人もいるのが普通だと思うんだけど。そういう子も本当は騒ぎたいのに我慢してたとか思ってるのかな。自分の場合は部活の声だしとかいやだったし、大騒ぎしてるクラスメイトを苦々しく思ってた。だからお互い様だから我慢しろとか言うのは納得できないんだよな。今の子供だって騒音が嫌いな子もいるだろうに。それに赤ん坊ならともかく小中学生以上になれば自分の意思でやめれるはずだし、「子供が騒ぐのは当たり前」と思ってる人は大人になったら騒ぐべきでないということには異論ないんだから、大人になっても騒ぎ続けないように子供に注意して躾けることが必要なのは理解できるはず。子ども時代に教えないで一体どうやって大人になって身につけれるんだろうか。そもそも自分が子供のころ迷惑行為してたから今の子供もしていいってのはおかしいと思わないんだろうか。今の大人の中に子供時代にちんそう団やらいじめとかをやってる人がいたら、今の子供もそれやっていいことになるんだろうか。ひどいのになると「子どもが騒いでいいのはどこなんだ?」とか子どもが迷惑行為できる場所を要求するような人まで出てきてるからうんざり。年齢に関係なく、犯罪行為迷惑行為をしていい公共空間なんてないんだってば。騒ぎたいなら自分の金で防音設備整えるなり、人気のないところに引っ越せば良いはずなのに、なぜか被害者側に負担を要求するんだよな。騒音被害を訴えるほうばかりがわがままな基地外扱いされるけど、子どもの迷惑行為をやめさせるように学校や行政に働きかけるのは本来は家庭ですべきしつけを肩代わりしてることなんだから、被害者側だけでなく保護者や子どものためでもある。むしろ感謝すべきだろう。子どもがやんちゃしても注意しない地域のほうが殺伐としてるように感じるし、いい面だけでなく悪い面にも子どもについて関心を持つ余裕があるのはいいこと。自分はこのニュースを見てまだまだ日本に希望が持てるんじゃないかとさえ思った。
たとえば、この世界が因果応報的な世界であれば、自分の人生を省みるに、小中学生時代にすべての運を使い果たしてしまって、これからは悪いことしか起こらないように感じる。
しかし、実際はそこそこいいことも起こった。たまに自分も悪いことがあると「因果応報なのかな」と思うが、どう考えても、因果応報的な思考法では説明できない事柄も起こる事だってある。
因果応報を信じるものは多い。ユダヤの陰謀とかは信じないのに、極めて非科学的な因果応報は信じてしまう、という人間は後を絶たない。実際には「悪い事をしたらその分だけ償いをしなければならない」というのは極めて特殊な、殺人とか万引きとかそういう事例だけなのであって、人の悪口をいったからといって、それが自分に返ってくる、というのは基本的にはありえないのである。
そもそも、因果応報という考え方の欠陥は、何を「悪」として、何を「善」とするか、ということがあいまいなところに起因している。上で挙げた悪口にしても、たとえば飲み会の席で場を盛り上げるためにナベツネの悪口を言うことは、悪いことなのだろうか。傲慢かつ自分勝手な論理を振り回すナベツネの悪口を言っても誰もそれが「悪」だとは思わず(さすがに「善」とまではいかないだろうが)、むしろその場では拍手喝さいすることの方が多いのではないか。それでも、ナベツネの悪い事をいった人間は後で報いを受けるのか。
別に因果応報が道徳的に悪い、というわけではない。しかし「やられた分はやり返される」という思考法では、どうしようもない問題もあるし、生まれも育ちも貧困だった人間に「この世は因果応報だからきっとこれからいいことがあるよ」などとさとしても、馬の耳に念仏なのである。それなりに幸せに育って、いいことも悪いことも半々ぐらい起きている人にとっては因果応報という考え方は、すばらしく合理的に見えるのかもしれないが。
そこはお前の誤解と言うか、たぶん目をそらしているんだろ。生まれたときの金持ちがいるということは、「今の金持ちはみんな生まれたときから金持ち」という意味ではない。それに不平等でもない。
平等と言うのは「貧乏人でもがんばれば、あるいは才能があれば豊かになるチャンスがある」ということ。チャンスがなければ不平等。チャンスがあれば平等。日本国は6,3で9年の間に結構な量の教育を無料で行っている。公立高校にはただ同然で入れる。それを元手に社会に出るチャンスもあれば、苦学生として大学に向かい、その後社会に出るチャンスもある。
「金持ちはいい教育を受けることができる」というも言い訳。いい教育を受けた奴がみんな金持ちになるわけでもない。世間的に何をいい教育といっているのか知らないが、それが塾のことならちゃんちゃらおかしい。
俺の親父は旧制中学卒、しかも小中学生のときに戦争を食らっているから、高等教育を受けたわけじゃない。そして公務員になって、世間並の給料で俺を養ってくれた。俺は塾にも稽古事にもいかなかったが、勉強して公立高校に行き、国立大学を出て、今はけっこういい暮らしをしている。がんばればそこそこ上にいけるんだよ。
女の子を好きになった時にさ、話しかけるタイミングがわかんない。
女の子って、大体いつも誰かと一緒にいるでしょ?
男でもそうだったりするけど、女の子の群れの方が何か恐ろしい。
もし群れの前で好きな子に話しかけて、こちらの好意が周囲の子にバレたら一気に関係が壊れかねない気がする。
…というのは俺が気にし過ぎなんだろうか。
男の集団だったらそういうのない気がするんだけど…(逆に小中学生の男子はすごくあるような)
で、結局話しかけるとしたら、好意がバレないように周りの女の子にも話しかけないといけなかったり、
尚かつなかなか一人にはなってくれないもんだから、話しかけたいのに話しかけられないみたいな状態に。
恋愛成就まで辿り着く人って、こういうのをどうやってくぐり抜けてるんだろう。
教えて下さい。
オブジェクト指向云々anond:20070820212459で思い出したけど、
今日、本屋に行ってコンピュータ関係の書籍コーナに立ち寄ったんですよ。
そうしたら50代の場違いなおばちゃんが「Java入門なんたら」関係の本を何冊か取ってしげしげとみてるんですよ。
へー、こんなおばちゃんもJavaとか勉強するんだ、と思ってたら本屋の中でデカイ声で電話し始めたんですよ、
「○○ちゃん、Java入門って本はいっぱいあってどれが良いんだかわからないよ、2600円とかちょっと高くない?」
と、なんだ頼まれものか…ってその時は思ったけど、いま思ってみると、
普通だとプログラミング本なんて自分で内容を見て買うし、オカンや奥さん彼女wに頼んだりしないよね?
引きこもりの系の人?だったらネットで購入するだろうし、頼むにしても評判の本、自分のレベルにあった本を予め選んで正確な書籍名を伝えるだろうし…
というか、そもそも入門書選びをオカンに頼んでる時点で先がきつそうな…
小中学生の孫がJavaを始めるのにおばあちゃんからプレゼント?ちょっと違うなぁ。
いったい、どんな人がJava入門を始めるんだろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%91%A8%E7%8E%87%E3%81%AF3
俗に言われてるヤツは、この辺が騒がれた時期やそれ以降に小中学生(高校生もか?)やってる世代の事を指すんじゃないんですか。多分。
2007年夏現在、最大勢力を保っているのは、テニスの王子様です。ただし、テニプリは学校が違えば別ジャンルという原則があるとおり、青学・氷帝・立海・六角等の対象校ごとに住民の住み分け、独立採算制度を採っており、かつてのソビエト連邦の様相を呈しております。また、ジャンルブレイクしてから早5年。新たにミュージカル独立行政区が力をつけてきたものの、2128という空前のサークル数を誇った2004年の夏コミ以降、サークル数は減少傾向にあり、テニプリジャンル全体を見れば停滞期に入っております。
第2勢力は、鋼の錬金術師です。原作は堅調に進んでいるものの、最大カップリングのキャラクターにノーマルカップリングフラグが立ち、こちらも勢いを落としております。特定の大手サークルのみに買い手が集まるドーナツ化現象がここでは顕著です。
第3勢力は、ガンダムSEED、SEED DESTINYですが、放送終了から約2年。同じく当時の勢いは無くしております。しかし、書き手・買い手共に人材が豊富で、ジャンルとしては比較的踏みとどまっているように思われます。同じサンライズであるコードギアスへの移動組がやや見られたものの、現在はガンダム00待ちの状態に入ったというところでしょうか。
一方、テニプリ以外のジャンプ勢はと申しますと、女性向同人界第4勢力にリボーンが食い込んでおります。ここ1年で急速にサークル数を伸ばし、銀魂を抜いてジャンプ2番手に急成長しました。惜しむらくは、住民の年齢層が低く、ジャンルを牽引するような大手サークル不在の状態が続いていることでしょうか。そして、銀魂も減少したわけではなく、安定してサークル数を伸ばしております。リボーンとは対照的に年齢層が高く、大手サークルも豊富なようです。ここしばらく女性向同人界は大ブレイクする作品に乏しい状態で不作が続いており、他ジャンルが軒並みサークル数を落としていく中、リボーン・銀魂の2つは成長株と言えましょう。
そしてBLEACHも数こそ増加傾向にありますが、ノーマルカップリングが強いこともあり、こちらは鎖国に近い雰囲気を保っております。テニス・リボーン・銀魂等はサークルや買い手がややかぶる傾向があるのに対し、ジャンプ勢の中である意味浮いている存在でもあります。D.Gray-manと同じく、同人即売会までたどり着かないライト層・小中学生が人気の中心で、熱心なコア腐女子層にはあまり響いていないのではないでしょうか。
さらに、連載長期化で停滞期に入ったONE PIECE、NARUTOは、サークル数こそ減りはしたものの、熱心な買い手に支えられて下げ止まりの傾向にあり、こちらは住民の高齢化がみられます。
おおきく振りかぶってはアニメ化がカンフル剤となって、勢いを取り戻しつつあります。しかし、原作がマイナー月刊誌という壁は高く、このプチバブルも一時的なものとなるでしょう。
ゲームジャンルは、ここ数年ゲーム全体で一定数を保っています。昨年のペルソナ3、テイルズ・オブ・ジ・アビスのスマッシュヒットの流れが現在も続き、戦国BASARA、戦国無双、逆転裁判4が勢力を伸ばしています。
最近注目のつまみ食い株としましては、プリキュア5のココナッツ、涼宮ハルヒの古キョン、電王、地球へ…等があげられます。こちらは1、2冊程度、サブジャンルとして本を発行するサークルが多い傾向にあり、勢いはあるもののジャンルとして大成はしないものと思われます。
全体を俯瞰すると、かつての大ジャンルは停滞・減少傾向、ジャンプ中堅が勢いを増す中、ゲームは勢力図などどこ吹く風で、つまみ食いジャンルが少し賑やか、といったところでしょうか。女性向同人界では、そろそろ大ブレイクするジャンルを待ち望んでいます。
小中学生ならいざ知らず、20も越えたいい年の人間が今更親嫌いだなんて何いってんだ…と時々思うんだ。
でも、一言も口をきかない両親、口を開いた時には怒鳴りあい、一人はテレビに釘付け、
一人はパソコンに釘付け、食事はいつもばらばらで。小学生の時に過ごしてた「家族」の時期の記憶が強かったせいか、せっかく一緒に住めるようになったのに、こんなんなら一人の方が楽だったな、って思ったりするんだよ。家族に夢見すぎてたのかもね。いつまでも小学生の頃の、仲良しな家族のままが続くと思ってた。大好きだったんだ。両親に対して憎しみを抱くなんて、なんて酷い子供だろう、って自分のことを思ったりもするし。でも最近はもう、兄弟に言うだけだけど、両親への恨み辛みが口をつくようになっちゃってて。それでも直に両親にもう家族ごっこつかれた、って言えそうもないんだ。
こんなんでもまだ完全に壊したくないんだ。信じてたいのかな。
うん、増田の言うとおり、距離が取れてないだけかもしれないね。そう思いたい。ちょっと自分でもやってみるよ。ありがとう。ちょっとだけ泣いちゃった。あー、私もしかして淋しかったのかな。
幼いね、やっぱり。早く大人にならなきゃ。家族だけをよりどころにしてちゃいけないよね。
こういう人大杉。こういうこと言う奴、大嫌い。
「2chスレまとめ系ブログに頭を汚染されてる」事については賛成だが、
「『少女コミック』って明記のされた処を『少女漫画全般』のことと勘違いしてるんだろうなあ」と言うのはどうだろうか?
少女漫画の中には年齢制限がついていなくても、それらの行為の描写があって、買い手は中を見ない限り判らないという事実がある。
一方リンク先の話題になっている雑誌は年齢制限がついていて、買い手は中を見なくてもそれらの描写があると判る。
今はどうだか分りませんが、私が小中学生だった頃(今から十年くらい前)は、女子が五人以上集まると恋愛の話でした。
・・・
私は小学校中学校の九年間、特別恋愛感情を抱いた男子はいませんでした。なので大体割りと仲の良い、男の子の名前を挙げてごまかしていました
ドラマのセクシーボイスアンドロボに同じようなくだりがあったね。
ついでに最近のセクシーボイスアンドロボネタで言えば「一緒にいて楽しいのが友達、苦しいのが恋」。
友達と恋人との違い・・・、友達なら他の異性と遊んでいても気にならないけど、
その人が他の異性と遊んでいることに対して苦しい、切ないと思うようになったら恋かと。
今はどうだか分りませんが、私が小中学生だった頃(今から十年くらい前)は、女子が五人以上集まると恋愛の話でした。何組の誰々さんが誰々を好きだとか、誰々さんが誰々と遊んでた、だとか、私は誰々が好きだとか、休日に二人で遊ぶだけでカップル認定を喰らう、微笑ましい恋愛話なわけです。
大体この頃の女子の間では、自分の好きな人を明かす、というのが友情の証みたいなところがありました。「いない」というのはなしです。それは「隠していること」と同じなのです。だから特別好きな人間がいなくても、当たり障りのない、クラスに二三人はいるような明るくてスポーツができる男子の名を上げておくのが常識で、礼儀でした。
私は小学校中学校の九年間、特別恋愛感情を抱いた男子はいませんでした。なので大体割りと仲の良い、男の子の名前を挙げてごまかしていました(しかし往々にして情報は漏れるので、友人関係を続けたい、本当に好ましく思っている男子の名前は挙げなかった記憶があります)。
当時私は集団で恋愛話をしながらも、「誰々くんが好き??」という類の発言を話半分で聞いていたような覚えがあります。大半が付き合いで、あるいは礼儀で、あるいは恋愛することが大人である、かっこいいという思いから、皆適当に好ましい男子の名を挙げているのだろう、と思っていたのです。
特に中学校に入ると、男子と付き合っていることはステータスでもあるわけです。好きだの告白しただのの話の中に、付き合ってる、別れた、キスまでいった、誰々はもうやったらしい、という生臭い話もちらほら紛れ始めます。学内であっちでくっつきこっちで別れ、中学生ですから別にもめるわけでもなんでもないですが、状況だけ見たらどんだけ修羅場よ、という相関図が描かれます。
こういう状況を見てると、どう足掻いても好きだの胸がドキドキするだのは言い訳に聞こえるわけです。お前ら付き合いたいだけだろう、と。恋に恋してる、というやつだろうと。この中で何人本気で好きな人間がいるよ?、と。
そうやって穿って見ているうちに私はいつの間にか中学校を卒業して高校生になり、大学生になり、その間に何人かと流れでお付き合いし、社会人になりました。そうして気づきました。自分が一度も人を好きになったことがないことに。
好きになったことがない、と書くと誤解を招きそうな気もします。つまり恋愛感情を抱いたことがない。付き合いたいとかセックスしたいとか思ったことがない、ということです。本当に、友人として好きな人間はいましたが、恋愛感情を抱くことは全くない人生でした。そして大人になった今でも周りではやっぱり、誰が好き?だとか、好きな人いないの?という会話が繰り広げられているわけです。
恋愛感情を抱いたことがありません、好きな人は好きで、それは男女関わらず抱きますし、仲良くしたいと思います。話したい、会いたい、と思います。けれど、付き合いたいとは思いません。その人を自分の恋人にしたい(自分だけのものにしたい)とも、思いません。よく異性間の友情について、欲情しなければそれは友情だといわれますが、私は今まで誰にも欲情したことがありませんが、たくさんの人に好意を抱いてはきました。多分、全て恋愛感情ではなかったと思います。
私以外の人はちゃんと恋愛感情を抱いているのでしょうか?友人に対する好きと、恋人に対する好きは全く別物ですか?
恋愛だとか友情だとかそんな種類など何もなくて、あるのは好きという感情だけだ、と私は思います。今でもやっぱり、他の人の恋愛を眉唾だと思って聞いてしまうところがあります。好きな人が欲しいだけだろうと、恋愛をしていたいだけだろうと思うときがあります。多分、私の邪推でしょうが、そう思ってしまうことがあります。