はてなキーワード: 天気とは
この期に及んで富は増大し続けるといえる能天気さが心の底からうらやましい。
この1週間、経験したことない仕事三昧で疲れた。
今朝は目覚ましをかけていたのに、気づかず、10時間くらい爆睡だった。
寝過ぎても土曜日は最高の気分だ。なんせ今日が休みなのに明日も休みなんだから。土日は仕事のことは忘れて、自分の好きなことして楽しむぞ、と朝からワクワクしていた。最近弾いてなかったベース弾いたり、たまってるDVD見たり、でもちょっと仕事関連でJavascript勉強しようかな、とか思っていた。
とりあえず起きてから皿洗って部屋を軽く片付けてスッキリ。天気も晴れ。朝食も同棲している彼女の分まで作って(と言ってもパスタゆでただけだけど)、彼女を気持ちよくバイトに送り出す配慮もしたつもりだった。彼女はスーパーのレジで、土日を含む週5で大体13時〜17時まで働く。
彼女がバイトに出かけたところで見逃していた『すべらない話』の動画を見てたら、携帯に彼女から電話がかかってきた。雨が降ってきたらしい。でも洗濯物を外に干している訳ではない。特に用件がある訳でもないらしい。たわいもない話しが続き、彼女がスーパーに着くまで電話するのか、と思って、『すべらない話』そのまま再生しながら電話してたら、兵動の話がおもしろすぎて笑ってしまったんだよね。「私はこれから仕事だって言うのに」とか言われる。
「台所洗っておいてね」
「皿ならさっき洗ったよ」
「床が汚いから掃除しておいてよ」
「……分かったよ。分かりましたよ。掃除するよ」
「いいよもう。私が仕事してるあいだお笑いの動画でも見てればいいじゃん」
いや、電話してるのに兵動で笑ったのは悪いことだと思うよ。でも、彼女といると、たえず何かにつけて怒られたり文句言われたりしていて、俺ってそんなにずっとひどいことしてるかなと思う。確かに仕事から帰ってきてネットしてると彼女の話聞いてないし、お茶飲んだ後のペットボトルとか片付け忘れるし、唐突に性欲がわいたりするし、果物勧められてもあんまり食べないけど、俺そんなひどい男かね。
最近転職したばかりで、まだ試用期間で俺もアルバイトではあるんだけど、主にデザインの仕事で、彼女の倍以上の時間働いて倍以上稼いで家賃も光熱費もひとりで払ってる。この生活維持するために俺それなりに頑張ってるんだけどなぁと思う。
世の中の旦那さん方はみんなこんな感じなんだろうか、と思う。今23歳だけど、結婚をしたいと思えない。結婚してる男に会うたびに「今彼女と同棲してるんですけど、結婚したいとは思えないんです」て相談するんだけど、誰ひとり「結婚した方がいい」と言う人がいない。今のところ。子どもができたら…とか、まだいいんじゃないの?とか言われる。でもさ、来年や再来年はもっと結婚したくなくなる気がするんだ。こう、毎日叱られたり文句言われたりしていると。あと、子どもがうっかりできるという感覚が未だに分からない。
彼女のことは好きだし、だから恋人だ。別れたら心底落ち込むだろうとは思う。でも同棲はじめて1年半になるけど、まだ彼女がいるこの生活スタイルで一生やっていこうという気持ちにはなりきれないし、この2Kのアパートは俺の本当に安らげる場所にはなっていない。
彼女との電話を切ってから2時間、ずっとこんなこと考えてしまって、なんとか気持ちを切り替えようと思ったのだけど、無理みたいだ。天気は曇り。
せっかくの土曜日なのに。
治安の悪い国で生活をしている日本人と日本にいる日本人との間に、
なんだかすごいギャップが存在しているんじゃないかと思って・・・
イメージというか偏見というか、記号的に単純な解釈があるような気がしています。
外務省の安全情報って、CNNニュースとかNHKのワールドニュースでやっているような
「全世界の天気予報」みたいなものなんです。すごくおおざっぱです。
それに対して、現地に住む人が肌で感じている治安は「ピンポイント天気」です。
「全世界の天気予報」でアフガニスタンに「晴れマーク」が出ていたとしても、
その国の中では地域や時間帯で天気は大きく異なるでしょう。(山がちな土地ならなおさらか?)
治安もまた、時間帯や行動方法、服装や言動、そして運によって大きく変化します。
そんな単純なものではありません。
外務省が発表しているアメリカ合衆国の安全情報です。
真っ白です。アメリカに住んだことのある人ならこれは何かのジョークじゃないかと思うでしょう。
彼はきっと、可能な限りの危機回避策を講じていたと思います。
彼はきっと、殺される危険があると知っていたでしょう。
もちろん、殺されたくてアフガンへ行ったわけではありません。
「判断ミス」
現地で感じる治安というのは本当に複雑で一言では言えないものです。
誰かの責任に帰結させれば安心するでしょう。
原因を見つければ納得するでしょう。
事件が起こったら手のひらを返すように責任を探し始めるのです。
「外務省が注意していたのに、それでも活動を続けていたほうが悪い」
そんな結論で良いのでしょうか。
去年の今頃、離婚話が出た。
思い出すとやはりきつい。
付き合う延長で結婚した俺たちは籍を入れても別居していたし、式を挙げてからも一緒に住むことはなかった。
俺は一生結婚なんてする気無かったけど、彼女が望んでいたのもあって、俺も喜んで話を進めた。
最初は、普通の家庭を築く事に憧れを抱いていた彼女の言動が、いつしか自由を願うようになる。
あるときまで一緒に住む家を「こんな家がいい」等と言っていた彼女だったが、
一緒に住む家を具体的に話さないか?と切り出すと、途端に口ごもるようになった。
式が終わった頃だったか。
普通の夫婦のようになりたくない、今の状態でずっと居たいと言い出した。
「最初からその約束だった」と。
俺は特に家を持つことに拘りも希望も無かったし
君が望むならそれでいい、と答えた。
俺が望んだのは、共に生きていける伴侶という存在だ。
愚痴ったり愚痴られたりといった事もあった。その中で俺は愛を育んでいるつもりだったが
彼女は俺のマイナス部分だけをクローズアップして、ついには憎むようになっていたらしい。
なぜそうなったのか、今はなんとなくわかる。
俺が出張で遠くに離れていて、彼女が仕事面や他の事で不安になると朝4時くらいに電話が鳴る事がある。
それを彼女は憶えてない。
つまり俺が彼女を精神的に支えていると思っていた部分は、彼女の中では無かった事になっている事が多いんだろう。
特に喧嘩をした訳でもないのに、それは突然始まった。
時に無視したり、わざときつい事を言ったり。
そうかと思えば普通だったり。
不規則な言動に俺は翻弄された。
疑心暗鬼に陥った。
何か気に要らない事があるのか訊いても要領を得ない。
「別に」
「そんな風には思ってない」
「どうしてそういう風に取るの?」
「先走りしすぎ」
そう言う割に、俺に対する接し方は変わらない。
理由は嫌いになって欲しかったから、らしい。
彼女にとって俺が必要なときは自分で実行が困難な場面のとき。
買い物の荷物持ちや送迎。わからない事をさっと引ける辞書としての存在。
不必要なときというのはそれ以外の全て。
自分が望むとき以外は関わるなという事。
俺は心の中で泣いた。
一人で外出を禁止されている、というのならそれは辛いだろうが、
デートを禁止されているだけなら別に一人で外出をすればいいだけの話、外出を我慢せよといわれているわけではないだろ。
デートは両者がしたいと思って初めてするものであるから、一方がしたくないならそれは仕方ない。何が悪いわけでもない。思いやりだの愛だのがないなどというのは、デートがしたい者の単なる子供のようなわがままであろう。
「愛があるならデートしてくれ」というときその者はそのまんま「愛があるならデートしたくないこっちの都合も考えろ」と返されるだけだ。デートについて「したい」「したくない」の気持ちが合わないということはどちらが悪いということではなく単純に仕方が無いことだ。天気のようなもの。どうしようもない。それを愛だの何だのにかえて己のわがままを通そうとするのはわがままである上、己のわがままを愛だのに包んでいて卑怯でもある。どうしようもない人間だ。
別に何に置き換えても良いが、相手のことを想ってる人はそんなこと言わない。
オナニーを禁止されている、というのならそれは辛いだろうが、
セックスを禁止されているだけなら別にオナニーをすればいいだけの話、性欲を我慢せよといわれているわけではないだろ。
セックスは両者がしたいと思って初めてするものであるから、一方がしたくないならそれは仕方ない。何が悪いわけでもない。思いやりだの愛だのがないなどというのは、セックスがしたい者の単なる子供のようなわがままであろう。
「愛があるならセックスしてくれ」というときその者はそのまんま「愛があるならセックスしたくないこっちの都合も考えろ」と返されるだけだ。セックスについて「したい」「したくない」の気持ちが合わないということはどちらが悪いということではなく単純に仕方が無いことだ。天気のようなもの。どうしようもない。それを愛だの何だのにかえて己のわがままを通そうとするのはわがままである上、己のわがままを愛だのに包んでいて卑怯でもある。どうしようもない人間だ。
ここしばらく思春期だ。30手前なのに。
希望していた大学に入学できてとくに留年も休学もせず卒業していちおう自分の中の憧れ1つだった職業に就いて今日まで何事も無く働いている。大好きなあの人との交際は順調でこのままいけば数年後には結婚するだろう。
全部自分で選択してきた道なので誰のせいでもない。一体私は今の生活の何が不満というか不安なんだろう。
よくわからないから1人で毎晩のようにお酒を飲む。前までは飲みながら誰かに愚痴を聞いてもらうことが慰めだったけど、もうしない。
そういうぼんやりした不安を愚痴った翌日はとても恥ずかしい気分になるからだ。それに皆そんな暇じゃないだろう。
親にも友人にも恋人にもだらしない顔で楽しい話しか提供しない。とりあえず笑っておく。mixiやブログの中の私はいつもゴキゲンだ。
こんなの大人のルールだろうと頭ではわかっているけれども疲れてしまった。全部放ってしまいたい。
以前、妹が鬱病になった。私は天真爛漫な妹が大好きだったので、死にたいとか呪詛めいた言葉を口走るようになって目つきも変わってしまった彼女を見ているのが辛くて、彼女のいないところではよく1人で泣いた。けれども彼女にとって私は「頼れるおねえちゃん」だったので、弱気な言葉を吐く妹に対しては勝気でいなければなかった。
「死ぬような覚悟があるくらいなら何でもできるじゃん、選択肢がたくさんあることは素晴らしいことなんだよ」
「自分の頭で考えているだけじゃ事態は何も変わらないよ。過ぎたこと思い返すのってすごく無駄じゃない?」
今ぜんぶ自分に返ってくる気がする。
もう本当に何が不満で不安なんだろう。胸の中につかえているこの漠然としたものがなんだかお酒で流し込めそうで今日も飲む。
真昼間のこんな天気に良い日に昼から飲酒するなんて楽しいことなのになんで惨めな気持ちになるんだろう。
今夜は彼と会うからその前に酔いをさまさなければいけない。彼ともお酒を飲むだろう、そのときは仕事であった笑い話を肴にしよう。家族旅行の幹事を任されてるから旅館の予約もそろそろとらないといけない。友だちからのメールに返信しないといけない。
今までかかわりのあったすべての人の頭から私の存在を抹消してしまいたい。
はてなの使い方がさっぱりわからない。
息苦しいのにどうしていいかわからない。
電源抜いて外に出ればいいって頭ではわかっているけど。
より便利に生活を送る為に、全てとまではいかなくても、いろいろパソコンで完結できるような環境にしたんです。
料理も音楽も近況報告も趣味も乗り換えも就職活動も天気も調べものもパソコンがないとできない。
生きていけない気さえする。
実際もう生活の一部なので無理。
適度な距離を置きたいと思いつつ、こうして日記を書く場をまた作ってしまっている。
mixiに疲れたからです。
何が起こったというわけではなく、何も起こらないように注意しすぎて疲れました。
好きなものが嫌いになることが恐ろしくて、最新の注意を払っていたはずなのに、ちょっとした綻びからそれ自身が胸のもやもやを呼び起こす要因となってしまいました。
今は全てをできるだけ断って、自分のなかの好きという気持ちをビクビクしながら守っています。
ネットも趣味のことも、好きだけど苦しいという二律背反に陥ってしまってなんだか辛い。
こんなツマラナイことにテンション落としている自分が気持ち悪くて自己嫌悪も酷い。
電源を切る以外の解決方法ないかなあ。
月経痛はものすごくつらいし、性犯罪の被害には何度もあってるし、えちする度に(スキンしてても)妊娠の心配は毎回するし、収入もよくないし、女だという理由で親から進路を制限されたし、ブスなので美人にあるようなメリットはひとつもないしということで女でよかったなんて思ったことはないけど、それでも生まれ変わったら男になりたいとは思わないのは、恵まれた立場にいることに気付かなくて能天気に女を傷つけるような男になりたくないから。性犯罪の加害者にならなくて済むというだけでもほっとする。傷つけるよりは傷つけられる方がマシ。
だから男性として生まれついたせいで持たざるを得ない性関係における加害者性について悩んでいるごく一部の男性に対しては共感します。
はてなのホットエントリーが非モテの話題で埋まってて見苦しいような気がしたので書いてみる(半分以上冗談だと理解したうえで)。増田諸氏は本当にモテたいと思っているのだろうか。けど、そう考えているうちは駄目だろう。非モテの主体が男性であるなら、モテたいイコール
女→男
の構図になる。しかしこの構図が成り立つのは男性のうち多くて2、3割ではなかろうか。根拠はないけど。けれど私の経験則で言えば大抵は男性側からアプローチを行い、女性側に少なからずその気があればカノジョカレシの関係になれる、かもしれない。とにかく待っていては駄目だ。
とはいえ、どこでどのように、という問題はある。非モテゆえに重要な問題である。そこで私が30半ばの頃に試していたことを書いてみる。いささか都市部に限定されるかもしれないが、そこは勘弁してもらいたい。
30代半まで私は非モテであった。いやカノジョのようなヒトは居たり居なかったりした。けど多くの非モテがそうであるように、コミュニケーション不全のまっただ中だった。余りに閉じた世界に居たのだが、ある日突然イヤになった。イヤになったのだが友人知人が極端に少なく、自分がどのような状況にあるのか確かめる術がなかった。そこで何を考えてかバーやらカフェやらのカウンターに行くようにした。
これがなかなか面白い。最初の2、3回はマスターと話をする。たわいの無い話だ。天気のことや、流行の音楽や映画の話程度が良いだろう。オタ・政治・宗教、あと下ネタは心の底に止めていただこう。もう何回か通うと常連さんを紹介してもらえるかもしれな。その方が女性なら幸運である。相手にも拠るが気を使って話しかけてもらえる場合も多い。マスターが間に入ることもあるし、そこは場の雰囲気に合わせできたら聞き役に徹してみてはどうだろうか。反論や突飛な話は無しでお願い。
そうやって所謂世間が何を話題にしているのか肌で掴んでいった。遅きに失した感はあるが30代後半は割と聞き上手になり、そうすると何となく引くところ押すところが分かってくる。あとは機会さえあれば自然と話が出来、必要なときに自然に(そりゃ一大決意には違いないが)告白もできるようになる。何より気になる女の子を誘うお店が出来るし、そういうお店ならマスターがこちらを立ててくれる。
だからこそ増田諸氏に申し上げたい。モテや非モテの話題をブックマークする前に外へ出て、誰でも良い、まず「他人」と話をしてみることだ。それこそ実践あるのみ。モテたいと思うのなら尚更ではないだろうか。
何?服?えっ?お金がない?それでもまずは動いてみよう。それしかないのだから。
さて最後に当方のことを書いておこう。40を過ぎた今私はモテになったのだろうか。否。単に賞味期限が切れただけだ。実は身体を壊してしまってそこどころではない。そう後悔してからでは遅いのだ。がんばれ。
何度もすみません。これ↑を書いた者です。返事し忘れてたのがあったので。こちらの方。
投資と、投資から得られるものが釣り合わない、と仰っていますか?(誤解だったらごんなさい) 回収できなきゃ、投資じゃなくて投機ですよね。
えーと、この辺の話は本題からそれていくから余り触れたくなかったんですが、丁寧に聞いてくださってるのでせっかくだから答えてみます。
そういう話じゃないんです。「努力」の量ってのは主観的なものだと思ってまして、好きな人にとっては「やって当然」のことが好きでない人にとっては「とてもやる気がしない膨大な量」に見えたりもするわけです。
私は別に才能に恵まれた人間ではありませんが、いろんな分野で、自分の望んだ程度のスキルは手に入れることができていると思ってます。努力した程度には報われることも実感してるつもりです。そして、本当に難しいのは、努力するということ自体ではなく、努力してでも何かを手に入れたいという願望や情熱を高く持つことだと強く感じてます。「人並みに努力すれば手に入れられる」程度のスキルというのは、ど素人から見ればすでに神懸かりのレベルに見えるものです。これはスポーツでもゲームでも何でもそうですよね。弱小校のサッカー部員でも、ど素人を相手にしたらマラドーナばりの五人抜きでもできるでしょう。東大なんかよりこっちの例の方がよっぽどわかりやすかったですね。
で、そういうサッカー部員が「この程度のこともできないお前らは努力が足りない」とか偉そうに説教しだしたら腹が立ちますよね。たとえば「俺は将棋部員だ、そういうお前だって将棋だったら俺に六枚落ちでも勝てないくせに何を偉そうなことを言ってるんだ」とか。
そういう感じで、私は「俺は努力してる、お前も努力しろ」という人間が大嫌いなんです。好きだからこそ努力できるんであって、嫌いだったら努力なんかできません。好きになれるということが「才能」の本質なんじゃないかとも思ってます。それで、「東大」という刺激的な言葉を選んでしまったというわけです。
これは反対します。SF的な意味で、全員がデザインベビーで美男美女になったとして、容貌の意味や価値が変わるでしょうか? 希少価値というのは、たしかに理解できます。嫌な言葉だけど、「引き立て役」という言葉も理解できます。大多数の人の幸福のためには、一定数の不幸な人を意図的に作り出す必要がありませんか?全体が底上げされて、何の問題が生じるのだろうと、とても不思議に思いました。
現にそうなってるんじゃないですか?高等教育を受けられる人が世界で稀少だった間は、教育環境の整った日本に生まれ育っただけで労働者としての市場価値が高くて、それなりの暮らしができた。ところが、物価の安い途上国でも高等教育を受ける人が増えてくると、そういう人にどんどん仕事を取られてしまう。それでワープア問題が出てきたわけです。全体を底上げするということは結局そういうことだと思うんですよ。まして、経済規模というのは世界全体で拡大してるわけですけど、たとえば世の中全体のファッションセンスが上がったって、異性の数が増える訳じゃないんですから。市場自体が停滞している中で競争が激化すれば中にいる人間がデスマーチに巻き込まれるのはあまりにもよくある構図だと思います。
あと、おまけ。
だって自分から惚れた子じゃないと駄目で、それも5年に1人とかなんだろ?そりゃ誰のせいにも出来ない自己責任じゃないか。これを自己責任と呼ばなかったら一体何が自己責任なんだ?
そしてこういう恋愛感のやつがなんでモテなんて気にしてるのか不思議だ。君にとっては世間が何を言ってようが、モテも非モテもどうでもいいじゃないか。
こういうテンプレがいつまで経っても減らないことには本当にうんざりするが、現在の自分の置かれた状況が受け入れられないと言っているのではなく、価値観が違うことを劣っているとか努力不足であるかのように非難されることが嫌なのだと言っているのだ。
それから念のために言っておくが、「自分から惚れた子」という表現が気になったが、「相手から惚れられる」なんてことは今まで一度もなかったので念のため。自分から好きでもない、相手からも好かれていない、そんな相手とどうやって付き合えと言うのだ?相手が友人なのであれば「適当に付き合う」なんてふざけた遊びに巻き込んで迷惑をかけるなど耐えられないし、友人ですらないのであれば、異性として以前に人間として興味のない存在だろう。挨拶と天気の話をしたらそれで話題が尽きるような関係性に何を求めろと言いたいのだろうか。
最後に「非モテ」とは「想いを寄せる相手であろうがあるまいが誰からも愛されない」というようなことを言っているのであって、「黙っていても異性が寄ってくる状況ではない」なんて生やさしいものではない。そんな言葉の定義すら調べないで上から目線で説教をするのはやめてもらいたい。
蒸し暑くじめじめした天気が続く昨今、
冷静に科学的にデータを検討すると、CO2排出を減らそうとする努力に実は意味無いんじゃね?
...という。
個人的にはその意見に賛成なのだが、それはさておき別件で、
冷静に科学的に考えてみたら、これ意味無いんじゃね?って品物に思い当たった。
押し入れとかタンスとか下駄箱とかにおく湿気取りの塩化カルシウム製品だ。
「ドラ○ペット」とか「水とりぞ○さん」とかの商品名でドラッグストアなどに並んでるやつね。
あれ、プラスチック製容器に塩化カルシウムが入ってて、液体は通さないけど気体が通れる
膜のようなものでフタしてあるよね。
この膜を通ってくる空気中の水分を吸収して、容器の下部に水(塩カル水溶液)が溜まるわけだ。
でも、通常の押し入れやタンスなどの気密性を考えると、その膜を通る空気量より遥かに多くの空気が
たとえば、気温が10℃くらい変化すると、ボイル・シャルルの法則だっけか(?)で、だいたい0.3%くらい
体積が膨張または収縮する。押し入れの容積を(1.8m×1.8m×0.9mで)約2900リットルとすると、
ざっと8〜9リットルくらいは毎日空気が入れ替わる可能性があるし。
窓を開けて風が吹き込んできたりすれば、それによっても10リットルやそこら(ちゃんと計算するには
たぶん流体力学とか考えないといかんとは思うが、よく知らないので感覚的に^^;)の空気が出入り
するはず。
対して、ドラ○ペットとかの膜は10cm四方くらいの面積しかなくて、気体の分子運動でその近くの
気体が出たり入ったりするんだと思うけど、そんな1日に10リットルなんてとても行き来するとは
思えない。しかも静止しているだけなので、押し入れ内の空気がまんべんなくその容器内を通過する
はずがない。
結局、押し入れ内の湿度は平均すると、湿気取り製品を置いても置かなくても、ほぼ変わりないのでは
ないかと考えられるわけ。
妙に写実的で迫力ある。
iPodtouchと左右逆なので、とまどう。まぁ、スリープなんてほっといてもいいんだけどね。
そろそろマジで寝るお。
「ポジティブグロメン」
「おっはよーん!!」
グロメンの声がこだまする。
「きもっ!お前かよ」
「ハハハお前はいっつも気持ちわりーな」
グロメンはいつも元気。
このグロメン、何を隠そう小中高とその強烈な容姿のことでいじめられ続けてきたのだった。
それによってできた劣等感によって内気になってしまったグロメンだったが
大学に入ってこんな自分を変えようと一大決心した結果がこれであった。
「ははははは!きめえぇ!!」
「マジできめえ!」
「ところで俺の席は…」
「はぁ?お前といっしょに座って友達と思われたら困るしw」
「そういうわけだからあっち座れよ」
「いや、でもこの間の席空いてるじゃん!すーわっちゃおっと!」
間の二人の間の席に強引に座るグロメン
「うわっ!うっざ!」
「こいつマジきめえ!」
「まあまあそういいなさんなってハハハ…」
グロメンは孤独を極端に恐れた。それと同時に他人からの目も極端に気にした。
だから、わりといい感じのメンバーと行動をともにしていた。
他人からの評価ばかり考えていた。もう昔の自分には戻りたくなかった。
「おい、俺ら帰るから代返頼むわ」
「え…お、お前らマジふざんけんなよははは…まあ、しょうがねえからやってやるか」
「おお!サンキュー!お前本当いい奴だな!今度奢ってやるからなじゃ」
もちろんグロメンは奢ってもらったことなどない。
「できた?」
「おうもちろん!いつもどおり代返係りに頼んどきましたよーん」
「ギャハハ!あいつマジ使えるよな!」
「てかあいつ金魚の糞みてえにお前らにくっついてね?」
「ああ、マジ困るわ。つまんねーし、気持ちわりーからはぶきたいんだけどなかなか鈍くてさ」
「でもそのおかげでこうやって帰れるわけじゃん」
「まあ普段我慢してるんだからこんぐらい当然っしょ」
「お前マジ鬼だなハハハハハ」
「いや、仏だって!あいつといるのマジしんどいからいやマジで」
「ダヒャヒャヒャヒャそんな真顔で言わんでも」
「馬鹿聞こえるぞハハハハハ」
「そんときゃそんときだっつーの!別にいいわw」
「おお??!男らしい!プププ」
「ハハハ、でさ、これから暇ならカラオケとか行っちゃいます?」
「おお!熱い熱い!行こうぜ」
「行っちゃいますか!」
グロメンには聞こえていた。聞こえなくても薄々気づいていた。
はたから見た感じ平等に見せようと見栄を張って接してみても結局力関係は明白。
友達なんて形すらできていない。遊びにはいつも自分だけ誘われなかった。
グロメンは家に帰った。
携帯がなった。ワクワクして開くと母からだった。
「あんた大学入ってから明るくなってお母さんうれしいよ。大学生活楽しそうで本当よかったよ。」
そんなことを言っていた。空元気で応えた。
はあ、また明日から能天気という仮面を被ったピエロを演じなきゃいけない…
グロメンは涙を流した。
ありのままでいれたらどんなに幸せだろうか…背伸びをしたばっかりに…
グロメンは部屋の壁を叩いた
俺はポジティブグロメン
ポジティブグロメン
ずっと思っていた。
はてな村でよく使われる「承認」を巡る物言いは、誰かに承認させるために知恵をひねって絞り出した言葉なのだと…
でも、それは自分の勘違いだったようだ。
ここでいう「承認」とは、自らが他の誰とも代替不可能な存在として認められることを指す。自らの物語・生き様が他者のものとして回収・吸収されることなく他者のそれと連結され、社会において一つの存在として認められることと同義である。
つまり、「"承認"させてやる」と言う事でなく、「"承認"してくれる誰かを求めているのだな」と
ありのままの自分を受け入れてくれる場所や人、そういう居所を探すための物言いだと言う事らしい。
例えばこういう発想の元で、「自分の言ってる事、あるいは思っていることが伝わらないから工夫してみよう」と言う発想が出てくるかというと、それはかなり疑わしいと思う。
他人に理解(吸収)される事を望まず、ただ肯定(連結)される事を望んでいるのだから…
これに対しては小飼弾氏がBlogにて所感を述べているが、おそらく「承認」に関する認識の違いで平行線を辿る事だろう。
ちょっと前にこんなエントリがあった。
その言葉はまるで自分に向けられているように聞こえるから - うどんこ天気
肥満状態の女性が出ていたTVのバラエティ番組を見て、肴として自堕落鰤を揶揄する知人に絶望した女性の話。
このエントリに対するコメントやブックマークコメントを見ていたが、「彼もバラエティとして適当に見ていたんじゃないかな? 自分の考えを理解して欲しければ、彼の視点を把握した上で、色々疑問を投げかければ理解できたかもしれないのに…」と思った。
それが演出なのか、ガチなのか。あるいは出演した本人の意図と反して自堕落な人として放送する側に演出されてしまったのか
そう言う疑問を投げかけられて、しっかり考えればいいのだけれど、あくまでも「そうだよね。うんうん、分かる分かる」と言う主旨の意見のみ受け付けているのが残念だった。
ここでもまた、"自らの物語を他人に吸収される"事を忌避して、ありのままの自分を受け入れて欲しい人がいるのだな
そう言う感想を持った。
彼女にとって見れば、そう言う自分を認めて、意見する人を「資格無し」と断ずる人こそ望むべき人なのだろう
それはそれで一つの考え方かもしれないが、それならば理解して欲しい。と言う言葉は不適当だなと思う。
「理解してもらえないかもしれないけど、受け入れてくれる人と関わりたい」
そう言うべきだと、私は思う。
本当に大事なのは、誤解なり齟齬なりを、「貴方はこう考えてるかもしれないけど、私の考えはこういう理由で違ってる」と言葉でもって相手を納得させることだと思う。
それが理解であり、人に承認してもらうことの肝なんじゃないかな
承認してもらう事を考える前に、「なぜ承認してもらえないのだろう」「どうすれば承認してもらえるだろう」を考えた方がいいよね
と言うのがこのエントリの主旨だと受け取っていただければ幸いです。
人並みに身ぎれいにして仕事行って 時間を見つけては散歩し 旬を感じられるよう自炊して 天気の変化や季節の移り変わりやささやかな喜びに注意を払い ひとには親切に しんどいことがあっても恨まない 足をひっぱらない できることを 誠実に。
…けど疲れたんスよ。咳をしても、じゃないけど独りなんですよ。向上したって大してだれの為にもなりはしない、もういいやって気分にすぐ囚われます。わたしが消えてもだれも困らないですよ。一時的にショックうけたり悲しくなったりするのは気の毒だけど、でもみんなそのまま生き続けるだろうし、それでいい。「自分を大切にしろ」とか説教してくれる人はいますけど、正直意味がわからない。自分が大切って意味がほんとうにわからない。ただ留まる理由も立ち去る理由もなくてぐずぐずしてるんですよ。ぜいたくだとか責められるかもしれないけど、それもどうでもいいんです、すいません。ほんと、すいません。