はてなキーワード: 低俗とは
(あるいははてなにおいて戦線が拡大し収束不能になる過程の記録。)
悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語 - タケルンバ卿日記
ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。
@_temaki_ あ、そこか。あれは違うんだよ。話を聞いた女の子(研修した子)がそう言ってたんだよ。「感情論でおしたんだけど、ダメでしたー」って。俺が感情論って判断したわけじゃなす。
@Yoi ああ、あるでしょうね。実際、その研修時、論理的な回答をした男性に女性陣はd nbkだったそうですw
※dnbk=どんびき、らしい。
@yoppa0516 そうそう。俺もそう思ってたの。こういう喧々諤々できる設問がいいのにね。価値観がバラバラだから、思考実験にいいのに。なかなかおもしろいリアクションだと思った。これは新発見。
@Yoi 思考実験とはいえ、身に置き換えて考えやすいからこそ、痛みを伴うのかもしれませんね。想像上の世界とか、思考や論理ではなくて、自分の身に置き換えて考えやすいのかも。
@Yoi そうですね。共通の答えを導くプロセスの学習と、ほどほどの妥協の必要性とか。そういう社会性を身に着けるのに適しているかと思います。
@_temaki_ そうなんだけど、それを会社の研修という強制参加の場でどうよって反発はようわかる。わかるが、それは俺のせいじゃないw 第一、俺が講師か研修担当者なら、この論題選ばんよ。
@threelz つか、研修受けた人の話聞く限り、そういう研修なんよ。まとまらないことを学ぶ研修というか。あるいは強引にまとめることで、まとめたかに見えて、実はバラバラになる体験をしたりとか。
※以下流れを大づかみにつかむための説明文なので、詳細は本文を参照してくださいです。
論理的思考と説得の技術を試す機会だ、という考え方は『それはそれでひとつの考え方なのでしょう。』としながら
『女性の感情論を、ムリヤリ数の力と、論理で押し切ったようですな。』という卿の発言を批判。
会社の行った研修に対しても『低俗な心理テストもどき』として短く批判。
『「関係を迫った男が許せない」、「関係を持つことを条件に、船を直すだなんてヒドイ!」という極めて当たり前の道徳を、平気で「女性の感情論」と切って捨てることの出来る非道さを見るだけでも、このバカが如何に拙劣な人間性しか持ち合わせていないことは即座に理解できよう。』
「川を渡る女」の改編であると指摘。
『まあ、こういうしょうもないディスカッションって新人研修でやるところあるよな。俺が最初にこの業界で潜り込んだ会社でもやってた。正直アホらしかったがな。』
『ちなみに研修のときの回答は、「ただ、Lさんが金槌持ってSかBの後頭部ぶっ叩いて気絶させて有り金と船パクって渡っちまったら万事すべて解決するだけの話じゃね?」と。研修担当の産業カウンセラーから「あなたはめちゃくちゃ反社会的で歪んでる。」と言われたけどね。アホらしくて付き合う気にもなれない。』
『そもそもさ、このくだりもかなり偏見が入ってるわけで。元々、その女性たちの意見を「感情論」と片付ける発想と、「金出せばやらせてくれるからいーじゃねーか」というのを論理と考える発想ってさ。それこそ以前炎上した原因そのまんまの話なわけで』
価値観を問題にするのであれば一つの結論を出せるはずがないので、ディスカッションの意味がよくわからない、という批判。
卿のtwitterでの発言に対し批判に対し傍観者になるべきでないと批判。
(後に卿は該当の発言は仕事に対するものだったと弁明。)
id:takerunba これだけブコメがついて、誰一人、個人的な仕事についての発言という可能性を考えない件について。何でもかんでもブログのことについて発言してると思ったら大間違いあるよ。
このテーマでGDをセットした企業を『題材提示の時点で既に性差別が存在している』として批判。
『もし欧米の企業で同じ研修が行われたら、担当責任者の首が飛ぶ問題になりかねません』日本企業の性差別へのデリカシーのなさ等を批判。
「無人島」は「「川を渡る女」の『「性的な局面においてその人の大事にするものがわかる」という認識に基づく改変です』と指摘。
『その発想が新入社員研修において持ち出されることがセクシャルハラスメントでないなら、セクシャルハラスメントという概念が何であるかさっぱりわからない。』と批判
『そう。この設問は、それそのものが理不尽なんだろう。』としながら一連の流れが面白いという反応。
『この話では誰が悪いという結論はどうでもよくて、その過程の反応にこそ価値がある。』としている。
話の論点は『「答えの出ない理不尽な状況下に、個人とビジネスどちらを優先するか?」』にあるのではないかという考察。
GDの議題に対する個人的回答。
問題文を読み変え再設定することで上手く切り抜ける方法を提示。
その後、『こういった鬱展開に揺らがないためにはどうすればいいのか?』という問題に対し、独特の考え方が続く。
『そしてもちろん僕は僕自身の宗教を打ち立てる道を選んだ。大学一年の春のことである。』
『僕の宗教に神はなく、ただ僕と僕以外がいるのみである。世界に不幸があるのはつまるところ僕が世界を救わなかったからだ。』
twitterでのy_arimとのやり取り提示しながら卿の意図の推測と卿への批判。
『ビジネスの場、それも一企業の内部では、多くの場合で前提状況そのものを問うことは禁じられている。
いや、禁じられてなどいないかのようになってるけど、誰も歓迎はしない』として
この議題は差別的なジェンダー規範を内面化させものではないかのではないかとして批判。
『それにしてもid:takerunbaさんは少し叩かれすぎだと思います。』卿を条件付き擁護。
研修がアウトソーシングされそこで企業の日常業務では到底ありえないような行為が公然と行われるケースが多くあることを指摘。企業の研修が「聖域」となり、パワーハラスメントの場になってしまうケースが少なくないことを指摘。
卿は厄介な問題だという認識を欠いたまま首を突っ込んでしまったのかもしれないとコメント。
『あの課題の設定された目的(どの価値観を重視するかという話)とはかなり離れたところで、ふと哲学的な疑問が沸きました。選択の余地があるのと無いのと人間はどっちが幸せなんだろうという話。』
セクシュアリティにからまない別の設問を提示した上で、正答の無い問題を考えること自体は良いことなのではないか、という視点を提示。
※戦線が拡大しすぎてこれ以上追うのはむりぽ。
興味がある人は元エントリのはてブ>「このエントリを含むエントリ」で確認してください。現時点で32コある。
あとはキーワード無人島ではてブ検索とか。エントリについてるタグで飛ぶとか。
派生エントリにはトラバ売ってるけど元エントリにトラバ打ってないエントリも多い。
>id:Midas 面白そうなのでエントリ書いてここのブクマで告知してもらえればまとめに追記しますよ。
>id:matcho226 あまり考えてなかったので反省した。まとめエントリがほしかったけどなかったので書いてみた。
またしても「不快→通報→排除」シーケンスに入ったらしい。相変わらずというか、何というか。
今回「問題」の発端はとあるユーザーが政治関連の長文をPOSTしたことらしい。
このユーザーに関しては以前からしばしばハイク内で他ユーザーと衝突していたが、しばらくするとPOSTが止まっていたので都度収束していた。
しかしなぜか今回はそうはいかなかったらしい。
通報の名目は、戦争でケガ人をした人や亡くなった人の画像を貼っていることが規約に反する、みたいな感じらしいんだけど。
でもこれ、どの項目に該当するんだろう。
第6条(禁止事項)
2-3:倫理的に問題がある低俗、有害、下品な行為、他人に嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為。
2-4:迷惑行為、嫌がらせ行為、誹謗中傷行為、正当な権利なく他者に精神的被害・経済的被害を与える行為
考えられそうなのはこの辺だろうか。仮にそうだとしたら相当無理があるような・・・。
黙っていても結果はハイクで報告してくれそうなので(この通報の件もわざわざハイクで報告されてた)、これは取りあえず置いておく。
どうも政治的だったり社会的な内容が絡むと過剰反応を示す人が多いらしく、今回は件のユーザー(便宜上「I」とする)に絡んでいく人が割といた。
その絡み方は様々で、お決まりの「長文ポストは携帯の人が見にくいから控えたほうがいいですよ」みたいな割とソフトな感じのものから、「何がやりたいのかわかんねぇ」といったもの、少数ではあるけどエントリーに対する意見、議論のようなもの等々。
どのパターンを見ても何となく「不快感」が透けて見えて、ひどい場合にはそれの押しつけにしかなってないものがあったりして、事態は平行線を辿っていた。
見たところ(完全に私の私見だが)「ユーザーI」は頑固そうなイメージを受けるし、やや高圧的な部分も見受けられるので、不快感を持つ人がいるのも分からなくはない。
立場によっては「何も知りもしないクセに」と思ってる人がいるかもしれないのも分かる。
だからといって突っかかっていくのはどうなのかと思う。しかもその突っかかり方が中途半端。そして挙げ句に「通報」って。
ハイク村の「自警機能」は凄い。
一部騒いでる人たちは「あの人には何を言っても無駄」とか思ってるみたいだけど、別に「ユーザーI」は誰の話も聞かないとは言ってないんだよね。
信念のようなものを持ってるみたいだし、頑固そうではあるけど自分のエントリーに対して批判も意見も受けるとは言っている。
でも何も変えないのは、あの人を納得させる「ちゃんとした」批判も意見もないから。
取りあえず「不快感」を投げつけるだけのものは論外だろう。「暗黙のルール」を持ち出すのも意味がない。
それなりに理にかなった意見じゃないとダメなんじゃないかしら。と、書くと「上から目線だ」なんて思うかも知れないけど、人に意見する上で当たり前のことじゃないのかな。
日頃、どっかから「わがままな親がどうの」なんてニュース拾ってきて難癖付けたりする割に、それと変わらないことをしていたりするから不思議。
そういえば日常生活ではどうしてるんだろう?同じような「不快感」のぶつけ方してるんだろうか。やっぱり不思議。
単独の意見として「自分のことは棚の上に上げておいて」というスタンスはありがちだし自己完結してる分には構わないと思うけど、誰かに意見する更には何かを変えさせるとなれば、それじゃ通用しないでしょ。
その点にほとんど誰も気づいていない。もしかしたら気づいてるのかも知れないし私が見逃してるだけかもしれないけど、それに類する書き込みは未だ見かけていない。
「そんなことやってられっかよ」って思う人もいるかもしれない。そう思うんだったら「スルー力」とやらを発揮して無視してもらうしかないだろうね。
「だって長文は携帯ユーザーに迷惑」っていうのもダメだろうね。ハイクの機能として可能となっていて、規約等に禁止が明記されていない限りは禁止事項じゃない。
「たまたま」多くの人がそれに納得して気を遣っているだけで、本人が納得しない限り、いちユーザーが強制できることじゃない。不服ならアイデアでもなんでも出すしかない。一応そういう「ルール」になってるみたいだし。
もう少し気になることあったけど、ちょっと長くなってきたから今日はここまでにしておこう。
・低俗なものが目立つようになってきた。
・昔はマシだったが、今作ってるやつらが低俗になった(ので低俗と感じる)。
とりあえずこんな感じだとおもた。
なんか「最近のテレビは低俗過ぎて見る気にもならん」的なことを言っているのを時々見かけるが、テレビが低俗じゃなかった事なんて、地上波放送が始まってから今までの歴史の中で一度でもあったか?
少なくとも自分が意識してテレビを見てきたこの25年ぐらいの間、ただの一度だって低俗でなかったことなんて無い。
中には高尚っぽいのもあったが、それは今だってある。しかし基本は低俗だった。今も昔も変わらずくだらない。変わったなんて思ったことは一度も無い。
果たして「最近のテレビが」と言う人は、一体いつと比べているのだろうか?
もっとも本質は、年配の人が若い人に「最近の若いモンは」と言う例のあれと同じことだろうけどね。
そもそもそれ以前に、無料放送に高尚さなんて求めるなよ。
「だったら今からみんながマスコミに就職なり、制作会社に入るなりしてよくしていけばいい話じゃない?」といいつつ、「本当のマスコミとも言うべき、良心的な人たちの食い扶持を減らしている」というのはギャグとしか思えない。
良心的な人がいるのに腐った体質になってる業界に良心的な志を持った部外者が今からマスコミに転職して改善できると思うんだろうか?本当は良心的な人なんかごく一部で大半が腐ってるから業界全体としても腐ってるんじゃないかと突っ込みたくなる。
なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
夜な夜な皆さんがネットで吹き上がってても、「マスゴミ」的な人は赤坂とか西
麻布の個室でエロい飯食ってます。
こうやって上に責任転嫁するのは良心的な行動でも馬鹿正直でもなくまさにこれこそが批判されるべき責任逃れだと断言する。マスコミの経営陣は個別の番組や記事をいちいち全部チェックできるわけもない。形式上問題があれば上が責任を取るのが組織だけど、問題点を実際に改善する力予防する力があるのは現場の人間。ますごみの報道の名目上の責任はエロい飯食ってる偉いさん達にあるが、実質的な責任は自分が「マスゴミ」であるという自覚がないあなたのようなタイプの自称真面目な弱者君達。
弱者とか真面目とかを隠れ蓑にして自覚もなく悪事を働くのがまさにマスゴミというにふさわしい批判されるべき行為なんだよ。
医療ミスとか耐震偽装とか派遣をマスゴミが批判して多くの医療関係者や建築業者や派遣労働者を窮地に追いやったのは別に悪意があったわけではなく、まさに正義感ぶって弱者を守れと真面目にやった結果だろう。良心にもとづいて真面目にやってるから良い結果につながるというばかげた思いこみは捨てろといいたい。そういう自称正義派ジャーナリズムに比べたら低俗バラエティのほうがはるかにマシ。新聞は報道をやめてテレビ欄天気予報広告だけ載せとけ。テレビはニュースやめてドラマやお笑いやクイズ番組だけで良い。
ひとつは、骨が黒いとか痛んだとか言われたことで、まるで自分達の看病が悪かったと責められた気分になったんじゃない?
そういう問題じゃないと思う。
「ほらほら、骨が黒くなってる。あっちも、あっちも。黒いところが病気のところなんだよね。」「こりゃあ、痛んだろう。」「辛かったろうね。」「○○ちゃん、あの黒いとこが病んでるとこ。」
これとか、もうなんていうか死者を弔いに来てるんじゃなくて、野次馬根性としか思えん台詞。この人たち、死者をダシにして、盛り上がってんだよな。悲しむとかじゃなく。
本当に悲しんでる側からすりゃ、そら、死者をネタにして盛り上がってんじゃねーよ、勝手にダシにしてんな、胸糞悪いなと思うだろ。
死者をネタにして悲劇性のドラマ仕立て上げてそれをキャッキャと楽しんでるだけ。本人らが気付いてるかどうかは知らんが。何か犯罪が起きた時、街頭インタビューすると、オバハンやオッサンが適当なこと言ってるだろ?あれと同じ。ワイドショー見て盛り上がってるのと同じ。火事が起きたら「あらやーね、あらやーね、ひどいわね、まああれみて、すごい火よ」って言いながら消防署員の邪魔しつつめっちゃ見てるようなメンタリティ。
人として下品極まりない。
低俗とはまさにこのこと。
【要旨】
梅田望夫さんが水村美苗『日本語が亡びるとき』の紹介をしていた。ブックマーク数は多いのだが、梅田さんの紹介にやや舌足らずな点もあるからか、反応もいまひとつのような気がする。ただ、わたしも水村さんの論を読んで非常に感銘を受けたことはたしかなので、まずは、水村さんの議論の骨子を紹介してみることにした。ただし、わたしが読んだのは新潮9月号で発表されたものであり、ここで紹介することも本の第1章から3章までの議論にとどまる、という点をご海容頂きたい。
ここで紹介したのは水村さんの問題意識であり、この問題に対して水村さんがどのように思考を進めていくか、というメインの部分については実際に「新潮」9月号や本をごらんいただきたいと思います(この一文追記)。
(追記2)梅田さんがこの本をどう見ているかについては、すでに8月時点でこの本の前身の論稿に触れられたエセーがすでにあるのでこれもご覧になるとよいかと思います。以下の記事のブックマーク数があまり多くなかったので補足しておきます。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080823/trd0808230354002-n1.htm
【本文】(本文途中からお名前を「望田」さんと誤っている箇所があったので修正いたします。大変失礼いたしました。また指摘してくださった方に感謝いたします。)
水村美苗の新刊『日本語が亡びるとき』が梅田望夫さんのブログで紹介されていた
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
コメント欄やブックマークでのコメント欄では芳しい反応は少ないようで、梅田さんの議論とかみ合っていないし、梅田さんの高揚の理由がわからずポカンしているように見える。
これはおそらく、水村美苗および梅田望夫の問題意識がちゃんと理解されていないからではないかと思う(その点で梅田さんの紹介が不十分ということはあるかと思う)。とはいっても、本書が梅田さんの心に響いた理由をわたしは想像できるし、わたし自身も「新潮」9月号を読んでおもしろいと感じた。なので、以下で水村さんの議論を紹介したい。
水村さんの議論、および望田梅田さんがインスパイアされた問題意識というのは、たとえば、英語公用語化論のようなレベルでの「日本語の危機」というようなものではない。すなわち、日本の「国語」としての日本語と、英米の「国語」としての英語とのパワーバランス等が問題とされているわけではないのだ。「国語 vs 国語」という問題、ではないのだ。
そうではなくて、水村の議論はこうである。
水村の分け方によれば、言語には「普遍語―国語―現地語」の3レベルがある。
中世では「普遍語」としてのラテン語および「現地語」(のちにフランス語やドイツ語になる言語)しか存在していなかった。
近代国民国家の時代になると、(学術的な成果等の)「普遍的なこと」を語る言語として、「普遍語」の他に、「国語」(もと現地語)が登場した。この意味で「普遍語」の役割を果たす「国語」が複数あるというのが20世紀半ばまでの状況であった。
しかし状況は変わった。世紀末から21世紀初めをみると、もともとは数ある「国語」の内の1つにすぎなかった英語が「普遍語」なろうとしている。それに伴い他の「国語」は「普遍語」の座を降ろされようとしている(例としてフランス語の衰退が挙げられる)、と言うのが水村の議論の骨子だ。
そういうことであるから、日本語が「現地語」として滅びるといっているのではなくて、普遍的なことを語る役割を担わされてきた近代国民国家の「国語」が、英語が新たな「普遍語」となることによって、変質をこうむる、という見通しを水村は述べているのである。
以上が水村さんの議論の紹介。
このことからわかるように、望田梅田さんがこの本を読んで感動したというのは非常によくわかる気がする(追記;小飼弾さんが興奮するのもよくわかる気がするhttp://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html)。望田梅田さん自身をどのように考えているかは知らないが、わたしがこの本を読んで思ったのは、
日本という「現地」に帰属しつつ他方で「普遍的なもの」とつながっているという点では「外国人」のような存在、すなわち、「在地の普遍人」というでもいうべきメンタリティーを有している人間にとっては、今回の水村さんの本を読んで刺激を受けるのだろうな、ということだ。
英語と日本語を日常的に使用していることを前提に書評が進められている感じがする。日常的に日本語のみしか使ってない人にとっては「心の叫び」は届かないのでは
という反応などが、もうひとつの、ある意味で正しい反応だといえるのではないだろうか。
これも参照。http://anond.hatelabo.jp/20081111185728
【★追記。以上の議論から、文学においてはどんな問題が生ずるか。水村さんの見方はこうだったと思う。
近代においては、国語=国民=国民文学という等式が存在し得た。国語は普遍的な内容を記述できる言語であり、国民文学は普遍的な内容を論ずることができるものであった。もっというと、
ローカル(現地)なことがらを普遍的なレベルでとりあげ記述することを可能にしたのが
であった。
しかし、「国語」が「普遍語」としての地位から陥落しつつある21世紀初の状況を見ると、今後そのようなことは可能であろうか。
これが水村さんの問題意識である。
このような問題は翻訳論において繰り返し語られていて、水村さんもこれに言及している。】
【★さらに追記:
「別に日本語が『現地語』になるとして何か問題でも?」という反応に対して、水村さんの議論からはどのような応答があり得るだろうか、考えてみる。
「現地語」のみを読み「現地語」のみで語る、他のものには触れないし読まない。そうなると、文学が、そして、それによって表現される知性が、衰退する、という反応が出てくるのではないか。
文学とは異なるが、このことの理解を助けるために、テレビ番組を例に挙げてみよう(わたしはテレビをじっくり見る習慣を持たなくなったので、これから書くテレビ番組の状況は、幸いなことに、誤っているかもしれませんが)。
テレビ番組が低俗化していく、という説が挙げる例の一つに次のものがあるだろう。お笑い芸人をテレビに出してそのトークで番組を構成する、そのトークの中身は(試聴者もそれを知っていることは前提とされているものの)芸人同士の内輪のからみや楽屋ネタのようなものであり、ネタとして完成された作品であることは少ない。
このような内輪のみに意識が向けられ、内輪のもののみに言及し、その範囲での閉じた連環が固定される。
テレビの現状が本当にこのようなものであるかは知らないが、仮に、このような番組しか放送されていない世界になれば、テレビというメディアは衰退するという主張が現れておかしくはない。
日本語が、「普遍語」の役割を果たしうる「国語」であることをやめ「現地語」になってしまう、という水村さんらが表明される危機意識というのは、このようなものとして理解することができるのではないだろうか。
水村さんのインタビュー記事を読むと、
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm
「中途半端な国民総バイリンガル化を求めるより、少数精鋭の二重言語者を育て、翻訳出版の伝統を維持する。作文を書かせるより、古典をたっぷり読ませる教育を積む。それが日本語の生命を保つ現実的な方策。
ここで「少数精鋭」でもよいので「翻訳出版の伝統を維持する」ことが主張されているのは、上で述べたように、外に目を向けなくなることにより日本語および日本社会がローカルなレベルへと自壊していくのを防がなければという問題意識を背景とした主張だと、わたしは理解した。】
既に国民はテレビをはじめとする「マスコミ」を見放しはじめてる
みんながテレビを「上手に使」わないのも
「テレビなんて潰れていいよ」という大きな意志の現われで
「テレビ叩き」もその一貫
だから
一番間違えているのは
そういう現状に気づきもせず
「元増田」
ということでオッケイ。
…だと思うよ、オレも。
どうしても「少しはマシなんじゃないか?」という期待が抜けない。
しかしなんとかしてもう期待するのは止めようと思う。
すまんかったね。
とd:id:hokusyuがここのブコメで書いていたわけだが。
http://b.hatena.ne.jp/hokusyu/20081101#bookmark-10639649
まー厨二病患者ってのはどこでもバカの割に口が減らないもんで、「大阪城を建てたのは秀吉ではなく大工だ」みたいな屁理屈をいうわけだ。
しかしd:id:chnpkが、ここで
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081101/1225541142
hokusyuさんはただのサヨク。←昨日からピーピー騒いでたのはこれが言いたかった。
と言っているのは、異議を唱えたい。「ただのサヨク」とか言わないでくれ。本当の左翼が可哀想だから。
hokusyuはサバイブのプロフィール画像でもグラムシの画像を使っているが、グラムシという人は、決して、
こんな思考停止は言わん人だから。人生の多くを獄中で過ごしたので、自分で実践ができなかったという事情はあっても、自明だなんだと「自分が楽してサヨクぶれる小理屈」を捏ねるのとは対極の人だから。本当に、一緒にしたらグラムシに対する侮辱以外の何者でもないから、「ただのサヨク」という言い方は止めてやって下さい。
はてサというのは、ブクマで集団リンチする快を貪っていた低俗な、ファッション似非左翼、シャンパン体制批判派だから。こんなのに比べればまだd:id:inumashのほうがまともに見えるくらいだから。
消える前に複雑な家庭の事情をいろいろ聞かされてたけど、こっちが告白してガツガツしたので、それも連絡が取れなくなった原因の一つだとは思う。
家庭の事情に絡めて、僕を避けるための十分な理由ができて、お終いかなと思って携帯のアドレス帳から削除したけど、
僕の携帯はメールの送信済みフォルダ以外に送信履歴が残るので、家庭の事情も心配だったので(自分が振られたことは都合良く忘れて)数ヶ月に一度メールを送信していた。
彼女の事は忘れかけてたある日、送信履歴を整理してたら彼女のメールアドレスを見つけた。
どうせ連絡は取れないと思い、最後のメールを送信したら返信が来てびっくりした。
電話番号も消してしまってたので、どさくさに紛れて電話して欲しいとお願いしたら、電話が掛かってきた。
そんなこんなで、先日2人でご飯を食べて外をウロウロしてきた。
カフェでお茶してたら、テーブルの下で彼女の足がコツンと当たったので、どさくさに紛れて自分の両足で彼女の片足を挟んだまま話を続けた。
テーブルの足と間違えてない?って言われたけどニコニコしながらごまかした。
彼女は今の仕事がハードで、顔がむくんで二重まぶたが一重になって、肌が荒れて、
おまけに寝坊して慌てて来たので、すっぴんに近く、女の子としては残念な事になってた。
1年ぶりに会って[これは残念]と思ったけど、本当はそんなことはどうでも良くて、いろいろ大変だったみたいで、生きてるだけで本当に良かった。目の前に居るだけで十分。
店の外に出て、彼女に犬と僕に置き換えて、ご主人様から1年間お預けを食らった犬の気分だから、ご褒美に手ぐらいは繋がせてとお願いをして、駅まで手を繋ぎながら歩いた。
とても暖かくて、すごく気持ち良かった。ドラッグやって簡単に快楽得るよりも、頑張って稼いで通帳の残高が2桁増えるよりも気持ちいい。
夜は友達とネットで面倒くさい事に巻き込まれた年下の人と数人でご飯を食べて酒を飲んだ。
前日、仕事が忙しくて寝てなかったのと酒に弱いので、すぐにベロベロになった。
最近知り合った友達はいい人で、この日は本当に楽しかった。
酔っぱらって、こんなに楽しい日はそうそう無いって何度もブツブツつぶやいた。
誰にも言ってないけど、彼女と手を繋いで歩いてた時に、いい年した成人男子が気持ちよすぎてちんこが固くなった事と、
納期過ぎても終わらない仕事が山ほど残ってる事と、1ヶ月前に元カノに復縁を迫って断られたことは秘密だ。
夢の様な次の日は前日を思い出して死にたくなって、少し泣けてきた。
こんなダメ人間だから友達にスイーツ(笑)で低俗な人間だってバカにされることは十分に理解している。
とにかく幸せだったから、別に何と言われても平気。
http://anond.hatelabo.jp/20081013191436
http://www.hatena.ne.jp/rule/rule
ユーザーは、本サービスを利用するに際し、以下のような社会的に不適切な行為を行ってはなりません。
1. 犯罪予告、犯罪の指南等、犯罪を引き起こすおそれのある行為
2. 人種、民族、信条、性別、社会的身分、居住場所、身体的特徴、病歴、教育、財産及び収入等を根拠にする差別的表現行為
3. 倫理的に問題がある低俗、有害、下品な行為、他人に嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為。ポルノ、売春、風俗営業、これらに関連する内容の情報を開示する行為。
4. 迷惑行為、嫌がらせ行為、誹謗中傷行為、正当な権利なく他者に精神的被害・経済的被害を与える行為
5. 自分以外の個人や会社、団体を名乗ったり、権限なく特定の会社や団体の名称を使用したり、架空の個人や会社、団体を名乗ったり、事実がないにも関わらず他の人物や会社、団体と業務提携や協力関係があると偽ったりする行為
http://www.hatena.ne.jp/rule/rule
ユーザーは、本サービスを利用するに際し、以下のような社会的に不適切な行為を行ってはなりません。
1. 犯罪予告、犯罪の指南等、犯罪を引き起こすおそれのある行為
2. 人種、民族、信条、性別、社会的身分、居住場所、身体的特徴、病歴、教育、財産及び収入等を根拠にする差別的表現行為
3. 倫理的に問題がある低俗、有害、下品な行為、他人に嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為。ポルノ、売春、風俗営業、これらに関連する内容の情報を開示する行為。
4. 迷惑行為、嫌がらせ行為、誹謗中傷行為、正当な権利なく他者に精神的被害・経済的被害を与える行為
5. 自分以外の個人や会社、団体を名乗ったり、権限なく特定の会社や団体の名称を使用したり、架空の個人や会社、団体を名乗ったり、事実がないにも関わらず他の人物や会社、団体と業務提携や協力関係があると偽ったりする行為
自分もどこかでは他人に幻想をぶつけてきたのだろうし、自分と他人は違う人間だからそういうすれ違いが起きることは避けられない、お互い様だと
思える、流せる人が僕は本当にうらやましい。
「お互い様」と思えない自分はやはり自分のことしか考えてないんだな。
卑屈なる自分が自分の中でどんどんループしていく感じ。
みんなそうやって過去を捨てて生きているのか。
自分はそういうものが、こびりついて離れません。
違増田ですが横槍。
高校生の時って自意識の塊というか、自意識がすべてのコミュニケーション阻害要因になっているから、ひとりでため込んでしまって、モノにあたったり、人に冷たくしたりしちゃうんだよな。すんげぇわかる。
別に「他人に迷惑をかけて生きている」ことを流そうだとか、忘れようとしているワケではないと思う。ただパフォーマンスとしては「そんなん忘れちゃえ」とか言っておいたほうが、精神衛生上、友達とかに余計な心配されないってだけで、反省して次につなげていかないと成長しないんだよね。
ただ、大学生ぐらいで、パフォーマンスじゃなく、本当に自分のことをまったく反省しないヤツも沢山いる。そういうのって浅はかだよなーっと思うけども。
友達とは傷つけあってでも良いと思ってるんだ、俺は。そういう生き方しかできないし、それで嫌いに成られても、仕方ない。
だからもっとぶっちゃけて行ったら、楽になれるかも。