はてなキーワード: ワイパックスとは
大学のサークルのなんやかんやを起因とする適応障害と診断された。のが年末。
たぶんそんな重くは…ないのかな?
あとは二週間に一回の診察とカウンセリング。
先生に「だんだん元のあなたに戻ったのかな?」と言われて、元のあなたってなんやねん、厳密に元の私には戻らんだろうと思ったりなんだり。
出来るようになったことその1
・本が読めるようになった
2回目の診察でどうもご丁寧にADHD傾向の診断も頂いた。
確かに言われてみればADHDの症状に起因することで困ってるわ!どうしたらいいんですか?と先生に聞いたところ。
まあ専門書でも読め。本屋にごまんと売ってるから。とのお言葉を頂戴したので。
試しに心理学の本等々あわせて5冊ぐらい買ってみた。
そしたら読めた。読書が出来た。どえらい驚いた。革命が起きた…
それまでは教科書とか昔はめちゃくちゃ読んでた専門書とか、はたまたレジュメなんかが全く読めなかった。頭に入ってこない。画像だけ頭を駆け抜ける感じ。コントロール+Fを押して必要なとこだけ画像として認識してた。
あまりにびっくりして感動し、Kindleワンクリックで本をポチる野郎と化したのであった。
出来るようになったことその2
・お風呂にきちんと入れるようになった、スキンケアできるようになった
毎回お風呂までは三時間ぐらいかけてなんとか辿りついていた。幸い実家暮しなので風呂は沸いている。
ただ、湯船に入るばっかりで、シャンプーとか、身体洗うとか、そういうのをごまかしていた日のほうが多かった。ただひたすらにダルイ。出来ない日の方が多い。次の日どーしてもやむを得ず出掛ける予定があってもだ。
はい。ちゃんと出来るようになりました。ドライヤーもかけれるようになりました。お風呂上がりに化粧水つけたりなんだりできます。
思えばこれ診断受ける三ヶ月前ぐらいから徐々に酷くなってたような…
ていうかドライヤーで、髪の毛乾かしてから寝ると、風邪引かないんですね。すごい。
出来るようになったことその3
・昼間に居眠りしなくなった。
まあ疲れてたのもありますが、どこでも昼寝しなくなった。
ある時は眠すぎて学食で意識を失ってた。自分でもびっくりした。一回ならまだしも。ほぼ毎日だったし。
過眠?ぽいのは治まってきたなあと。
あとなんか1番悪い時期に過呼吸になり駅で倒れまして。それ以来ある種の記憶を想起させる出来事に遭遇すると、過呼吸になったり過呼吸未遂になったりしてたのですが、それもなくなった。動悸息切れぐらいで済んでる。
あとは…ほんとに頭のモヤがすっきり晴れました。半年ぐらい、1歩先も見えなかった。
人の言葉が聴けるんですね。今まで自分の言う事しか信用できなくて。謎の自分ルールにがんじがらめになってました。
そして何より死にたいって思わなくていい日って、こんなに生きやすいんですね。駅を歩いていて、ホームの端に引き寄せられることがないっていいですね。
周りの人、そりゃ毎日楽しそうにしてる訳ですわ。
ちなみに今後の課題は就活でぶりかえさないかどうかです。時期もあったり進路変更なんだかんだで就活めちゃくちゃ出遅れまし…た…
小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。
中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。
地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内の馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つのが関の山だった。
卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分で地元の市役所に無事入庁できたものの、仕事の説明どころか市長の挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場で雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。
研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務を遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。
休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日は食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。
通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。
社交不安障害だといわれ、ワイパックスをラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分の能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。
休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。
今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。
仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。
自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分で説明をする時にも、何を言いたかったか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問の意味が処理できず、そしてパニックになる。
コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。
某機関へとある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員の凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。
トップレベルの口語能力が欲しいとも言わない。仕事で必要な口語能力が欲しいのだ。
東京在住の30代男だがアルコール依存の治療開始から六ヶ月が経過し、一定の回復をしたのでその過程を記録してみたい。
γ-GTP 589→69 AST 84→31 ALT 106→68 TG 1015→178
まで回復した。
数字で言われても大多数の人はさっぱりわからないだろうから単純化すると入院レベルの人間がとりあえず正常な体になったと思ってもらえればいい。
さて多くの文章がそうであるように、大抵の人は最後まで読まないだろうから最初に自分なりのこの文章の結論を書いておくと
「アルコール依存から抜け出したいのなら自分の抱えた問題(アルコールに限らない)を率直に話す事ができる相性が良く優秀な精神科医を見つけ、よく話し合いながら治療を進めるといい。ただそれがあなたの人生を良くするかはわからない」という身も蓋もないものになる。できることなら「まだアルコールで消耗してるの?」「アル中は精神で克服できる」とか頭の沸いた自己啓発本でも出して一儲けしたい所ではあるが、残念ながら現実というやつは概ね散文的で面白みがない。
確かに肉体の調子は非常にいい。自分という存在からここまで充実感を感じ取れる日が来るとは思わなかった。
アルコール依存を抜けだした僕自身が未だに「抜けだしたのは良かった事だろうか?」と自問自答を続けている。だから他者に断酒を勧めたりはしない。この文はあくまでひとりのとあるアル中の回復記録として、参考程度に読んで頂ければ幸いです。
まずこの文章を書くにあたって自分がかかっていたアル中の定義をしておきたい。アル中は貧乏旅行なんかと一緒でγ-GTPの高さでマウンティングする人もいるし、wikiなんかでも色々と書かれているが、自分の場合は「アルコールによってQOLが下がっている」というシンプルなものにする。世間のアル中のイメージは吾妻ひでおのマンガのように連続飲酒をし、手が震え、幻覚をみたり暴れたりしている人のイメージが強い。
しかし自分はそれとは全く異なるタイプだったので自身がアル中であるという自覚すらなかった。仕事に普通に行き、帰宅するとビールの500ml缶を一日6~8缶淡々と飲み、翌日二日酔いで仕事へ行く、という事を繰り返していて入院レベルまでいった(似たような壊れ方をする小説の人物からとってユージーン型と呼んでいる)。世の中には様々な不幸な家庭があるようにアル中にも様々なタイプがある。
20代の半ばから不眠に伴う飲酒量の増加により、何件か精神科に通っていたが、自身の抱えた問題を率直に打ち明けられる医師に中々巡りあうことは出来なかった。
マッチョイストだのミソジニストだの差別主義者の豚野郎と言われればそのとおりなのだが、性格的にどうしても同年代の医師や、女性の医師に悩みを打ち明けられなかった。基本的に精神科医は患者の情報を当人の発言から得る部分が多いので、深刻な問題を抱えていても話せないとどんな名医でも対処が難しいのではないだろうか。
今回僕は精神科に通い始めてから八人目の精神科医の先生であたりを引いたわけだが、もし相性が悪いと思ったら拘泥せず別の医師を頼った方がいいのではないかと思う。
この先生は四十代半ばの男性で学校教師を経て精神科医になった異色の経歴の持ち主で、僕よりも遥かに精神的な地獄を抱えているが、持ち前の頭の良さでそんな自分にすら醒めているような超然とした空気をもった人で非常に問題を話しやすくてありがたかった。
■基本戦略
とりあえず入院は拒否し、通院で治療を選択。基本戦略は抗酒剤シアナミドの服用により飲酒の可能性自体を排除、アルコールに対する身体的な欲求は断酒補助剤レグテクトで抑える、いままでアルコールに頼って来た睡眠は睡眠導入剤で、アルコールでごまかして来た精神面の色々は精神科でぶちまけつつストレスを減らし、抗不安薬で抑えるというスタンスを取った。そしてこれらでどうしようもなくなった時は先生から勧められたレボトミンを飲んで長時間寝倒す「寝逃げ」を行っていた。これも自分の置かれた状況から選択したものなので、人によってはちゃっちゃと入院して治した方がいい場合もあると思う。
■登場薬品について
これも精神科医同様相性によって全く評価が変わるので自分に合っていたものを挙げるが、これらの評価は全て自分の体感だし、当然の事ながらそれが他の人の適解であるとは言えない。シアナミドにしてもアレルギーによって服用できない人はいるらしいし。とりあえず相性が悪いと思ったら我慢せず、状況を報告できるような関係を築けるような人を担当医として選ぶといいと思う。
本編の主役にして宿敵
一応は由緒正しい歴史を持つ薬でもある。精神、肉体両面に凶悪な依存症を持ちながらもコンビニ行けば変えてしまう恐ろしいドラッグ。歴史上の薬物による死の統計をとれたらヘロインコカインなんぞ足元にも及ばないぶっちぎりのトップになるだろうが、同時に文化的な面やコントロールできる人にとっては素晴らしく、評価が難しい方。政治家でいうならロバート・ムガベとかだろうか。自分は後述のゆれ戻しの時にアルコールが自分の肉体と精神を徐々に蝕む代償としてどれだけ精神深くの暗黒から目をそらさせてくれたかに気づかされたので愛憎半ばしている。
抗酒剤
簡単に言ってしまえば人を強制的に超下戸にする無味無臭の液体の薬。持続時間は人によって異なるが朝夕食時の一日二回の服用が基本。アルコールを飲むという選択肢自体をなくしてしまうので自分のような意思の弱い人間には非常にありがたい薬だった。僕の場合、仕事の後の飲酒欲求が強いので二度目の服用はまだ気力のある15時にしていた。懲罰効果によって飲酒を止める薬である以上、罰がどの程度の効果かわかりたかったので一度7時に服用した後、15時にビール1Lを入れてみた。効果は覿面で、悪寒、動悸が早くなる、湿疹、なにより全身の細胞が一斉に反逆を起こしたような気持ちの悪さで立ち上がる事すらできなくなり嘔吐をぶちまけた。寄生獣の後藤の最期の気分や喧嘩稼業で梶原さんに屍を入れられた工藤の気分を味わいたい人はやってみるといいかも。死んでも知らないけど。
脳に作用し、アルコール依存で高まっている神経活動を抑制することで「飲みたい」という飲酒欲求をおさえるお薬との事。初期は有り難みを感じなかったが、二ヶ月目くらいから地味に効果を自覚。なんだかんだで大変役に立ってくれていた。地味だけど。
影の主役。元々不眠からアルコール依存になった人間なので飲めば確実に眠れる安心感は何にも変え難かった。先述したように薬は人それぞれ相性があるが、以前の別の精神科で処方されていたマイスリーよりもこちらの方が朝、遥かに快適に目覚められた。
本来は向精神薬だが、睡眠導入剤の効き目を強くする効能もある。自分は、先述した「寝逃げ」用にサイレースと一緒に服用していた。その効果は絶大で昼に飲んでも落ちるように眠り、翌朝まで目を覚まさなかった。ただし朝のダルさと眠気が非常につらく、飲酒欲求が高まりすぎた時や、ネガティブな精神状態に呑まれそうなとき、そして翌日が休日である時意外はなるべく服用しないようにした。
・ホリゾン
一番軽度の抗不安薬。事務作業などに与える影響はほぼなし。自分はボクシングのジャブのように「とりあえずホリゾン」な感じの基本として使っていた。メタルギアソリットで狙撃時の手の震えを抑える為に出てきたアイテムのジアザパムでもある。
やや強めのお薬。事務作業においては能率が約20%低下する印象。
かなり強めのお薬。事務作業の能率に関しては50%以上低下する印象なので特に精神的につらい時、仕事終了後に服用していた。
■治療記録
最初に断酒補助剤のレグテクトによる治療を試みるも、精神依存が酷かった為にあまり効果が感じられず失敗。一週間目でシアナミドを処方してもらう。使用開始から三日間は常に頭の中身を酒が占めているような状態だったが、「飲む」という選択肢自体がなくなっている為に飲まずにいられた。ちなみに肉体的なアルコールへの依存は断酒から三日目で、精神的な依存は約三週間である程度消えた。この時期は全ての気力を「酒を飲まない」につぎ込んでいたので基本食事は外食、もし家で食事する時は洗う手間を省く為に使い捨ての紙皿を使うなどして乗り切った。バランスのとれた食生活なんてする気力も残っていなかったがとりあえず楽に摂取できるリンゴやキウイなんかは食べるようにしていた、
・第二期(一ヶ月目~二ヶ月目)
断酒の継続により心身ともに調子が良くなり、ハイになる。この時期は今思い返すと穴に入りたい気持ちになるが、友人に酒のない生活の素晴らしさをドヤ顔で語りウザがられていた。定期的な飲酒欲求はあったもののレグテクトと気力で無事やり過ごすことができた。代わりといってはなんだが、甘いものに対する渇望が極めて強くなり、体重はそれなりに増加した。
・第三期(二ヶ月目~三ヶ月目)
NHKの集金のように頼まれもしないのにある日唐突に今までとは比較にならない負の感情が襲ってきた。ハイになっていた揺れ戻しと精神にかかっていた霧のようなものが晴れた事で自分のアル中になった根本の原因である「家族への憎悪」がどれだけ強烈だったを自覚する。全て投げ出してアル中に戻ってしまいたい誘惑に何度も飲み込まれかけた。もし家族ブチ殺しても罪にならない世界だったら本当に殺しかねなかったと思う。この時期はいままで週1ペースだった通院が最大で週3になり、薬の量も増え、診療時間中ずっと先生に対して家族への憎しみをぶちまけ続けていた。王様の耳はロバの耳ではないが、この時期の先生のサポートがなければアル中に戻るか、ムショ行きにでもなっていたかもしれない。アル中からの回復は三ヶ月がひとつの山らしいが、とにかくこの時期は本当につらかった。
・第四期(三ヶ月目~四ヶ月目)
揺れ戻しが終わったのか精神面の憎悪は小康状態に落ち着きある程度楽になるが今度は代わりに虚無感が強くなり、「なんで自分はさっさと対策をとらずこんなに人生を無駄使いをしていたのか」といった大量の「たられば」 に捕らわれることが多くなり、第三期ほどではないが飲酒欲求が高まるときは多かった。通院はほぼ週一に戻ったが、今度は先生に対して「たられば」の話ばかりしていた記憶がある。ただ小旅行をする気力くらいは戻ったので休日は鎌倉に行って観光するでもなくひたすら海を眺めていたりした。
・第五期(四ヶ月目~六ヶ月目)
「たられば」状態が少し落ち着いてきて気力もある程度戻った事もあり、これまでは考えもしなかったペットを飼うという選択肢を思いつく。僕個人に関してはこの選択はとても正解で、無聊が大分慰められ、大いに助けてもらった。自分のような一人で夜を過ごす時間をもてあますタイプには犬や猫、小動物でも爬虫類でもなんでもいいが、余計な事を考える時間を減らせる存在は大事なのかも知れない。そして大分生活も落ち着くようになった。家族への憎悪も「できるなら殺してやりたい」から夜寝る前に朝起きたら携帯に警察から「あなたのご家族がみんな死にました」という連絡が入ってくれますようにと願う程度には整理された。体調に関しては非常に良く、生活も充実している。時折強烈な負の感情が出てきているがなんとかやり過ごしつつ今にいたる。
■まとめ
アル中を回復して以来、めんどうくせえ事に友人知人に「アル中の事ならあいつに聞くといいよ」な感じで広められ、たいした面識もない人から相談を受けるようになったが、正直言ってこちらに言える事なんぞ冒頭に書いた「アルコール依存から抜け出したいのなら自分の抱えた問題(アルコールに限らない)を率直に話す事ができる相性が良く優秀な精神科医を見つけ、よく話し合いながら治療を進めるといい。ただそれがあなたの人生を良くするかはわからない」 という結論くらいしかない。世の中には「アルコールに逃げるのなんで心が弱い証拠、他人のせいにせず自分の人生を見つめなおし、責任は自分自身で追うべき」なこの糞馬鹿はよほどおめでたい人生を生きてきたんだろうなと思わせてくれる発言をかましてくれる人もいるが、もし自分の人生に率直に向き合ったら他殺や自殺に行く人間なんざざらにいると思し、その人の人生に責任を負うことも自分にはできないので積極的にお勧めはしない。自分に関しても肉体は問題なく健康になったが、精神面に関しては断酒前には起きることがなかった唐突に強烈な憎悪がとまらなくなるという事態が未だにある。ただ、自分が家族に全く愛情を感じた事がなく、憎悪しか持っていなかったという事に気づけたのは自尊感情の回復に非常に役にたってくれたし、これからの自分の人生にとって何よりの収穫であったとは思う。とりあえず、アル中から回復したいと考える人々がいい医師に出会え、回復して楽しく人生を送れるようになってくれるよう元アル中の一人として願っています。長文にお付き合いありがとうございました。
■おまけ
読んだ本
「禁煙メソッド」でも有名なアレン・カーによる著作。もの凄く端折ると「酒は凶悪なドラッグなのだから自己管理するなんて無理。味が美味しいと思うのも広告会社の宣伝やら依存症状によりそう思っているだけ。断酒の禁断症状なんて少し耐えれば治ります。さっさとやめましょう」というある種の極論。周りにもこれを読んですっぱり酒を断ち切った人がいたが、その人は肉体的な依存はあっても精神面には深刻なトラブルを抱えていない、というかむしろ鋼鉄のメンタルを持った人だったので、そういう人には役に立つ本かもしれない。ただ精神面に問題がある自分のような人間にとって、医師に頼らずこれ読んで一人の力でで禁酒しようとすると、第三期の時のような強烈な揺れ戻しの時にいささかならずやばいことになるのではないかと思う。
起きたらもう始業時間だった。
営業だから多少融通は効くけど、連絡なしで遅刻はさすがにまずい。
ごめんなさい。
上司も先輩たちも優しいけど、原因分からないけど体調不良でって言ってたら、
「私が悪いの?!会社が嫌なの?!」って言われたけど、私はその上司が好きだし会社も楽しいのに。
先日内科でだけど、メイラックスとルボックスとワイパックスを処方されて、弱いって聞いたけど普段薬飲まず効きやすいのかすごく眠くなってしまう。
生命保険のことがあるから、精神科とか心療内科に通えない。通えないから、なんでこんななのか分からない。
ぼーっとして、何もしたくない。文字を読んでないと不安だから、まとめとか小説とかまんがを読むけど楽しくない。前は楽しかったゲームも面白くない。胃がむかつく。たまに動悸がある。循環器科では何もなし。横になったものを縦に直せない。きちんとできない罪悪感でいっぱい。
ただの怠け者なんだろうか?
うつっぽいけど、過食過眠気味。
まるで豚みたいだな、と思う。
恥ずかしくて死んでしまいたい。
主に出された順。
ジェイゾロフト→診断された時から最近まで一番長いこと飲んでいたが2年ほど経っても効果はわかんない。副作用なのか吐き気がとにかくひどかった。
リーゼ→頓服で出た。やはり効果はわからないので止めてもらったけど、これもある意味副作用なのか、なぜか肩こりが軽くなったのでしばらく処方してもらっていた。
レキソタン→転院前のクリニックで処方受けたらしい。ごく一時期だったので飲んだことすら覚えてない。お薬手帳に書いてあった日付によると、たしか親友の結婚式当日にもかかわらずどうしても気力が出ずに(祝儀や着替えの準備とかができない)「今日一日だけでもなんとかしたい」と医師に泣きついた記憶だけは鮮明にある。
ワイパックス→頓服で出た。これがなんかいちばん効果がある気がする。飲むと気が楽。
レンドルミン→海外長期出張前に時差ぼけ対策でもらったが、やはり効果は不明。トレドミンとこれを間違えて服用してしまったりするので個人的にはややこしい。
http://anond.hatelabo.jp/20081208010900
こういう状態だった↑のが、事態を重く見た同居人が私の母に連絡したので実家に引き戻され、
かかりつけとは別の心療内科にひきずっていかれて薬を処方されて、
http://anond.hatelabo.jp/20081211050010
実家(気を張らずにはいられない!)でこう↑なって
実家と自宅をいったりきたりの生活をはじめて
http://anond.hatelabo.jp/20081226133429
http://anond.hatelabo.jp/20081226151421
このくらい↑まで落ち着いて
http://anond.hatelabo.jp/20081230193358
こんだけ↑元気になった。
まだ一日に二、三回くらいは「死にてえ」っつって呟いちゃうけれど、私は生きている。
一番最初のエントリのブクマコメで心配してくれた人、ありがとう。ほんとにありがとう、って今ならちゃんと思える。
まだ一人で買い物が出来たりはしないのだが、でも私は元気だ。
いろいろ気をつけながらなら、ゆっくりだけど家事もこなせるし、外に出る時はちゃんと薄化粧もする。
ちなみに現在処方されてる薬の量は
朝晩の食後
アモキサン25mg 1錠
ワイパックス0.5mg 1錠
ルボックス25mg 1錠
寝る前
ルボックス25mg 1錠
デジレル25mg 1錠
レンデム0.25mg 1錠
ロヒプノール2mg 1錠
なんかいっぱいあるなあ、と毎日思いながら錠剤を飲込んでいる。
そういえば以前のかかりつけでワイパックスが処方されなくなったあたりから、私は調子を崩したな、と今なら冷静に分析出来る。ワイパックス万歳。
ロヒプノールは、すごい。すごい早さで寝付ける。眠りも深い。効く時間が短いので4、5時間しか睡眠はとれないけれど、でもだからこそ夜に眠くなる。
ちゃんと夜寝て朝起きる生活ができるのがこんなに気分がいいなんて知らなかった。ロヒプノール万歳。
ちなみに成分の名前だけで言えば、デジレルが好きだ。「塩酸トラゾドン」って「輝くトラペゾヘドロン」とかを連想させて楽しい気分になりませんか?