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はてなキーワード: スマートとは

2009-08-08

「スケベはモテない」って聞いてたんだけど

「スケベはモテない」って聞いてきたんだ、何度も。

聞いたっていうか、主に漫画とかアニメとかフィクションでよく見たのかもな。

学園漫画でさ、池沼寸前みたいな漫画特有アクティブスケベ男が「○○って最低!」とか言われてて。

ムッツリスケベ男も何かでスケベ性がばれてやっぱり「○○キモ!」と言われてて。

とにかく、スケベなのはモテないし格好悪いし人間としてダメだなあって学習した。

それで思春期からいつしか、スケベ性や性欲を完全に隠蔽するようになった。

我ながらよく出来た、息をするような自然な隠蔽。

たまーに下ネタ的なこと言ってもむしろ「そういうことも言えるんだ!?」みたいな扱い。

振る舞いって言うのは習慣にすると負担無く出来るようになる。

あと、そういう作った人格がちょっと本当に癒着して貼り付いてくる。

具体的に言うと、家ではオナニーしてても一歩外に出るとそういう欲望が全然無くなるっていうか。

一人で居るとエロ妄想とか出来るんだけど人と一緒に居るとピタッと収まる。

大学に入る頃にはもう訓練された武道のように完成していて、

所蔵エログッズの話になっても「○○君は逆に持ってたら見直す」と女の子に言われたりする。

むしろそういうこと言われるとこっちが驚いて、

「え?普通エロ本持ってるのにな、なんでこんなこと言われてるんだろう」

「あ、そうかそういう振る舞いをしてるんだったっけ」

と思い出すような感じ。勿論そこで「エロ本持ってるよ」と正直に言ったりはしない。

でもちょっと不思議に思って、

殊更「ボクは女の子に興味ないノデ!」みたいなアピールをした覚えは無いし、普通に溶け込んでるつもりだし、

自己イメージとしては「ガツガツした性欲のない男」ぐらいを意識していた筈だし

「変わった男」ではなく「みっともなくない男」が目標だった筈だし。

何故ちょっと仲良い女の子に不能者みたいなイメージで定着してるんだろう?ふしぎ!ってようやく気付いて。

折を見てちょくちょくと聞くようにしたら驚きの答えが返ってきた。

女の子普通に話をしてるだけでも男の性欲とか感じることがあるんだって。

会話の間とか視線とか。(ホンマかいな?) 男がマナーとして隠してても。

でも俺からそういうのを感じたことが一度も無いんだって。だからホモか不能だって。

あと、二人でご飯食べに行ったことある子が「あれは不能」的な話をしてたらしい。

ちょっといいご飯を奢りで食べに行って楽しく話をして帰りになんか服をつままれたりした以上の思い出がないのに。

つまり結論として何が言いたいかって言うと

性欲を見せないようにしてたらモテたり一目置かれたりするどころか

変な奴として勇名を馳せてただけだったよって言う。

あとこれやってる限り対人的な性欲や感度が0になるので

生身の女性と付き合ったりとか一生ないなって。

でも、息をするようにやってたから自分仮面被ってることも忘れるし、癒着してて取れないし。

なにより、今更性欲オープンにしようとしても出来ない自分に気が付いた。

スマートなやり方が側から無いし、なんか軽蔑されるのとかすごく怖いし。

そういうストレスに比べたら、このキャラのままずっと童貞でいいかみたいな。

2009-08-03

大人になったしまじろう

【この話はフィクションですし、実在の団体を想起したとしても、それは気のせいです】

ある日、しまじろうは、「やせいのおうこく」という絵本図書館で借りた。

すると、そこには・・・

アフリカサバンナで、獲物を冷酷に狩って、

一撃で殺して貪り食う、孤高なトラの姿があった。

「・・・・」

しまじろうは、あまりのショックでしばらく呆然としていた。

「僕のおとうさんは、郵便局で働いているフリをしているが、

 本当は、シマウマとかを狙って殺しているんだ・・・」

「僕も大きくなったら、みみりんや、とりっぴーを、

 むしゃむしゃ食べるようになるんだ・・・」

数年後。

「やせいのおうこく」のトラウマも忘れかけたころ、

しまじろうはお父さんに呼ばれた。

しまじろう

 いいか、お前がゴハンを食べられるのは、

 お父さんが一生懸命働いているからだ。

 もうお前も12歳、来年から中学生だ。

 だから、大人の仕事というものを見せてやる。」

しまじろうは恐る恐る尋ねた。

「やはり・・・お父さんは、本当は郵便局で働いているんじゃなくて、

 毎日シマウマを襲っているの・・・?」

 

しまじろうのお父さんは、呆れたように言った。

「なにを言っているんだ・・・

 僕たちにそのような残酷なことさせること、●武書店が認めるわけないだろう。

 もっと、スマートサイドビジネスをやっているんだよ。

 僕が郵便局員だ、ってことも利用してね。」

「・・・サイドビジネス!?

 一体、お父さんって何者なの・・・?」

「これを見なさい。」

しまじろうが見たモノは、一見すると「名簿」のようだった。

しかも見たところ、生年月日が皆「平成」である。

「こ、これは・・・」

「まだわからないのかい?

 ●武書店に頼まれて、住民基本台帳から、「お友達」になる子供たちの

 住所氏名名簿を閲覧しているんだよ。」

「しかし、確か住民基本台帳って、少女レイプ事件をきっかけに、閲覧禁止になったんじゃあ・・・」

「そうさ。それで苦労しているんだ。因みにその名簿は、閲覧禁止になる前に手に入れたものさ。

 閲覧禁止後は、いろいろと知恵を働かせなければ、名簿が手に入らない。

 だから「大人の仕事」なんだよ。

 たとえば産婦人科の付け届けして、新生児の名簿を手に入れたりとか。

 ・・・・だから、郵便局員である僕の立場が必要になるって訳さ。」

2009-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20090718154905

滑稽に見られていた方がちょうど良いだろ。

まだまだスマート仕事をこなすなんてレベルにはほど遠いから、頑張ってるけれど滑稽な新人キャラでやってるよ。

2009-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20090712222824

じつは正直、思う。そういう方面じゃなくても、ちょっとしたレディーファースト程度でも、妙にスマートだと

(前の彼女にもこんなことしてたんだろーな・・・)と思ったりする。で、素直に喜べない。

2009-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20090630104948

べきかどうかはともかく、単なる習慣だし、自己満足で大いに結構だと思う。わたしたちのやっている「べき」の多くは、慣習でしかないけれど、そういう慣習を自己享楽することには意義がある。

そういうものが「合理性」の観点から全部ゴミ箱に放り込まれてしまったら、暇で暇で仕方ないだろう。

「恋の仕方がわからない」というような悩みも、そうしたところからきているのではないか。

恋なんて、ただの約束事の繰り返しなのだから、慣習を重んじて手続きを踏んでいけばいいのだ。

ところで、フランスだとドアというものは男が開ける、ということになっている。

大きな建物入り口で、扉が二重になっているところ(ドアが連続しているところ)があると、男は最初のドアを開けて、それから何気に女を追い抜いて、またドアを開けないといけない。ドアとドアの間隔が狭いと、無様に小走りにならずにスマートに続けて開けるのは、かなりのテクニックだ。

もちろん、ドアくらい自分で開けられる。男が女のドアを開けることについて、後づけの理由はいくらでもつけられるだろうが、本当のところ大した意味はない。

それでも、男はドアを開ける。それでいいと思う。

もちろん、日本人がまねをする必要はない。それでいいと思う。

2009-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20090630121929

確かに、体格差を考えるならば車道側を歩くことにも意味があるといえそうだ。

しかし、事故を未然に防げるかも、という意味でならともかく、事故発生時まで想定するとなると、一部の女性が「車道側を歩いてくれない男性はなってない」と主張することには違和感を感じざるを得ない。

増田のように、あくまで男性側が自主的な判断で行うならスマートで良いけれど。

2009-06-29

なぜ増田小説概論 (須江岳史)

ブックマーク数がとんでもないことになったため、元増田はうかれている。なので匿名ダイアリーなのに、ペンネームまで書いてしまった。タイトルに大きく、須江岳史、と。しかし、プロ小説家でもない一人のプータロウが書いた文章がこんなにもてはやされることを、すこし疑問にも思っている。ちょっと足を伸ばして図書館に行けば、小説の書き方についての本はいくらでも手に入るはずだ。何かを学び取る目的ではなく、長すぎるからブックマークしておいた、というのなら、納得する。

というかこの論は物語小説ニアリーイコール扱いしていて、小説論としてはちょっと古いというか、語りという小説の大問題がスルーされていて厳しい。

http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20090703/p1

という指摘も当然のことで、普段、一人称小説ばかり書いている自分には、人称とか視点とかいった物語を語る上での問題について取り組む実力は無い。「小説自己表現なんだから、各々が語りたいように語ればよいと思う」のような言葉で、逃げることしか出来ない。

僕の小説の実力がどの程度かは、http://texpo.jp/texpo/disp/16732を読めばわかると思います)

Ⅰ、小説概論

まず話の筋の作り方を考え、次にそれをどのように小説として表現するかを見、最後に小説を書く上での国語的諸注意事項を述べる。

§1、小説とは?

 そもそも小説がどのような構成要素から成り立っているかを考える。


§2、物語られるもの

2.1.1話の筋

 まず、小説だけではなく物語一般の話の筋がどのように出来ているかを考える。

多くの物語は、欠損-充足の形を持つ。多くの物語は主人公に何かが足りない状態から始まり、それが満ち足りた状態で終わる場合が多いということである。

また、満ち足りた状態にたどり着くためには満ち足りた状態になるための行動が必要になる。そして行動をとるためにはその機会が与えられないとならない。

ここまでをまとめると、物語の筋は

欠損 – 機会 - 行動 - 充足

となる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来た(充足)。


ただ、物語の面白みのためには、充足が起こらないほうが良いかもしれない。行動の結果が、充足の起こらない失敗に終わり、それが新たな欠損となり次の話の筋を紡ぎだすこともありうる。

よって、物語を構成する基本的な四つの要素は

欠損 - 機会 - 行動 - 結果(充足または失敗)

であるとする。この一連の流れが組み合わさることによって、物語は出来上がる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来たが、十二時の鐘がなったので帰宅しなければならない(失敗に終わった結果、新たな欠損)。

王子少女の落し物の靴を持って少女を探す(機会)。

少女は名乗り出て靴をはく(行動)。

王子少女舞踏会で出会った少女であると認識して、二人は結ばれる(充足)。


後味の良し悪しの面から見て、最終的には充足で終わった方が良いように思われる。

また、欠損があって、それを解決する機会を与えられれば物語が始まることがわかる。

また、欠損を細分化したうえで見つかる欠損というのも考えられる。

たとえば、

鬼を退治するためにはお供を仲間にしなければならない。

お供を仲間にするためには黍団子を持っていなければならない。

黍団子を持つためにはおばあさんから黍団子をもらわなければならない。

おばあさんから黍団子をもらうためには黍団子の材料を買ってこなければならない。

というように。

 このようにすれば物語はいくらでも引き伸ばすことが出来る。書くべき物語の分量によって、どの程度まで細分化できる欠損なのかを慎重に選ばなければならない。

 一つの物語で充足される欠損は一つとは限らないし、主人公たちの欠損が充足されるとも限らない。『ロミオとジュリエット』では、主人公たちの恋愛成就しないが、キャピュレット家とモンタギュー家の関係が、対立から和解へと移り変わる。

2.1.2伏線

 物語は、話の筋それ自体で面白いことが最善であるけれども、それが出来ない場合には伏線によって面白さを増幅させるしかない。

 ここでは、仮に伏線には四種類あるとする。

ⅰ)質問―答え

ⅱ)ある現象/行為への意味の付加―行為/現象の再現

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

ⅳ)思い込み―認知

ⅴ)認知―逆転型の伏線


 それぞれ、順を追って説明する。

ⅰ)質問―答え

 物語冒頭に置かれた質問に、ラストシーンで答えることで感動を増す。

 具体例:どうしてキノはこの汚い世界を旅しているの?(冒頭の質問)

この世界が綺麗だからさ(ラストシーンの答え)

ⅱ)ある現象・行為への意味の付加―行為・現象の再現

 ある現象・行為にはある意味が隠されている、と登場人物が語り、その現象・行為が実際に現れる。

 『アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『「(とにかく面倒だから、神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいいって。そうすれば、ばれない)」』(70ページ)という免罪の方法を提案して、実際に物語の最後付近でそれを行っている。

 

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

物語の中で起こった行為・現象が物語の終盤で再現されることにより、面白みが増す。

アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『聞いてるわたしにも、どうやらこの姉弟がレッサーパンダを盗む気らしい、ということはわかった。』(216ページ)

動物園を振り返って、「さっきの子供たち、うまくやり遂げるかな?」と。』(222ページ)

というようなレッサーパンダを盗むという行為があった上で、

『「あれ、レッサーパンダだ」』

『「盗んだんだよ、あの子供たちは」』(339ページ)


ⅳ)思い込み―認知

 間違った方法を目的を得るための方法だと思い込み、それが間違いであったことに気づく。多くの場合、気づくまでに行ってきた行為が主人公に、行為の目的とは反対の結果を持って跳ね返ってくる。

物語の筋が悲劇的に終わっても、ⅰ、ⅱ、ⅲの伏線幸福を含意していると悲劇性を和らげることが出来る。

ⅴ) 認知―逆転型の伏線

 目的達成を阻むものが、あるものだと仮定して行動していたが、その仮定が正しくなかったことに気づくタイプ伏線。多くの場合、気づく前の行動が気づいた後に本来の意味とは反対の意味を持って主人公に跳ね返ってくる。

 認知は、約束―報いの伏線によって引き起こすのが最も容易である。

 主人公の目的を阻むものは四種類ある。カッコの中の左側は存在場所、右側は存在原因を意味する。

 (自己自己)例:主人公の性格の欠陥

自己,他者)例:主人公の抱えるトラウマ

(他者,自己)例:主人公に対して恨みを持っている敵

(他者,他者)例:絶対悪


 敵の仮定が4パターン真実の敵が4パターンあるので、認知型の伏線には全てで16パターンあることになる。

 これは、『あらすじ.com』の三匹のモンスター概念を内包している。

 (自己自己狼男

自己,他者)対応しない

(他者,自己フランケンシュタイン

(他者,他者)ドラキュラ


2.2登場人物
2.2.1行為項モデル

 物語には六種類の登場人物がある。

主体:物語の主人公。欠損を解決する。

送り手:主人公に、欠損を解決する動機を与える者。

援助者:主人公に、欠損を解決する能力を与える者。

受け手:欠損の解決の享受者。

敵対者:主人公の欠損解決行動を阻む者。

目的:主人公が得ようとする目的。主人公が得ていない欠損。


 それぞれ、同一人物が複数の行為項を演じても良いし、ひとつの行為項に複数人が入っても良い。たとえば、送り手と援助者が同一人物であることは大いにありうる。また、それぞれが必ずしも人間である必要もない。

 欠損ごとに行為項モデルは立てられるので、ある場面では敵対者であった存在がある場面では援助者になることもありうる。

 物語に出てくる全ての欠損について、行為項モデルの六つの登場人物を生めることが出来れば、それ以上の登場人物は物語に必要ではない。

 

2.3シチュエーション

 物語の冒頭やクライマックスを盛り上げるためにシチュエーションは使われる。

 面白いシチュエーションとは、即ちギャップである。

 それは場所と行動のギャップであるかもしれないし、それまである登場人物のそれまでの行動とはかけ離れた行動かもしれない。いずれにしろ、「~であるにもかかわらず」という言葉で表される。

 たとえば、「日ごろ温和な性格であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか「静粛でいなければならない図書館であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか、「たかが100円のアンパンを食べてしまっただけのことであるにもかかわらず、暴れ狂う」とか。

2.4実際に物語を組む

 物語を組む順番として、『欠損-伏線シチュエーション-細分化されていない欠損の話の筋-細分化されていない欠損の行為項モデル-細分化された欠損の話の筋-細分化された欠損の行為項モデル』といった順番で組んでいくのがスマートに行く。なぜならば、欠損がなければ物語は動き出さないし、伏線シチュエーションは話の筋や行為項モデルあとから考えるとそれらに縛られて上手くいかないからである。

①、主人公が向かう目的を定める。

②、主人公が見舞われる危機を定める。または、どのようなギャップがある状況に立たされるかを決める。

③、危機・ギャップが何故起こるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

④、危機がどのように回避されるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

⑤、伏線が置かれる場所を決める。(下位物語を作る)

⑥、必要ならば、下位物語にも①~⑤を施す。

⑦、物語(下位物語も含む)の適所に、ギャップによる面白みを与える。

⑧、整合性を与える。


 また、どのような魅力的な登場人物・伏線シチュエーションでも物語自然な流れを妨げるなら切り捨てるべきである。

§3、小説技法


3.1場面法

 場面では、人物、場所、時間が描かれる。人物、場所、時間のうちのいずれかが変わったとき、場面が転換されたという。また、場面は一人称であれ三人称であれ場面に登場する一人の人物の視点を通して描かれることが多い。

 場面の特徴として、行為・現象の一回性が挙げられる。場面は、一度しか起こらない行為・現象を場面に登場する人物の感覚を通じて読者に体験させる。

 場面の始まり方として、人物・場所・時間を指し示して始まる場合、登場人物の行動から始まる場合とがある(台詞から始まる場合は、登場人物の行動から始まる場合の特殊例とみなす)が、そのいずれにせよイメージすることが出来るか否かが読解の容易さを決めるので、場面の開始からまもなく人物・場所・時間を明らかにしなければならない。

3.1.1場所・時間

 小説を読む上では情景をイメージしやすいほうが読解が容易であるといわれているので、色彩や位置関係を表す語を使って場所や時間を説明するべきである。

 場所・時間の説明は描写法的だといえるが、その場所・時間におかれたものを登場人物の行動の目的語にすると、スムーズに場面を始められる。

 また、場所・時間は登場人物の心境や状況・未来を暗示する。

3.1.2人物

 何かが起こるたびに、その場面に登場している人物全員の反応を描くべきである。また、その感情は、どのような身体的動作を持って表情として表されたかを描くべきである。なぜならばイメージしやすいほうが読解が容易であるからである。

3.2要約法

 要約法は、登場人物が何度も行った行動や何度も起こった現象を記述する。場面法とは違い、複数の時間や場所をまたがる事が出来る。そのため、時間や場所の離れた場面と場面をつなぐのに要約法は用いられる。

 要約法は場面と場面とをつなぐためにしか存在しない。

3.3描写法

 場面法が動画だとすれば、描写法は静止画である。

 描写法は、場面が行われている空間にあるものを描写する。場面が行われているなか描写がはさまれると、場面の時間を止めることが出来る。

3.4台詞と地の文

 台詞音楽で言えばフォルテ、地の文は音楽で言えばピアノのような効果を持つ。多くの場合、台詞はカッコにくくられる為に強調されるが、台詞続きの中で地の文が出てくると大きな強調効果を持つことがある。たとえば強調すべき台詞をあえてカッコでくくらずに地の文で処理することで大きな強調効果を与えることができる。

 台詞台詞の間の間をつなぐために、地の文をおきたくなることがしばしばある。こういったときのために、場面の情景を刻々と変化させるとか場面の登場人物に場面開始と同時に何か動作をさせる方法がある。

§4、書記言語


 書き手の中で起こった感動が読み手の中でも起こるためには、文が書き手の意図するとおりに伝わらなければならない。誤読を少なくする方法をここでは述べる。誤読を避けるために、修飾語と被修飾語主語と述語は可能な限り近づける必要がある。

4.1主語の位置

4.1.1.ガーデンパス

 「私は走る車に飛び乗る」のような文は、読者が「私は走る」と理解した後で、走っているものは車だと改めて理解する。このような事をなくするために、「走る車に私は飛び乗る」のように主語と述語を近づける必要がある。

4.1.2複文

 主語と述語の対が二個以上あり、どちらかがどちらかの文の成分になっているような文を複文という。

 「私はリンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと思う」というような文は読解が難解である。これも、主語と述語を出来る限り近づけ、「リンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと私は思う」とすると読解が容易になる。また、複文を単文(主語と述語の対が一つである文)に分解し、「彼はリンゴを片手で握りつぶす。彼は握力がとても強いと私は思う」というようにすると、誤読は少なくなる。

4.2修飾の範囲

日本語は上から下に修飾が行われるため、様々な不都合な事が起こる。

4.2.1修飾語と並立

「美しい獣と女」は、美しいのが獣だけなのか、獣と女の両方が美しいのかが判然としてない。美しいのが獣だけである場合は、「女と美しい獣」のように順序を入れ替えるか、「賢い女と美しい獣」のように両方に修飾語を与えてしまう方法がある。

 

4.2.2句・節の修飾

地中海で育った少年からもらったトマト」は、トマト地中海で育ったのか少年地中海で育ったのかはっきりしない。トマト地中海で育ったのであれば、「地中海で育った、少年からもらったトマト」のように読点を打つか、「少年からもらった地中海で育ったトマト」のように順序を入れ替えればよい。ただし後者の場合、地中海少年からもらったように誤読される可能性が無くもない。

4.3誤読の少ない順序

ガーデンパス文や修飾の範囲の判然とない文を作らないために、長い修飾を伴う語を文の始めに持っていく方法がある。

「僕は地中海で育った、青白い肌をした細身の少年から貰ったトマトを食べた」よりは「青白い肌をした細身の少年から貰った、地中海で育ったトマトを僕は食べた」の方が誤読が少ないとされる。

4.4文体

4.4.1速さ

一文の中に含まれる用言形容詞形容動詞動詞)と難読語の量、読者の視線の移動距離に依存して、文章の体感時間は定まるとされている。

たとえば①、「彼が作った美しいサッカーボールを僕は強い力で蹴飛ばす」よりは②、「彼が作った美しいサッカーボール。それを僕は強い力で蹴飛ばす」の法が一文に含まれる用言が少ないために体感速度が短いとされる。③、「ええい、お前は畢竟、俺が死ぬのが怖いだけだ」の『畢竟』が難読語だと見なす人にとっては④、「ええい、お前は結局、俺が死ぬのが怖いだけだ」の方が体感速度は短いかもしれない。また、⑤、「やわらかいネコ」よりは⑥、「柔かい猫」の方が、視線の移動距離が少ないために体感時間が短いとされる。

4.5原稿の使い方

小説の場合、論説文とは違い改行は自由に行える。

 行を改めたときは一段下げる。

「しかしカギカッコで新たな行が始まるときはその限りではないというのが最近の主流である。また、主流では閉じカッコの前では句点は打たない」

 ――また、三点リーダー(…)とダッシュ(―)は二つで一つの扱いをする……。

続き http://anond.hatelabo.jp/20090629224306

2009-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20090617222616

めんどくせーめんどくせー言ってる増田だけど。

C/C++はまずガベージコレクタが無いのがめんどくさすぎる。いちいちライブラリ導入したりboostスマートポインタ使ったりしなきゃいけないのがめんどい

あと入出力とか文字列処理とかが発狂しそうなほどめんどくさい。俺としては。

あとなんかvectorを参照渡しだか参照返しだかしようとして発狂しそうになったことがある。

まぁ上級者的にはありえない話なんだろうけどさ。

2009-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20090607201350

やらなければならない、と思う事を先にして(決めて)おいて

資金と時間と対外的に無理な事はあきらめて

二人がこだわりたい部分は譲らず

二人だけでなく、みんなが楽しく思えるようにという初心を貫いて

できる限りのお金時間差し出しました

ワンピースじゃなくていいけど、ジーンズしかない、ってのはこの先色々難あり。

就活もしないで29まで来たの?

エプロンは買っとけ。

冠婚葬祭はお手伝いしたりされたり意外とあっさりくる。

料理苦手だってほかにできること、する事一杯あるから心配しない。

(むしろ手伝いだったら料理自体には手を出さない方がいいかも…)

結婚式は二人の。

披露宴はみんなへの。

世界に二人きりでひきこもる気がないのなら、やっといてもいいんじゃない?

親兄弟以外にありがとうと言える、思える機会って意外と少ない。

親戚知らない、友達いない人なら別にいい。

けど、彼氏もそうなの?

スマートにしなくてもいいと思う。

大体、対旦那の実家披露宴も、やれることなんてたかが知れてる。

最初っから選択肢なんてそうないよ。

結婚前からがっつりつきあってなかったら、スマートな付き合いなんて無理でしょ。

(割と入り浸ってても、結納だの披露宴だの新居だの…ってなると、付き合いって変わるよ)

シンプルにやりたいこと、やらなきゃいけない事をまず考えてみたらどうだろう。

そこからやれない事を相談してみればいい。

考えてるよりあっさり「あ、別にいいよ」って言われたりするし。

料理の手伝いなんて、本当にやれない事に比べればむちゃくちゃ些細な事だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20090607201350

スマートに乗り切るにはどうするのが一番いいのかな。

素直に普段着で行って上に自分で書いたこと言えばいいじゃん

どんな上流階級とつきあってんだよ

このご時世、必死に婚活しなきゃいけないかもしれない29歳で結婚が決まった。

結構あっさり彼氏から「結婚しようか」と言われて、

「よろしくお願いします」とお答えした。

ここまでは良かった

なんとなく先を思ってふわふわ幸せ妄想したりする日もあった。

でも段々現実味を帯びてきて

結婚

「家」と「家」のものだっていうことに

ひどくめんどくさい気持ちでいっぱいだ。

たとえば結婚挨拶に先方の実家へ行く際は

服装はどうするんだろうとか。

検索するとだいたいワンピースって書いてある。

ワンピースなんて最後に着たのは小学生だ。

最近はもっぱらジーンズでそんな女が急にワンピース等着たら

滑稽じゃなかろうか。

お昼をごちそうになるような時間だったら

準備をお手伝いしなくてはいけないのだろうかとか。

わたしはとても料理が苦手なのでできれば避けたい。

どう考えても迷惑をかけるだけだと思う。

エプロン持参したとかいう話をネットで見た。

いやーエプロンなんか持ってない。

披露宴は先方の考えも聞いて決めないといけないとか。

披露宴とかしたくない。

一応一生に一度だから式は挙げたいけど。

誰に披露するの?

披露宴は親の為らしいけどお金もったいないよ。

二人の結婚、二人の生活。

ある程度切り捨てて生きてはゆけないのかな。

子供のままいい大人になってしまった自分

うまく立ち回れそうにない要因があることは分かっているのだけど。。

いやなこととか悪いことばっかり先に考えてしまう。

こんなもの?

先輩既婚者の皆様。

今の私の地点に立ったとき何を思いましたか?

何をしておくべきで

何をあきらめて

何を譲らず

何を貫いて

何を差し出して

どこに着地するのが一番平和的なんだろう。

婚活している人はその先をちゃんと見てるのかな。

スマートに乗り切るにはどうするのが一番いいのかな。

2009-06-01

仕事が一緒だった人とランチを取る事になった。

一ヶ月ぐらい先の予定だが、今から店をネットで調べている俺が居る。

こういうのをスマートにこなすだけの器用さが無いのが悔しい。

ピザなので、体重を落とすように頑張るか。。

2009-05-29

GOTO有害説?

ウチの会社の何人かは今だにgoto有害説を盲目的に信じている。

いやgoto文めったやたらと使えとは言わんが、

エラー処理で関数の最後にとばすとか、多重ループ抜けるとかgoto文つかった方が

コーディングキレイになるケースあるだろう。

特にエラー処理はgoto使って関数の最後でまとめて行うほうがスマートでしょう。

if文でエラー処理に入るたびに、同じようなエラー処理と関数終了処理をコピペしてるのみると

げんなりする。

2009-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20090528185747

まとめると人間関係と、知識の問題か。

家族も含めて、人間関係は、自分がいざ困ったときのために助けてくれるような人間関係を構築しておくべきだと思う。

それは経済的な意味でもだし、ちょっとヘコんでる時に愚痴らせてくれるという程度のものも含めてだ。

また事前に話をしておいた方が、家族も準備がしやすい。

だから、「誰とでもうまく会話すべきである。」というのは、自分が会話が苦痛にならない程度には

コミュニケーション能力があった方がよりよい人間関係を築けるという面で、けっこう重要だと思う。

知識に関しては、あって損したと思うことってあるか?

仕事してれば、勉強した方が得だってイヤでもわかると思うが。

自分努力ノウハウを体得するのも重要だが、

人達の気づいたノウハウ勉強して効率よく作業を進める方が、スマートだ。

2009-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20090525192002

いや、ドレスコード決まってるからって特別高級店て訳じゃないよ。

ちなみに行ったのはスマートカジュアルで酒飲まなくて2人で1万いかないはず。

ま、あれ見たら場所によらずにシラけるよ普通

2009-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20090521150734

満員電車で座ってる人が立ったらほぼ降りるってことだから何も言わずとも察してよけてほしいってのは分かる。目の前でこちらが立ち上がったのを見ているのに、よけてくれない人がいたら鈍くさいと感じる。もしその辺の感覚元増田にあるのに、あえて相手から挨拶を引き出すためにどかなかったとしたら、元増田はけっこういやらしいやつだね。けど、よけてくれなかったからといって無言でぶつかってく人もスマートじゃないなと思う。

2009-05-20

このレッツノートを着こなす男はきっと美しいwwwwwwww

http://www.nikkei.co.jp/ps/panasonic/letsnote_leather/

なにこれwww

こうやって勘違いしたビジネスマン(笑)を釣るんだなw

スイーツ(笑)雑誌馬鹿にできねーよこれw

レベルかそれ以下www

2009-05-10

キリスト鰤と爺

やっぱりキリスト教は好きになれないと思った。

朝からキリスト教徒で名の知れたブロガーたちの記事を読んでまわったのだけど、

やっぱりそういう思いを変えられないと思った。

キリスト教というのには、細かく色んなセクトがあるのだけど

結局信徒というものはどこも似たり寄ったりだ。

私が嫌いなのはあのなんとも高みから見下ろす感覚

なんというのだろう無自覚な選民意識というかそういう感覚だ。

特に鰤でそう思った。そしてその閉鎖性。

ブログのトップにあるブクマ閲覧に対する細かな規則。

だぁ~れもそこまで気にしませんぜ、女史。そう言いたくなる。

民意識と自意識による閉鎖性。たぶんエホバキリスト教亜流だから

もう生まれながらにそういう感覚が植えつけられているのだけれど唖然とする。

これが弁当爺ならもっとスマートなのになぁ。

同じ宗教を語っているのにこんなに違うのかと思わせる。

キリスト教観を変えてくれると期待して鰤を読んだのだが残念だ。

2009-05-08

人生における諸問題の解決方法

首吊りマジおすすめ

これが最も尊厳を保ちつつ、あわよくば回復する可能性もある手段。

おすすめしたいのはやはり、若年層のワープアのみなさんです。

因みに付け加えておくと、現在ワープアだけども親から一定の遺産相続が見込める方は死んではいけません。(是非、相続税を緩いままにしてくれる政党投票して下さい)

幸せというものは、人それぞれの形があると思います。

しかし、ある程度の一般形とも呼べる幸せの形は存在すると思います。

そのある程度に達するには汚いようですが、はっきり言ってお金が必要です。

一定の所得がなければままなりません。こんな事はワープアを自覚する人ならとっくに理解していることだとも思います。

ですが、ここで改めてそれについて確認したいと思います。

物質主義と吐き捨てる人もいるかもしれませんが、

普遍的に望むものとしてまずは車でしょうか。軽自動車か中級クラスのものかは問わずに、とりあえず車の所持です。

次は住宅ですね。何千万のローンを背負って何十年もかけて返済していくあれですね。

もっともこれはワープアの身分ではおそらく契約もままならないでしょう。

そして、結婚子供教育費でしょうか。

まず、結婚に必要なものについてはしばしば、ネットでも議論が散見されますね。

個人の信条などで大きく左右されます。しかし、確実に一定の所得は必要だとは思いますね。

出会いやお互いの尊重が一番大切という、実に優等生な回答もよくみかけますし、部分的には私も賛成です。

ですが、この手の論を展開する人をよく見てください。

そういった人たちはまずワープアではありません。ワープアでない人たちの人生観を真に受けると

苦しみが増えるだけに終わることも多いですよ。

教育。これはワープアの方なら大概は高卒もしくはFラン大でしょう。

仕事を通して如何に学歴人生を左右するかもよく存じておられるかと思います。

これもまた学歴だけが人生ではなく、社会にでてからは実力で勝負だと言うテンプレのような優等生的回答が存在しますね。

結婚の話と同じように論を展開する人をよく見てください。

それなりの学歴を保持している人が多いですよ。もしくは中卒だけども今は起業して平均以上の年収だという人もいます。

後者のような方は本当に実力で抜きんでたんだなぁと、感心させられるような人も実際います。

ですが、これはなかなか本人たちが言葉に出さないので見抜けないのですが(成功者は他人から良く見られる姿勢を心得ています)

強運、もしくは汚い真似を成している人が多い。

運も実力であり、汚いかどうかは個々人の基準で変わりますが、ワープアのあなたとは全然違うという事だけは理解してください。

もうひとつは老後の生活です。

仮にワープアのまま実直に生き続けたとして、若年層のあなたが高齢者になったとき

この制度はどうなっていると思いますか?年金制度については破綻論者のほうが優勢です。

ここではとりあえず、破綻したケースで考えてみて下さい。

ワープアではない方たちは良くも悪くも消費を抑えて貯蓄傾向があるそうですが、ワープア貴方に貯蓄はできますか?

生きる中で発生する苦悩は上記以外にもたくさんあり、またそれ以上の苦痛を覚えさせるものもあるでしょう。

ありがちなものばかりですが、大勢に適用できるであろう事を改めて挙げてみました。

しかし、漠然と問題に対峙するのではなくそれの除去が可能かどうかを更に考えてみて下さい。

今から所得を増やす方法はありますか?

昭和の時代ではありません。終身雇用でもなく定期昇給もありません。ワープアではそれどころか解雇されるかどうかの瀬戸際でしょう。

地道に銀行へ預けても無駄なことですね。昔の用に金利がついて増えていくこともありません。(老人はこの辺りを隠してポジショントークを展開する人が多い)

今から政治体制を変える方法はありますか?

民主主義は話し合いと多数決で問題解決を図るそうです。

話し合いで解決したことって何かありますか?

これは本当にタチの悪い幻想ですね。物事は恫喝か誘惑で動きます。

善意で動くものゼロではありませんが、大局には何ら影響を与えません。

投票で若い貴方の意志が政治に反映されますか?

見事な高齢化社会です。世代ごとに利害関係が衝突も起こしてます。

国会答弁を見ていると、政治家も流石に完全な鬼ではなく若年層の貧困について野党がもの申しています。

しかし、与党は財源がないと切り捨てて終わりですね。財源が無いというのは一見正当性があるように見えますが、

まぁようするに問題放棄です。仮に与党が変わってもワープアは放棄されると思いますよ。

選挙当選することが至上命題なのでご老人にとって不利益となることが国会で成立することはありません。

なら暴力革命テロリズム

寝言ですね。こんなもので国は変わりません。すさまじい暴力イノベーションを生みますが、

ワープアの引き起こす微々たる暴力は世の中に何ら影響を与えません。

人に平気で迷惑をかけるようなやつだからおまえらは落ちぶれたんだと、団塊の皆さんが説教垂れておしまいです。

むしろ現代社会道徳を犯して貴方尊厳が傷つくだけです。

全うに問題と対峙しても、明確に閉塞感を感じるだけですね。

突き詰めればやはり人を救うのは自殺です。

現在日本では確認されているだけでも年間3万人以上の自殺者がいます。

WHO基準を用いるとなんと10万人の自殺者が発生しているとも考えることができます。

日本では年間14万人の変死体発見されます。WHOでは変死体の半分は自殺と考えますので14万人の半分

7万人と確認された3万人で10万人といった数字に相成ります。

3万人であろうと10万人であろうと、多いと思いませんか?

また、変死体が14万人というのもすごい話です。この科学道徳のある程度浸透した日本ですら

自然死を迎えるというのはとても難しいことなんです。ことさらワープアな人にとっては。

首吊りインセンティブとは上述の諸問題を解決してしまうことです。

自殺とは自己保存欲の一環です。これ以上苦しみたくない。傷つけられたくないという己の尊厳を守るための尊い行為です。

一時期、硫化水素を用いた自殺流行しましたね。しかし、あれは好ましくありません。

あれは周囲に迷惑をかけるという面において影響が大きい。迷惑をかけることそのものよりも、

事後において自分一人で死ねばよかったのに、というTVコメンテーターにいるような普通の人々につけいる隙を与えてしまうからです。

これは自殺者尊厳を貶してしまいます。

そこでやはり一番推奨できる自殺方法が首吊りなのです。

まず、これは確実です。服毒やリストカットなどは未遂に終わったり、後遺症が残るなど確実性に欠けます。

女性自殺志願者が未遂に終わることが多いのはそういった方法を用いることが多いからです。

それに比べて首吊りはとてもスマートな手段です。

よく、糞尿を垂れ流して醜い死に様であると揶揄されるこの方法ですが一定の誤解があります。

人は死後硬直が発生します。死後1~2時間程度で始まります。ポイントとなるのはいつまでも硬直しているわけではなく

数十時間経過すると筋弛緩が始まります。ここで初めて体内から糞尿が漏れ出すという事態になるのです。

およそ丸一日は硬直していられますので、こういった面を気にする方は割と発見しやすいところを選ぶと良いのではないかと思います。

また、一般的に首吊りというと空中に宙ぶらりになった状態をイメージすると思いますが、これを定型縊死と呼びます。

それに対して非定型縊死という状態があって、これは膝をついた状態で首に荷重をかけた死に方です。

結局のところ、動脈と静脈に荷重をかければいい訳なので、およそ30kgほどの荷重が必要です。

先にあわよくば回復と書きました。

とかく、ないがしろにされるワープアですがそれなりの母数はいるのです。

一人一人では本当に脆弱な一介の貧乏人に過ぎませんが、連ねれば産業構造に欠かせない要素の一つなのです。

ワープアに甘んじてくれる人がいないと成り立たない社会です。

ここに勝算があります。

現在サイレントテロなどという行動様式があります。しかし、そんなものではなま温く遅い。

従来の外部へと働きかけていたテロル自己がいつのまにか所属していた属性にぶつける。つまり自殺です。

ドラスティックに短期間で多くのワープア自殺すれば産業構造大穴を開けることができるのです。

これは社会的強者、上位層を道連れにできるという効能を備えています。

他人を能動的に傷つける従来の先鋭的自殺自爆テロ)よりも、遂行者を貶める隙を与えません。

死にたいやつらが勝手に死んだ暁に生まれた事象です。

一人一人の小さな自殺がいずれ社会を大きく変えていく……これって素晴らしいことだと思いませんか?




戯言を書き連ねましたが、ここまで書いたことはすべて下劣で低俗冗談です。

私自身は絶対に自殺なんてしません。自分を殺すくらいなら平気で他人を傷つけます。

その方が比べようもなく爽快で愉快な手段です。

かつてパラノイアだけが生き残るなんて言葉がありました。

これから先しばらくはサイコパスだけが生き残る。そんな世の中が続くと思います。

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090505103738

君の考える「当たり前」とか「べき」は1円にもならないことに気付くべき。

自由参加なら喫煙者嫌煙者は対等。離れて座るもよし、どちらかに合わせるもよし。

仕事の場合はどうなんだい?変な建前論は抜きにして考えてみろ。

あと、喘息とか話を飛躍させないように。そんなこと何処にも書いてない。

叱られても『「公共の場でタバコを吸うのが非常識だとおもいます」と言い分を変えな』かったんだろ。単なる独善的な正義押し付けじゃないか。

そういう所は早めに木っ端微塵にしてあげないと、そいつのためにならない。

 

 

ついでに、この話とは別に、一般論として。

仮にそういう病気を持っている場合は、先に上司へ報告しておかなくちゃ。

プライバシーに関わる事だから誰にでも言う必要はないけど。

それで、クライアントに対してある程度面識が有り人間関係ができている上司から角が立たないよう事前に伝えてもらうのが最もスマート

良い上司なら行く店から座る位置まで考慮してくれるよ。

2009-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20090504012853

もし単に一緒に3回飯食っただけなら、すぐに告白するのはチャレンジャー過ぎる。告白の前にまずは「つきあってください」と言わずとも相手に徐々に好意が伝わるような付き合い方をするとスマート。たとえば次は、夕飯を雰囲気のいい飯屋で酒飲みつつ食べるとか、休日一日使ってデートとか、そういうただ一緒に飯を食うよりもう少しハードル高めの遊びを何度かするのはいかがか。こうすればもっと仲良くなれるし、「あ、この人自分のこと好きなのかも」と相手に自然に気づいてもらうことができる。好きだということを伝えるのに必ずしも言葉は必要でない。

ただし、たいていの女の子は最終的には確証をほしがるものだ。つまりは、男のほうからきちんと言葉で「好きだ」とか「つきあってほしい」とか「お前が世界一大事だ」とか「おれの味噌汁(ry」とか言われたいのだ。だから、以上の段取りを踏んで下地が整ったところで、トドメデートをし、デートの〆にロマンチックシチュエーションを持ってきて(夜景でも見ながらとか)そこで告白すればおk

http://anond.hatelabo.jp/20090504010115

思いやりの心が大切です。

挿入を無理にするというのはスマートではありません。

紳士たれ。

2009-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20090429175741

トップレートに入れた曲の中から、再生回数が低いものを抽出するスマートプレイリストをつくってみたよ。

意外な曲が流れて自分でもビックリ

2009-04-28

http://anond.hatelabo.jp/20090428122333

横だけど、

一番人権侵害しそうにない、スピーディでスマート(別に一人ひとりを検査機にかけるわけじゃなし)ということでサーモグラフィーが用意され、使われているんだよね。

ただし、本当は今日からみたいに飛行機から降りる前に検査ができたらよかったんだろうけど、どうしても強制力を持たせることができなかったのがフェーズ3の段階での法律だったということか。

なのでフェーズ4に切り上げるのを早くすることにしたのかな、とちょっと思った。

2009-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20090423183952

私も165cm55kgは太ってないと思うよ。痩せてもいない「普通」だよね。

ただ、本当に体重論議っていうのは人によって感じ方がバラバラで、ファッションに命かけてるギャル系の子なんかは「165cmで50kg超えるなんてありえない」「160cmなら45kg以下じゃなきゃ恥ずかしくて外歩けない」って思ってしまう子もいる。なぜなら周りがみんなそうだから、そういう風に感覚麻痺してしまう。

あと、見た目のスマートさというのは体重じゃなくてスタイル筋肉のつき方に大きく左右されるし、体重だけで語るのは馬鹿らしいといつも思う。自分の着たい服を見苦しくなく着こなすことができているかが大事なのであって、体重は本当にたった1つの目安にすぎない。

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