はてなキーワード: らき☆すたとは
一般化するつもりはないけど、少なくとも自分にとってはニコニコのおかげでアニメ関連に使う時間と金がすごく増えた。
ニコニコに上がってたらき☆すたOPを見てから本編見るようになって、それから他のアニメも見るようになって、
今期のアニメはほとんどチェック(一週間に30本ほど見て、うち3話までに切ったものが10本くらい)するようになった。
気に入ったものは原作を買うこともあるし、主題歌のCDも買うようになった。
でもDVDは一つも買ってない。2話で6000円とか高すぎてありえない。感覚的には4話で3000円ならいくつか買ってるかも。
それよりDVD以外の販路を増やして欲しい。iTunesにはアニソンが決定的に少ないし、本編もない。
まあ、自分としては現状、本編が放映から3日くらい残れば十分かな。
あと業界を変えるなら原画描いている人にちゃんと最低賃金以上の金を払うように命令すればいいと思う。
体力ないところが潰れて本数が今の半分になっても困らん。
そーいやそういう奴がいたよ。男で。
「やべー俺アキバ系かもw」みたいなことちょいちょい言ってるようなやつで
でも本気でオタクになる気はないし自分で言ってる分にはいいけど他人に本当にオタク扱いされたら嫌、って感じの奴。
基本的に普通に今時の俺だけど実はちょっとこんな変わったこと知っちゃってるんだぜみたいな。
日頃からそういう薄いオタアピールがウザかったんだが、この間そいつと俺と女の子が話してるとき
似非オタ「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!とか知ってる?」
俺「さあ…(俺は隠れオタ)」
女の子「いやー」
似非オタ「ジョジョって漫画があってさーその漫画の承太郎っていう主人公の台詞なんだけど」
俺「(おいおい!違うだろそれ)へー」
似非オタ「こんなポーズで言うんだよ(といってあまり合っていないポルナレフのポーズらしきものを決める)」
女の子「ふーん」
俺「(魔法て)」
その後も彼は微妙におかしく薄いオタ知識を披露していったのだが、突然女の子がぶち切れたように
女の子「……ていうかさ!『ありのまま今起ったことを話すぜ』は承太郎じゃなくてジャン・ピエール・ポルナレフだから!ポーズもなんか微妙に違うんだけど!手が逆だし!大体、スタンドは魔法っていうより超能力!具現化した超能力っていうか、生命エネルギーから為るビジョンっていうか言い切るのは難しいけど魔法っていうのはなんか違うでしょ明らかに。あと「ドラララララ」は承太郎じゃなくて4部の東方仗助!ダイヤモンドは砕けない読んでないの!?大体ハルヒハルヒってどうせオタ気取りするなら今はらき☆すたでしょ?あと福本作品語るならせめて銀と金くらい読んでからにしようよ!いっとくけどカイジなんて読んでても全然珍しくもなんともないよ!?超人気作じゃん!」
と言って、似非オタポカーン。
俺、密かに、心の中で拍手。
いやあ、あの子がオタだとは思わなかった。
おかげでその子とより親しくなれた事については、似非オタには礼をいいたいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070925022824
多分女性だと思うが、この人は私が人生で唯一好きになった人に、そして私によく似ている。
中学以降、一人も女友達が居なかったぐらいに女性と縁遠かったが、2年弱前だったか、生まれて初めて人を好きになった。
ほとんど一目惚れだったと思う。
そして2回目に会った時に、気持ちを告白した。
「多分、好きになってる。」そう伝えた。
しばらく向こうは本気に捉えてなかったが、何度も気持ちを伝えた。
すぐに本気だということはわかってくれたが、彼女は「人を好きになることができない、そういう状態じゃない」と私に言った。
「じゃあ、いつか好きにさせてみせるから」←致命的な失敗。
はっきり言って、彼女は無茶苦茶にモテる。私の中でのイメージは、無茶苦茶スタイルのいい「らき☆すた」のこなたという感じ。
私自身はというと、ごく普通の外見を持った、単なるアニメと音楽好きだ。
まあ、それでも割りと頑張ったと思う。
アプローチを繰り返して、デートっぽいこともした。
ずっと自分のことしか考えてこなかったけど、初めて誰かのことを本気で考えた。
だけど、彼女は全く私のほうは見なかった。
どっちかというと別に居なくても問題にならないくらいの友達、そんな感じ。
一方で、私は全身全霊を込めていたというか、人生の全てを賭けてもいいと思うほどに本気だったのだ。
これだけ向きがずれていれば、いずれ噛み合わなくなる。
受け入れたくない現実とか、焦りとか、うまくやれない自分に対する怒りやら情けなさやら、いろいろ圧し掛かってきて、死にそうになった。
カッコいいこと言っておいてこの体たらくは無いと思うが、人間なんてそんなものだろう。
ほどなく、彼女とは疎遠になる。
常識的に考えて、当然の帰結と言えよう。
こんな男は私も嫌である。その当時の自分は全く見えていなかったが。
それでも、私は多分こういう生き方しか出来ない。
私は0か100かの人間で、相手にもそれを求めてしまう。
私は他の人にとって「重い」のだ。
正直、あんな思いは二度としたくない。
精神的なダメージで、命の危険を実感するなんて二度とごめんだ。
今にして思えば、彼女はそうやって勝手に潰れていく私で遊んでいたのかもしれない。
それほどに、私は振り回されたのだ。
周りの友人達の中にもカップルは居るが、彼らを見ていると羨ましいと思う。
しかし、それと同時に私はそうなることは無いという実感があって、虚しく思う。
やっぱり一人は(男女的な意味で)嫌だ。寂しい。
我侭だと思うが、人を好きになって初めてそう思った。
自分には恋人と呼べる人が必要だと思う瞬間もある。
だけど、私には無理だろう。
私はもう誰も好きになりたくないし、当分はなれないと思う。
私は、「本気」でしか誰かを好きになれない。
しかし100の思いは、相手にとって重荷なのだ。
100を持って思える相手が、自分を100を持って思ってくれることなど、奇跡以外の何だと言うのか。
そんなことが自分に起こるとは思えない。
多分、7割??8割ぐらいじゃないとお互い上手くやっていけない。
でも、私はそれを「好き」であると認められない。
自分がそれを拒否する。相手に失礼だと思ってしまう。
だから、私は人生を賭けられる、そのレベルじゃなければ、行動に出ようとも思わない。
恐らく、当分の間、下手したら死ぬまで私は一人でいるだろう。
それは辛いことだと私自身感じているが、自分ではどうにもできないことなのだ。
何となくだが、↑の日記を読んで私は思う。
もしかすると、本気で人を好きになれないのではなく、
本気でしか人を好きになれないのではないかと。
今年、26歳になるオンナです。
新聞の折込求人広告で見つけた某学校の受付事務として就職をしました。
自分なりに頑張ってやってきたつもりでしたが、職場でどうしても合わないお局がいたので、
結局、今年の3月一杯で辞めました。
頑張っても合わない人間というのはどうしてもいるものなのです。
お昼休みは約1時間あるのですが、同じ部屋でご飯を食べるのが物凄く嫌で、
私は昼ドラを見ながら、さっさと昼食を済ませ、いつも駐車場の自分の車の中に居ました。
たまに近くのコンビニや、書店に行って、暇を潰していたりもしました。
まぁ、便所飯でなかっただけ、マシだと思いますが、一歩手前まで来ていたと思います。
勤めだしてから約3年の月日があっと言う間に過ぎてしまったように、
私が勤めていた会社は、週休1日で、ほぼ毎日のように午後9時まででした。
それでもまぁ、繁忙期以外は、午前10時からの出勤で、
シフトによっては午後1時からの出勤の日もあったので
それ程、キツイ毎日ではありませんでしたが、
でもまぁ、普通の人達よりも出勤時間が遅かった分の引き換えだと自分では思っています。
3月の20日付けで、会社を辞め、しばらくの間はゆっくりと過ごすつもりでした。
でも、週休1日だった私にとって、連続での休みに物凄く嫌悪感を覚えるようになりました。
最初の内は、部屋の片付けをしたり、要らないマンガを古本屋に売って、
5,000円儲かったので、喜んだりしていました。
古本屋で5,000円も儲かるというのは、かなりの数のマンガを売った事になります。
そう言えば、無職になってから初日に古本屋でマンガを売りに行った時に、
しょうもない打撃を受けました(苦笑)。
マンガを売却する際に、自分の名前や住所を記入する用紙に、
自分の職業をチェックする欄があったのですが、私はどうしても【無職】の欄にチェックする気持ちになれず、
何をカッコ付けているのか、【その他】の欄にチェックを入れました。
無職になってから、1週間が経ち、私はようやく重い腰を立ち上げ、
区役所で国民健康保険の手続きに行ってきました。
病気になった時に困るからね。
丁度同じ頃に辞めた会社から、『ちょっと印鑑を持って会社に来てくれ』と電話があり、
嫌々ながら、足を運ぶと、『【退職届】を無くしてしまったので、申し訳無いが、書き直してくれないか』と頼まれ、
私と同じ日に辞めた社員の退職願をお手本に書き直しをさせられました。
どうやったら、【退職届】なんか無くせるんだ?と思いながらも、その場を早く立ち去りたかったので、
無駄話をせずに、さっさと済ませました。
【離職票】が無い事には職安に行く事が出来ないので、1週間近く待っていたのですが、
ハッキリとは言わなかったけど、上司はすっかり忘れていたみたいです。
何という・・・。
そりゃぁね、辞めた人間の事なんて構ってる暇が無いかどうかは別として、興味無いだろうけど、
それでも、会社として、そこはキチッとやっとくべきだと思うのだけどなぁ。
その後、何とか【離職票】を手に入れて、職安で失業給付金を受ける為の手続きを済ませてきました。
出来る事ならば、失業給付金を受け取る前に職を決めたかったけど、
中々見つける事が出来ずに、4ヵ月が過ぎ、
失業給付金を受け取る羽目になってしまいました(口座への自動振込みだけどね)。
一人暮らしをしている人にとったら、失業給付金が振り込まれるのは実質4ヵ月後ってのは
結構辛くないか?と思うのだけど。。。
まぁ、その前に次の仕事を決まるまでに4ヶ月もかからない人が多いと思うけどね、
一人暮らしをしているというバイタリティがある時点で。
私は・・・と言えば、自分の納得出来る仕事を中々見つける事が出来なくて、
その間にパソコン教室に通って、Microsoft Office SpecialistのWord2003とExcel2003の
全く意味の無い資格を取得して、ドブの中に10万円捨ててみたり・・・。
住民税を減免してもらう為に区役所に足を運んだり・・・。
年金を支払う為に、初めて銀行の窓口で手続きをしてみたり・・・。
兎に角、無職でいるにも物凄くお金がかかるという事がよく解った。
ニコニコ動画にハマってみたり・・・。
[らき☆すた]、[さよなら絶望先生]、[School Days]、、、、。
此間なんか、平日の昼間(レディースデー)からヱヴァンゲリヲンの映画を観てきました。
ラミエルが超格好良い・・・。
それにしても、何でこんな平日の昼間から、20代前半ぐらいの人間がわんさかいるんだ・・・と
将来が不安になりま・・・せんでした。
うん、痛いんだ(´・ω・`)ショボーン
でも、メンバー3人と学年齢が同じだから、セーフかな?って思ってる。
でも、決して、働いたら負けかな?っては思ってないんだ。
26歳のオンナと言えば、明日の子供の幼稚園のお弁当のおかず何にしよう・・・って考えてる年頃だと思うんだ。
でも、今の私は全然違うんだ。
私みたいなオンナやオトコっているかしら?
何か支離滅裂でごめん。
昨日の[ジャイケルマクソン]で、チュートリアルの福田が、家賃33万円のマンションに住んでるって話をテレビで見て、
売れたら凄いんだろうな・・・って思った。
私は今日のウォーキングの時にローソンで、toto BIGを買う事にするよ。
何てたって、当たれば凄いからね。
「伝染るんです」は正直かなりつぼだった。あれがボーダーラインなのか?
「ウゴウゴルーガ」も大好きだった。
やり手の思う存分の遊び心が面白いアニメだった。
ニコニコで見たのだけど、クローンをみたせいか不評はそれほどなかったぞ?
おそらく一部のラウドマイノリティが荒らしてるだけじゃないのかね。
正直、白石ネタは微妙だったけどスベっただけで挑戦した心意気を買いたい。
それにあれはあれでいいとおもう。
少し前はてな界隈で話題になった「らき☆すた」は面白いのか論争を眺めてたら、面白くない派のヒステリックな反発が興味深くてとりあえず原作を読んでみた。
正直つまらなかった。
なんか日常のあるあるネタのオタっぽいやつ?
キャラもかわいいのか?萌えるのか?なんか変身後のあかりとか、金髪の晴子さんいるけど。
日常萌えのあざとさとしては「よつばと」に遠く及ばない。オタのあるあるネタとしては「さよなら絶望先生」のこれでもかとの鬼気迫る詰め込みようと比べるとあまりにぬるい。
そもそもオタネタって、「でもそんなことを言ってる自分こそ??」という永久ループの自分の背後取り。終わらないシャドーボクシングが面白いと思ってるんだが。「そういうあんた何歳?」「娘にエロゲーやらすな」程度のつっこみで今時のオタのハートが掴めると思うのか?っておおおおおおまえらこれがいいのかあああああってなんでだよおおおお
なんだよ、これで面白がってるのかよ、今のオタはと思うと急に不安になってきた。
昔「伝染るんです」というマンガが世代断絶の踏み絵として使われていたことを思い出した。私も「これが笑えないなんて老害」とか優越感ゲームに浸っていたが、そろそろ私も笑われる方の年になってきたということだろうか。
面倒くさいので細かい定義づけとかしないけど、オタって第一世代、第二世代に加えて第三世代が今増えつつあると思うんだ。
オタ第一世代と第二世代ってのは第一世代のオタ論客が主に使ってると思うが、ぶっちゃけ、自分の感覚と近いのが第一世代、ずれてきてるのが第二世代。程度じゃないかと。と、いうのはあんまりなんで、一つものさしとして「『萌え』が分かるかどうか」というのが割と使い勝手のいい踏み絵になっているように思う。
で、第二世代と第三世代。おおざっぱに言うと第二世代を象徴するのがPC、第三世代を象徴するのがケータイじゃないかと。インターネットに求めるものに情報の比重が高いのが第二世代。インターネットに求めるものにコミュニケーションの比重が高いのが第三世代と言えるかもしれない。
もちろん乱暴で無根拠な定義づけなので異論反論大いに結構。つかしておくれ。
まあいいや。疲れてきたので先に結論を言っておく。私にとって「らき☆すた」は原作はつまらなかったが、アニメ版は非常に面白かった。のに、なんだよお前ら最終回のあの反応はー。いいじゃんか白石。私は大好きだぞ。
って感じ。
アニメ版の何が面白かったかって言うと。
まずOP。最高。これは多分私ら第二世代にも異論は少ないんじゃないかと思う。曲、映像、シンクロ度全てが高いレベルにあり、アニメ史上語り継がれるOPとなるだろう。
本編。原作で食い足りなかったオタネタだったが、かなり補強されている印象。というか京アニの自己パロディが多いらしいが詳しくないのでよく分からない。分からないから面白くないという訳ではない。分かったり分からなかったりするから面白いのだ。
オタネタというのは全然分からないのと全部分かるは等しくつまらないのではないかと思う。
そして、そして、らっきー☆ちゃんねる。これこそがアニメ版のキモ。ぬるい日常からエキセントリックな言動飛び交う劇場。この対比が実に面白かった。
後半の白石実写ED。あのバカバカしいスタッフのオナニーショーは第二世代な私は「ウゴウゴルーガ」を思い出した。好き勝手やってる感じがとてもよいんだが、ニコニコ眺めるに非常に不評のようだ。なんでだよ。
すげー尻すぼみの文章になったけど時間切れ。あとでなんか追記するかも。
何が悪いのかわからない。
本編がぶち壊し?まともにしろ?
アニメオタク(笑) に受けたので最後までその路線を貫いただけ。
怒るのならまず供給より需要元を叩けよ と小一時間
どうせおまいら最終回だけまともにしても
「肩透かしを喰らった」とかなんとか言うくせに。
2chで「ニコニコでは後期になると批判も大きくなっていっていた」とか何とか見たが
そんな違法(「見るだけは正義!」pgr)視聴者のことなど知るか。
ネタにしたとしてもなんでそんなやつ等の批評なんか汲み取らなきゃいけないんだ?
どうせ買わないのだから。
(「ニコニコ市場で買っている香具師もいる。これは宣伝だ。」なんてお笑い事を書いていた奴がいたが
どう考えても買う奴は元々買う前提の奴ばかりがほとんど(影響されて買った人間も少なからずいるとは思う)で大部分は見て満足だろ。(なら見た奴全員が買っていない証拠を見せろと言われたこともあったがそれは悪魔の証明なので無理。)
どこかの動画で見たが「買ってみましょう」のタグ。もうね爆笑したよ。アフォかと。
と決め付け話で論点がずれたところでお開き。
角川GHDが急騰、アニメ「らき☆すた」DVDが業績のけん引役に
http://www.kabushiki.co.jp/single/kshp041-02.jspx?id=000114DE41CAF23FD541EC0E2DB7AA3F
最近ふと気付いたのですが、僕は、相当男くさい系の映画が好きなんですね。映画『ゴッドファーザー』は、男は、父親は、どう在るべきか、どう生きるべきかと全編を通して強迫的なまでに問いかけていると思います。
メジャーで公開される戦争映画は、かなりの割合でちゃんと見ています。『ブラザーフッド』『男たちの大和』『硫黄島』『父親たちの星条旗』も見ました。古代スパルタ王国に材を取った『300』でも、筋肉美を誇示するかのような男たちの勇壮な戦いぶりを楽しんできました。アメリカ沿岸警備隊の『守護神』も良かったです。
その一方、青年期前期の女性を描いたコミックやアニメも好きです。『プリキュア』『ローゼンメイデン』『らき☆すた』『ハヤテのごとく!』はとても有名だから、取り立てて言うほどではないかも知れませんが。
「青年期前期の女性」というのも徒らに硬い言い方ですね。ええ、「目の大きい可愛い女の子が沢山出て来る系」と言えばその通りです。心無い人はすぐにロリコン呼ばわりするかも知れませんが。ただ、基本的にはあまり「萌え」ていないと思うし、「萌え」は良く分かりません。むしろ、英語で言うところの interesting(興味深い)というニュアンスに近いのではないかと思っています。
両極端ですが、現実ではどうあっても自分が生きられない世界に触れて、補おうとしているのでしょうか(表面的に軽く自己分析)。ちなみに、少年誌的な世界にはあまり惹かれません。
本田透『喪男(モダン)の哲学史』という本は面白かったです。古代から現代に至るまでの思想を総覧しながら、著者の主張はぶれることがありません。現実への絶望・失望が文化を形成してきたのであると。ただ、やや希望を持った解釈をすれば、3次元(現実)の世界のみならず、2次元(脳内)の世界は必要であり、2次元の暗部を現実に漏らさない自我の強さを持ちながら良い部分を投影していくことで現実は豊かなものになるであろう、という主張も同時に行われていると思います。
…さて、『らき☆すた』を1篇見てから寝ることとしましょうか。
・遠見タイプ
商業主義の権化と見るタイプ。作品自体にはあまり興味を示さない。量産型萌えアニメであり、適当に消費されて消えゆく作品と認識。
何が受けてるのかわからなくて混乱するタイプ。ギャグ?つまんねえよ。パロ?芸がねえよ。萌え?くだらねえよ。踊ってる奴って馬鹿みたい。
・ニコ房タイプ
踊りたいタイプ。OPの電波ぶりを高く評価する。作品をナマモノであると認識しているので、DVDなどは買わない。というかニコニコ動画専門。アンチタイプのことは中二病扱い。
・ニヤニヤタイプ
ごく普通に楽しむタイプ。具体的には、こなたとかがみの掛け合いにニヤニヤする、など。パロネタも適度に心地よい(メインディッシュとしては見ない)。白石EDには苦笑。
・渇きタイプ
癒し系として見るタイプ。「可愛くデフォルメされた女子高生らの、可愛くデフォルメされた普通の日々」に潤わされる。その陰には失われた青春が――。パロなどはどうでもよい。わりと原作派に近い。
以下省略
こんな事はわざわざ言うまでもなく全員分かっている事だろうが、どうも暗黙の了解が故に
「本当に理解らない」人間がいるようで。一応言っておかなくてはならないようだ。
一つの場に集まり、みんなで見る事で楽しくなるのは「らき☆すた」に限った事ではなく、
すべてのアニメに言える事である。いや、アニメに限った事ですらないのである。
例えば映画。
誰かと一緒に映画館で映画を見た帰りに喫茶店で会話に花を咲かせる、なんていう
どこでも誰でも当たり前に行われている光景は、まさにその「場」としては最小の物であろう。
それが「らき☆すた」の場合はたまたま極々最近隆盛したニコニコ動画がその「場」として作用しているが、
ニコニコ動画以前にも、何年も前から2ちゃんねるでアニメについて語り合う楽しさを誰もが体験しているはずである。
どんなアニメも、ネットを介して意識を共有する事は楽しい事なのである。
歴史をたどれば12年前の「エヴァンゲリオン」の時ですらパソコン通信という場が作用していたのである。
だから「らき☆すた」を肯定する時に「みんなで見てるから面白いだけ」と言うのは正しくないのである。
どうもこの論調を持ち出す人は、「らき☆すた」が評価されている事を苦々しく思っているものの、
この論調を立てることで“仕方なく”肯定しているように見える。
いわば免罪符にされている感がある。……そこまでして何が彼らを「らき☆すた」に駆り立てるのだろうか?
一人でアニメを見て、そのアニメについて誰とも会話する事なく、一人で消化し、満足する。
そんなやり方でないと作品を肯定できないのなら、これほど寂しくて、惨めな事はないだろう。