はてなキーワード: ももちとは
私は、どちらが大切ってことはないと思うな。
たとえばアメリカのトイレは便座が高いとか、リオデジャネイロのビーチは砂が粗くて軽くて、海に入ると波にまかれた砂にまみれちゃうとか、そういう細かな発見や体験がたまっていくのが面白い。
一人でただ行ってうろつくのでは限界があるから、情報収集もする。
地元のガイドさんから街の歴史を学んだり、そのへんのおばちゃんに話を聞いたりすると、目に見えているものの理解が深まって楽しいよ。
ハノイは「河内」の意であるとか、上海育ちの人が自分を「中国人」というより「上海人」だと感じているなんて話を聞けたりする。
海外からの留学生に観察されて、逆に自分について知るのももちろん楽しい。
そういう人向けに、「日本ではこういうことが普通なんだよー」と紹介できるネタを持っておくとなお面白い。
海外云々でなくても、マッカチンの話だってそうだ。普通にその言葉を使っている人にも、初めて聞いた人にも、お互いがコミュニケーションをしたことで発見があったでしょ。
さらに請求を定額プランと組み合わせると、安心だフォンだけが210円引きになるよ。
安心だフォンからの通話は「10.5円(接続毎)+10.5円/60秒(同一区域8-23時)」だね。
できるだけしないほうが安いけど。
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彼女が一時期使ってたまだ綺麗なこれ余ってるんだがいらんかな?
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元記事にもトラバ
Natural born ○○オタ(/マニア/エンスー)みたいな人というのはもともとある程度いて、なにかの代替・代償としてオタになる人というのももちろんいる。○○の市場規模が小さく、世間での認知度が低い状態だと、○○オタの内訳としては前者の割合が高く、後者の割合が低い(後者がいないということはない)。
何らかの要因で○○の市場規模が大きくなり、世間での認知度が高くなると、○○の「発見」が行われるため、後者のタイプの人の流入が増え、その割合が増える。前者はすでにほとんど掘り起こされつくしているので、数としてあまり増えないからだ。
さて、当然○○をそれを趣味としない人々(とりあえず普通の人々と呼ぼう)が興味を持つようになるのはこの段階である。なぜならそれ以前の段階では、普通の人々の視野に○○の存在が入らないからだ。そして普通の人々の興味の対象は、○○そのものではなく(そのものに興味を向けるひとはもはや普通の人ではない)、なぜ○○が自分の視界に入るようになったかであるため、○○の規模を拡大させた後者のオタの動機、すなわち「魂の叫び」こそが興味の対象となるのである。
だから、
というのは忘れてはいけないことながら、論全体における重要性は低い思います。
お世辞にも敬虔な信者とは言えないけど、籍は置いてるからそう名乗っても間違いじゃないだろう。
協会(エホバの証人の法人組織、「ものみの塔聖書冊子協会」のこと。日本支部は神奈川県海老名市にある。)は繰り返しインターネットの利用に慎重にあるようにとの指示を出してるので、こんな所に書き込みしてる時点で不良信者であることが自明ですね。
で、そんな指示を与えられてるわけなので、この広大なネットには現役証人の割合ってのが低すぎるわけです。オレはこのブロゴスフィアってのが大好きで、色んな境遇にある人の色んな文章を読める状態ってのが素晴らしいと思うんだけど、だからこそネット上の現役人口が低いのがどうにも面白くない。本当はエホバの証人の日常を書いたブログが、たまーにはてブの注目エントリにでも入って、色んなコメントが付くのが健全だと思うのだけど。
といっても、匿名ダイアリーに書いてることからも分かるとおり、普段書いてるダイアリーとかでは自分がエホバの証人であることは明かしてない。自分のIDにエホバの証人という属性を付与するのが、まあ、怖いというか。数年はてなやっててそれなりに気に入ってるもんでね、今のIDのキャラ。もしもまかり間違って匿名ダイアリーの書き込みIDが見える事故なんかが起きたら、それはそれで受け入れるしかないか、ぐらいの覚悟はしていますけど。
で、なんでこんなことをつらつら書く気になったかというと、まあきっかけははてブの注目のニュースに入ってたこれ。
あとこのニュースのブックマークコメントで紹介されてた幾つかの記事も。
まああくまできっかけであるので、それらについて具体的に語ることはしませんが。(聞かれたら応えられる範囲で応えます。即レスは無理かもしれないですが)
さて、今現在オレはエホバの証人であることをどう感じているか。実はあまり深い感情はない。週3回の集会や、月に数回の野外奉仕(つまりは宣教活動のことです)は、母親が聖書研究し始めた小学校の頃からの習慣なので、あまり大変とも感じない。仕事で残業が必要になった時とかは躊躇なく休むし、なかなかあえない友達に会うとかのときは遊びでも、そっちを優先する。この通りネット大好きなので、エホバの証人の信条を否定する情報にも触れてるし、もちろんその中には的外れだなあと思う批判ももちろんある。こんな風にやってると、エホバの証人の信条は絶対的なものではなくなる。じゃあなんでエホ証続けてんの? ってことになると思う。
じつはそれは、オレにとってエホバの証人の信条が「絶対的なものではない」からだ。
うちの家族は両親ともにエホ証で、妹もエホ証。ちなみに母と妹は正規開拓者(野外奉仕に月70時間費やすと宣言してる人のこと)。いわゆる神権家族ってやつだ。父が証人になったのは、先に学んでいた母の証言によるのだが、実はその前、父は消費者金融から借金をしていた。詳しい金額は知らないのだが数百万は間違いなくてもしかしたら一千万越えてたのかもしれない。それが元で夫婦仲は良くなく、母はオレや妹に離婚をほのめかすこともあった。まあそれから色々あって家を手放したりしつつも借金はなくなり今は親もオレもアパート暮らしだが、家族仲は良好だ(母親の一番の悩みはオレが信仰に熱心じゃないことなんだろうけどね)。今の状況は、決して裕福ではないにしろ、昔と比べたら間違いなくいいものだと思うし、それをもたらしたのは間違いなくエホバの証人とその教えなんだ。それだけではないけど、影響は大きかった。
つまり、オレにとってエホバの証人という存在は、けして悪いものじゃない。けれどネットの情報に触れて、それは絶対的なものじゃなくなった。ならば、オレはエホバの証人を捨てるべきなのか。エホバの証人はカルトだ、だから抜けろ。そう短絡的に言われても、エホバの証人の信条が完璧だなんてオレだって思ってないよ、でもオレにとって、間違いなくいい影響をもたらしてくれたんだ。だったら、それは他の道を選ぶのと何が違うんだ? 仕事に生きても、恋愛に生きてもオタク趣味に生きても、楽しいこともあれば虚しいこともあるなんてのは当たり前じゃないか。だったらそのどれを選ぶのも同じじゃないのか?
取り留めなくなってしまったけど。投稿。読んでくれた方はありがとう。
追伸。こないだ映画『300』見てきました。腕チョンパ、首チョンパ盛りだくさんだったけどすげえ面白かったです。かっこよかったです。あとオナニーも好きです、気持ちいいです。
でも聞いて欲しいという心理(´д`)
あまり書くと個人が特定されちゃうので見られた方はもどかしいかも。
今居る会社はとても小さく、社長は同一の別会社が数社小さなオフィスに固まってます。
なのでお互い助け合う、というのは自然な流れです。
全般的な事務というか雑用全般とかやる女性が2人、AとBが居ます。
しかし、正確はキツく、わがまま。自分のその時の感情でものを喋るので話の整合性はなし。
自分の気に入らない事があればすぐ怒鳴る。細かい事までグチグチいう典型的A型の悪い例。
Bは、のんびりタイプ。田舎でそだっただけあって何事もゆっくり。超O型。
ゆっくりな上に理解力が乏しく、Aは常々Bに当り散らす。
しかし、私の性格はBに近く(血液型が同じOだからか?)、言動は理解できる。
話は少し戻って、小さなオフィスなので他の会社の電話にも、担当者が席を立っている
時は別の会社でもでる。もう数年経つので、だいたいの対応はわかってきたので
よっぽど込み入った話でない限り対応はする。ま、日中なら基本的に取り次ぎなだけだし。
しかし、AやBは電話に出ない。業務内容が全然違うからどうしていいかわからないという。
ただ「少々お待ち下さい」とか「連絡を取ってみますので名前とご用件を」と言えばいいだけだ。
Bはまだ出ようとするが、一度私がAの機嫌を損ねBに「出るな」と同調をさせて以来そんな感じ。
そういう感じで、なかなかひどい環境なので社長に改善を求めるも社長は悪化はさせても改善はできない
この社長もひどいもんで、自分の仕事をほおり投げて、お客さんがきても
とある趣味を始めると1時間でも平気で待たせる人。
他人の悪いところ見つけるとねちねち攻撃し、「屁理屈を言う奴はダメだ」というくせに
日常的に、Aは一方的にBを攻め、物凄い大音量で怒鳴るが、気持ちが満足すれば
自分のうちや近所の話やグチが始まり、仲良くしたい風にも見える。
で、Bが居なければ不安げな顔をし、まわりに話し掛けまくる。
もちろん私にも来るので、仕方なくあいてをする。仕事を止めて。
そこで怒鳴る事や一方的に攻めるのは聞きづらいと直接言おうものなら大変な事になるので
慎重に落ち着いて時間をかけてなだめる。
「君はすごいね、冷静に見れるなんて。私もそうしなくちゃ」
とかいうが、結局元に戻る。
よくAはBに「私がこれだけ言っているのに何故わからない!変らない!」とか平気で言う。
それはお前じゃ。
一度、怒鳴り中になだめようとして「お前には関係ない!」といわれたことがあって
それ以来、最中には口をださないようにしているが、一度怒鳴り中に
「今の聞いていた?私こういったよね!?」とAから言われた時はさすがに切れた。
「なんで関係ないと言われたのに全部話を聞いてなきゃいけないんですか?」
私は切れると非常に言葉が丁寧になる。怖い。きっと怖い。
さすがにその時は黙り込んだけど、結局いつもそんな感じで一時の感情でしゃべられ
すっきりしたら一人で機嫌のいいA。
Bも自分を変えようとしない。
社長は解決できない。
http://anond.hatelabo.jp/20070507193018
まったくその通りだと思う。もちろん金持ちは金を使えと偉そうに言うつもりはないけど、使った方がいいのは事実だ。
http://www.aikido-nipponkan-japan.com/06-34.html
リキシャの狭い座席にマジ君と乗った私は彼に尋ねました「凄いね、彼は運転手付きだよ」「これだって運転手付きさ」私は大声で笑ってしまいました「金持ちは、苦しい人を雇い、その家族さえ養っているわけ、だから彼は人助けしているんですよ」アッサリと言い切るマジ君の言葉に、以前同じ様な話をブラジルやニカラグアでも聞いた事を思い出しました。裕福な者にとってそれは当然の事であり料理人や庭師、洗濯人、運転手など少しでも多くの人を雇う事が「徳を積む事」であるという話です。
少なくともこの社会では、人を雇うことは「社会的に良いこと」とされてるわけだ。そして次のようにう続く。
いろいろな問題も潜在する事でしょうが、失業者や弱者の救済は国の責任と突き放す国々には存在しない、国体自体が腰の弱い開発途上国独自の社会福祉システムと私は理解しました。
これとは逆に、国の社会福祉が充分だからと言って何らかの形での弱者への救済は必要ない、という訳ではないんだよね。金は力だ。それは社会福祉の充実した国でももちろん変わることはない。金は人を救うことができる。
たとえば少なくとも貧乏ではない人は、土地を蝕まないような栽培を行っている有機栽培の考えに賛同した時、その食品を優先的に買うことで農家の人を有機栽培の商売としての厳しさから少しだけ救済することができる。金持ちにもなれば企業したいが金がない人に投資することもできる。高いランチだって同じだし、色んな場面に金の力は影響する。これがわかってない人って、少なくとも小金持ち程度までの間は多いと思う。金は価値を生み出す道具だけど、金そのものが価値のように思えてしまうんだろうね。
通る声…ねぇ。私は生まれつきめちゃめちゃ通る声だから、いざ説明となると難しいなぁ。でも声楽の勉強もしたからね。
http://anond.hatelabo.jp/20070504100806
まず、落ち着いて喋るだけでも伝わりやすくなるよ。朗読する感じっていうのか。滑舌があまりよくないっていう人に共通しているのが、案外自分では喋ったつもりになってしまっている、というパターン。録音して聞いてみると結構わかるんだけど、肝心な部分が早すぎたり、自分の中で分かり切っている単語を発音してなかったりするかもしれない。
よく通したい場合には、声を喉で出す、という感覚をまず切り離すことかな。トランペットだって、音源はマウスピースかもしれないけど、実際に「鳴る」のはコーンの部分だし。生身の人間では、コーンに相当する部分はいっぱいあって、ぶっちゃけ胸から上全部なんだけど、頭蓋共鳴をうまく引き出せればよく通る声になる。頭の上を飛び越えて届く声になるのね。
http://anond.hatelabo.jp/20070504124247
そう、子音強めももちろん大事なんだけど、それって聞き返されないようにするとか雑踏で呼び止めるとかいうときにはそれほど有効じゃないんだよね。カラオケでやると1ランクうまくきこえるし、講演会とか授業とかでは伝わりやすくなるし、そういうことでは有効だけど。聞き取りにくい条件での判読率を高める場合は、なんといっても母音が効くわけ。
参考までに、私の声がどのくらい通るかというと、混雑時のJR渋谷駅の大階段で、上にいた人が、一番下あたりで友人と普通に喋っていた私の会話を内容まで聞き取れた、というくらい。あと、普通の建物だったら、1階の踊り場から階段を通して3階の人を呼ぶことができる。でも、いいことばかりではない。生まれてから小学校ぐらいまでは普通に喋ったり泣いたりしていても相当耳障りだったらしく、親に虐待されていた。
その通りなんだけどさ、だからこそパーソナリティーの希薄さをなんとかしようとするモチベーションが生まれるんじゃないかな。
コミュニケーション能力があれば(卵とニワトリ的な部分もあるけど)ある程度のコミュニケーション経験に踏み出せるから、自分が相手にとってコミュニケーションするに足るパーソナリティーを持っているかどうかを試される機会が増えて、そっちもなんとかしないと、って実感できるんだと思う。
コミュニケーション能力に劣っていてもパーソナリティーが魅力的な人って言うのももちろんいるけど、それは偶然そういう人がいるだけで、教育のモデルにはならないんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20070329104021
よく考えてみると股間のモノに対するコンプレックスって全然無いな、と思った。
題名の通り、小学校に入る前にバイ菌が入ったか何かでチンコを手術したついでに皮を取ってしまったせいだと思う。
まあ理由は親父の家系に包茎の人間が多いから、ついでだし、この機会に取っちゃっていいんじゃない?という親の配慮からだった。
当然のごとく、小学校時代はそれを理由にイジられ続けた。
小学生ってのは基本的にバカだから、小便してる最中に人のモノを見るという遊びが一時的に流行り、そこからバレたりしたんだが、そのときのコメントがひどい。
「うわ気持ち悪ッ!!」
「なんだこいつのチンコ!!グロい!!!」
自分から見といて『グロい』ってなんだよ、とか思った。
幸いにもイジメにまでは発展しなかったが、あまりにも周りがそれをネタに異端児扱いし続けるため、こっちがブチ切れて殴りあいのケンカに発展したことがあり、さらにはそのせいで学級会まで開かれ、
全員(女の子ももちろん含む)の前で「チンコが皮を被ってるのはどういうことか」を赤面しつつ説明する羽目になり、なんて俺は救われないんだと、自分の運命を呪ったこともあった。
当時は、
「お前らも大人になったら、俺みたいになるんだからな!!!!」
って反論してたが、周りの奴らは
「ならねーよ!!バーカ!!!!」
と、話にならなかったが、本当にならなかったんだろうか。
(ならなかったらならなかったで悲劇かもしれんが)
まあ、今は親に感謝です。
俺はmixiをやっている。
と、そいつらを批判・文句する奴ら。
そのせいで、掲示板が荒れることがよくあったりする。
しかも、たちの悪いのは、前者はそのまま通報されて退会し、
逆に後者は、いかにも自分は正義だと言わんばかりに、誇らしげに偉そうにして、別のところで
「最近mixiも変な人が増えてきた。マナーのない奴らが多くて困る」
と言う。
ホントにそうか?
ネット上の暗黙のルールとして、たちの悪いやつは、スルーするのがある程度基本のはず。
いたずらにまやかしの正義感を出し、批判することが逆効果な時が多い。
彼(彼女)らの言い分はこうだ。
「マナーの悪い人は「ネットと言う匿名性から、好き勝手をしても問題ない。どーせネットは限られた空間で、公共の空間ではない、現実社会では何も自分には問題はないから、何をしたってあなたがたには関係ない。」と、そう思っている人が多い。」と。
しかし、本当にそうか?
匿名に守られているのは、この後者にあたる批判側にも当てはまる。
「匿名であるから、どんなに批判しても、個人の正義感を適用しても、現実の自分に降りかかることはないだろうから。」と。
まぁ、mixiに限られたものじゃないけど、mixiというのは、インターネット・パソコン通信というものに慣れておらず、ネチケットやルールを知らぬ人間が多い。
今、社会で問題になっている、電車内でのマナーや、その注意行為。
マナーの悪い行為をしている若者・年寄り・子供らに注意をする人がどんどん減っている。
それは、注意をした側が、逆に迷惑、悪いことをしている、と周りに思われていたり、問題を起こした張本人のように扱われるようになっているからだと私は思う。
ネット・mixi上で批判・注意をしたがる奴らは、現実のこんな場面で注意をしてるだろうか?
多分答えは、してない、だろう。
迷惑が自分に降りかかるのが嫌だから。
もしくは、自分が罪の意識に苛まれるから。
結局、[匿名]に守られているのは、どちらも一緒だろう。
まず人間と動物(ここでは人間を含まないということにして)の違いは
理性を持っているか持っていないかとされている(少なくとも人間の間では).
理性「感情におぼれずに,筋道を立てて物事を考え判断する能力」(goo 辞書より)
その一点だけが理由かどうかは自分には分からないが,
< 引用 >--
神はまた言われた,
「われわれのかたちに,われわれにかたどって人を造り,
これに海の魚と,空の鳥と,家畜と,地のすべての獣と,
地のすべての這うものとを治めさせよう」
--
となっている.
人間は「動物の生死を自由にしてよい」という暗黙の了解があるように思う.
それと同時に「動物を管理する」という役割も担っている.
1)人間が生きる為に理由があって動物を殺すのは「正義」だとみなされる.
2)動物を理由なく無差別に殺害するのは犯罪であり「悪」とされる(よね?).
2)のような行為を行うのは
「感情におぼれずに,筋道を立てて物事を考え判断する能力」を失っている,
つまり「理性」を失っているとみなされる.人間唯一の能力を失っていた時点で
その人は人間である為の条件を満たしていないとみなされ裁かれてしまう.
と,ここまでは一般的に人間が動物を殺してよい理由だと思っているが,
基本的に人間はどんな理由があろうと人間を殺してはならないとされている.
人を殺すのはその人の「理性」を殺すことであり「悪」とされる.
という考え方はどうだろう??
(では「理性」を失った人間を殺してもいいのかという新たな疑問がわくが…)
http://anond.hatelabo.jp/20070303174050
訳:「あなたはもう私の頭の中には居ないの」=お互い真っ白にして歩き出しましょうね!
頭の中にいないのなら、はじめましてのご挨拶しとかなきゃと思って、
行動がやつらしいな、とは思うんだけど容赦がないよね!
なんかでもこういう考え方は素敵だな。わたしもしばらくして別れた人がニュースに出て
(悪さしたわけじゃないよwww)おお!って思った!けどそれ以上もそれ以下の感情もないよ。
自分のことのようにうれしかったの確かだし!がんばってください><
ニュースって・・・。
俺もわかれた後にニュースでとりあげてもらったので、、、なんか変な汗かいてきました。
結構高い。うん。高い。ね。ね。ね?
わかれた彼女に見つけられた気分。うほ。なんか正座したくなってきた。
泣きながらわめいていいか?
おまえさまや元カノのような行動にひとこといいたい!
・・・いや、とくに改まって言う事もなにもないんだけどさ、、
というかね、わかれる原因ってなんかあるの?
教えてほしい
1.ドキドキとかキュンキュンがなくなった
2.なんとなく顔みるのに飽きた
3.性格があわないなと思った
4.将来に不安を感じた
5.あっちがあわなかった
6.気分でわかれてみた
7.細かいストレスが少しずつ蓄積して
8.容認しがたい事件があった
9.もっと他にいい男がいるんじゃないかと思えてきた
6番か?6番なのか!
俺の元カノの場合、ストレスのはけ口として物を捨てるという衝動があって、
テレビ処分して、冷蔵庫処分して、部屋処分したあと捨てるもんがなくなって俺が捨てられたみたいな。
ちくしょうー、なんでもかんでも捨てすぎなんだよ!!
がるるるる。
もったいないお化けが夜中でても知らないぞ!
いや、未練がましいとかそういうんじゃなくってさ、
よりをもどしたいとかそういうのももちろんあるかもしれないけどさ、
たぶん一般的に男は一定以上親しくなった人には家族的な愛情をいだいているのさ。
娘が結婚してどっかいってしまうのは悲しいけど仕方がないとして、
連絡もとれなくなってしまうともうお父さんどうしていいかわからないよ。
時々思い出したように切なくなるんだ。一年とかちょっとじゃ癒えません。
Duplicate Error.
Please contact the Your well konwn administrator.
いや、だからホントごめんって。でも、昨日の今日で予定変わる?いや、変わることももちろんあるだろうけど、そういう場合、「大丈夫だった」じゃなくて「大丈夫になった」って書くと思うんだよね。いや、でもごめん。あと、モテじゃない。
友人に私から見ると凄い良い男がいるのだが、全然結婚できる気配がない。彼女もいない。
とっとと捕まえて私のものにしたい。
彼の嫁になってこれから何十年か尽くして支えて生きたい。
しかし、私は残念ながら男だ。
奴のものをケツに叩き込まれるのも嫌だしその逆ももちろん嫌だ。
まあそんなわけで奴は友達で、これからも友達だ。
あまりべったりすると奴が結婚できなくなったりして奴の子孫が生まれなかったりすると嫌なので、ほどほどに疎遠でしかし知人までは遠くならないように気を使っていたりもする。
残念だなあ。なんで私は男なのかなあ。
それにこんなんだから、私も彼女できないんだろうなあ。
いわゆるアルファブロガーの文章をコピーしたレポートを拝む機会があった。IT化を推進するその授業では、学生たちが提出したレポートをWEB上で全て読むことができる。その中の一つ、梅田氏の『ウェブ進化論』について書かれたものが、R30氏の書評まんまだった。自分がこの本を読むきっかけとなった文章だったから読んですぐにわかった。剽窃された部分はほとんどいじられていなくて、後からとってつけたような彼自身の感想とR30氏の評が、見事なほど分離している。あまりにも惨めだ。
一部の学生によるものにすぎない、と理解はしている。だが、仮にも日本の決して少なくはない高校生が目指す大学だ。その格差にはあまりにも決定的なものがあって、思わずうなだれたくなる。その学生はたぶん、自分の拙い感想文より、ネット上に転がっているそれらしい文章のほうが、時間もかからず評価も上がると考えたのだろう。だが、皮肉なことに、その行為自体ももちろんそうだが、剽窃した結果出来上がったレポートはむしろ彼自身の無能さを垂れ流すものとなってしまった。彼は自分の文章と他人の文章の違いを理解し寄り添わせることすらしなかった。いや、できなかったのだ。圧倒的な力量の差が見えなくなっているほど盲目化している。
結論としては、コピペすんならもっとうまくやれ、である。そもそもあんなメジャーなところからコピーするのがアホすぎる。その時点でネットリテラシーがないのが露呈してしまうし、こんなことにgoogleが利用されるようでは梅田氏も草葉の陰に隠れて泣くしかない。確かにレポートのコピーはネットが普及して進化した。だが、手段が簡易化しても利用者が変化するわけではない。レポートコピペ2.0は、哀れな学生たちを厳しく白日のもとに曝す役割を果たすことになるだろう。本人たちが無自覚であるだけで。
そろそろ社会に出る年齢なので、近い将来のことは最近よく考えるんだけど、
今日はなんか恐らく現実になるだろう妄想がやけに加速して泣いてしまった。
哀しみとか絶望とかももちろんあるんだろうけど、何かもっと色んな感情がないまぜになって
堤防が決壊してしまったようだ。こんな思春期真っ只中みたいな泣き方したのは本当に久しぶり。
あんまり久しぶりすぎたので、泣いた後のスッキリ感と懐かしさとが合わさって
今物凄く晴れ晴れとした気分だ。さっきまで十人並みとはいえ不幸のどん底を覗いてたっていうのに。
こういうことを考える時間は大抵夜で、後は寝るだけっていうのもなんか都合がいいもんだね。
寝りゃあ大抵のことは忘れられるっていうのは嘘だけど、大抵のことはちょっとだけ薄まってくれる。
そんでもって近い将来に今日の妄想が現実となってしまっても、すっかり薄まりながらも
刻み込まれた今日の記憶がイメージトレーニングの役割を果たしてきっとダメージを軽減してくれる。
俺が最悪な人生を生きていくために他にも色んなことが最低に都合よくできてる。だからもう寝よう。