私は、どちらが大切ってことはないと思うな。
たとえばアメリカのトイレは便座が高いとか、リオデジャネイロのビーチは砂が粗くて軽くて、海に入ると波にまかれた砂にまみれちゃうとか、そういう細かな発見や体験がたまっていくのが面白い。
一人でただ行ってうろつくのでは限界があるから、情報収集もする。
地元のガイドさんから街の歴史を学んだり、そのへんのおばちゃんに話を聞いたりすると、目に見えているものの理解が深まって楽しいよ。
ハノイは「河内」の意であるとか、上海育ちの人が自分を「中国人」というより「上海人」だと感じているなんて話を聞けたりする。
海外からの留学生に観察されて、逆に自分について知るのももちろん楽しい。
そういう人向けに、「日本ではこういうことが普通なんだよー」と紹介できるネタを持っておくとなお面白い。
海外云々でなくても、マッカチンの話だってそうだ。普通にその言葉を使っている人にも、初めて聞いた人にも、お互いがコミュニケーションをしたことで発見があったでしょ。
よくね、「俺海外のこんなところに行ったことがあるんだぜ??」って自慢するやついるじゃん。 それであたかも人生経験豊富のように振舞うじゃん。 それは日常と違うものにどれだけ触...
私は、どちらが大切ってことはないと思うな。 海外でも国内でも、実際行ってみるとなにか発見がある。 たとえばアメリカのトイレは便座が高いとか、リオデジャネイロのビーチは砂...
別に海外でもなんでもいいけど、知らなかったものを吸収しようとしてきたことの積み重ねこそが人生経験なんじゃないの? 「海外なんていったことないもん!」ってすねるじゃん。 ...
駅前と海外を同じ土俵で扱うのは乱暴にも程があるというもの 駅前では凝り固まった自分の中の何かに圧倒的な破壊力とともに気付くことはできない
このあたりはいかがでしょうか anond:20070710221227