はてなキーワード: おもしろいとは
http://anond.hatelabo.jp/20081121005156 元増田です。
おもしろいですね!
おそらくマーケティングに詳しい方のほうが良いとは思いますが、
「スイーツ」が若い女性に訴求力を持ったことにコンビニ業界が目をつけてもおかしくないですね。
亜種というより、セカンドorサードステージではないでしょうか?
いわずと知れたネットスラングである。
女性誌、特に女性向けファッション雑誌に多く見受けられるバズワード的なキャッチコピーを用いたマーケティング戦略にマインドコントロールされているかのような一部の人たち(主に女性)を揶揄するインターネットスラングである。
(略)
転じて、女性誌に限らずマスコミの恣意的な報道を鵜呑みに信じる者、メディア・リテラシーのない者、ひいては流行・快楽ばかりを追従し、一般常識や知識やモラルが欠如した若年女性を総称して指す風潮にある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%84%EF%BC%88%E7%AC%91%EF%BC%89
噛み砕いて言うと、「おいおい。マスメディアの戦略がつくった流行にのせられて菓子をスイーツとかいってんじゃねえよ(笑)」
という揶揄から始まり、
「こういうマスメディアが作った流行にほいほい乗っちゃう女って言うのはやっぱ頭ゆるいな(笑)」という種類の揶揄に繋がるのである。
女性誌が考えそうなキャッチコピーを利用して「マスコミに踊らされる女性を馬鹿にする」ことなんですね。
これを初めて知ったとき、私は「言いえて妙だなw」「なるほどねw」とかなり感心したものです。
というのも、確かに日本の女性ファッション雑誌の競争は激化しており、
より訴求力を高めるために情報の新鮮さや、感性に訴えるようなキャッチコピーが必要とされているのでしょう。
でもそれは単に女性が情報リテラシーが低いということを指すものなのでしょうか?
逆に言えば、ターゲット層の女性が感性の鋭さをもっており、情報を感性で取捨選択できるという言うことを指すのではと思いました。
(もちろん、スイーツ(笑)に代表されるような、“踊らされている”女性も確かにいることは私も否定できません)
時に「論理的でない」ことを男性は嫌がりますが、女性同士は感性・ニュアンスで事足りる場合があります。
どちらが高度なコミュニケーションだとは、一概には言えないとおもいます。
というより、ジェンダーが絡むと問題がややこしくなるので、「男は」「女は」という不毛な議論はやめておきましょう。
「スイーツ」
私は個人的にこう思います。
「スイーツは単なる西洋菓子でもデザートでもない、スイーツなんだ!」
つまりですね、「なんだよ、スイーツって。別にお菓子とかデザートとかで良いじゃんか。なんでわざわざスイーツとか言うの?」
という方に異論を唱えたいというわけです。
女性風に言うと、
「じゃぁ、なんでスイーツって言っちゃいけないの? “お菓子”とスイーツって、違うじゃない?」 ってね。
メディアを読み解くことからはじめてみましょう。
朝日新聞社「AERA」で1990年代には初出している。しかし女性向けに書かれたものではなかった。
現在の「スイーツ」と同じような意味で全年齢層に向けて書かれたのが、
2002年6月23日 朝日新聞朝刊 『アジアンスイーツ(ランランランキング)』
このころ(2002??2003)を境に、スイーツを関する記事が増えてきた。
また、自由が丘にあるスイーツテーマパーク「スイートフォレスト」ができたのもこのころ。
そしてスイーツ(笑)論争のターゲットにされる、『CanCam』(小学館)
こちらが残念なことにデータベースの範囲外で調べることはできなかったのです・・・。
(初出情報をお待ちしております。)
甘いもの。菓子、特に洋菓子をいう。【1990年代後半から】一般に使われるようになった。
[補説] sweetの複数形。
とある。
な、なに!1990年代?!
筆者は87年生まれなので、小学生のころには既にスイーツは一般的だったようだ。
(本当に?)
では、ネットスラングとして使われたのはいつごろなのだろうか?
筆者は2ちゃんねるを利用しないので、過去ログを検証することはできないので、聡明なネットユーザーの方にお任せしたい。
(まとめサイトなど初出と思われるものは存在しているのでしょうか?)
一応「バカ女語のガイドライン」というスレ?が初出なんでしょうか。(そうすると2007年?!意外と新しい)
しかし、少なくとも5年前まではスイーツ論争などは起こりえなかったのではないかと考えますね。
10年前に「ちょwwwスイーツwwww」なんて考えられないことです。
(そもそもインターネットはそこまで普及していないでしょうね)
しかし、90年代から使われてきたはずの「スイーツ」が、なぜ「バカ女の代名詞」として使われてきたのでしょうか?
90年代以降といえば、
・インターネットの普及
が相まって、それまで問題にされてこなかったような女性の特質が揶揄されるようになったのでしょうか?
この辺はよくわかりません。
で、本題に入りましょう。
女性が「スイーツ」というとき、それは大まかに言うと「西洋菓子」の事を指す。しかし、厳密に言うと西洋菓子でもないんですね。
感覚が鋭いかれらは、属するコミュニティの間でより微妙なニュアンスで物事を伝えたがるのです。
既存の形容詞だけでは言い表せない、微妙なニュアンスを伝えたい欲求があるのです。
同性同士結束したコミュニティを作る傾向にある女性は、(私の周りでは派閥抗争とかしていました。)
こうした「微妙なニュアンス」を感じ取る能力に長けています。 浮気などに勘が鋭い女性もいますね。(これは関係ありませんが。)
つまり女性が「スイーツ」とあえて言う場合には、マスメディアの戦略をある程度考慮しても、
それを選択した時点でまるで異なったニュアンスを感覚的にかぎ分けて使っている可能性があるのです。
この可能性を鑑みて、知り合いの女性たちにインタビューしてみたら、
スイーツにかんしては、「高級製菓」の事を指す傾向がありました。
“高級”の間は人それぞれですが、
「不二家はスイーツにはいらない」「コンビニ菓子ははいらない」「パティシエが作ったもの」「スフレやマカロンなどフランスの系譜のもの」「和菓子も入る」
など個人の線引きはあるように思います。
つまり、彼女達にとって「スイーツ」≠「菓子」であり、感覚的には別物なんですね。
もっと広い範囲で聞いてみるとおもしろいかもしれませんね。増田のみなさんはどこで線引きしますか?
「そもそもその感覚こそ、マスメディアに作られたものなんだ!」という人もいるかもしれません。、
そのことを全否定するつもりはありません。多かれ少なかれ我々はメディアの影響を受けているものです。そうでしょう?
しかし彼女達にとっては「スイーツ」は「菓子」でも「デザート」でもないようだということを主張して、駄文を終わらせていただきます。
豆知識(蛇足)
お菓子、という言葉は漢字が示すように昔は果物のことでした。実はイギリス英語(w)の「デザート」にも同じような意味があります。
大森学派?を取り上げているのは好感が持てる>id:fromdusktildawn
普通の人が読める哲学書の多くは大森学派の人たちが書いてるからな
あと、id:umedamochioの本はおもしろいけど、あんまり持ち上げすぎるものではない
分裂君が挙げている本の方がじっくり読むに値する
小飼弾についての評価は同じだな
あと、ついでにあのヒラメもどうにかしてくれ
でもな、ニーチェだけは止めてくれ
あれは劇薬だ
当たり前のように「これ嫁」はどうかと思うぞ
間違ってるとかじゃなくて、害が及ぶ
もし哲学の古典を勧めるなら「パイドン」とか「方法序説」とか普通の人が読めて、価値のあるものはたくさんある
竹田青嗣はちょっと哲学のおもしろさに気付いたらうさんくさくて読めないから
大森学派に関連する人たちの本を読んでいく方がいい
まあこのあたりは好き好きだけどねー
就活の自己分析をするには自分史を書く、っていうのがまあ普通らしい。
でも、中学時代が全然思い出せない!!
なぜ?記憶喪失?
先輩に相談したら「通知表見てみれば?」と。 (°∀°)なるほど!
で、母に探してもらうと・・・・
でるわでるわ。
え?学級委員とかやってたっけ?
え?放送委員も?
覚えてねー!
かろうじて覚えているのは、文化祭と部活の部長をやっていたことくらい。
昔からマイペースな子だったんだね。
その代わり責任感や達成度は二重丸かー。
なんか必死に一つのこと突き詰めてた気がする。
そうそう、この時期からゆとり教育が始まったから、総合の科目がある!
「可能性をぎりぎりにおしすすめて行く
ことこそが、私の存在理由を決定する。」
現状を維持しているだけじゃ成長もないし、つまらない。
「ひとは軽蔑されたと感じたとき最もよく怒る。
だから自信のある者はあまり怒らない。」
確かに私はそういう理由で怒ることが多いかも・・・
何に反発しているのかよくわからないけれど、
失恋して怒ったのも、相手が惜しくてじゃなくて、軽蔑されたと感じたのかもしれないね。
「人間には上・中・下の三種類がある。
上というのは、他人の良い分別を学んで、
自分の分別とすることである。
中というのは、他人から意見をされて、
その意見を自分の判断に変える人物である。
下というのは、他人から良いことを言われても、
ただ笑って聞き流す人間をいう。」
素直に、柔軟に生きていきたい。
「男は、そのすべてを捧げることを女に求める。
女がその通り生涯をかけて尽くすと、
男はその重みに苦しむ。」
あはは。まったくもってその通りw
・・・・orz (今度からは出し惜しもう)
男女は逆でも通じるけどねー!
「女の涙は、必ずしも今、口にしている事を
理由として流れているのではない。」
これもおもしろいな。女性って言っていることと思ってることも違うよね。
「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、
ほめてやらねば人は動かじ。」
人をモチベートするのは、とても大変!
そういう仕事をしてみたいけどなぁ・・・
「傷つきやすい人間ほど、複雑な鎖帷子を身に
つけるものだ。そして往々この鎖帷子が、自分の
肌を傷つけてしまう。」
いつまでも傷ついてられないから、もう殻を脱ぎ捨てなければ。
1つは何も奇蹟なんてないと思って生きること。
もう1つは、すべてが奇蹟だと思って生きることだ。」
中途半端だから苦しいのかもしれないですね。
「知っていると思い込んでいる人が利口なのではなく、
自分が知らないということを自覚した人が賢いのである。」
『無知の知』、ですね。
できるできる!
やれるやれる!
(松岡修造ノリもちょっときついなぁ・・・)
華厳の滝はやめとけ。二番煎じだから。真剣な奴は生きるべきだ。
生きるんなら好きなだけ悩んでくれ。それはともかく、この世はおもしろいぞ。
しかしもっとおもしろくする意味で俺は考えてみた。
(1)もっとブログ(特にはてなダイアリー)の宣伝をしてもいい。
一方で、俺にとっての匿名ダイアリーははてなダイアリーに載らないような微妙な話や載せられない危ない話を読む場であるが、たとえばブログに載せられない話はともかく、前者のような話をしている人の話では、その人の別の話も見てみたいと思う。そのためには自分のブログはこれですよ、みたいな宣伝もありじゃないかと思うんだ。正直俺はおまえがどんなにおもしろいやつかもっと知りたい。
そして、もともとは増田にあまり興味のないやつも、宣伝ついでに面白い記事を投下してくれるかもしれない。なぜなら僕自身が増田に書き始める前はおもしろさがわからず、たまたま書こうという意思が生まれないと書こうと思わない。宣伝はその起爆剤になる。
ただの宣伝にならないように、はてなダイアリー(またはid)に限ってのみのシステムにしないといけないかもしれない。
(2)記事とコメントを分けたらどうか。
たとえば従来のコメントは記事として出されてしまう。
しかし、「匿名」ダイアリーだからといって、コメントと元増田がいっしょにあるとすぐに流れてしまう。たとえば従来の形(コメントと記事がいっしょ)は保ちつつ、コメントに該当する記事の頭にはトラックバックとして「コメント(トラックバック):http://anond.??」みたいなのをつけれるシステムがあると、自分にとって関心のない元記事を読み飛ばすことができて、記事の多い匿名ダイアリーはより便利になる。
まあとりあえず、今思いついたのはこれだけ。できればいろいろアイデアをくれると嬉しい。批判ももちろん読むけど、まあクリエイティブな話が聞けるといいのだが。
うーん・・・
元々友達だと、「コイツブスだけどおもしろいからいいか」
元々友達だとそれはあるね。でも、
「ブスだからすぐやらせてくれるんじゃね?」
複数人で遊びに行くのにそういうのもあるのか・・・
なるときとならないときがあるよ。
元々友達だと、「コイツブスだけどおもしろいからいいか」とか、「ブスだからすぐやらせてくれるんじゃね?」みたいな動きが出るときもある。
「世の中は甘くない」と思うのが、なんだか現実的な考え方をしているようで、大人びた感じがして、好きだった。
そのうち、何をやっても、「こんなことで評価されるほど、世の中は甘くない」と考えるようになった。
そう考えるたびに、現実的に考えて目標を下げるようになった。「現実的な考え方をしている自分」が好きで、悲観的になり、目標がどんどん下がっていった。
同時に、「どうせこれをやっても、評価されるほど世の中は甘くないだろう」と考えるようにもなった。
「努力すれば何とかなる」と考えることは非現実的で非科学的な気がして嫌いになった。現実的に考えて、「努力してもどうせ上手くいくはずがない」と考えるのが好きになった。
すると、おもしろいように努力できなくなった。世の中にはおもしろいことがたくさんころがっているから、いろいろ挑戦してみたいという気持ちはあるのだが、「挑戦したい」→「上手くいくように、現実的に考えないと」→「努力しても上手くいかないんじゃないかなぁ」→「なんだか、やる気がなくなってしまったなぁ」→「とりあえず、保留ということにして、気分転換に遊んで、また考え直すか」→「遊んでしまう」ということを、繰り返した。
何度も繰り返して、ようやく、「「世の中は甘くない」と考えることが好きな自分」に原因があることを見つけた。
あれー?
おかしいなw
やばいところにリンクしてみようか?
近藤さん、血相変えるんじゃないの?
変えなかったらそれはそれでおもしろいが。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html
この本についてはどうでもよいのだが,このエントリーでいいたいことがわからない.
今世紀においてこれまで書かれた中で、最重要の一冊
って今世紀ってまだ8年しかたってないじゃんと思った.この表現はおもしろいので今度から使おう.「今世紀中にやります」を髣髴とさせる表現だ.
本書を読了して、私はやっと理解できた。
梅田さんが、なぜ、それも日本ではなくシリコンバレーにおいて、「弾さんは英語が出来てうらやましい」と、ふと軽く、しかし底知れぬ諦念をもって嘆息したのかが。
あれ?
「梅田さんが、なぜ、それも日本ではなくシリコンバレーにおいて、「弾さんは英語が出来てうらやましい」と、ふと軽く、しかし底知れぬ諦念をもって嘆息したのかが私はやっと理解できた」ってことだよね.じゃあこの次は,「そして、なぜ私が一年半もの間、原稿書き以外の有償の仕事を全く放棄し、Perl 5.8の開発に没頭していたのかが私はやっと理解できた」ってこと?おいおい自分がやったことなんだから「やっと理解できた」っておかしくないか?なんの理由もなくあるいはなんでやってるのか理解できないままperlを開発してたのか?
それからこのエントリーを書いた人は梅田さんが「弾さんは英語が出来てうらやましい」と言った理由が理解できたそうなんだけど,ぼくはまったく理解できないんですけど….それはこのあとの文章で示してくれるのかな?
次,
日本語に、危機が迫っている。
しかしそれは、ジジババが言う「近頃の若い者たちときたら、ろくに言葉も使えない」
みたいな。
日本語の「変質」のことではない。
この「みたいな」のあとにマルはいらんやろと思った.つかこのひと改行おおすぎ,こういうもんなの?
何か少しでもできることはあるのか。
引用の引用.ってこの引用もおかしいだろ.なんつーかもっと情報量のあるところを引用しようよ.
P. 313
だから,引用するところが変じゃね?量が少ないからかな.このエントリーを使って,
筆者は言った
日本語もきちんと「乗せることが」できる。
と.ってこういうことでしょ.いやここは全然だいじじゃなくてむしろ枝葉のところじゃないの?
次は,
逆になぜ今まで大丈夫だったかを考えれば、なぜ今は「絶対、大丈夫」ではないかは明白である。日本語は、島国であるという「距離」と1億3000万 (日本の人口よりわずかに多いのは、わずかではあるが日本人でない話者もいるから)、世界の50人に一人、それも最も経済的に豊かな方の一人が話し手であるという「質量」によって「自然」に護られてきた。なぜ日本語が「ねんごろに扱われなかった」かといえば、そうする必要がなかったからである--今までは。
「そうする必要になかったからである」ってくるのは意外.ここは「必要があったからである」ってくると思った.これは多分「ねんごろに扱われなかった」っていう表現を使ったからだろう,きっと.あーいまもう一回読み直してみると全然気にならないかも.やっぱ二重否定はわかりにくいと思う.
次,
これがぼくが最初にわからなかった,なんでperlを開発したのかわからなかった理由か!つまりperlを開発していたときは「えもしれぬ衝動に突き動かされて」いて理由なんてわかんなかったんだけどいまそれが「日本語の延命策」だったことが理解できたってことか.すごいレトリックだ!
この両方が埋まった時、日本語を護るものは、もはや何もない。
それでは、一体どうしたらいいか。
いや、それを問う前に、日本語は護るに値するものなのか。
この疑問のはさみ方はよいと思った.そんだけ.
最後の主張
一つ。今何もしなければ、来世紀には日本語は本当に滅びうる、ということ。
うーん,どっちもそれがなぜかってことが書かれてないんだよな.なんでかっていう理由が示してないと,同意できないなあ.もしかして納得しなくていいの?
日本語ってむずかしい.
いや、免許は持ってるけどw
「無免許」を「免許取りたて」に変えても意味は変わらないよね(語呂悪くなるけど)
30過ぎで免許取りたての男の車になんて恐くて乗れない。
50歳で免許取り立ての女性の車にだって乗れねーよ!って話。
確かにツッコミどころ満載過ぎて、マジメに突っ込んでるんじゃねーよって話なんだけど、
この改変がおもしろいと思っているようならそうじゃないことは言っておきたかったわけで!
うわーおもしろいなぁ。
ええ、僕も高校三年生ですよ。
受験から逃げてやってきました。
増田はかっこいいんだろうね。
あぁごめん妬みもちょっと入ってるんかもしれないけど、俺は付き合ったことないんだ。
でも付き合うことはそんなに怖れていないしなぁ。てか付き合うことになったらそのことに直面するのか?マリッジブルーみたいな。
てかてか、付き合うってのが俺はまだわからん。告白されたとして、おっけいして、それでいいのか?
その子のこと好きなのか?他の子も気になるんじゃないのか?どうせ数ヶ月で別れるんじゃないのか?じゃあ付き合う意味って何?経験?あぁ大事だろうね。能力の差?そうかもしれない。
元増田です。
えっと、仰っていることのポイントをつかめなかったのですが、
つまり執着心をあらわにすること=想いの強さということでしょうか?
いやはや、恋愛観の多様さには驚かされます。
これからもっとその多様性を勉強していかないとですね。
「あなた彼とヨリ戻さなかったら一年以内に死ぬよ」と言われれば、みんな必死になってヨリ戻そうとするとは思うんですよ
むしろ、命惜しさにより戻すなら相手の価値どうこういうよりは自分が一番可愛いのでは?って読み取れるのですが・・・
ストーカー扱いされてまで相手に付きまといたくないというのは、
私の場合、
むしろ大切な人・価値のある人に「ストーカー」「しつこいヤツ」と思われるほうが、
自身のアイデンティティ崩壊に繋がってしまう危険性がありますね。
相手の意思を尊重するというのはそれはそれで傲慢な側面はあるのではないかな
我を通すよりも、相手を尊重することに喜びを感じるのも確かに独善的ですね。逆説的でおもしろいです。
いやー、ここはきっと恋愛観の違いの最たる所ですね。
確かに付き合っている間は、お互いの変わるべきところを指摘して、すり合わせてという作業が必要になってくるでしょうね。
(それは冒頭の「ケンカ」という形ではなくても達成できること)
でも、別れるにあたって相手がどう思っているのか、それは修正不可能なのかということを充分に聞いた上で、
「私といても、彼は幸福ではないんだ」とわかってしまったので、そのバイタリティはわかなかったですね。
おそらく、相手とこのような恋愛観のスレ違いがあったら、私は変えられたくないと思いますし、別れるのも仕方ないかなと思ってしまうでしょう。
うぅ・・・恋愛って難しい・・・