はてなキーワード: 騒音とは
入社して3年目。
まあ、そこそこに仕事で悩み、そこそこに苦しんでいる。
昨日、同期と飲んだんだけど
いつもは飲まないお酒を飲んで
かなり酔っ払ってしまった。
ふと時計を見るとかるくAM2時回ってる。
さくっとお会計をしてさくっと各自帰路へ。
だけど困った。タクシー代ない。はて。どうしようか。
なんか酔っ払いすぎてか、なんだかウロウロする気になれず。
わかる人にはわかるけど、家のない方々がめちゃ寝ている。
なんだか猛烈な寂しさを感じた。
大阪駅って、昼はうっとおしいほどに人がうじゃうじゃしているけど
深夜になるとまず歩いている人がいない。
ビルの明かりも街頭もついているのにまったく人の気配がしない。
こんなときだけ安心を感じさせてくれる。
工事の近くに警備の人がたっていてすぐそばの階段に座ってみた。
自分何やってんだろと思うと大粒の涙が出てきた。
しかも、わんわんと泣いた。そのうえ、とまらなかった。
だから思いっきり泣いてみた。
泣いたらくたくたになって多分何回か寝た。
優しさか下心か、声をかけてくれたおじさんもいた。
よくあんなとこで寝れたな自分。
来週からも頑張ろう。
http://anond.hatelabo.jp/20100520231005
未来っていうのは人類の頭ん中が「欲望を解消することは悪いことだ!」っていうプログラムに改造されない限り必ず良くなると俺は信じてる。
1000年前の幸福度が100としたら、多分今は100000000くらいだろう(適当)
さっきも書いたけど、人類は欲望を生み出しそれを解消(満足)させることで発展してきた生物なんだから、
その歴史に素直になれば、未来は必ず今よりも幸福になる。ただし、それを幸福と感じるかどうかはその人次第。
たとえば、自動車は人間の「楽にたくさんの距離を移動したい」という欲望をかなえるために生み出された。でも、楽にたくさんの距離を移動したいと思わない人にとっては、自動車の騒音や排気ガスはウザイだけだろう。
しかし、その人が本当に楽をしたくない、と思っているのかは微妙。実は、なんらかの「やらされ感」を持っている可能性も高い。
で、それとは無関係に、自動車の出す騒音や排気ガスってのは、誰にとってもウザイわけだから、電気自動車とかが出てきて、はたまたもっと進んだシステムの自動車が登場して、ウザイ排気ガスや騒音をなくしてくれる。これも欲望の一つでありそれが解消された未来は確実に幸福度が上がる(自動車嫌いな人にとってもね)
そりゃあ未来にもよくないことは起きるだろう。でも、それは新たな欲望の一つというだけ。その欲望は、今までの欲望の蓄積がなかったら決して誕生しなかった欲望。
ということは、その欲望はさらに新たな幸せを産む卵ということになる。たくさんの人が死んだ第二次世界大戦の結果何が起きたか?戦争は何も生まない、というのは定型句だけど、実際はたくさんのものを生み出してる。
この豊かな社会は、結果的には大きな戦争が起きたからこそ出来た。大きな戦争が起きなければ、多分もっと発展は遅れていた。
だからこの先第三次世界大戦が起きて俺や他の人たちが死んでOKとは言わないけどねwさすがに戦争が起きてほしいとは思わない。でも、結果を見ればそういうことだということ。
第二次世界大戦のおかげで、世界が協調するというスタイルが主流になり、インターネットのおかげで世界はフラット化した。もちろんその二つにはたくさんの弊害があったけど、いずれそれも解消されていく。新たな欲望の一つに過ぎない。それを解消したいと思う人が一人でもいる限り、世界は確実に良くなっていく。
現状、日本に抑止力となるような軍事力がある印象ないんだよなぁ・・・・
だからこそ、せめて国民への憲法改正の根回しやら自前の軍事力準備するまでは安保に頼る部分があった訳だし
アメリカの普天間が近隣諸国への抑止力となってたんじゃないの?
借りがある部分で感情論的に動くのはどうなのよ
国家自衛の前じゃ瑣末だろ
「少数でも日本人の生活が脅かされるのは許されない」って言う姿勢は良いけど
それなら住人違う所に住まわせれば良いじゃん、日本の為ならさ
いい加減票集めの為に奇麗事言って騙すのやめれば良いのに
考えなしにパフォーマンス先行でやるからどんづまって信用なくすんだろ
山本弘のSF秘密基地BLOG「「非実在青少年」規制:目に見える形で反論を提示する」
http://hirorin.otaden.jp/e92767.html
ロリ規制だけど、子供の為と言っておきながら結局規制を主張する側がその根拠を提示できてないわけなんだから、子供の為なら規制しないのが正しいはずだ。
で、思うんだが、なぜ規制派の人達は、自分達が気に入らないから、不快だから規制しろ、と言わないんだろう?
俺は安易な規制はよくないとは思うから公的には慎重に反対ってところだが、個人的にはロリは不快だから自分の気持ちだけの問題なら規制はOKだ。
賛成の為の行動をするって程じゃないが。
結局、規制の為に動いている人達も自分達が不快だから動いているんだろう?
なら、なぜもっと正直に不快だから規制しろと言わないのだろう?
ロリ創作物が不快だから規制しろ、というのは、それ自体はおかしな事ではない。
タバコ、騒音、立ちション、ゴミ出し、その他、様々な事が誰かに不快だからと規制を受けている。
表現関連でも、名誉毀損から皇族まで、公的なものではなくてもそれなりの表現のコードがある事など、皆、知っているだろう。
そしてそういった規制を受け容れつつ、適当に破りながらみんな生活している。
だからなぜ、規制派の人達は自分達に不快だからと言って規制を主張しないのか?
まあ、そうなったら反対派はロリは創作物を与えられなければ実行に移るぞ、といって批判するだろうし、データからするとそれは正しそうだから、規制派は自分達の快の為に子供を犠牲にするのかどうかを明白にしなければならないだろうが。
http://anond.hatelabo.jp/20100225085954も参考に。
http://www.hatena.ne.jp/kinnnoko/
香ばしい。
誰や、騒音おばさんでグルメレースを無差別通報したやつは、無差別通報は許さない 申し訳ございませんが特別警戒中なのでコメント拒否さしていただきます ☆呉詐欺には★あげません また無差別通報キーワードでされた・・・ しかも何回も・・・
http://ugomemo.hatena.ne.jp/04CBB7B04CDFCF46@DSi/
いているはてなスターが自分自身のものだけの作品が数多く見られる。
など
「つうほうします」
はてなダイアリーは使用していない。
下手すると自殺しますよ。
http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石が統合失調症であるという事を知り、
昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。
思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。
もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。
彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。
始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。
そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。
病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。
心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。
ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。
病は気からといいますが。
そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、
最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。
今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。
この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、
serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。
ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。
一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。
脳内で言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。
まさにサトラレ状態。
それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。
病気の状態を調べている最中にも、精神科の世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、
自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。
そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、
一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。
そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、
そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。
ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。
次にmatrixではないが、聖人君主の資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。
そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。
そして自分に少しでも救世主の資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、
志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。
以下妄想垂れ流し。
統合失調症は根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。
でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。
今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通の自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。
(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)
音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?
仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。
なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、
決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。
心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。
誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。
オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、
脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?
この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。
「電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。
脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。
これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。
こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。
私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。
逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。
こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論を勝手に唱えていました。
一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。
人類が作ってきた歴史や文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。
感受性豊になると世界がカラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。
よくありそうな自己啓発などではなりたい自分をイメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内の言葉であったり映像であったりするだろう。
そして言葉や映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。
音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚や視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。
ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。
スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、
自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、
一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。
ビジネスや自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的にプラスに作用する方向に使うからいい。
これを自分の感じる感覚が無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。
無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。
これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊か精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。
ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、
反社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。
自分は連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。
やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。
頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。
行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由が保証されているのだし。
人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。
これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会のベースとなる考え方だと思う。
だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。
ちょっと気に入らない電話があると、乱暴に切って大きな音を出す。
物を荒っぽく扱えば、手慣れてて仕事が出来ると見られるとも勘違いしているのだろうか。
話が変わるが、通常、公共の場で大声、特に怒鳴り声を出すことはよくないと考えているが、
コミックマーケットの会場ではイヤホン等を使用せず音を出してゲームをプレイするのは、「他の参加者に迷惑のかかる行為」内の「ラジカセなどで騒音をまき散らす行為」に該当するとして禁止されています。
今回のコミケでは、ラブプラス、特に『彼女通信』でこのルールを違反する者が続出すると見て、準備会はかなり警戒を強めているようです。
他にもゲームに夢中になって歩行中に事故を起こしたり、イヤホンやヘッドホンのせいでスタッフの指示を聞き逃してトラブルになる事例も多発しています。
特にここ最近は「通信中を理由にスタッフの指示に従わない」や「マジコンを利用している参加者とのトラブル」など、通信ゲームを巡るトラブルも目立っているようです。
持ち込みが禁止品の中に携帯ゲームが含まれるような時代が来ない為にも、移動中は絶対にゲームをしない、スタッフの指示がある場所ではイヤホンやヘッドホンを外す、周囲の人に迷惑がかかるようなプレイはしない等注意して下さい。
職場に彼女が来るようになってからもう半年、狭っくるしい事務所が、にぎやかになった。
事務所といっても、契約のあるメーカーの工場向けの派出所みたいなところで、あるのは来客用の机と、観葉植物と、テレビと、所長の机と、ぼくの机だけ、それがパーテーションで適度に区切られている。工場を出入りする大型トラックの騒音が聞こえる以外はいたって静かで、ときおり電話が鳴って、至急の図面が飛び込んできたりする。いつもは無愛想な所長と黙々と仕事をしている。
そんな殺風景な職場に彼女がやってきたのは、メーカーの研修が終わった6月からで、なんでも技術部の連絡係に配属となったという。
美人というよりは愛嬌がある子で、大きな図面用のファイルを抱える姿はすこし気の毒に思えるほど、小柄。元気いっぱいというよりは、感情の起伏が大きくて突拍子もなく、よく言えば機動的で、わるく言えば気まぐれな子で、めまぐるしい。
「ねえ、聞いてくださいよ! 技術部で今年は送別会やらないっていうんですよ!」
「はあ……」
彼女にとっては事務所はグチのかっこうの吐き出し場所で、届け物ついでに、お茶をすすりながら、あれこれと技術部の話をする。本来であれば仕事中であるのだが、クライアントの近況が分かればこちらも都合がつけやすいとの所長判断で、ぼくがそのグチ聞き役に回ることになる。
まあ、考えてみればかっこうの連絡役。
しかし、困るのは、彼女はたいへんにいたずら好きなのだ。
「そういえば、奥さんとかいらっしゃるんですか?」
「いえ?」
「あー、じゃー、わたし立候補しちゃおうかなぁ!」
とかは序の口。
「こちらにいらしてから日が浅いんですよね?」
「え? 半年ぐらいになりますが」
「上司から聞いたんですけど、ここの所長、ゲイだって話ですよ? 前にここに勤めていた方も、迫られて本社に転属願いを出したとか。ちゃんと確認して拒絶しておいた方がいいですよ? わたし心配なんです」
しばらく悩んでえいやっと所長に聞いたところ、ぽかんとしながら事情を聞かれる。彼女から聞いたと話すと、なにか気付いたのかおかしそうに笑う。
「きみ、それいたずらだよ。そうだね、あまりにも静かだから心配したのだろう」
達観したように所長は言う。
たしかにそれ以来、所長とは気さくに話すようにはなったが、一週間後に彼女がやって来て、してやったりとくすくす笑うのには閉口する。感謝してくださいよ、と得意げな鼻がしらに書かれたまま図面を渡されると、次はどんないたずらが待っているのかと構えてしまう。
それでも意気揚々と早足で帰って行く姿におもわず見とれる。
いや、違う、からかわれているだけだ。
たしか8月に入ってからだったと思うのだけど、元気のない彼女をみて気がとがめる。
「どうしたんですか? なにかあったんですか?」
お茶を出しながら声を掛けると、エアコンが寒いとぷちりと切られる。
「もう、どうしていいのか、わからなくなっちゃって」
「なんです? 話なら聞きますよ?」
ちょうど仕事も空いていたところで、ゆっくり座ると小柄な姿がよけいにちいさく見える。ぼくがのんきなのにほっとするのか、お茶をすすって話し始める。
それは壮大な武勇譚で、あまりのスケールにくらくらする。
「それで、生産部に掛け合ったんです。ちょうど、事務の女の子と仲良くなって結託して。だっておかしいんですよ、技術部が依頼を出しても応じてくれるのは、第一月曜日に決まったスケジュールに載ったものだけ。緊急の案件もあるんです。それで、わたし、怒って経理部に事情を話しに行ったら、君だれ? ですよ? 技術部の連絡係ですと言ったら、ああ、新入社員、君、誰の権限で動いてるの? だって。だから課長を昼食に誘って…」
「ちょ、ちょっと待って」
ぼくはその話をまとめようと、考え込む。
どう考えても彼女はメーカーの一工場に長年染みついた慣行を刷新しようと、なんの権限も持たずに行動している。
(どんな度胸してるんだろう……。しかも正規ルートを一切使わずに……)
「つ、続きをどうぞ」
「所長、分かりましたよ。最近、図面の依頼が滞っている理由」
「ああ、聞いてたよ」
新聞をたたんで、コーヒーをすする。言外に、おまえなんとかしてこいと言っていた。
「わたし、どうしたらいいか」
よくぞまあここまでと見事なぐらいまでにぐちゃぐちゃだった。
彼女がそのおかしな慣行を正したいのは分かる。
しかし、問題はやり方だった。かなり行き当たりばったりに、反射的に行動するので作戦というものがまるでない。しかし、その行動力と持ち前の機知で、その場だけは切り抜けてしまう。それで結果的に工場中を混乱に陥れ、その矛先が当然ながら彼女に来てるのだ。
「えーと、そうだ、図面にしてみよう。そうすれば分かりやすい」
ぼくは製図用紙を机に広げ、その上にそれぞれの利害関係を描き出していく。
「生島課長」
「先崎さん。この人、本社からの監視役」
壮大な人間関係が浮かび上がりはじめるのにぼくは興奮を感じる。窓の外に見える工場内の人間関係の俯瞰図のように思えてくる。これを彼女は全部動かそうとしていたのだ。しかし、まったくのきまぐれで。
「すごいですね、お得意なんですか?」
無邪気に聞く彼女をちらっと見て、ぼくは答える。
「うーん、まあ、東京の事務所にいたとき所内がめちゃくちゃで、こんなのばっかりだったよ」
(規模はまったく違うけど)
書き出し終わると、それを眺める。
シャープペンを消せる蛍光ペンに握り替え、あちこちに印を入れていく。
「ほら見て、ここ、利害が一致している。柳さんと南町さん。ここに先崎さんをぶつけると動くんじゃないかな? 業務時間の効率化で」
「あ、気付かなかった。そうするとここが動くかも?」
「この人次第だね、君田さんってどんな人?」
「いけるんじゃないかな?」
「どうかなぁ?」
ぼくと彼女との作戦会議は就業時間まで続き、おおかた把握したのか、彼女はよしと気合いを入れて帰って行く。ぼくはその後ろ姿を見ながら、ため息をつく。
(すごいな、新入社員なのに。あんなにちいさいのに)
振り返ると、とたん、のんきな自分が恥ずかしくなった。
幸運の女神というのはきまぐれなもので、それをつかもうとする者をときとして突き落とす。
しかし時として戦場に現れるジャンヌ・ダルクのような女性は味方に勝利をもたらし、誰もが彼女を聖女やら幸運の女神ともてはやす。
果たして、幸運の女神の住み着いた軍が無敵を誇ったのは、たった1人の女神により士気が上がったせいなのだろうかと、ぼくはしばしば疑問に思っていた。男ばかりの軍に女性が現れるならば、士気が上がるよりは混乱するのではないか。特にそこに悪意がひとかけらでも入れば、いくらでも混乱は作り出せる気がしてくる。
彼女の後ろ姿を見て、長年の疑問が氷解しそうな気がしていた。
ああ、違う、きっと幸運の女神とは彼女のような姿をしているのだと。
それからというもの、彼女はしばしばぐちゃぐちゃになった案件をぼくに持ち込むようになり、グチ混じりの冒険譚をぼくに聞かせてくれるようになった。
そのたびにぼくは製図用具を取りだし、現状がどうなっているのかを彼女に把握して貰う作業をする。
それで、彼女はどこをどうすればいいかを理解して、また工場へ戻っていく。
ときには、ぼくに同伴を願い、ぼくは入ったことのなかった工場内を歩き回る。
彼女のおかげで、どういう風になっているのかはおおよそ把握している。
「ああ、製図屋さん。あの9末の図面、もうちょっと待ってね、時間かかるかも」
「え? どうしたんですか?」
「ちょっと困っちゃってねえ」
顔を覚えられると、すぐに相談がはじまる。
「こうしたらどうですか?」
「お、いいねぇ」
あの一件があってから技術部からは多くの図面が入ってくるようになり、しばしばするこういった会話が、電話だけだった頃より、効率をよくしていた。そして何よりも窓から見ていた工場の隅々までが分かるようになり、ぼくのちっぽけな世界は格段に広がった。
そして彼女の持ち込む相談は、工場が抱える問題をぼくに伝え、彼女の問題を発見する目は確かだった。しかし、彼女は病巣を発見しそれを鷲掴みにして振り回すのは得意なのだが、それを治癒し秩序だった形に戻すのが苦手なのだ。
そして、ぐちゃぐちゃになって、ぼくのところへやってくる。
ぼくの勤める小さな事務所でも、彼女のがんばりに負けじと所長と2人で、業務改革に乗り出す。気付いてみれば、本社でも数年来の念願だった改革が完了してしまい、あっけなかったと所長と2人で笑い合った。
彼女のあのあらしのようなエネルギーを見ていると、こっちまで頑張らなくっちゃと思い始め、それがあらゆる方面で好循環を生み出していたのだ。
彼女は停滞を嫌い、あらしのように暴れ回り、古びた慣習やらしがらみを断ち切ろうとする。しかし、あらしにはまき散らすことしかできず、そのまき散らしたあとを片付ける協力者が必要なのだ。
戦場での幸運の女神は、軍の中にはびこっていた非効率やしがらみを断ち切っていたのではないだろうか。そして影のように控える協力者たちがその後の秩序を作り上げていたのではないか、そう夢想する。
現れた幸運にしがみつき、閉じ込めようとし、縛り付けようとすれば、それはきっと災厄へと変貌する。
なんたってそれは自由奔放なあらしのような姿をしていて、巻き起こされた混乱の中にちゃっかり実利をとれる人だけが、それを幸運と呼んでいるのだから。
「ご迷惑ばかりですね。もうこれっきりにしようかと」
あわてて、ぼくは立ち上がる。
「と、とんでもない! うちの事務所はあなたのおかげでものすごく順調に行っているんです! 迷惑だなんて、そんなことけっしてありません!」
彼女はぽかんとしてぼくを見る。
「わたし、なにもしてませんよ? あなたには」
ぼくはなんと答えようかと考え込む。
(女神ってのは大げさだよな……)
「あなたは、ぼくにとって、幸運の妖精みたいな人なんです。だからずっと頼って欲しいんです」
彼女の表情が引きつっていくのが見えた。
(しまった……、おもいっきり引かれた)
鳩山首相、「連立優先」貫く=米反発必至-普天間先送り
鳩山政権が15日に決める米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関する政府方針は、移設先の決定を当分先延ばしする内容となる見通しだ。鳩山由紀夫首相は14日、キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に代替施設を建設するとした日米合意の修正を提起する考えも表明。連立政権維持に向け、県内移設に反対する社民、国民新両党の意向に配慮した形だが、米側の一段の反発は必至。普天間問題の行き詰まりは避けられない情勢だ。
政府方針の大枠が固まったのは、首相と社民党の福島瑞穂党首、国民新党の亀井静香代表による11日の党首会談の席上だった。首相はここで、3党の結束を確認。普天間問題はあくまで3党協議で決めることで一致した。
社民党は米グアムや東京都小笠原村の硫黄島への移設を求めているが、亀井氏が「辺野古からグアムなんて言うな」と指摘し、移籍先を明示せず、米との交渉に臨むことになった。新たな移設先を示せば、日米合意は完全に白紙化し両国関係の亀裂が決定的となる恐れがあり、これを回避する狙いがあるものとみられる。首相周辺は14日夜、政府方針について「沖縄県と連立と米国に顔を立てた」と解説した。
ただ、政府方針は、普天間問題を早期に解決させるとした11月13日の首相とオバマ大統領との首脳会談の合意をほごにするに等しい。首相は大統領に「わたしを信じてほしい」とまで言い切っているだけに、米側の失望に拍車を掛けるのは間違いない。
日米関係筋は「米側には『日本は来年夏の参院選まで、結論を先延ばしにする気ではないか』という不信感も強まっている」と指摘する。普天間問題で日本政府は、騒音対策など沖縄の負担軽減策を先行して米側と協議することも検討しているが、米側が応じるかは極めて不透明だ。(2009/12/15-00:50)
鳩山由紀夫首相は14日、キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に代替施設を建設するとした日米合意の修正を提起する考えも表明。
自分を騙した奴の言う事とか聞き入れると思うんかね。