はてなキーワード: 初恋とは
http://anond.hatelabo.jp/20080327033300
AがTさんに連絡をとってくれたようです。
Aから僕へは一切コンタクトが無かったのが徹底的というかなんというか。
Aには
「ありがとう!!さようなら!!最後やから読めっ」
と題して、今回の件だけでなく、連絡が絶たれたために言えなかった
付き合っていた間の感謝の意などを書いてmixiのメッセージを送っておきました。
2度と消息を問うような連絡もしないことにしました。
僕は初恋の人への思いも17年間さほど色褪せずに残ってるし
一切自分からの連絡を絶つというのは断腸の思いですが、
とりあえず状況を変えるのが必要で、
そのための決意表明を兼ねて。
相手がメール読んでなかったので事実上は何も変わってませんがね。
終始自慰的な増田でしたが、コメントくれたお二方ありがとうございました。
もう少し前を向こうと思います。
男は冷静であることを心がけていた。今までの失敗は周りが見えなくなったときや、過剰に物事を気にしすぎたときに起こっていた。冷静に、中立に、心穏やかに。そうあれば、正しい判断が行え、少なくとも失敗を犯しにくい。そう信じていたし、事実そう心がけるようになってから、ミスは減った。失敗が減ると、より心は穏やかになった。
が思わぬ弊害が出てきた。どんどん男の感情は乏しくなっていくのだ。驚くことも、感動することも、悲しむこともない。冷静な判断を下せるように、全てのことに一呼吸開けて反応できるようになっていた男には、全てが単なる事象となり、大抵のことは彼の心に影響を与えなくなっていた。いや、まったく驚いたり感動したりしないわけではない。ゆっくり考えて、これは凄い。もともと好奇心旺盛であった彼は、そう思うことは良くあった。ただ咄嗟に反応することはなかった。場の空気を読んで、驚いてみたり感動してみたりすることはあったが、そんな時に出てくる男の言葉がどれだけ薄っぺらく、嘘っぱちなものであるかは、当の本人が一番良く分かっていた。それが男は苦しかった。
短期的な反応以外にも弊害はあった。男には人の好き嫌いがなくなっていった。第一印象でその人を判断しない。判断しないというよりも、ある程度の期間付き合ってみるまで脳内でその人のことは保留された。そしてある程度の期間付き合ってみると、その人の良い面も悪い面も見えてくる。そうすると付き合いたくない人というのが居なくなる。皆どこかしら良い所がある。不思議なものでそこを最大限尊重して人付き合いをするようになる。男には凄く嫌いな人が居なくなった。
が、男には凄く嫌いな人が居なくなった反面、凄く好きな人も居なくなった。男には好き、嫌いという感情が乏しくなっていた。男がまだそれほど冷静ではなかったころに初恋をした。確かにあれは恋だった。確かに好きだった。今、好き嫌いの感情が乏しくなった男には、恋している、というほど好きという感情がなくなっていた。ちょっと好きかな、という人が居る。でもこれは本当に好きなのだろうか。その人にあなたのことが好きです、そう伝えられるほど好きなのだろうか。男には分からなかった。
また別れの季節を迎えた。男はあいまいな好きを抱えたまま、別れを受け入れてしまいそうだ。男はなによりも確かな"好き"がほしかった。
絶命する瞬間じぶんはどのようなことを思いどのようなことを感じているかというのを考える。
以前車に引かれかけたとき少し肝が冷えたのは覚えているのだが、何を思ったかは覚えていない。
部屋で転び倒れかけた場所にとがった物体があったときなども肝が冷えはしたが何を思ったかは覚えていない。
何も考えていなかったかもしれない。もしくはその寸前のみ無心でいたのかもしれない。
走馬灯という現象はフィクションの中や伝聞情報において見かけるが体験した覚えはとんとない。
これまでの人生を振り返ることなどこれまでの危機的状況においては対峙したことなどない。
大切なものを思い起こして死ぬんじゃないかと思いはするが自己の体験においてはまさしく無心なのだ。
もし死ぬ瞬間頭の中は空っぽであったなら死は恐れることでのみ恐怖の存在なのではないか。
死ぬことについての格言やらの受け売りだけど、死ぬことは想像することによってのみ恐怖足りうるのだろう。
だけどちょっと待てよ。死ぬ瞬間何も考えないのは寂しくないか?
大切なものすらどこか彼方にすっ飛んで無心で死ぬなんてもったいないだろ。
そう考えて僕は思った。
「せめて好きだった子くらい思い出しておきたいよなあ」
いま隕石が降り注いだなら僕は思い出に浸りつつ逝けるだろう。
死ぬ寸前僕はその考えを巡らし結論にたどり着いたとき足元が。ふわっと。意識がとんだ。
生まれてから23年間、付き合ってきた男性は5人。
これが多いのか少ないのかはちょっとわからないけれど、私としてはそれぞれの男性と色々な思い出があって笑ったり泣いたり、まぁそこそこの恋愛をしてきたと思っている。
これはきっと少ないのだろうけれど、私は十分満足している。
もともと人付き合いが苦手だったから広く浅くの交友関係は向かないんだと高校生の頃に気付いた。
そんな中で彼女だけは一緒にいても微塵も気を使わなくて良い関係を保てている・・・はずだった・・・のだけれど。
先日彼女が私の部屋に遊びに来ていた時の事。
いつものように取りとめの無い話をしていたら突然好きだと言われた。うん私もだよと阿呆面で答えたんだけれど彼女の好きはその好きじゃなくって、ええとつまり、「愛している」ということだったわけで。
一瞬頭が真っ白になって理解するのに軽く30秒はかかったと思う。
その時はテンパってたから、もしかしたら実際はもっと短かったかもしれない、あるいはもっと長かったのかもしれないけれど。
とりあえず机にあった麦茶を一口飲んで軽く深呼吸をしたら少し落ち着いたので、いつから?とストレートに聞いてみた。
彼女曰く、最初は本当にそんな気は無かったらしい。
と言うか、自分が同性愛者だという自覚は未だに無いらしい。
だから初恋の人とかは当然男性で、最初に付き合った人も男性で、それに関して疑問に思ったことは一度も無かったと。
でもある日私が彼氏できたよーと報告した時に、突然イラッとしたそうな。
イラっとした自分にビックリしてなんでだろうと考えたら、あ、好きなんだ恋愛的にと気付いてもうそれからはトキメキまくり、と。
それが3年前らしくて、それから言うか言わまいかずーーーーっと悩んでいたそうな。
で、実は私、このカミングアウトの1週間前に彼氏と別れていたのですが、それを聞いたら「言ってまえーーー!!」と勢いづいてポロリとね、言っちゃったそうです。
ポロリと、て。
とりあえず1日考えさせてくれ、と彼女に言ったら彼女は申し訳なさそうにごめんねと言ったので、いや全然不快感は無いからあまり気にするでないよ!と背中を叩いておきました。
・・・と、これが一月ほど前の話です。
1.気まずい雰囲気のまま時の流れに身を任せ中
2.なんかうまくいかなくなっちゃって絶縁
3.ラブラブカッポー
のどれかです。
世間的にはこういう場合どうなるんでしょうね。
気になるところです。
可愛くて胸もあって肌もきれーでオシャレで19歳で頭もよくて話も面白くて穏やかないい子なのに
全く彼氏を作る事に興味が無いと言う子がそういえば友達でいたけど
確かに勿体無い……と思った。まあ勿体無いと感じるのは私の価値観であって彼女の価値観はそうでないんだからいくら言ったところで無意味なんだが……でも一度言ってみたことがあったんだけどそうしたら
「あんまり特定の異性と遊ぶ事に魅力を感じないんだよねぇ…映画なら一人で観に行ってるし既に…買い物は寧ろ一人がいいし…○○(私のこと)と一緒に遊ぶのは、楽しいけど…彼氏とか作っても何すりゃいいのかわからんし…別に絶対嫌ってわけじゃないけど、作る気にはなれんなぁ…大体、好きな人が出来たことないからその時点でどうしようもないっすわ」
「ないねぇ…」
「いや…全く。友チョコすら無い。私チョコ好きじゃないから自分でも買わないし…」
「ていうか、男子と話したことあるの?」
「あるよそりゃー。プリントまわしたりするときとか。掃除の役割分担とか。班長になったときとか」
「んな事務的な会話じゃなくてさ…」
こんなんでも女子校とかじゃなくてずっと共学なんだよね。不思議だよ。可愛いのに、意外とこういう子って告白もされないっぽい。中高のときって、顔よりもハツラツしてる感じの方がモテるからなあ……
酔っ払いの間にいたら自分まで酔っ払ったかのようにテンション上がってきてとんでもないことになった。
のめのめえええええええつげええええええええ
とか叫びながらウーロン茶を一気飲みし
それでなぜかテンション急上昇
メンバーの中の前から好いとった男を目の前に座らせ
「おめーいい肩しとんのう!あ?!」とか
いいながらバシバシ肩をたたいていた
「ちょっと足の筋肉見せてみんかい!わしゃー筋肉フェチなんじゃ!!!」
とか叫びながらジーパンを足首からぐいっと持ち上げていた
その後皆に乗せられカツ丼一気食いをし
「豚じゃだめだ!豚じゃ!牛!牛!ビーフ!ビーフィーズ(意味不明…多分複数形にしたつもりだったのだろう)プリーズ!!ゲハハハハ」
とか笑いながらステーキ噛み千切って
私「にじげんでハーレムつくるんだぜ……そうしたら絶対ワタルは入れる……」
女友「ワタルってwwwwwwwwwショタコンじゃねーか!こいつ、ショタだぜショタ!稀に見るショタだよ!!ゲハハハハ」
男友「わたるって小学生じゃなかったっけ?アハハハハハハハ」
私「うるせえしねよ!初恋だったんだよ!確か…アレ?鬼太郎だっけ?初恋は」
男友2「おめーの初恋しょっぺえよwwwwwwwwwww」
私「うおおおおおおお鬼太郎ナメんじゃねえぞ……ウエンツがやると外国の妖怪になってんだよ!!あれじゃ妖怪じゃなくてモンスターだろうが!てめえ責任とれや!!」
男友「なんでおれがウエンツの尻拭いを?!」
私「お前は名前がウエンツに似ているからだ……」<眠りかけてる
女友「てゆーかこいつが二次オタなのは今もだべ?」
私「ほんとだ今もだ!!!」<起き上がる、そしてなぜか脱ぐ
私「そうだーーーーーーーー!!そういえばるろ剣で私はガチオタへの道を歩んだんだったー!!」
男友2「るろ剣wwwwww懐いwwwwww懐すぎるwwwwwwwww」
私「つーか人の油しみこんだ刀ってなくねぇ?……あっ今唐突に思い出したけどヨーヨーで戦う人が出てくる漫画ってなんだっけ!?」
私「そんな最近じゃない!!もっとなんか……もっと!!!スパーキン!!!っていうかマジかっけえー二次元最高……DBだったらミラトラ(未来からきたトランクス)が一番だわ絶対確実に……」
女友「寧ろ、今のトランクスがいいわー生意気な感じがー」
私「アッハッハッハッハッ」
ってことになってた
友達が撮ってたビデオを冷静な今見て呆然とした
何という酔っ払い……一滴も飲んでないのに……大丈夫なのか私は……
なんか「秒速5センチメートル」を思い出す。
「他のアニメはたしなむ程度」っていうなら知らないかな。
男の方だけが初恋の想い出を延々に引っ張ってて、
女はきれいさっぱり何とも思ってない。いい想い出。
そんな感じ。
元増田も分かってると思うけど、あえて各。
彼女は、元増田のことは「男としては」なんとも思ってないと思う。
メールとかで連絡はあったみたいだけど、
ポジションから変化してないはず。
一方で、彼女自身は大人になった。
だからこそ、学生時代を思い出させる、元増田とのたまのやりとりが少し楽しい。
当然、今の彼女として生活しているときに、
元増田のことを思い浮かべることもない。
まして、一人の男として考えるなんてありえない。
「ずっと想っていてくれた」なんてのはフィクションだけで、
万が一、うまくいったらいったで、
元増田にとっては不幸なことになる。
恋人になったんだしね。
それに折り合いを付けていくのが恋愛なんだが、うまくいくのかね。
変な話だけど、到底受け入れがたい変な性癖を彼女が持ってるかもしれない。
偶像を偶像として楽しんでいたいのなら、告白なんかしない方が良い。
ただ、その偶像が元増田の恋愛に大きく影を残しているようだし、
一皮むけるために、告白というのもありっちゃありか。
以下その原因と考えられる過去の事象、及び現在進行形で起きている事柄を可能な限り客観的に記述する事で自分自身の再確認を図りたい。
厳格な父と、息子を溺愛する母の間に一人息子として生まれる。
両親は婚姻届を出しておらず、私は戸籍上は母の私生児である。
理由は「社会的な規則に縛られない愛の形を体現したい。」という思いから。
つまり、二人は典型的なヒッピーカルチャーの申し子であり、フラワーチルドレンであった。
優しい、甘い、溺愛、奔放、社交的。
衣類に関する仕事。多忙。我が家の収入の殆どは母が支えていた。
誰からも愛されるような人物。
それでも私は母がいればよかったのだが、母も出張等で多いときは半年ほど家を空ける事もあり、その際私は親戚、ベビーシッターに預けられる日々が続く。
だがある時私が大風邪を引き一週間ほど寝込み、その間母が出張するという事があった。
その時私は自分自身の身体的辛さが悲しみを凌駕しており、
「人は自分自身が辛い時はまわりの事はどうでも良くなる。」
と理解する。
以後、一人でいる事は全く苦痛ではなくなった。
多くの人がそうであるように、私も他の生徒と自分とは何かが決定的に違うと感じていた(恐怖)。
それを悟られまいと、校内では誰よりもおどけて見せ、ある程度人気者の地位を確立していた。
その反面、家に帰ると締め切った部屋でひとりTVゲームしたり、父から教わったプログレッシブロックを何度も聞きながら、自分のした事に対する後悔の念にさいなまれていた。
父にとって外で遊ばない事は子供として最大の罪であり、特にTVゲームをしている所をみつかるとこっぴどく叱られた。
無理矢理「子供は木登りをして遊べ。」と木登りをさせられたりしたが、これの何が楽しいのか全く理解できなかった。
小学校の延長線上のような生活、アニメ等にも興味を持ち大量に見ていたが同時期に発生した宮崎事件によりアニメ好きへの大バッシングが始まったためアニメ好きであることは隠していた。
不良グループの一部とも付き合い始めるが私自身が不良だったわけではなく、なんとなく面白い奴なので一緒に遊ぼう的に思われていたのだと思う。
この頃一度暴行事件に巻き込まれ初めて警察に捕まり事情聴取を受ける。刑事は後ろ盾が「国」であるだけのヤクザだと感じる。
卒業式の日不良の一人が感極まって泣いており理解できなかった。
そう思うと小学校、中学校と腹を割って話せるような友達は私はいなかったのだろう。
一度だけ異性に告白を受けたが、恋愛どうこうよりも恋愛をする事で周りから冷やかされる可能性の方が嫌で断る。
常に気にするのは周りからの視線。町を歩いても。電車に乗っても。バスに乗っても。
家に帰ったとき「ここまでくれば誰も追ってこない。」と感じる毎日。
体育会系の男子校に入学。苦痛。ひたすらつまらない。ノリがあわない。
スポーツマン、不良、オタクの三種類の人間しかいない。地獄のような毎日。休みがちになる。
異性との出会いも無い。中学時代の友人ともつるむも、それもつまらなく感じる。
この時期初めて異性に恋をする。
美しいが、それを感じさせないほど純粋な人。
衝撃。嬉しさ。苦しさ。自分の惨めさと対照的な彼女の美しさ。
その人に認められたくて何故かテニスに専念。(当然見に来るはずもない)
そこで彼女と何日間か一緒に過ごせた事が最高の思い出。
彼女は月や海を見て綺麗と言える人だった。
ショックだったが元々彼女は自分にとって雲の上のような存在だったし、彼女が幸せであればいいのだと自分自身に言い聞かせる。
「抱いてみろ。」と父。
「可愛いですね。おめでとうございます。」と言ったように思う。
不思議に思う。
数ヵ月後、母から
「父はもう二度と家に帰ってこない。」
と伝えられる。理解不能。
以後母は毎日泣き通し、私は何が起きたのか理解できず不穏な日々が続く。
私があの時抱いた子供は私の異母兄弟だった。
以後暫くの間、自分が何をしていたのか記憶があまり無い。
普通に日常生活を送っていたと思う。
ただ、眠る時に毎晩同じ夢を見るようになる。
町の中をひたすら走っている、何処に向かっているのか解らないが、急がなければ、急がなければ、という酷い焦りだけはある。
走り続けて気がつくと何故か自宅の前にたどり着く。
右手を見ると自分がいつの間にかナイフを持っている事に気がつく。
家からは母と父、そして子供の頃の自分の声。
「ああ、やっぱりな。」
という思い。
玄関のドアノブに手をかけた瞬間必ず目が覚める。
何も無い真っ直ぐな一本道を歩いてる。
空は青から黒にグラデーションしている。
自分は全裸。
ひたすら歩いていると遠くから人骨が見えてくる。
人骨を見ながら何故こんな所に人骨があるのか、これは一体誰の骨なのか考える。
暫く考えるうちあるとき突然理解する。
「これは俺の骨だ。俺はもう死んだんだ。」
目が覚める。
目が覚めた後は決まって酷い寝汗をかいており、跳ね起きるようにベッドから立ち上がる。(これは今でも目が覚める時は必ず同じ。)
自分の部屋に鍵をかけ、タオル等でぐるぐる巻きにして、絶対に開けられないようにする。
外から誰が入って来るのを阻止するためでは無く、自分が部屋から出られないようにするためである。
部屋から出るとそのまま台所まで歩いて行き、包丁を取り出してしまう自分が想像できたからだ。
この頃、睡眠への恐怖からの不眠、拒食、ナイフ等で自分の胸を切る自傷行為を何度か行う。
今思えばこの時しっかりとした治療を受けるべきだったのだろうと思う。
だが私はその時全盛期だったレイヴカルチャーの中に飛び込んでしまった。
(ネオ)ヒッピー、トラベラーと呼ばれる人達との付き合いの中でドラッグを覚える。
色々な人を見た。
キャンプファイアーの中に自分から飛び込んで大やけどを負った人、トイレの中から「トイレがウジだらけだ!」と叫びながら飛び出してきた人(なんて想像力の無いパラノイアだ。)、ドラックを求めてタイに行き今も帰ってこない人、ごみの山を積み上げて自分は世界一のアーティストだとのたまう人、LSDとヘンプで世界が平和になると本気で信じている人。
つまり私はどこに行っても傍観者だった。
私はあの時破滅したかったのだと思う。
でもそれすらできなかった。
私は彼らが羨ましかった。
その後、そういったものから自然に離れて行き、ドラッグもせず、仕事もし、そして何度か恋と別れを繰り返すうち、自分はもう過去は乗り越えたものだと思っていた。
だがそれから約10年たったある日、また同じような症状が自分を襲った。
愕然とした。
もうとっくに自分の中では決着がついていたと思っていたのに。
ドアを開いたら、また同じ部屋にたどり着いてしまった。
私にとってこれは本当に辛い事だが、現在行っている治療と、自分自身の過去の向き合う事が、解決に少しでも繋がればと思いここに記す。
簡単に言うと「南高北低」。…いや適当に言った。すまん。わかりやすい話からすると、九州男児なんて言葉があるように、九州の男は「漢」でなくてはならない。男尊女卑が強いとも言う。恋愛に関しても、男主導、女は黙ってついてこい!的なところがあるそうだ。
男尊女卑ということでいえば、関西も比較的「男は武士たれ」という風潮が好まれる。
ところが北へ向かうほどこのパワーバランスは崩れる。北関東では「かかあ天下とからっ風」などといわれるように、女性の発言力が強い。
そして北海道。「北の国から'87初恋」をみたか。あのレイちゃんこそ道産娘だ。中学生にしてあのアプローチ。あれが北海道だ。
というわけで、私も北海道に生まれ育ちたかったとどれほど思ったことか。
でも、北海道でももてない奴はもてないんだそうだ。あたりまえだよね。じゃあ駄目じゃん!
医者の息子として生まれ、幼少期から神童と呼ばれ、医学を学ぶために10才からドイツ語を学び13才で年をごまかして第一大学区医学校予科(現在の東京大学医学部)に合格、19才で卒業。陸軍軍医として勤務。
その後も政府内の超エリートとして順調にキャリアを重ね、陸軍では日露戦争にも出征し軍医総監、一方文学者としても活発に活動し、最終的には文学博士であり医学博士であり、退いて後も帝国博物館総長兼宮内省図書頭として正倉院の調査に着手、明治の元老山県有朋と交友があり日本の元号のあり方にも一家言あり、また初代帝国美術院院長もつとめた。もちろん翻訳家、創作家としても名高い文豪であり、また大正の浪漫派を主導した雑誌「スバル」を強力にバックアップしたりもしている。まさに近代日本の根底を支えた最大の知識人、つーかバケモノ。
では頭でっかちの野暮天だったかというとそうでもなく「4才で初恋を経験した」と主張する彼は、留学したドイツでは女の子をひっかけこれが日本についてくる騒ぎとなり、最初の妻とは離婚したが18才年下の嫁を貰って子供を4人作って大変愛した(長男は最初の妻との間の子)。
そして、それでも本人はあんまりこの世が幸せでなかったらしく、死ぬときはそういう肩書きの類一切を固く拒否するという遺書を残した。欲の深さも天才級。
まあそんなわけで……結論はなんでしょうね。
こんな天才と比べたら、って、なんだか比べるのも馬鹿らしくなってくるというか。
まあほどほどが一番という、きわめて庶民くさい結論で納得しとけってことでしょうかね。
嫁とはかれこれ10年一緒に居る。
好きでも無い状態から一緒に暮らし始め、そのうち好きになった。
家事はそこそここなすが、ネットゲームやチャットに明け暮れる嫁。
仕事に明け暮れる俺。
生活改善を呼びかけてみたものの変わらなかった。
そんなこんなで10年。
さいきん好きな人が出来た。
これ恋?
嫁が別の男に抱かれようが特になにも思わない。
好きな人が他の男に手を握られるのを想像するだけでも胸が苦しい。
惰性で夫婦生活を送ってきた気がする。
これってよくないよな。
ふたりして何もせずただただ夫婦という状況に甘んじてた。
好きな子とは両思いになったみたいだけど、
この先どうなるかまったくわからない。
とりあえず嫁とは離婚しようかどうか悩んでる。
もし一人になっても、いまのままだらだら夫婦ごっこやってるよりはいいのかな。
追記:
子供いません。好きな子はもちろん未婚です。
http://anond.hatelabo.jp/20070912034254
初恋?
それって恋?
10年続いたってどういう意味? 始まってないのにどうやって続くの? いや、いいたいことはホントはわかるけどね。
アンタね、アンタはまだ恋なんて一度もしてないよ。
成就しなかった中学生の恋、なんてのは単なる子供の憧れっていうかモーソーですよ。
脳内のイメージ(中学の時に好きだった子のね)に恋してるなんて、二次元のアイドルに恋するより始末にわるいわ。
カレシにフェラしてあげてたり、彼氏がいるのに浮気しちゃったり、おりものでパンツにシミ作っちゃったり、お尻にウンチの拭き残しがあったりするの。
風俗に行けばいい、とは言わないけど、まずは異性と体を使ったコミュニケーションをしたらいいんじゃないか。
別にやるとかやらないとかじゃなくて、相手の匂いをかぐとか、手をつなぐとか、ハグで相手の体温を感じるとか、まあ、キスなんかもいいかもしれない。
好きだなーと思ったからそういうことをするんじゃなくて、そういうことをして好きになることもあるよ。
多感な時期の経験は多感な分だけ尾を引くからね。年取ってからはそれに対抗するような経験をしないと、いつまでたっても今の状況から脱し得ないのかもしれない。
脳みそ以外の部分でも異性のことを考えれるようになったら、絶対変化が起こるよ。本当だよ。
5年前ぐらいのネットが個人的には一番面白かったと感じている。
人の面から考察すると、普及率やら、年齢層やら、新しい物好きやら、娯楽でパソコンをやる余裕のある人やらかな。
環境の面では、新しかったし、新鮮だったし、お金もかかったし、朝から晩まで張り付いてやるようなものでもなかったし。
大体あの頃から2ちゃんねるも2ちゃんねるになったし、ウェブスペースに作った日記のようなものから、ブログが芽吹きだした頃だろう。あの頃からネットは特別じゃない、普通のものなのだという認識の下、日本のネット社会は回り始めた気がする。ADSLが普及し始めたのもこの時に重なっていると思う。
それにまだあの頃はネット上での個人が孤独な存在であり、集団意識を持ってネットをしている人は少なかった。孤独な者同士のコミュニケーションはまだ繊細だった。
嗚呼、あの時はもう二度とこない。美しき日々だった。
日本のネット事情が少しずつシフトしているのを感じては、もう遊び道具じゃないのかなぁと悲しくなる。楽しかったなぁ。あの頃は特別だった気がしてならない。