はてなキーワード: 俳句とは
他人に何かしてもらうより、自分が何かをしたほうがよっぽど簡単で確実だと思うんだけどニャー。
はてブユーザーたちが「白痴」だったら、何を言っても理解されないだろうしニャー。
つまらないことしか書けないくせに、何が大喜利だ。俺がお前のIDを今、初めて知ったことが、お前のつまらなさを証明している。
ってことかニャ? それだと大前提は「俺がIDを知らなかったユーザーはつまらない」にニャるけど、この大前提自体どうなのかニャー。「おもしろい」とか「つまらない」とかは主観的で、一つに決められるものでもニャいと思うけどニャー。
確かに証拠があるわけじゃニャいけど、違うなら「違う」ってはっきり言えばいいニャー。ムキになればなるほど「図星だなww」って笑われちゃうニャー。何しろはてブユーザーは「白痴」ですからニャー。
はあ?お前馬鹿か?本気で言ってるのか?100文字で、適切な指摘なんかできる訳ないだろ。お前馬鹿だろ。常識で考えろ。お前らのやってることは、単なる放言であり愚痴であり、便所の落書きなんだよ。俳句・短歌・ゲームは芸術表現だけど、コメントは言論だろ。全然違うだろ。アホすぎる。
はてブユーザーに「常識」を求めるのかニャ?(「白痴」ニャんでしょ?)それにequinox79さんのコメントの何処に「100文字で適切な指摘はできる」って書いてあるのかニャ? それに「コメントは言論だ」って誰が決めたのかニャ?
「政治的立場を確保する」って意味がわからニャいんだけど……まあオレも「白痴」だから仕方ニャいニャー。考えるの面倒ニャー(って考えるのやめてる人に「バカ」って言うのは簡単だけど、ちゃんと考えてもらうには工夫と努力が必要ニャのさ)
お前らが言論を潰すから、仕方なく匿名でやってるんだよ。気付けよ。
名前出してブログやっててもネガティヴコメントつかない人もいれば、つきまくってても気にしニャいで続けてる厚顔無恥の人(失礼)もいるニャー。そういう人たちと元増田とで何が違うのか考えてみたらいいんじゃニャいかニャー(「俺に考えさせるな」って? 自分で考えニャいのは「白痴」じゃニャいかニャ?)
kathewkaさんは2007年3月3日に最初のブックマークをつけてるにゃ(最近はてダも始めたみたいニャ)半年以上同じ名前で発言を続けているのに「匿名と一緒」なんて言えるのかニャ?
ゴミのくせに喋るな。
「webなんてもともと汚れてる。ゴミだらけ」とask11さんは書いたけど、そこからどうやって「ask11さんはゴミである」が導けるのかニャ? 「webに何か書く奴はみんなゴミである」というアサンプションがあるのかもしれニャいけど、それだと元増田もゴミにニャっちゃうニャー。
本当に、こういう表面しか理解できない奴が多いのな。俺の元記事が本質を掴んでるからこそ、注目されたんだろ。文体なんて飾りですよ。
トラックバック15件もらってたけど、「テンプレ」とか「ネタ」とか言われたり、全然関係ない議論ばっかりニャー。それに、人が注目するのは本質に限らニャい。オレたち「白痴」だから、どうでもいいところにばっか注目してるかもしれニャいよ。
応援はありがたいけど、ところで、元増田の言いたいことはちゃんと理解されてるかニャ?「理解されてない」んだったら、元増田も「理解しやすいブログ」を書く練習をするといいニャー。甘えは禁物ニャんだよね?
こんな自明なことを、いちいち俺に書かせるな。白痴どもが。
お疲れ様ですニャ! そして全レスしたオレもご苦労様ニャ。まあオレのご主人がレスもらえニャかったからってスネて初音ミクばっか聞いてるからオレが代わりに書いてやっただけニャー。あー、やるせねーニャー。
さて、サブジェクトで大体の内容をお察しの方もいるだろうが、ひとまず最近の話題を、ある意図を持って並べてみる。
同社は今回、JASRACが24日に発表した「動画投稿(共有)サービスにおける利用許諾条件」について、仮許諾を得ることで同意。著作権保護の取り組みを加速させている。
創作者が二次創作をおおっぴらに認めないのは著作権とか法律とかその辺の整理や線引きがめちゃくちゃ面倒だからというのが大きくて、心情的にはむしろ二次創作を奨励したいか、少なくとも気にしないという人は結構いることと思います。
誰かがリーダーシップを発揮してまとめていった創作活動でもなければ*8、明確な目標があったわけでもないのに、これだけの創作活動が行われたことには純粋に感動できる。
(今回は素晴らしい作品ができたかどうかは問題にしない。製作者のモチベーションやアイディアの連鎖反応とも言うべき現象を目の当たりにできた喜びである。)
ただ人々が自分の作品にクリエイィブ・コモンズ・ライセンスをつけていても、何かしらのコミュニティがなければ、「オープンソース文化」は育たないのではないか、という意見です。
著作権は大変だな。
あれ、使われても栗コーダーさんには1円も入ってないです。使ってるのを発見して、こちらから申告すればお金くれるらしいですけど。
著作権はむずかしいな。
いよいよ動画サイトにも、○スラック直々の魔の手が迫ってきた昨今。
ニコニコ動画組曲だったり、らき☆すたのOP曲演奏のセッションだったり。
「先行者」などがもてはやされていた時代より、くっきりと「作品」としての体裁をもった共同作業が増えてきたように思う。
共同作業じゃなくても、YouTubeには個人で多くの才能を「無駄遣い」している人たち。
だが、悔しい哉、現在の法の下ではイリーガルと見なされかねない。そもそも法律の解釈は不透明。
なんらかの規制はいつか始まるし、Yahoo!と件の団体の動きは、その一歩になるかもしれない。
以前から、著作物にもナショナルトラストのような活動が必要だ、と思っていた。
既にCreative Commonsなんかはあるけど、何かが足りなかった。
グーテンベルクのおかげで人が手に入れたモノは大きかったけど。
その大きさを支えるために成長したシステムが、今、新しい創作の可能性を妨げている。
みんなの嗜好が多様化した現代で、CDや電波のテレビなど、単なる大量生産ではニーズを満たせない。
じゃあ、一つの権利を種に今までと同じだけの利益をあげるには、どうするか。
答えは、一つの権利を種に、より多くの商品を作ること。
もちろん、キャラクターのグッズは昔からあったし、今やメディアミックス戦略は当たり前。
じゃあ、商売人にとって次に目がいくのは、2次創作からもお金を取ることかもしれない。
ただし、大きな問題がある。
この段階では放送やCDなど、大量生産・大量配信のためのシステムはおいてけぼりになる。
これから必要とされるのは、オンデマンドで小規模な需要に応えられる、限りなく無駄が少ないシステム。
この変化に、取り残され始めている企業もある。
華原朋美やモーニング娘。が泣いているのも、その逃しかもしれない。
たぶん、権利を管理している組織は、抜け駆けをする。
たとえCDが1曲1枚しか売れなくなっても、そこから100の2次創作が生まれれば利潤を得られるように。
Yahoo!との提携、そんな事を考えながら画策していた人も、例の組織にはいるはず。
でも、多分失敗する。
2次創作を行う人数が増える分、作者の数が増えて、声が大きくなるから。
作者の声が大きくなれば、著作権団体は今までの方法で商売できない。
なにより、今ニコニコ動画で作品を発表している人たちは、観客と直接コミュニケーションを取っている。
オリコン一位のアーティストさえが、ブログで不満を漏らすようになる。
観客は自分達の支払いのうち何割が作者に渡っているかを知り、システムの不透明さと無駄の多さを知る。
作者と観客が、より多くの良質な作品が生まれ、お互いに幸せになる方法を考え始めたら、間にいる人たちの仕事は確実に変わる。
その時が早く来るように、ニコニコ動画には頑張ってほしい。
同時に、何ができるのか考えたい。
必要なのはコミュニティか、それとも力の後ろ盾か。
自然保護のために活動するナショナルトラストのように、著作権のためのコミュニティが、今なら作れるはず。
※一応注記。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd G.I.G. 第9話のパロディです。
草薙と合田一人のシーンと見比べながらどうぞ。動画とかはムリ。
「もってけ!セーラーふく」こそ日本音楽史上の事件である。
従来の日本のラップは構造をそのまま輸入したものだった。
それは高低アクセント、モーラ拍のリズムによる詩(短歌、俳句)、
モノフォニー的詠歌の日本語とは本来相容れない。
さらに日本のポップスは西洋的な歌唱法(「伸びやかな」発生)を模倣したものだった。
これも日本語の唄とは相いれない。
冒頭ラップはF7に固定だが、メロディラインは日本語の高低アクセントに委ねられている点
そして、これが重要だが、英語的な強勢アクセントを人工的につけてはいない点だ。
しかもサビは一転してコード進行による和音が支配していると思いきや、
ここで高低アクセントと合っているため「西洋的な歌声」を無理に出す必要がないのだ。
だからラップと同じ語るような歌声でサビを歌えるようになっている
さらにさらに、ラップとサビが日本語の構造と合っているため、
中間部分のアドリブの「語り」が、何の違和感もなくハマっている。
という三者が音楽的に統一されているところが天才的。
「dance2」にインスパイアされて作られた「もってけ!セーラー服」だが、
その間の音楽理論的飛躍は凄まじいものがある。
ちなみに従来のラップ(英語的構造を日本語に流し込んだだけのラップ)だと、
「もってけ!セーラーふく」のラップこそ真に日本語的なラップであろう。
F7コード固定で英語臭い強勢アクセントもなしに高速ラップが可能になった。
いやむしろ、「だからこそ」高速ラップが可能になったといえよう
これがこの曲が革命的な曲になっている理由である。
それがどの程度の割合の人に共有されていて妥当なものか説明して欲しかったんだけど、単にできないんでしょ。
もちろん私には全部は出来ませんよ。それは後述の通り説得力が無いことには成らないと思いますが。
それは、マナーがあなたのいう「躾」と「不躾」を判断する基準を最初から設けているからじゃないの。
いやそれは当然だって。
元々は宗教の戒律だとか葬祭(これも宗教か)とか茶道・俳句のお作法のように人間が勝手にルールを決めたところが発祥なんだから。
「音をたてない拍手で神社のお参りをするのは無作法である」というのもそう。
中学のとき夏休みの宿題に短歌があって、ちょうどそのとき自由律俳句かっこいいと思っていた私は、何をとち狂ったか八八七八五の「短歌」を出し、あろうことかそれが市のコンクールで入選に選ばれてしまったものだから、妙に粋がっていたのだが、後に思うのは、やはりあれはだめだったなと。
少し前にも「『型破り』と『形無し』」「守破離」の話が出ていたが、守を修め破を成して初めて離に至るものであり、その過程をすっ飛ばした自分の自由律もどきなど、型を成す努力を放棄した怠慢を、粋と履き違えた滑稽以外の何者でもなかったのだ。
NHKのラジオ文芸選評を聞いていても、字余り、字足らず、都々逸での三四・四三・三四・五破りなど、投稿者の「型破り」を選者が型に戻すだけで、内容は同じでありながら驚くほど趣深いものが生まれたりする。
型はただ決まりとしてそこにあるのではない。先人たちの連綿たる工夫の粋を極めた最も美しい形、それが型なのだ。
ところで冒頭の、自由律に影響され「形無し」の短歌を作っては粋がる話、これはいわゆる「中二病」の典型的な症状なのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070128233637
思えば俺の親父も、けっこうヘンな人である。
化学合成を主とする製品を扱う学部であるからジャンルとしては理系に分類されるはずなのだが、俺が小さい頃からすでに俳句や漢詩・囲碁をたしなみ、正月での祝詞(我が家の宗教は神道である)の際はかならず一家を列席させて神棚に手を合わせさせたりだのと、「ヘンなエンジニア」ではあった。北杜夫や遠藤周作・あるいは司馬遼太郎といった小説に親しむ一方、大学時代は山岳部に在籍し富山・長野間の山に登ったりしていた。その兼ね合いでか、俺自身も理系崩れではあるが、四字熟語や「句読点のルール」といった分野には妙に関心を抱くようになった。
(その一部が、かつて在籍し倒産したDTP会社では、多少は生かされたとは思ってはいるが)
あと読書だけど、おカネが無くても古典を読むだけなら、「青空文庫」でも幾らかは読めるからね。自分のお勧めは、宮澤賢治と中原中也。今度は、太宰治作品に挑戦してみるつもり。