2009-03-29

読み手の成長は早いが書き手の成長は遅い???



普通は逆のような気もしますが、、、というか、単に個人差の問題かもしれませんが、、、

どうも困った。

例えば、2ちゃんねるコピペなどを初めて目にすると、ほどんどの人が感心すると思う。

2ちゃんねる自体はともかく、コピペだけは本当に感心させられるものが多いからだ。

正直、何千個もありすぎて、いちいち例を挙げてられないが、例えばコレ。

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ある大学でこんな授業があったという。

クイズ時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。

その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。

壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。

そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」学生は答えられない。

一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。

それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。 「この壺はこれでいっぱいになったか?」

学生は声を揃えて、「いや」と答えた。

教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」 一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、

いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」 「それは違う」と教授は言った。

重要ポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、

大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」 君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。

ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。

それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。

もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、 君達の人生重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう

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初めてコレを見たのは3年前くらい・・・?

その時は、

『なるほど~!!』(;゚∀゚)=3ムッハー

と、超、めっちゃ感銘を受けてもう、「よ~し!!やるぞ~~!!」的な気分になったのを覚えています。

  

が、そういった色々なコピペを追っていくと次第にコメント欄などで

『今どきこんな古いコピペに感心してるとか(笑)』

『見飽きた』

『似たようなの無かった?』

等というコメントが目立つようになってきたのを感じました。

この他にも本当に色々といいコピペがあるのですが、確かに自分も「なんか最近マンネリ、、、というか飽きた」という感じで、

「きっといい話なんだろうな~」としか感じられなくなってきてしまったわけですよ。

で、そこまで考えて、ふと思ったんですが、、、、

   

自分mixi日記、全然成長していないな~と。

面白い、興味深い、といってくれる人も何人も居るけれど、

『いい加減、この話の持って行き方には飽きた』とか

『ま~た、奇をてらった文章の書き方しおって。ミエミエなんだよ!』とか

最近話題偏ってない?同じような話ばっかりで読んでいても詰まらない』

とか思われてるんじゃないかな~と。

   

いや、実際思われているでしょう。

  

自分の文章レベル限界に気づいたとき、はたして情報を発信するのをやめるべきか、続けるべきか。

さっと辞めるのも潔いと思うし、

そもそも個人の日記なのだから、駄文を垂れ流すのも侮蔑されるのも自由なわけで、

おめおめと生き恥をさらし続けるのも自由なわけだ。

書き続けている間に、そのうちまた自分の文章レベルも上がるかもしれないからだ。

【結論】

勝手にしろって話ですね。

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