はてなキーワード: 佐佐木幸綱とは
共学じゃなかったもので、ラブコメ漫画を読んでいると自分の得られなかった経験に嫉妬するし、自分よりも顔が良くてモテる人が出てきても感情移入ができずに面白くないので、ドラマもアニメも全然見なくなった。感受性が変わってきたからだろうか、恋愛以外の小説もまどろっこしくて読めなくなってきた。
けれど、和歌ならまだ読めることに近頃気づいた。
最近読んだのは俵万智が翻訳した与謝野晶子の「みだれ髪」だ。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の生々しさに惚れたのだ。
佐佐木幸綱によれば、与謝野晶子の句はあまり論理的でないでないそうで、文法を無視しているところもあるらしい。だから、一つ一つ古典の授業のように読解すると味わいが薄れてしまう。それなら、いっそ俵万智がしたように、五七五七七の現代日本語にして、その大意をつかんでから、与謝野晶子の句に触れるほうがずっといい。
のろひ歌かきかさねたる反古とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな
いい、とにかくいい。
シチュエーションの説明がない分、作者の好きとか嫌いとか、恋のエンジンのエネルギーの生み出した一瞬の気持ちと熱が、自分の中にすっと入ってきて気持ちがいい。
一方で、感情のエネルギーが大きいので、二百ページもない本を読むのに四日かかった。見開きにせいぜい五句しか載っていないのに、口ずさむのに時間がかかる。エネルギーを食う。
略奪愛をした与謝野鉄幹だけでなく、結婚制度を「魔」と呼ぶほどに山川登美子に対する感情がめちゃくちゃ重い。
それから、事情を調べれば調べるほど、単純に与謝野鉄幹が気に食わなくなる。調べれば山川登美子は「与謝野鉄幹から「白百合」と称される。なお、林瀧野は「白芙蓉」、与謝野晶子は「白萩」、増田雅子は「白梅」、玉野花子は「白菫」という愛称であった。」(ウィキペディア)。
ところで、ラブコメは全然読めないが、数ページのツイッター漫画ならまだ読める。つまるところ、一瞬のシチュエーションの中で交わされる感情を楽しむことはできるが、それが一つのキャラクターとして見えてくると、うらやましくて嫉妬してしまうことがあるのだろう。そういう意味では、情報量を絞って作った俳句や和歌の背景を、どこまで知るのがいいのだろう。