はてなキーワード: 仮名とは
久しぶりの外食中
うまいうまいとカレーを頬張っている時に、隣のテーブルから物凄い剣幕で怒鳴り声が聞こえたわけです
ちらりと見ると父親、母親、男の子(5歳くらい?)、女の子(1歳くらい?)の4人家族
どうやら男の子がじっとしていないのに対し、母親と父親が大声で怒っている模様
しかし気になるのが、とにかくその男の子の名前を大声で怒鳴るだけ、とう状態
どうしろ、とか、何がいけない、とか、そういったことは一切無しにとにかく名前を連呼しているだけ
父親「太郎(仮名)!!!!!」
これの繰り返し
かあちゃん声裏返っちゃってるよ
とおちゃん耳が痛いよ
そこでふと思い出したのが、祖母が良く言っていた言葉
「子供には怒るんじゃなくて叱るんだよ」
「赤ん坊ならともかく、ある程度大きくなったら子供はちゃんと言葉を理解するよ」
なるほどばあちゃん、今実感したよ
何がいけないか、どうしてほしいか、それを伝えて諭すことが大切なんだろうなぁ
キレたら収拾付かない
ギャー!って叫んでビンタきて、次は足蹴り、締めくくりは鈍器きます
食事中お茶をこぼしても、このフルコースくらいました
あのね、実体験から言うと、やっぱりよくないよ
常に親の顔色を見るようになっちゃう
親だけじゃないね、周りの人ぜんぶ、とにかく顔色を見てビクビクして生きるようになるよ
失敗が物凄く怖いし、この年(20代後半)になっても怒られると震えだすから
長くなってしまいましたが、あまりヒステリックに子供に怒鳴りつけるのは良く無いと思うなぁ、と
まぁ、そんなこと思いましたチラシの裏。
それはね、一口にはいえないとっても根深い問題であってね、日本語の歴史そのものと非常に関係してるわけよ。詳しくは、大野晋とか福田恆存の本なんか読めばいいんだけど、旧字旧カナを使う人はちゃんとそれぞれの理由があって排除すべきではないわけね。例えば、宗教、つまり仏典やキリスト聖書なんかは断然旧字旧仮名の古語文体で読まないと駄目って人がいるのよね。「はじめに言葉ありき」なわけで、特に新約聖書の文語訳なんかは、日本語の形成に非常に非常に大きな影響をあたえたわけ。おいらなんかも、さすがに新かなで書くけど、一部の漢字はいまだに旧字体で書くんだよ(「惡」とかね)。そういう風に覚えてきたしいまさら変えられないよ。
ただ、惜しむらくは旧字旧仮名ってのは残念ながら体系的に統一されてないんだよね。「The 日本語とその統一的な表記」ってのは残念ながら、敗戦以降にやっと確立したといっても過言ではないのよ。英語圏のやつらがシェイクスピアをそのまま読めるのと比べてなんたる無念さ(まあやつらも古英語は読めないだろうが)。だから、おいらは新字新かなを選ぶ。とくに日本語はもう日本人だけのものじゃなくて、外国人が学習している国際的な言語だから、いまの基準からなるべく変えるべきではないと思うんだよね。外国人のために。
だからさ、今「旧字旧仮名使ってるやつなんなの?」って思ったんなら、ついでにわが身を振り返って、あなたもなるべく正しい日本語表記を使うよう心がけてほしいのさ。ら抜き言葉使ってない?「すいません」って言ってない?方言を使ってない? すこし考えてほしい。
分かり難いので学生時代からの友人をタムラ(仮名)、その友達(恋人)をバショウさん(仮名)としてみる。
私に、二人が付き合っていることを教えてくれた友人は、私にその機密情報を漏らした後、言う気はなかったんだよね、とつけ加えた。彼女の目には私は二人の仲に全く気づいていないように見えたんだそうだ。そして常識的に考えて、あんまり触れ回ってよい話じゃない。だから実はずっと(二三年の間)黙っていたらしい。
ただ最近私が、「タムラは好きだし遊ぶのも楽しいけど、最近タムラと遊ぶと絶対後からバショウさんが合流して、その後の飯がどうにも気まずくて嫌だ。あのタムラがあの空気に気づかないなんて……というか、二人の世界作りすぎ。バショウさんと会うなら私と遊ばんくていいやん。多分バショウさんも私と仲良くしたいと思ってないって」と愚痴ったので、教えてくれたようだった。
彼女としては、誘いを断りきれない私を歯痒く思っていた部分もあったらしい。確かにこの友人は、タムラから遊びの誘いがあっても、「どうせバショウさんもくるんやろ」と言ってほとんどを断っていた(私としては来て欲しかった。2:2ならまだマシ)。
そして二人の世界にお付き合いさせられていた私に、「二人はカップルだ。分ったなら心置きなくこれからは誘いを断れ」というつもりで教えたのだ、と言った。
うん。これからは断る。そうする。でもあと一度くらいは二人を新鮮な気持ちで観察してみたくもあるのだ。実は。
。
。
その後の会話。
「というか、バショウさんが男でも、タムラが男でもありえん話よな。今まで私は二人のデートのお付き合いっすか。友達と遊ぶ時に常に彼女(彼氏)連れてくるってないわー」
「その彼女(彼氏)に溶け込む気があるならまだしも、皆無だしねー。あんたもよく付き合うわ、と私は思ってた」
「いやだって、折角タムラが誘ってくれてるのに断るの勿体無いし……悪いし……遊んだら遊んだで楽しいし…」
「あんたのそういうとこは嫌いじゃない。断れよ!とは思うけど。でも『あの二人ってほんと仲良いよなー』とか無邪気に言ってるの見たら腹が立ったわ、あの二人にも、あんたにも」
「いや…あれは…ちょっと嫌味というか皮肉というか。普通に友達関係でも閉じすぎてたから…」
「へー」
「ほー」
。
。
これだけ書いて、同性ってことに対しての感想が全くなかったことに気づいた。
「えー…」みたいなリアクションがないのは、私の中に同性愛への偏見がないからなのか(多分あると思うのだが)、最早あの二人にそういう意味で思い入れがなくなっているからなのか。どっちなんだろ。タムラはまだ好きだと思うんだけどな。単体なら。
某所でのやりとりが面白すぎ。
234: A(仮名)
【ご報告】
B(仮名)さんからメッセージをいただきました。みなさんの投稿を読んで理解されたそうです。
折角"質問"された方も多数いらっしゃるのですが、Bさんの投稿に対しての応対は収束ということでお願いしたいと思います。
235: B(仮名)
みなさん●
みなんさんの私に対する書き込みを読んでいて、自分の間違っていることにも気付かされましたし、“真実を知る(追求する)”ことに対する考え方が間違っていることにも気付きました。
私はまだまだ調べが足りないようで、上っ面の情報を見て、そしてそれをただ疑問としてぶつけた形になってしまいました。
まずはその情報に関して自ら調べていく必要があるなと。
みなさんにかなり悪い印象を与えたこともわかっています。
ただ同じ考えの人が集まり議論するより、異なった意見の持つ人と激論するのもいいとは思ったのですが、あまり歓迎されてないようで;
しばらくは過去の書き込み等を読みながら自分なりに考え、書き込みは控えようと思います。
●C(仮名) さんの質問の答え●
最後に質問です。Bさんはこの事件についてどのようにお考えなのですか?
現在の考えです。
e.その他
▲d
e.ミサイル等飛行物体による偽装
f.爆発物による偽装
g.その他
▲今まではb、d、eでしたが、もう一度全ての可能性を含め調べようと思っています。
3.WTC1,2の崩壊における最大の原因
d.その他
▲b
4.WTC7の崩壊における最大の原因
a.WTC1,2の崩壊に伴う火災や損傷倒壊
d.その他
▲c
236: A(仮名)
234はかなりぬか喜びだったことがいきなり判明した訳だが(笑)
何も理解してねぇじゃねぇか。
そういう偏見を持たれるかどうかは状況による。
たとえばインターネット関連の技術者なんかの場合、ハンドルより実名の方を信用する人も少なくはない。なぜなら、ハンドルで活動してて、いざとなったらインターネット上の人格を捨てられる人より、実名で活動してる人の方が誠実に行動するからだ。つまり、すぐに逃げられる場にいる人はなにをしでかすかわからず、結果敵を作って悪い印象と結び付けた実名特定などのえらい目に遭う可能性が少し高い。しかし実名で活動する人はよっぽどのキチガイでなければ敵を作らないよう配慮する。
実社会で仮名しか使わず常に仮面を被ってるような人がいたら、と考えてみるといい。会員制特殊クラブとかでね。おそらく周囲の中には「あいつは自分の匿名性に依存した奇行に走るんじゃないか」「わざわざ自制心を取り払うようなことをして、危険だとは思わないのか」と見る人もいると思う。信頼性の欠如は安全性の欠如と同一視される場合もあるってことだ。そういう場合には実名の方が「セキュリティ意識が高い」と見られるよね。
ただこりゃ特殊な場合だね。別にウェブ上で専門性の高い情報発信をしてる場合でもなければ匿名の方がいいと思う。たとえば知り合いに見られたくない趣味の話をウェブのどこかで書きまくる場合とか。僕は実名も使ってるけど匿名と半々だな。
ダメすなぁ。ついに夜中にレディへ聴きながら涙ぐむような精神状態になってきたすなあ。ざ・ファッション欝でございます。ファッション鬱ほどヴざいものはないよねー。「もう死にたい…」。じゃあさっさとしねばいいじゃない。
さて、じゃあ死にたくない俺はなんと罵倒されるのが妥当なのでしょう。「じゃあ生きればいいじゃない」とかですか?頑張って生きてるんだけど、いかんせん右手の親指が痛い。キーボード操作でゲームやりすぎたせいで右手の親指が腱鞘炎疑惑。俺がグレイプバインのベーシストであったならそろそろ脱退の時期であろう。それぐらい痛い。
そんな俺はいわば少し鬱っぽい時期の堂本剛。どんなに貸す散るのパクリ歌唱とみんなが石を投げ付けようとも俺は堂本剛をかばいます。彼は緑色のグレッチを所有している好青年です。それに比べて、トキオ松岡の俗っぽい司会者ぶりといったらありゃしない。なんかたまたま動画見ただけだが、あれはひどい。僕は彼と対峙する勇気がない。
だからどうしたのかとトハレ?トワレ?今ガチで「問われる」の読み仮名がとびました。ダメかもしれない。だんだんと「鬱っぽいってウソだろ」という視線が集まり始めた気がしています。それとももう最初の産業で…三行すら変換できないこの携帯と付き合っていく自信がもうありませんが、確かに俺は全然鬱ではない。当たり前だバカ。ただ、なぜこんな真夜中に真っ暗な部屋で携帯を握り締めて痛みの走る親指を酷使しているのかと問われれば!トワレれば!コメントでもつけばなんとなく日常の幸せ量が増えるからだと言いましょう。
昨日、大学にゼミの何人かで集まりましてね、課題の文章を泊まり掛けで書いたりしていたわけなのですが、もう終わったら終わったで酒が飲みたくて飲みたくてね。普段ジュースばっかだから、家で酒なんか飲みませんよ?下手したら毎日Qoo飲んでOLから絶大な支持。まぁ飲んだかは定かにいたしませんが(ここで、元野球選手の定岡ってもうテレビでまったくみねえなと思う)、酔っ払ったときの自分の笑い方の特徴を把握した、とだけ言っておきます。
久しぶりに何にも考えずテンション高くなれて非常に楽しかった。あまり現われることのない、適度にテンションの高い自分のことを俺は愛してます。そんな愛すべき俺は、「日常のモチベーションって何で保ってるの」と聞かれ、とても言語化するのが難しい議題だなあ一体俺は何が楽しいのでしょうと思いつつ、「なんか日常の小さな幸せの積み重ねとか」と答えていました。素面の下等民族である今の俺では到底言えない台詞。惚れる。いっそのこと掘られてもいい。俺のケツなど消耗品だ。確かに毎週月曜にジャンプが読めなくなったら俺の目は死ぬ。ちなみに、鏡を見るたびに俺は目が生きているか確かめますが、今のところなんとか生きています。こうして俺はもうしばらくしたら、電車の中でジャンプを読むサラリーマンの仲間入り。
ここでさきほどの日常幸せ量子論に帰結。
確かにクロノトリガーを三日間ひたすらプレイし、時間を無駄遣いした俺はバカです。じゃあアレですか。もっと学生時代にしかできない有意義なことにでも時間を使えばいいのだろうか。有意義なものってなにかね。できることであるならば、それこそ毎日酒飲んで殴りあいでもしてクソみたいなことを共有することのほうが比べものにならないほど重要視するべき(一番)。 いや、まあ全部ウソ。ホントは俺だってたまには充実した日常の光景でも日記に晒したい。やりたいことがある、頑張っている人間が輝いている(二番)ことぐらいゆら帝風に言えば俺は三歳で気付いてます。
で、この本音と建前、どう扱おうか。どっちもいらないんじゃないか説が出てくるわけで、なんかアレだ。うまく説明できず、ハルヒの長門風に言えば情報の伝達に齟齬が発生するかもしれませんが、ネガティブな意味ではなく、現実逃避なニュアンスがない感じで、「一体それが何になる」だ(三番)。
以上、この三つをバランスよく組み立てて臨機応変に生きたいものです。二番目多めが一番よろし。要は、得たことなんて最終的には死んでしまえば全て無くなるし何の役にも立たねえと思いつつもそんなことはおくびにもださず人生には手を抜かず輝く人間。これが理想。
*??史的假名遣ひには自信がないのでノーマルな日本語を「misima 旧仮名遣い・旧字変換支援(Ver.2.3)」を通して變換してゐます。
ネツトをうろついてゐると、たまにすべての表記に??史的假名遣ひを使つてゐるサイトが見受けられるが、??史的假名遣ひをフルに活用したサイトには、「個人的には」何故か好感をあまり感じないことが多い。何故さう感じるかにははつきりとした理由がないが、現代日本語的な柔軟性(現代的・??史的に關係なく日本語自體柔軟性に富んでゐるといふ意見もあるやうだが)を??してゐるやうな氣がしてしまふからなのかもしれない。??史的假名遣ひを使ふサイトが他者に對して批判的、或いは皮肉つぽいスタンスをとつてゐる事が多い(ように思へる)のもその理由の一つかも知れない。
そしてこれはかなりの偏見ではあるのだけれど、??史的假名遣ひを用ゐることが一つの「ベタつぽい自己表現方法」である要にも思へる。もちろん??史的假名遣ひの方が現代的な假名遣ひよりも正統性があるといふ意見・主張から??史的假名遣ひを使用してゐるといふのもケースとしては多いんだらうけれど、個人的にはそれ以上に「ネタ的に使用される」ケースが目立つ、といふかよく見られるせゐでさう感じてしまふのだらう。困つたものだなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20070209131658
で読点のつけかたが話題になっていた。もし、一定の基準を求めているならば、『朝日新聞の用語の手引』が参考になるだろう。下記に一部を抜粋する。
1 読点は、記事を読みやすくし、また文意を正しく伝えるために、息の切れ目や読みの「間」を考えて打つ。
a 主語となる語に付く助詞(「は」など)の後
<注>句・文が短いときは省いてもよい。
b 修飾語句の大賞を明らかにさせるとき
d 語句を並べるときや対立節に
2 連体修飾節と直接次に続く被修飾語の名詞との間には句点を打たない。
3 番号のマル1やマル2[引用者註:原文ではマル付き数字]や記号の「(などの前には、誤読の恐れがない場合は使わない。しかし、ぜひ必要なときもある。
何年も前だが、恋人に性病をうつされたことがあった。今考えるとゴムをしてしなかったこと自体、いかんことだな!と思うのだが、付き合ったばかりのその時は、なしでしてしまった。数日後、下半身に異変があった。それを恋人の栄太(仮名)に伝えると「気のせいじゃないの」と軽く返された。まさか病気?っていったら、自分はなんともないしそんなことないでしょ、と。でも気になってネットで調べて、何日かたっても治らなかったので、これはきっと病気だと思った。
栄太に「病気だと思うから、私は医者に行く。もし病気だったら、栄太もかかっていると思うから、病院へ行ってほしい」といった。私はその前にしばらくSEXしてなかったし、タイミング的に、彼からうつされたことは明白だったが、「栄太からうつされた」といったようなことは、一言も言わなかった。ただ、これから付き合って行くにあたって、もし病気なら、きちんと治してもらわないと困ると思ったので、「絶対に病院へ行くと約束してほしい!」といった。
彼の返事はあいまいだった。こりゃ、放っておいてもいかないかもしれないな、と思った。
だから、性病科へひっぱって連れて行った。日かげに住んでそうなおじさんが数人いる薄暗い待合室で、私はひとりで診療が終わるのを待った。「クラミジアだった…」栄太はそういった。そのまま、私の診療へ産婦人科へ一緒にいった。
私は20歳すぎていたのに、産婦人科へははじめていった。すごく緊張して診察室へ行って(栄太も連れて行った)話をしたら、ひととおり話を聞いた医者が「神妙な顔をしているから、何かあったのかと思った」と安心させるように笑っていった。(堕胎だと思われたのかも)
しかし。
診療が行われるということで、私は別室に入って、卒倒しそうになった…。しかも、何日も通わなければいけなくって、アレは相当ストレスになった。医者に診られるのなんか恥ずかしくもなんともない。ただあの感触が、とてつもなく嫌だった。嫌だったけど、治すためにがんばって通った。心がトゲトゲになってしまった。
無事に治療は終わった。「(自分のせいで)お前を性病科の待合室なんかに連れていっちゃって、本当に自分が情けなくなった」と、栄太は謝ってくれたが、どうも産婦人科の内診のつらさは、訴えてもあんまりわかってくれなかったようだった。ま、しょうがないよね。私もやるまでわかんなかったし!! もちろん性病科の待合室のほうが、何倍もましだったのはいうまでもない。
その後なんだかんだあって、栄太とは別れることになった。
しばらくして、共通の友人であり、栄太と以前付き合っていたという椎子ちゃん(仮名)と話す機会があったので、思い切って性病のことを聞いてみた。
…
椎子ちゃんも、うつされていたらしい。
椎子ちゃんは、どうもおかしいぞ、と思って、それを栄太に言ったらしい。栄太の返事はやっぱりあいまいだったらしい。
…つか、栄太、あんた自分が病気だってわかってたのか??わかってたんだよな?
うつされたことよりも、自分が病気かもしれないと知っていたのに、調べもせずに私といたしたという、その神経を疑う。いまだにこれに関しては、栄太を一発殴りたい気持ちになる。ちなみにその後、私は友人の勧めで、HIVの検査をした。保健所で無料・無記名でやってくれる。潜伏期間もかんがみて、十分な期間を置いてから検査した。陰性だった。栄太から、これ以上変なプレゼントをもらわなくて本当によかった。
平凡な高校生・通りすがり君(仮名)の日課は、はてブの注目エントリをチェックすることである。
ある日、いつものように注目エントリを見ていた彼は、とある興味深いエントリに辿り着いた。
説得力はあるものの、どこか引っかかる文章である。
彼はコメントを書き残すことにした。
さらさらと感想を書いてさて投稿というとき、名前欄に何も入力していないことに彼は気付いた。
さて、どうしよう。
しかし、今後も偶然にしか訪れないであろうこのブログのためだけに、はたして気合の入ったHNを新しく考える必要があるだろうか。
迷う時間ももったいないので、通りすがり君は真っ先に思いついたHNを使うことにした。
すなわち「通りすがり」である。
こういった経緯を考えれば、「通りすがり」というHNなんて、「山田太郎」か「鈴木一郎」のようなものにしか思わないけど。
なにを目くじら立てることがあるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20070110045526
http://anond.hatelabo.jp/20070110055534
いままでの話を自分なりにまとめてみた
前提
問題定義
反論
だけど、この反論は
もちろん、「本当に悪質な業者はそんなことしても…」というツッコミは理解できるけど、それはまた別の話なので置いといて。
それにもう前にも言った通り、元々その話は、「ブッ飛んでる」に対するそちらの「なんで?」という質問にこちらが答えてるだけでしたので、もし本当に「ずれ」ていると感じているのであれば、それはそちら自身でずらしただけのことですよ。
と、書いてあるので別の話ということが確認された。
つまり問題定義とは関係がないということでOk?
そうしてリンクを許諾制にしたことで、鈴木(仮名)さんのケース等、リンクを許諾制にしたことを逆利用されるケースが発生する可能性は否定しないけど、それはあくまでも派生的なケースであって始点ではないですよね。それを始点であるかのように言うのはズレてるでしょ。
その脆弱性を「派生的なケース」と考える人が「ブッ飛んでる」という感覚を持つのは不思議ではない。
しかし高木浩光blogは無断リンクの話に限らず、全てのセキュリティにおいて脆弱性は「派生的なケース」ではなく問題の始点と考えている。
つまりこの反論者は「派生的なケース」と考える理由を具体的に提示して、それを多くの人に納得させればいいのではないだろうか。tinycafe問題およびリンク許諾制推進派としての啓蒙をする自由はある。