「ネタばれ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ネタばれとは

2009-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20090702232921

おいおい…

よりによって増田ネタばれ書くなよ。

観たんなら、ネタばれされるのがどんだけ不幸か理解できるだろ?

2009-07-01

ヱバが非常に残念だった件【ネタばれしてます】

公開初日にヱバ破を見に行きましたが、非常に残念な内容でした。

下ネタばれしつつ、不満点を箇条書き



1 戦闘ばっかしてるわりに、1つの戦闘シーンに危機感がゼロ

 冒頭から最後までひたすら戦闘シーンが繰り返されるわりに、1つ1つの戦闘が使途登場→ヱバ登場→コアこわして血がドバーーーって展開だけ。

 まけちゃうーーーっていう危機感とか、その状況からみんなで力をあわせてやっつけるんだ!的な高揚感は皆無。また使途があっさりまけてしまうので、強い敵に勝った的な充足感もない。

2 心理描写の欠如

 戦闘→なんか会話→戦闘なので登場人物の心理描写がほとんどない。アスカがどういう孤独で生きてきたかもわからないし、それがわからないから何故突然布団に入ってきて話をしだすのかが伝わってこない。アニメでは加持への依存という形で上手に描かれていた部分だっただけに残念。さらにレイに嫉妬して料理をはじめるのだが、それも理由が伝わってこない。さらにいきなりレイの変わりに起動実験に志願するのだが、その理由も強く伝わってこないし(レイシンジを好きだからとりもってあげようぐらいの気持ちというはわかったが、彼女ナンバー1への依存という部分が欠けている)、そもそも人選は葛木が決めたはず、しかも酔っ払いながら。それほど適当に決めたあたり人選の深刻さが伝わらないから、アスカが代役を立候補したあたりの深さが伝わってこない。そもそも招待状わたしておいてレイを選ぶなよとか。

 そのあたりがうやむやのまま起動実験で大爆発がおこるから「あー、アスカがトウジの変わりに死ぬのか」ぐらいにしか思えない。

 しかもそのぐらいの軽い心理描写だからアニメ版では「親友殺し」という精神的ショックを受けるシンジ感情移入できるのだが、映画では突然やってきたわけわからん目立ちたがり屋の女の子事故に巻き込まれたぐらいでしかない。全く持って泣けない。あー、アスカ死んじゃったよ運が悪かったねぐらい。

3 アニメ版と被っている部分と新作の部分がシンクロしていない

 エレベーターでの会話や3号機の暴走など、アニメ版と被っているエピソードもあるが、その他がまったくの新作であるため、本来は「ここってアニメではこういう状態だったけど映画ではこう描かれているってことはこういう解釈?」みたいな微妙な違いを判断できない。シンジの立てこもりエピソードも、アスカに対しての感情移入ができない状態で事故がおこるから、「シンジはいったい何に対してそんなに怒っているんだろう」ぐらいにしか伝わってこない。普通子供駄々だった。

4 マリとカヲル空気

 カヲルは次回から大活躍っぽい登場だったがマリが完全にいらない。密入国しなきゃいけない意味もわからないし密入国なのになんでパラシュート?とか、シンジに見つかってる時点で大失敗じゃね?というか普通パラシュート学校の屋上に着地したら校庭でみてた生徒とかが大騒ぎするだろうし、すぐ先生が駆けつけて大騒ぎにならねーか?みたいなツッコミどころが満載。(パンフみたら冒頭5分で死ぬ役回りだったのがあそこまでひっぱられたらしいが。)

5 レイ特攻無駄だった

 アニメ版ではレイ特攻をみてシンジがめざめたはずが、特攻してるときに肝心のシンジシェルターで引きこもっていて見ていないから無意味に。しかもレイが何故特攻しなきゃいけないかの部分もなし。で、レイ、使途に食われるの巻で変な挿入歌が入ってどっちらけになる。シンジレイを助けたいだけで、ツバサが欲しいわけじゃない。

6 まとめ

 とはいいつつも映像は綺麗だったし、「わけわからないところや説明不足はあとでネットなどつかって補完して楽しむ」という部分はヱバらしいといえばヱバらしい。

 しかし、このままでは「一部コアなファンのためのロボットアニメ」だ。しばらくはAKIRAを越えられそうない。

 

エヴァンゲリヲン破を見てきた

レイトショーでみてきた。

劇場で売っているパンフレットは先に見ちゃダメ

ネタばれしちゃいます。ちなみにパンフの表紙はシールで一部封印、中も袋とじがあります。

綾波セリフが結構あってかなり話すので想像で補完されていた部分がはっきりしていた。

ファンは嬉しいと思う。

アスカシンジへの好意はストレートになっていた。

シンジは七光・バカシンジ、綾波えこひいきとアスカから言われていましたが、

優等生といわれているよりも腑に落ちた。

TV放映時には小学生になるかならないか位の若者が友達同士で来ているのをみて、

結構若い人達が多くて驚きました。

2009-04-19

playstation storeに「FF7」が出たので十二年ぶりにやってみた感想ネタばれ有り有りで書く。

http://www.jp.playstation.com/software/title/jp0082npjj00260_000000000000000001.html

今31歳。端くれながらゲーム業界にいます。オリジナルが出たときは19歳。歳取ったなーと実感。


・まず序盤からキワキワなイベントが多くてビックリ

 バー(お酒を出すお店)が普通にあるはともかく、売春性風俗連想させるイベントが連発。

 うちの会社だとCEROのレーティング気にして制作者側からこういう演出やりたいっていう希望自体が出てこないなーと。


・「有限エネルギー活用技術をバックに肥大化した私企業」vs「環境テロリスト」っていう物語の柱が、

 もうなんか2週ぐらいしちゃってる感じがしてムズムズした気持ちになる。これは時代のせいか?俺の12年分か?


ボス戦の手前にセーブポイントが無い。且つ突然ボス戦が始まっても全然困らない難易度。流石。


・「武器スキルをセットする」「そのスキルが成長する」っていうマテリアシステム

 もの凄く面白かったっていう記憶があったのだけれども、今もう一度やってみると結構タルイ。

 「マテリアの成長」→「戦闘へのフィードバック」が思った以上に薄味な印象なんだなぁと。

 もっとがんがん成長してスキルが増えてたま突然変異するぐらいが今の味付けなんだろうな。


・戦闘の難易度、獲得出来る経験値とお金バランス的に、サクサクストーリーを追う事ができる

 バランスにしてあるのは羨ましい(それだけストーリー的な演出に予算が投入出来ているという事)。



・( ゚∀゚)o彡゚ おっぱいおっぱい

2009-03-21

プログラマーを悪役に描くドラマはもう嫌だ

23日追記:こんなに反応があるとは思いませんでした。ちょっと感情的になって、「これは必ずしもそうとは言えないだろう」みたいなのも全部断定的に書いたのが効を奏したのか。感謝感謝です。

撮っておいた、2月に放送された交渉人スペシャルを今頃見ているんだけどさ、主演の米倉涼子警察交渉人になって犯人と対峙するの。(一応ネタばれ注意)

いやぁ、なんで、こう、脚本家プログラマーとかエンジニアを悪役に仕立てたがるのか。復讐のために、医療行政の失政で妻子を失った優秀な元プログラマが、厚生労働大臣の孫娘が乗ったドクターヘリ遠隔操作で乗っ取るって話なんだけどさぁ。そんなこと、単なるプログラマに出来るかっつーの。知らねーよ、ヘリコプターの操縦システムなんて。「プログラマなんだから、それぐらい出来るでしょ」とか、脚本化が思っていそうで怖いわ。それ、プログラマ違うから。機械電子ロボットの知識全部いるから。

しかも、このプログラマ、最初は大義名分があったのに、結局、最後は身代金目的だってことがバレて、捕まるときなんか、あきらかに精神異常者に描かれているし。なんですか、プログラマとかエンジニアとかいうのは、精神異常者なんですか。へー、そうですか。脚本家は、プログラマ死ねとか思ってんじゃねーの?

こういう、エンジニアを異常者のように悪役に描くのは、もう止めて欲しいんですけど。この国は、科学技術立国じゃなかったんですか?子供が、こういう番組見て、プログラマになりたいと思う?どうやら、脚本家は、よっぽど、この国のエンジニアを減らしたいらしいですね。

でも、不思議なことに、警察爆弾処理班とか、消防士とか、公共性の高い技術職は、正義の味方なんだよね。あー、なるほど。同じエンジニアでも、公務員正義の味方で、民間のエンジニアは悪役なんだ。そうか、そうですか。なるほどねー。

追記:

こういうのは「プログラマ」と呼ぶのか?という質問があったので、回答すると、ドラマ中で「優秀なプログラマだった」という台詞があってはっきり明言されています。「エンジニア」という言葉は使われていませんが、IT業界では、プログラマのことをエンジニアと呼んだりもするので、こちらで慣習にあわせて、あまり区別なく使っています。分野が違うだけで、プログラマエンジニア技術者)の一種であることには変わりはないのと思うので。また、このドラマでは「ハッカー」という言葉は使われていなかったと思います。

2009-03-16

とらドラ!の語られていないところ(ネタばれ注意)

タイトルどおりの内容になるかどうか。

とらドラ!にはいくつか語られていない部分がある。わざとかもしれないし、筆者の書き忘れかもしれない。9巻で「知られたくないことが、誰にでもある。それはうかがい知ることは出来ない」ということが重要な事として語られているので、ひょっとすると語られていないことはわざとそのままにしているのかもしれない。俺がぱっと思いつくのは次の三つ。

  1. 誰も知らない混乱
  2. 生徒手帳の2枚目の写真
  3. 大河帰宅
誰も知らない混乱

6巻ですみれのところに殴りこみをかける直前。大河が北村のことを「誰も知らない混乱があって、いままた、北村が好き」と想っている。誰も知らない混乱についてはその後語られていない。

これについては4巻のラスト亜美の別荘で竜児に声をかけられなくなったことじゃないかと思う。3巻の「竜児は私のものだ!」では周りに「私の犬だから」と言っているが、おそらく自分でもそう納得している。それが別荘に行って花火を見ている二人を見たとき自分も竜児を好きなのだとはっきり気づいたのだろう。その後、人知れず悩んだ時期があって、最後に「それでも竜児とみのりを結びつけてあげよう」と結論をだしたってのが俺の解釈

ちなみに、大河はイブの独り泣きで「竜児への気持ちに気づいた」と解釈している人もいるようだが、俺は違うと思う。大河自分の竜児への気持ちにはずっと前に気づいていて「それでもいい、竜児とみのりの仲を応援しよう」と決めていた。決めていたのに、それが耐えられないことだとはっきり思い知ったのがクリスマス・イブじゃないか。

生徒手帳の2枚目の写真

殴りこみ直後に拾われて、大河の恋心が他の生徒の知るところになったエピソード。アニメでは能登大河と北村をくっつけようとしていたが、原作7巻では名前の出てこない生徒までも、北村の録音を渡して大河の気持ちを大事にしてやろうとしている。さりげないシーンだが、あとで竜児の「これまでの17年間を見ていた『誰か』は居なくても」につながる結構重要な場面。

で、2枚目の写真ってなんだ。

これはまぁ、竜児の写真なのかな。竜児とみのりが並んでゴールする写真の可能性も強いのだが、そうならば、あえて語らないより「知らせたい気持ち」としてあえて描いたかも。

あるいは、写真の内容そのものにはさほど意味がないのかもしれない。別荘の花火の夜に、大河の誰にも言わない竜児への恋心を知ってしまった亜美が、大河の「知られたくない」最後の一枚を守ってやった事が重要なのかもしれない。そうすると、語られない写真が語っているのは、実は作品中で「知られたくない心」の象徴として描かれる亜美自身なのだろうか。

大河帰宅

10巻、竜児の祖父の家から大河は一人で去り、実母の元に戻る。それは話し合ってのことなのか。そうでないのか。

俺は話合ってのことだと思う。というのは、話されないことは察することが出来ないというエピソードが何度も繰り返されているから。やす子のいない部屋で絶望感に押しつぶされながら、大河世界のためにみんなを幸せにしてやると決めた竜児が、こんな重要なことを話しあわなかったとは思えない。では、いつか。

学校からの逃亡して祖父宅に着くまでの間なんだろうな、というのが俺の解釈大河が「泰子が幸せになること」を自分たちの未来に不可欠と位置づけたなら、大河家族とどうあるべきかについて竜児が説教ではなく大河に気持ちを問うて気づかせるのが自然だと思う。

帰ったのが翌日だったのは、独身の進退問題を漏れ聞いた北村がメールして、電車の中で読んだってあたりだろうか。

プラトニック

で、その前夜。語られてないシーンで大河と竜児が結ばれたと思っているやつもいるのか。おれはそう思わない。竜児はキス以上に進まないと思う。

大河性的な面に対して竜児が恐怖に近い感情を持っていることは、3巻の初水着シーンと10巻の大橋上のシーンではっきりと描かれている。それは大河の美しさや魅力に引きずり込まれ、おぼれることをまじめな気持ちで抑えたとも解釈できる。また、知らず知らずのうちに、どれだけ竜児が大河に惹かれているのかを表現しただけかもしれない。が、きちんとした大人にならないまま自分を宿した泰子の18年を見てきた竜児が、まだ子供の大河と体を重ねることを無意識に拒んだと解釈するのが好きだ。

イエーイ☆もみもみのチンピラ兄貴である父に対して、竜児は反感を抱いていない。単純に興味があるといっているだけ。だが、泰子と同じ苦労を大河に味あわせる気はないのではないか。無意識であれ。

どうやらこの二人は高校卒業したら同棲するらしいが、笑いたくば笑え、俺は竜児は自分たちが大人になるまで大河と体を重ねない気がする。大河は積極的なようだが(w

祖父と竜児の間にそんな会話があるなら、いい場面だろうな。

たぶん、ちゃんと正しくわかった

大河が北村に告白して振られるシーン、おれの原作解釈アニメ解釈がまったく違っていた。

アニメでは「竜児が助けてくれて、だからこうして言える、北村君が好き」と来て、竜児の独白「大河、お前はすごいよ」となる。告白にいかに勇気が必要かが強調されている。北村の「たぶん、ちゃんと正しくわかった」は、「好き」にかかっているように思える。

原作では「好き」と言った後に「でも竜児は嫌いじゃない」と続く。北村に対する気持ちより竜児への気持ちが強調され、竜児はそれじゃあまるで(自分を好きだと言っているようじゃないか、このドジ)とあわてる。大河の中で竜児はすでに大切な人へとなりつつあり、北村はそのことが「たぶん、ちゃんと正しくわかった」と言っている。

アニメスタッフがなぜこの重要なシーンを変えたのか、よく分からない。順番の重要さに気づかずに単に告白を劇的に盛り上げるための助走として竜児への気持ちを使おうと思ったのかもしれない。あるいは、アニメは別解釈にしようと思ったのかもしれない。俺は原作至上主義じゃないからその点に関してとやかく言う気はない。

でも、「語られない気持ち」「語られない場面」がこの作品では重要で、そして北村は、いつ大河の気持ちに気づいたか語っていない。ひょっとするとそこからくるあいまいさがアニメ原作乖離を生んでいるかもしれないと思うと、ちょっとだけ楽しいアニメスタッフも読者なのだ。

2009-01-18

ある無人島漂流物語、人事はこう見る!(ネタばれ追記)

http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2

まず、男女関係が焦点なんで、研修を受ける人の性別で見られるところが変わります。

本人が男

  • 船を直した男が悪いという発想が無い
    • 将来の対価型セクハラ予備軍。人事的には要マーク
    • 約束を守ったんだから、いいじゃないか」「妻も同意の上だろ」=「君をこの会社に残す代わりに一晩過ごしてくれるね」「僕は君の同意の上で取引に応じただけだから。」
      • はてなーのみなさまにおかれましては、たとえ1ミリもそんなことを思っていなくても、人事の前でだけは船を直した男が悪いというポーズをとられることをお勧めします。
      • なお、このような発想が自然に出てくるタイプは、取引先との関係などでも力関係を利用した違法もしくはスレスレの行為を、ごく自然な発想で全く疑問を持たずにしてしまう可能性があるので、コンプライアンスに関する研修と監視が必要です。
  • 妻が悪い
    • 貞節を守れなかったのが悪い
      • 従来型男女観の持ち主。大抵は無害だが、あまり執拗に主張する場合は環境セクハラを起こす可能性があるので注意する。また、このタイプ同士が集団になると傾向が加速するので固まらないようにする。
    • 告白したのが悪い
      • 公私の場の区別が付いていない。私的なロジックを公の場に持ち込む傾向がある。本音と建前の使い分けが出来ない。社内(部内)ではうまくやっていたが、社外(部外)に出した途端に問題噴出するパターンに注意。
    • 依存的である、主体性がないのが悪い
      • 設問に勝手な想定を付け加える独りよがりな面がある。人と違うことを言いたいだけの目立ちたがり屋である可能性が高い。
  • 夫が悪い
    • 可も無く不可も無く。大人しいタイプの場合は、自分を押さえ込む性格である可能性があります。メンタルヘルスに関する定期健診は必ず受けさせるようにしましょう。
  • おじいさんが悪い、思いを寄せていた男が悪い
    • 人と違うことを言いたいだけの目立ちたがり屋、あるいは、事実感想を切り分けることが苦手である。

本人が女

  • 船を直した男が悪い、夫が悪い
    • 冷静に指摘してくるようであれば無害だが、あまり執拗に主張する場合は些細な事でセクハラと騒ぎ立てるタイプである可能性がある。そのような人物の訴えの際には充分裏をとること。
  • 妻が悪い
  • おじいさんが悪い、思いを寄せていた男が悪い
    • 人と違うことを言いたいだけの目立ちたがり屋、あるいは、事実感想を切り分けることが苦手である。八つ当たりする性質があるかもしれないので、後輩等に対する態度を注意する。

グループディスカッションの主目的は、いろんな要素の混じった問題で、あえて綺麗じゃない問題(生命の危機、弱みに付け込んで性関係を要求、不貞などの要素の混じった問題)を出して、条件も示さずに混沌した状況の中から適切な論点を設定して合意に到達出来るかといったあたりかと思いますが、その他にチェックされてるポイントがあるよというお話でした。


これはネタです

本当にこんな人事がいてこんな研修が行われていると本気で信じる人がいると困るのでネタばらししときます。中の人は、人事ではなく事務系ですらなく、ただのエンジニアです。これを書いた目的は、

  • これを書いた時点では、船を直した男は契約を果たしているので悪くないという意見が多く、対価型セクハラ(人の弱みに付け込んで体を要求等)に対する意識が無さ過ぎるマジかよ、と思ったので指摘しとこうと考えました。が、そのまま書いても「女性感情論」扱いで終了になると予想したので、そう見えないようにカムフラージュしました。目的がバレないように、意図的に女性に厳し目に書いときました(こういう声を届けたい層の男性は、女性に相当厳しいくらいのバランスを中立と受け取るものなので)。というわけで、対価型セクハラの指摘以外はただの詭弁でした。
  • プラス「ものは言い様」を実践してみせただけです。(事実ではなく詭弁だと)読む人が読めば分かるように書いておいたつもりです。
  • 予想外だったのは「自分を抑え込む性格=>メンタル健診を欠かさぬように」が悪い指摘だと受け取られたことです。自分会社でもメンタル健診が近年導入されていますが、メンタルヘルスが本格的に悪化する前に早期発見につながる健診を会社負担で行うわけで、特に自分を押さえ込む性格の人にとっては、自分で声を挙げる前に、会社としての公的な取組の中で、その人のおかれている労働環境の悪さや人間関係トラブル発見されやすくなったということで、基本的には本人の利益になることなのではないかと思います。こういうことまで悪く取るのは、さすがに穿ち過ぎじゃないでしょうか。ま、それだけメンタルヘルスへの偏見が強いということなのかもしれませんが、いろいろ考えさせられました

2009-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20090117190923

ブコメにまともな文章求めてもしょうがなくない?

「関節話法」って小説のオチ知ってるとね。

ネタばれするから詳しく言えない・・・)

2009-01-01

こんな仕打ちって・・・

BS1天皇杯サッカー)を見ている。

本当は昼に見たかったが出かけていたので見れなかった。

一応ビデオはとっていたが画質が悪いので22:10からの放送を見ていた。

前半終了後に国営放送らしくニュースが・・・。

そのニュースで・・・天皇杯結果発表ー!!

アホかっ!!

まだ、前半しか見てないのに、結果を先に知ってしまった。

自らネタばれですか・・・アホかっ!!

少しは気ー使おうよ・・・。

2007-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20071224024452

とまあ12月24日にあんな長文「リトルバスターズ!18禁化に寄せて」を書いたわけだが、殿はこんなちっぽけな俺の遥か彼方、斜め上5万kmくらいを突き抜けてくれたよ。いちおネタばれね。

まとめ

エクスタシー

とりあえずタイトルで吹いた。素晴らしすぎる。ある意味18禁化をネタにしたというか、これまでのKeyの「エロはいらないよね」的路線に対するアンチテーゼというか、ある意味あの「筋肉筋肉ー!」とかいうカオスゲームにこれ以上ないくらい相応しいタイトルだと思うのですよ。というか性的な意味よりも、真人が「俺の筋肉が、エクスタシーに達したああああ!」とか言っている姿しか思い描けないくらいです。謙吾エクスタシー大統領な。取ってつけたような18禁化ではなく、かつてない状況でエロを発揮せよと前回書いたわけですが、このタイトルをつけるということはKeyは(というか多分、殿は)本気ですよ!?

追加要素

佐々美と佳奈多が来ましたね。佳奈多だけで9000円出すよ俺。マジで。城桐央の真骨頂を見せて欲しいです。そして真面目な意味でも、あの虚構世界でこの二人の位置づけって?という謎は散々考察されたネタなわけで、今回その一端が見えるかもしれないというのはかなり注目に値します。その他の追加要素は……あまり期待しすぎるとよろしくないので、生暖かく待つとしましょう。

時代の終わり

その一方で12月25日未明、2ch葉鍵板が壊滅、昇天(=エクスタシー)しました。ひとつの時代の終わりですね……。

2007-12-24

リトルバスターズ!18禁化に寄せて

※12.25追記:すいません、ネタばれなのでやってないけどこれからやるつもりの人は読まないでください。書くの忘れてた……そういえば正式発表されたんですかね?これでデマだったら涙目。

リトルバスターズ!18禁化だそうですね。

最初この情報を知った時の感想は「へー、そうなんだ」でした。んで葉鍵板やら各種ブログやらを見て回って、あまりのウブな反応っぷりに吹きました。「リトバスエロはいらないだろう……」「友情の物語が崩れる」「ショックです」などなど。う、ウブすぎる……。その割に「エロエロなアフターもの、FDなら良かったのに」という意見は多い。なんという解離。というか、未だに智代アフタートラウマなのでしょうか。兎にも角にも、実にウブな「リトバス大好き!俺のリトバスを汚さないで><」というご意見の数々に大変、心温まる今日この頃です。

本当に18禁化は「不味い」のか?

感情的な「エロはやめて」的言説は置いておくとして、エロを入れると「リトバスの構造的に不味い」という説は考察してみたいところです。これはつまり「リトバスは虚構世界ループする中で理樹(と鈴)が成長していくお話だから、構造上、全ルートを理樹(と鈴)は体験しているという前提が成り立つ」ため、単なるマルチエンディングと違い、トゥルーエンドの理樹きゅんは「みんなと致した」末の理樹きゅんになってしまうということです。しかも、回避策として浮かぶ「バッドエンドえろえろ作戦(別名:ナギ夢現エンド方式)」ですら解決できないのが厳しいところ。だって理樹きゅんの繰り返しの中にはバッドエンドも含まれているわけだからね(いくつかのバッドエンドにおいて、次の世界を示唆する言葉は散見されます)。小毬発狂エンドや美鳥バッドエンドでのえろえろは容易に思いつくだけに惜しい。実に惜しい。しかし本当にそうだろうか。本当に「不味い」のか? 実は、全然不味くないんじゃないか? なぜキスはよくてエロはだめなのか。ラストヒロインたちはキスの話をしているじゃないですか。そもそも「みんなと致した」末のトゥルーが不味いなら、各ルートそれぞれ、恋愛関係になっている時点で不味いし、その時点で「不潔です><」とか批判しないといけないわけです。事実、そういう批判もあるはずです。でも、その構造は受け入れておきながら、いざエロが絡むとなったとたん「不潔です><」は無いでしょう。

もう「在る」物語の前では解離できない

個別ルート純愛を語りながら、それらを渡り歩く美少女ゲームに必須のスキルを、とある偉い人は「解離」と呼びました。リトバスも最初からエロありだったら、この解離スキルを使いこなした歴戦のユーザーエロ部分を含めて「面白かった」と言うでしょう。「Keyエロはいらない」というお決まりの言葉は当然出るでしょうが、それはもうお約束みたいなものです。ところが、一度「エロなし」の物語を見てしまった僕らは、いざ「エロあり」になった瞬間、解離がうまく機能させられなくなってしまっています。何を今さら的なウブな反応は、ひょっとするとこの部分にあるのかも知れません。ToHeart2の場合と違って、明確に「共に様々な困難を乗り越えてラストに至った理樹きゅん」との記憶を持つだけに、この解離は困難を極めるというのが正直なところなのでしょう。

だからこそエロ

だが待ってほしい。逆に考えるんだ。だからこそリトバスエロはかつてないほどに興味深く、Key史上でも類を見ない独特な魅力を放つ可能性を秘めています。そもそもエロとは禁忌であればあるほど魅力を増すもの。Keyエロは予てより「予定調和的」で「不必要なもの」としての位置を占めてしまっていたがために「必要のないもの」として処理されてきました。当然です。エロゲーというフォーマットだからエロがあって当たり前。ここから「ずらす」ために麻枝准AIRを作ったわけです。ナギーの「バッドエンドでのみエロ」はエロゲーのかつての機能からすれば奇形だったわけですし、観鈴ルートAIRルートに至って完全にエロゲーとしての梯子の数々を外しまくったのも、Keyエロゲー屋さんであるという前提があったからこそ機能しました。翻って、CLANNADで完全にエロなしとなったKeyは、リトバスエロなしになって「もうKeyはそっちなんだね」という印象を刷り込むことに成功しました。そこでエロ。そりゃあみんなびっくりするよ。リトバスは元々エロでもいけるように作っているのですが、ユーザーとしては「エロなしで当たり前」なのがリトバスです。「エロなしで当たり前」のはずの物語ポルノグラフィーが展開するという禁忌。遣り様によっては、Keyの新しい世界が見えるかも知れません。そもそもリトバス実験色の強い作品であり、今後の「ポスト麻枝時代」を築くための礎という位置付けがなされているのは容易に想像がつくというもの。どんどんやってほしい。なんでも試してほしい。それを受け入れるだけの余剰が、あのリトバスという途方もないゲームには含まれていると私は信じています。

ついでに予想してみる

  • 小毬: 発狂エンドで「おにいちゃんだいすき」を本命としたいところですが、正気状態も見てみたい気もします。
  • 葉留佳: 部屋でキスからそのままがセオリーですが、当然の如く「実は佳奈多」は外せない。城桐央ならやるはず。
  • クド: よく言われる鎖で凌辱は多分ない。普通に髪を撫でながらそのまま、でしょう。一番甘くなりそう。
  • 来ヶ谷: 理樹きゅんが異変を感じる直前くらいがタイミングとしてはいいのでは。その後の破壊力も増しそう。
  • 美魚: 美鳥バッドでいいじゃないか。
  • 鈴: あえて鈴だけ「無い」とかどうか。

2007-07-17

anond:20070717152722

一方でこういう話がある

ネタばれ禁止な日々 原発に関して、意外に知られていない(かも知れない)こと 【その3】

http://sinden.blog6.fc2.com/blog-entry-239.html

2007-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20070624010832

地方によって放送日が違う場合サブタイトルですらネタばれなっちゃう可能性があるから禁止なんだと思っていたが、違うのか。

2007-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20070424183708

でも、あの台詞はたぶん、……とこれ以上書くとネタばれになるので止めておこう。

2007-04-17

いまさらながら「秒速5センチメートル」を観た(ネタばれ

漫画でも小説でもいいんだけど、これはまさしく自分のことではないかという作品ってあるよね。個人的なイメージでは、「山月記」や「人間失格」なんかが、そう思ってる人の多い作品のような気がする。「秒速5センチメートル」は、私にとってまさにそういう作品。この映画の評価は、観る人の背景によるという評があったと思うけど、それでいうなら私は、背景による影響が最も大きい人の一部ではないかとすら思う。

こんなことソーシャルな知り合いが読んでるかもしれないブログでは書けないからここに書くんだけど、私も小学生のとき好きな女の子が転校してしまった。それから年賀状を交わすようになり、やがてそこにお互いへの想いをほのめかす文が添えられるようになって、中学生のとき晴れて再会することとなった。別に電車で3時間ということもなく、自転車でも行ける距離で、私も転校などせずに、手紙を交わし、さらに何度か会ったのだけど、結局うまくいってた期間は半年もなかった。

だからこそ、特に第3話「秒速5センチメートル」のシーンの一つ一つが、過去からの呪いとなって、私に突き刺さる。明里が手紙を書こうとしては手が止まってしまうのも、貴樹が通学路の傍に明里の影を見るのも、明里がポストを見て書くはずだった手紙に思いをはせるのも、貴樹が空の郵便受けに落胆するのも、すべてが自分と重なり、切ないを通り越して、やりきれない気持ちにさいなまれる。

手紙を書かなくてはいけない、出さなくては思いを伝えられない、でも動けない。手は止まり、書かないのか書けないのかも定かではなくなり、そして相手からの文も途絶える。そんな思いを畳み掛けられ、平常でいられようはずがない。やりようのない思いを胸に、今すぐにでも叫びだしたい衝動に駆られる。

最後、踏切で貴樹とすれ違った女性が明里である必要はないという意見があったけど、私はあれは明里でなくてはならないと思う。明里が電車の通過を待つことなく去ったからこそ、貴樹は踵を返したときに、下ではなく前を向けたんだと思う。自分もそういう機会が与えられれば、過去を囚われるものではなく思い出として、心にしまっておけるだろうにという足掻きが、そんな思いを起こさせるだけかもしれないけれど。

でも一点わからない部分があって、それは第2話「コスモナウト」の最後、貴樹はなぜ夢で明里の顔を見られたんだろうかということ。既に連絡も途絶え、心の奥底ではどうあれ少なくとも表面上では、もう終わったことと自分に言い聞かせていただろうに。だからこそ夢で少女の顔を見れなかったんだろうに。惑星探査機に思いをはせる中で、閉じ込めきれなかった想いが漏れ出してきたんだろうか。それに対して貴樹がなんら行動を起こせなかったであろうことは、歯がゆくはあるけれど、自分と照らし合わせれば、悔やみつつも納得してしまう。

新海誠の「秒速5センチメートル」。それは私にとっては劇薬で、でも惹かれずにはいられない、そんな映画

2007-02-10

とある2chラノベ板住人の憂鬱

プロバイダーが2chアクセス規制に引っかかった。

これまでの経験からするに解除されるのは連休明けの火曜日だろう。

アクセス規制そのものは仕方がない。

それが連休とかぶることも受け入れよう。

駄菓子菓子、よりによって電撃文庫ネタばれ解禁日、

それも1年に一度の電撃大賞入賞作発売日にあわせなくてもいいだろう。

解禁になったら真っ先に書き込もうと思って

あんなAAやこんなネタを用意していたというのに……ううぅ……。

2006-12-21

次はファンタジーがクル!という言説があったが。

ヌルオタのたわごとなので、ツッコミたい方はどうぞ。

少し前に、再びファンタジー流行るっていう言説をちらちら見たんだけど、「ゲド戦記」があれな感じだったし、「ブレイブストーリー」はそれな感じだった。いや、見てないけど。評判の話ね、評判。

俺には最近の若い衆の感性は分からんけれども、団塊Jr世代としては、正統ファンタジー世界観…というか、いかにもRPG的な(といえば良いのか?)ファンタジー世界観みたいなものにはなんか、いい加減、限界を感じるというか、正直、陳腐さしか感じない。

もちろん、欧米の肉を食っている連中が作ったファンタジーにはある程度の説得力がある…「ロードオブザリング」やら、「ハリポタ」やらには。連中の身の丈にあったファンタジーだから、それなりのリアリティの裏づけがある。(でもぶっちゃけあんまりたいしたことないよな、みたいな部分もある)

日本ファンタジーの場合、一般認識として良く知られるようになったのは、ドラクエとかロードスとかゲームからである訳だから、リアリティの部分では、どうにもこうにもならないというか(結局、ベルセルクで一番評価された部分はリアリティだと思う)。さらに言えば、日本の場合、アニメとかマンガメインストリームだし、リアリティ問題というのはかなり大きいと思ったりとかしていた。(かといって、実写の時代劇を求めているわけではないんだけれども…)

まあ、例外的に、アニメの「蟲師」とか、良い作品もあったけれど、ああいう(後期(笑)宮崎駿のにおいを感じるような)土着的なアプローチもあるけど、あれは、90年代後半の残滓というべきもので、流行るんだったら、また違うアプローチのファンタジーではないかとは思っていた。

まあ、そんなことを思っていた訳だが。

そんなときに、漫画版皇国の守護者」とライトノベル「ジョン平と僕と」を読んで衝撃を受けた。

(以下、ちょっとだけネタばれするので、注意!)

まず、「皇国の守護者」だが、従来のファンタジーの枠を超えている作品であることは誰しも認めざるを得ないと思う。まず、舞台は、土星のような輪のある地球とは別の惑星らしい(輪は夜、地上からは光って見えるので、「光帯」と呼ばれている)。で、竜がいる。(弱いながらも)魔法もある。じゃあ、ベタベタファンタジーか?まったく違う。それらはあくまでも脇役だ。これは戦争漫画である。具体的に言うと、テクノロジー的には明治維新より少し前(+竜や魔法)のレベルで戦争するのだ(蒸気船が実用化した程度のレベル)。そして、主人公の名前は「新城直衛」中尉(日本人名!)。強大な侵略者はドイツロシアみたいな名前の人物たち!彼はそいつらを相手に絶望的な戦いをしたたかに切り抜けていく。すごい!燃えるぜ!

もう一方の「ジョン平と僕と」も、ちょっと変わったファンタジーだ。ほとんど、現代日本に近い世界だが、魔法が日常的に使われる世界。まあ、使い魔とか魔法の仕組みの説明とか、お約束があるものの、何よりすごいのは、その「呪文(のシステム)」だ(と思う)。ネタばれになるので書かないけれど、こういう身近な材料を使ったオリジナル世界観って大事だよな、と再確認させてくれるものだ。で、主人公の重(しげる)少年一生懸命戦う。もっとも、読後は、失恋に似た味わいがあったが…。

とつらつら書いてきて思ったのは、俺自身のファンタジーのツボというのは、「身近な材料を使ったオリジナル世界観」の中で、「一生懸命戦う」ことだと思った。「感情移入を阻害しない程度の異化作用の持つ独自ルールの中の世界の中」で、知恵と勇気を振り絞り、ぎりぎりで戦う。彼らの「一生懸命さ」、「ひたむきさ」に心打たれる。マジで泣いてしまった(…年だ)。

今でも、「独自の世界観ファンタジー」が次に来るのではないかという言説が一部であるが、さて、どうなんだろう。来年、どういう作品が出てくるのか楽しみだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん