はてなキーワード: スキーとは
大阪だと、電車乗ってるとレイプされて、チェーン店で飯くってるとレイプされて、帰宅しようとすると、同志社のアメフトにレイプされて、家でくつろいでると鹿島建設の課長にレイプされて、姉妹で一生懸命生きてると、母親殺しに殺されて、小学校に通ってると、宅間に殺されて、新興住宅地に家買うと近くの精神病棟が野放しにして、カラオケ屋行くと、消防署の幹部親族が経営してるのにもかかわらず蒸し焼きにされて、じゃあ外なら安心かと、花火見に行くと、押しくらまんじゅうで殺されて、しかも存在しない茶髪が原因で、スキーに行くとバスが橋脚にだんじりアタックするし、流石に新しくできた遊園地なら大丈夫だろと、 USJ行くと、工業用水呑まされて、やっぱ老舗の遊園地が安心だろと、エキスポ行くと頭潰されて、せめて大阪の魂たこ焼き買うと、その店は不法占拠だし、清掃工場は無意味に派手だし。
いや、君の挙げたものはどれも楽しそうじゃないか。
空回りするだけの部長がいろいろと企画を立ち上げるけどどうも自分のためだけのイベントで他の人は苦労してばかりで何の楽しみもない(彼の実家のペンションでスキー旅行など)ことや、空回りするだけの部長が、このサークルの風紀は乱れているのでサークル内恋愛禁止宣言違反者退部処分部長以外即時自動退部事件であったり、ボランティアをやろうなどという掛け声とともに全員でボランティア活動し始めるも空回りするだけの部長が一番下手で周りの者の仕事をなじり出し、彼以外は教職課程にあるのでもう一度ボランティアをやることになったり仕方がないのでもともといたオーケストラ部だかブラバンだかに追い返す形でクビにしたらブラバンの方からなぜ返すのか私たちは平和に過ごしていたのにこれは暴力だと抗議されるようなサークルのことであろう。
微妙に違うと思われる。
ではなく
ということじゃないかと。
俺はアニメ化発表前からの原作スキーで、以前に原作を何人かに布教活動してみたことがあるんだが、反応は真っ二つ。
気に入って自分でコミック買うようになった奴がいた一方で、一切笑うことなく1巻途中までで投げた奴もいた。
原作からしてそれだけ合う合わないの相性がある作品なんで、
それを良くも悪くも忠実にアニメ化した以上、賛否両論が出るのは当然と言える。
今回のケースは誰が悪いわけでもない、ただ相性の問題が今までの京アニ作品より強く出てるだけだ。
まぁ、俺はトピ主じゃないから本当のところは分からんがね。
小学校の頃行っていた塾の先生に赤い実はじけちゃった私ですが、そんな弾けまくりの最中に塾でスキーツアーに行くことになったんです。
めちゃんこ塾生がいるのにね、なんか「先生と旅行、ウットリ」みたいな阿呆な妄想しまくりなわけですよ。
いざ当日、もう興奮しまくりでね、押せ押せどんどんな私は先生と一緒になれる機会を探しまくりの狙いまくり。
とりあえず行きのバスの中で隣の席をゲットだぜ☆とか計画してたのですが…
まぁ、なかなかうまくいかないわけですね。だって生徒山のようにいるし、みんなに人気あった先生だしね。
なんとか近くに!という淡い期待もむなしくバスはペンションに到着。
いやでもさ、旅行は始まったばかりですよ、これからですよ、夜は長いのですよ。
夕方頃に到着したので、1日目はスキーはせずに各自部屋でまったり。
これはチャンスなんじゃないですか!?神よ…!
ここぞとばかりに先生の部屋に行こうとして、ふと同室の友達を見たら顔が真っ赤なんですね。
あれ?おっかしーな。
しかもなんか目が座ってるし。
不審に思いながら問いかけたらね、友達がこんな素敵なセリフを言っちゃってくれました。
「なんか、熱あるかも…。」
NOー!!!
額に手を当てるともうかなりのお熱ですよ。
NOー!!!!
ちょ、私の手に握られたトランプはどうしてくれる。(先生トランプしよー!と友達と押し掛ける計画をしていたわけですね)
とりあえず廊下に出て大人を探すと、なんとそこに赤い実はじけたお相手が。
神よ…!これって運命なのかしら!
とりあえず友達のことを伝えると風邪薬と体温計を持ってきてくれました。
いいなー額に手とかさーいいなーいいなー。
検温の結果、40度オーバーでした、友よ。苦しい時に嫉妬してしまってすんまそん。
はっ!でもこれ、先生がつきっきりで看病?!すなわち同室で一夜を共に、みたいな?!
なんて妄想オーバーヒート気味の私の背後でドアがノック。コンコン。
「先生、お疲れでしょうし休んで下さい。今夜は私が彼女についてますから」
NOー!!!!
恨むぜ、塾長婦人。
翌日。
友達の風邪も随分納まったものの流石にスキーは無理だろうと言うことで、彼女はペンションでお留守番となりました。
そしていざゲレンデへ!初体験だよスキーなんて!わっほーい白銀の世界だぜ!しかも超快晴!日ごろの行いがよかったせいだな、うんうん。
いそいそとスキー板を装着。集合場所へ。
「じゃあ、君達のグループは僕が教えるからね、まず八の字からやってみよう」
神よ…!
満面の笑みを携えながらせっせと八の字練習に励む私。
と、突然背後から叫び声が…。
「NOー!!!!!!」
え?NO?なになに?アメリカナイズ?
振り返るとかなりの近距離に年配の白人女性がいます。ものすごいスピードでこっち来てます。どうやら己を操縦不可能状態です。
なにやら叫んでいますが聞き取れません、もうポカンですよ私が。
とかダラダラ書いてますが、実際はここまで2??3秒かと思います、つまり身動きがとれなかったわけです。
つまり衝突事故が起きたわけです。
どかーんと吹っ飛ばされて雪の上に落下する私。
事故の時とかよくスローモーションになるって言うじゃないですか、あれほんとですね。
なんか肺打った!息できねぇ!
じたばたと声も出さずに苦しむ私、一同何が起こったのかわからずポカン。
ちょ、まじ痛いです、先生タスケテー!!!
必死の思いで憧れの先生に目を向けたはず、が、そこにいたのは別のおじさん先生でした。
「よし、すぐ医務室につれてってやる!おぶされ!」
いや、違うんです、できればあの、憧れの先生にね、おんぶしてもらいたいって言うか、あの違うんです違うんです。
しかし思い伝わらず。
名残惜しさにおじさん先生の背中からチラリとゲレンデを見ると、憧れの君は爽やかな笑顔でシュプールを描いていました。
気づいてもいねえええええええええええええ!!!!!!!!!!!!
NOー!!!!!!!!
その後、医務室で治療を受けて強制的にペンションに帰らされました。
ゲレンデにいた時間、わずか10分。
帰り道でおじさん先生がピザをおごってくれました。涙の味がしました。
チキショー!明日こそはリベンジじゃあ!
翌朝起きると、腰に激痛が走り立ち上がることが困難になっていました。
ペンションの人が哀れみの目でピザをごちそうしてくれました。涙の味がしました。て言うかなんでピザばっかり出てくるの。
その翌日もやっぱり腰が死んでおりましたのでおるすばんしました。
「空いた時間をそれ程好きでもない相手とデート代を払ってもらってする面倒なセックスが売春のようだと元風俗嬢が言うのは興味深い。」
これが問題の発言だが、個人的にそんなに問題のある発言に思えない。
例えばこれがこうだったらどうだろう。
「空いた時間をそれ程好きでもない相手と奢って貰ってする面倒な相談事がカウンセリングのようだと元精神科医が言うのは興味深い」
こうだった場合に何か問題があるだろうか?
なにも問題を感じない。
もちろん「元風俗嬢が」を付けなくとも意味は通じるだろうが、付ける事によって差別以外の意味を持つ事は分かるだろう。
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20070320
から一部抜粋
「面倒なセックスをビジネスのようだ、つまり売春と考えるのだ、元風俗嬢は、なるほど、と興味深く思ったということです。」とは、
まず何よりも、私が言うのもなんですが、大きな御世話ですよ。
これも
「面倒な相談事をビジネスのようだ、つまりカウンセリングと考えるのだ、元精神科医は、なるほど、と興味深く思ったという事です。」
だったら何か感じるだろうか?
大きなお世話と感じようがそれは自由だが、なにも突っかかる事ではない。
この違いは何かというと、やはり風俗嬢と精神科医という地位の違いにあるのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/macska/20070320/p2
もっと突っ込むと
「空いた時間をそれ程好きでもない相手とデート代を払ってもらってする面倒なセックスが売春のようだと元風俗嬢が言うのは興味深い。」
が引っかかるか否かは、風俗嬢をどう見ているか(あるいは認識しているか)という違いになるのではないか?
そして是か非かは置いておいて、これが引っかかる人は風俗嬢の地位を低く見ている人達なのだろう。
大事な話なようなので
始めの所からもう一つ抜粋して突っ込む
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20070320
話はずっこけるけれども、でも大事な話。
植草元教授が痴漢をやっていたとして、「エコノミストは痴漢をする」「エコノミストだから痴漢をする」とは、「手鏡と痴漢によって幾度も逮捕されるのだ、つまり偏向したイリーガルな性癖を持ち合わせているのだ、元経済学者は、なるほど、と興味深く思ったということです。」とは、言わないでしょう。いや村崎百郎氏はそう言ったけれども(クロソウスキーの『生きた貨幣』を引き合いに出して)。
クロソウスキーとやらはどんなスキーなのか浅学にして知らないが
この例え話は間違いである。
まず風俗嬢とセックス(建前的には性的なサービス)には直接の関係がある。
なぜならそれが仕事であるから。
この例え話は例え自体が間違っているのである。
例え話自体が間違っているのでそれ以降の話も当然間違っている。
今の時代、アニオタでもリア充でも、多くの日本人は漫画にアニメに親しんでいるはずである。にもかかわらず、オタキメェとなってしまうのは何故か?
それはたぶん、思考のベクトルが反対だからである。端的にいうと、以下のとおり。
どうしてこういう差が生まれるのかは、リアルで充実しているか否かという差異にのみ基づいていると考えられる。リアルで充実しない理由は、理想が高すぎるとか、感覚がズレてるとか、キモいとか、まあいろいろあるだろう。ヲタにキモメンが多いのは、まあ仕方ないということがわかっていただけると思う。同時に、オタ=キモメンではないということもわかるだろう。あと、充実しない理由が運勢的なものだったりした場合、脱オタする可能性があるということになるけれど、現実からズレまくってる場合にはたぶんもう戻ってこれない。
ヲタクは、リアルで充実出来ないので、充実できる世界に行きたくて行きたくて仕方が無い。だから、仮想を現実化しようとする。その情熱はミサミサの命削って、自分を危険に晒してまで新世界創ろうとしたライトくんみたいなものである。ただ、彼らの大半はデスノートを持ってないから、行動出来ない。ライトくんはデスノ持つまでは殺しなんてしなかったし。
逆にリア充はリアルで充実してるので、そんなものは求めない。むしろ、新しく開けた世界である仮想世界にあっても現実のように充実出来るよう、現実をそこに投射する。ただ、仮想世界の出来は現在あまりにもお粗末なので、現実で張り切っちゃった方が得だし、それほど情熱的にはならない。
そう、これは戦争なのだ。リア充とヲタクとの、現実と仮想との戦争なのだ。まだまだ現実派が優勢とはいえ、日本は仮想派の大いなる砦である。「超人を生み出す実験場は東方」(ヒトラー)。そう、日本とは、人間が新たに獲得した、この広大な仮想世界の支配権……ひいては現実の統治手段を巡る闘争の場なのだ。
ネタでごめんなさい。
追記(20070313):仮想で楽しもうと楽しんでるのは現実なので、そういう意味ではヲタもリア充と似たようなものだと思ってます。あと、世界観に関係しない、スキーとかと同列での趣味のおたくは考慮してませんので悪しからず。ヲタ的にはスキーはオタ趣味の代替にはならない(あっちの世界でスキーすればいいじゃない)と考えてますので。
http://anond.hatelabo.jp/20070224194128
逆にさ、人に教えてもらって成功したり能力を発揮できて本当に楽しいかって考えたことがある?
もちろんあります。いや、違うかもしれません。本当の意味で考えたことはなかったのかもしれません。
当時の私が陥っていた思考の罠は、
「人に教えてもらうことは、所詮はお情けに頼ること。自分では何もできないということを認めること。これは屈辱だ」
というものでした。ここで思考停止してしまっていました。
ある意味では正しいのかもしれません。でも、当時わかっていなかったことがあります。「自分ではなにもできない」というのが紛れもない事実だったことです。これを認める勇気がなかったことが全ての敗因です。
私見ですが、研究者として必要な能力は二つあります。「何を(what)するか」と、「どうやって(how)するか」の双方です。
このうち、whatは人から教えてもらうことが困難です。知識をいくら集めても、質の良い研究テーマは出てきません。何が重要か、何が面白いか、そのあたりの判断ができることが必要です。当時の私には、このあたりの能力はあったと思うのです。そういう意味で、私は自分が才能に欠けていたとは必ずしもありません。
一方で、howの方は人から教えてもらうことができるのです。そして、「やりたいこと(what)」の中からできそうな部分を切り出してくるような能力、これも広い意味のhowに入るのです。これこそ、私が見落としていたことです。知識は本や論文から手に入れることができます。しかし、知識を集めてhowにすることも難しいのです。それができるようになるためには、経験が必要です。そして、経験がなにもない段階から経験がある段階にステップアップするためには、先達の指導を受けることがどうしても必要です。
私には、whatとhowの区別がありませんでした。確かに、whatについて教えを乞うことは恥かもしれません。無目的に時を過ごすことの無意味さを自覚できていないからです。しかし、howについては教えを乞わないことが恥だと思います。歴史上多くの先達が一生をかけて成し遂げてきたことを自分だけの力で何とかしようというのは、無謀以外の何ものでもありません。
物理学の歴史上屈指の天才の一人として、アインシュタインがいます。彼の最大の業績としては、まず間違いなく特殊相対性理論が挙げられるでしょう。これは、時間とか空間といった日常的な概念に変更を迫るものとして、一般人の関心をも大きく惹きつけました。
ですが、アインシュタインの業績だと一般に思われていることを100とすれば、そのうちアインシュタイン独自のアイディアは実のところ2か3ぐらいしかないのではないでしょうか。光速度が一定であること、時間や空間が伸び縮みする可能性があること、これらは全て、ローレンツとかポアンカレとか、これも歴史に名が残るような当時の一流の人たちによって既に得られていた成果なのです。現代でも「アインシュタイン、特殊相対論を横取りする」などという本が出版されているぐらい、このあたりは微妙な話に属するのです。しかし、それでもアインシュタインは段違いに偉大だと私は思うのです。アインシュタインの理論は単純な原理からこれらの新しい結果を自然に導き出せる驚くべき明晰さに価値があるのであって、これにくらべれば、ローレンツやポアンカレのアイディアは斬新ではあっても、既存の理論の綻びを無理に覆い隠すようなその場しのぎのものにしか見えなくなってしまいます。しかしそれにしても超一流であるアインシュタインにして、せいぜい100のうちの2か3のアイディアしか出せないことは注意する必要があります。それが成熟した学問分野での研究者の世界というものです。
さて、アインシュタインは特殊相対性理論を発展させて、一般相対性理論を提唱しました。これこそは全く新しい分野の構築であり、100のうちの100のアイディアがアインシュタインのものであるといってもいいように見えます。しかし、この理論の肝である「曲がった時空」を扱うためのアイディアは数学のうちの「微分幾何学」と呼ばれる分野から丸々拝借してきたものであり、数学者の立場からみれば、長年にわたって構築されてきた理論にアインシュタインは物理的解釈を当てはめただけ、と言えなくもありません。そして、「微分幾何学」を物理学に適用するというアイディア自体もアインシュタイン独自のものではなく、その指導教官のミンコフスキーの助言に端を発するものなのでした。もしアインシュタインがミンコフスキーと知り合っていなければ、この理論の発見者はアインシュタインではなかったかもしれません。アインシュタインですらhowを指導教官から教えてもらっているのに、どうして稀代の天才でない人間にそんなことができるでしょうか?
華々しく成功して賞賛されたのはいいけど、後々まで、教えてもらった人に、
「あの時は世話してやった」と言われ続けるのは、あなたにとって屈辱じゃないの?
「こいつは使える、優秀だ」と、周りの人に評価されてうれしいの?
評価されて嬉しくないはずがありません。評価されなければ、自分の挙げた成果も日の目を見ず、どこかに埋没してしまいます。それが研究者の世界です。それでは実績を残したことにはなりませんし、研究を続けることもできなくなるし、社会に何の貢献もできていないことになってしまいます。目的ではなく手段として、評価されることは必要です。それを嫌って前衛芸術家を気取っている人は、一生を前衛のままで終わらざるを得ないでしょう。
それに、「あの時は世話してやった」と恩に着せるような言い方をされるのが嫌だといったところで、指導を受けずに何の成果も残せないこととどちらを選ぶかといわれれば、答えはいうまでもありません。それにそもそも、弟子が華々しい実績を上げれば、黙っていてもその人の師は優れた教育者として歴史に名を残すことになるはずで、最初から自慢をする必要などありません。
この元記事を書かれたあなたへ。おそらくあなたは現役の学生なのでしょう。血気盛んに、何かを成し遂げてやろうと思っていて、私を二流に甘んじた人間とお思いなのだと思います。その意気は買うべきものがあるし、私が二流なのも事実でしょう。しかし、「何かを成し遂げる」ということは、あなたの思っている通りのことではないのも事実なのです。それを知って欲しいのです。上にアインシュタインの話を長々と書いたのも、アインシュタインであっても実際に成し遂げたことはおそらくあなたの想像より遙かに地味なことであろうという事実を知って欲しかったからです。所詮人間の能力には限りがあり、天才と凡人には言うほどの違いはありません。ただし、次に引用するニュートンの言葉が全てを物語っていると思うのです。これを肝に銘じ、有意義な学生生活を送って頂きたいものです。
「私が遠くを見通し得たとするならば、それは巨人の両肩の上に立っていたからだ」
忘れないようにするため、今日の出来事を話したい。
今日のお昼頃の出来事。
東北本線で蒲田から川崎に向かう途中、俺の座席前に、マスクをした男が対向する形で座席に座っていた。
ここでは、マスク男と呼ぼう。
こんな感じ
=ドア===窓===
。|_男●|
。|O俺_|
=ドア===窓===
しかし、ネクタイはダラっとして、曲がっているし、靴下は、真っ白のスキーで履く分厚い靴下。
どうみてもサイズが合わずブカブカ。
少し変なヤツだと思った。
年は30代半ば。俺と同い年くらいか。
背格好は長身痩せ型。
マスクの上にある目はギラギラ。
マスク男は、おもむろにバンドエイドを取り出し、薬指にバンドエイドを巻き始めた。
ケガでもしたんだろうと思ってみていた。
すると、バンドエイドを巻いた後のゴミをいきなり座席に捨てるではないか。(@@)!
俺は、こういうのを見ると、ムショウに憤りを感じる。
乗り換えのため、川崎駅で降りると、マスク男も降りようとした。
俺は、ゴミを拾えと指でゴミを指してやった。
内心 このゴミ自分で始末しろ と思いながら。
マスク男は俺をにらんだ。 そして、ゴミを拾わず、そのまま降りた。
ホームから改札階へのエスカレーターに乗ると、マスク男は俺の後ろに張り付いた。
ぴったりと。
そして、ゴホっと咳をしやがった。
マスクを通しての音ではなく、かなりはっきりとしたゴホっとした音。
マスクを外してわざとセキをしやがったにちがいない。
いやがらせだ。
こんなやつは相手にするべきでない。
無視していると、後ろから「何だお前は!」「お前は何様だ!」ドスを聞かせた声が。
かなり、ゾッとした。殺意も背中に感じる。
「お前は俺に何をした」
やばいヤツを相手にしてしまったな・・・。
改札階に上りおわると、マスク男が俺の前にたちはだかる。
マスク男「お前は俺に何をした」
俺「あのゴミはあなたが捨てた。あなたのやったことは正しいことですか」
(何を相手しているんだ! 受け答えしたことを、激しく後悔 orz )
マスク男「お前に指図される覚えはない。お前は誰だ」
かなりヤバイ。
周りの人間は、俺ら二人を無視して通り過ぎる。
俺は、相手にしないで、行こうとすると、後ろからついてくる。
「お前は誰だ」
背中に殺意を感じる。
横に目をやると、警備員がいた。
年恰好はかなり年季の入ったおじいちゃん警備員。
マスク男もついてくる。
俺「警備員さん、すみません。この人につきまとわられて困っています」
するとマスク男は、警備員の前で「俺はお前と話をしているんだ。こいつは関係ない。お前は誰だ」
俺はおじいちゃん警備員に助けの目を送る。
おじいちゃん警備員、オロオロしながら、「いや私は警備をしているんで・・・」
逃げの姿勢。
(なんのための警備なんだ!)
相手にならん。俺は駅員がいる改札に向かった。
マスク男もついてくる。
駅員のいる改札に着いた。
後ろを振り向くと、マスク男は、いなかった。
遠くでこちらを睨んでいる。
駅員さんに事情を話した。
車中でゴミを捨てた男に注意したところ、逆上され、つきまとわられていること。
駅員さんはすぐに事情を察知して、こちらを睨んでいるマスク男を発見。
駅員「かなりヤバイですね。」
駅員「どちらまで行かれます」
もう一度、振り向くと、マスク男はいなくなっていた。
二人であたりを探すと、どうも、品川方面行きの東海道線ホームを降りたようだ。
「○○行きの電車が来るまで守りましょう」
東海道線(横浜方面行き)のホームに行き、マスク男がいないことを確かめた。
二人であたりを確認。
マスク男はいない。
電車が来た。
扉が開き、俺は乗った。
駅員さんは、周囲を見回し、マスク男が乗っていないことを確認。
車中にマスク男がいないことも確認。
電車が発車。
無事、マスク男から、離れることが出来た。
あのまま、俺はマスク男を相手にしていたら、どうなっていただろう。
この場をお借りして、最後まで見守った川崎駅の駅員さんに感謝したい。
ほんの短い時間ではあるが、マスク男につきまとわされて、ストーカーに遭う恐怖を味わった。
警備員からは見放され、どこまでも男が睨みながら、どこまでも、ぴったりとついてくる。
とても気分がいいものではない。
「何だお前は」
「お前は誰だ」
マスクをし、ギラギラした眼光で、睨みつける。
ヘタに注意すると、逆上され、ヤバイ経験をする。
この日記を読んだ人に注意を促したい。
注意する相手は選ばないといけない。
いや、変な怪しいヤツもいるので、注意はしない方がいいのかもしれない。
用事が済み、家路に帰る途中、交番のおまわりさんに、今回の件について、相談した。
結果、わかったことを追記しておきたい。
ストーカーにあったら、駅員さんのいるところに飛び込むこと。
川崎駅の場合、交番が駅前にあるため、すぐに警察官が来ること。
似たようなケースでは、手すりにつかまって、ヒジがぶつかっただけで、ホームに出ろと呼び出され、殴られる事例。
目があっただけで、ホームでつき飛ばされる事例。
中には、ドライバやカッターで、顔を切られる事例もあるとのこと。
やった犯人は、すぐに逃げる。
監視カメラがあっても、切られてしまっては元も子もない。
世の中、まともな人間ばかりでなく、怪しい人もいる。
あまり相手にしない方がいい。
注意されると、逆切れしたり、逆恨みする人間もいる。
こういう世の中は、悪いことに注意する人がいなくなるのも、仕方がないことなのかもしれない。
今回は、たまたまドライバーやナイフをもった男じゃなかったので、幸いであった。
ぼくもmixiをやっているとさみしくてさみしくてたまらなくなって
あの子にでんわをしてはなしたくてはなしたくてしかたがなくなるんだけれども
でもよるもおそいこんなじかんだったり
そもそももうでんわなんかしちゃいけないっておもっていたりで
なにをかんがえているのかよくわからないままかんがえつづけて
かんがえてかんがえてもがいていつのまにかあさをむかえるので
おもいあたまをかかえたまましゅっきんしてかいしゃのトイレでねるよ
ぼくはこのさみしさをどこにやったらよいのかわからなくなったので
mixiをやめてまちにでてダーツしたりスキーしたりおいしいものをたべるよ
あたまなんかおかしくなってもかまわないから
このくるしみからのがれたいよ