はてなキーワード: あんまとは
お互い「理性的に」話して別れたほうがよさそうだね。
辛いだろうけど、そんなモンだよ。
別に障害がなくても性格が合わないと長く付き合うと負担になることも多いから。
結婚前(だよね?)でよかったじゃん。
責任とか思うけど、しょうがないもんはしょうがないよ。
けど、障害自体よりも障害があるからと申し訳なくしているあなたが彼女にとっては一番不満だとおもうぜ。
嫁がやってもDVのはずなんだけど……
http://anond.hatelabo.jp/20090626074623
忍耐はありがちか。現実逃避もある……かな、どうかな。
自責はあまりなさそうな気がする……なんでそんな気がするんだろう。
あと、子供に対しては、なんか、母親に対しては脅しとして有効だけど
何なんだろう、この偏見。
http://anond.hatelabo.jp/20090625233802
重度ではないけれど、軽度のDV被害者の思考回路に陥っている。軽い共依存状態。
DV被害者と言うのは、物理的/精神的/金銭的な暴力を振るってくる恋人/配偶者に対し、このように考える。
これなんかは1の現実逃避に当たる。平時が楽しいのは当たり前。平時じゃないときに一線を越えてくるか来ないかが一番大事なのだ。
彼の態度はどの成人男性でもあることなのか?
これは3の変型で、これが酷くなってくると「男はみんなそうなんだ、我慢できない私が悪いんだ」と自分を責め始める。
DVの話になると「なんで暴力を振るう男と別れないの?」「別れちゃえばいいじゃん」と不思議に思う人(ごくまともな感性を持つ人なら当然そう思う)がいるのだけれど、DV被害者と言うのははこういうネガティヴ思考に陥っている上、情報が制限されていることもあり何が正しいか何が異常なのかの判断がつかない酩酊状態に陥ってしまう。ゆえにDV加害者、「相手をコントロールしようとし、出来ないと暴力に訴える」相手から離れられない。ブラック会社とその社員の関係に似ている。
とはいえ、まだまだ軽度の共依存で、彼氏に対してしっかりと反抗も行っているので、抜け出そうと思えば抜け出せると思う。早く目を覚まして抜け出して欲しい。このサイトを熟読して参考にするといいよ。
逃げるときには「相手は自分を殺すつもりだ」ぐらいに考えて、徹底的に身の安全を図った上で逃げよう。別れ話はあんまり直接やらないほうがいいんだが(物理的安全圏に逃げてから電話推奨)、やる場合は絶対に家の中でやっては駄目。包丁で刺されてあぼーんして終わり。昼の時間帯に、ファミレス、マックなどの人が多いところでやる。出来れば実家や友人宅に駆け込む、警察や自治体、DV相談センターなど第三者を間に入れる(警察は動いてくれないかも)、職場を変える、住居を変えるなど。
ちなみに彼女は軽度の共依存だが、彼氏は重度のDVメンヘラ。はっきり言って病気であり、そのうち絶対に間違いなく100パーセント直接暴力を振るわれるようになる。特にモラルハラスメント、精神的DVをした後に「文句じゃないよアドバイスだよ」と言い訳をするというのは定番中の定番。そのうち「なんで俺の言うことがきけないんだ! お前のためを思って言ってるんだぞ!(ガシッボカッ!)」→「ごめん、あの時はどうかしてたんだ……」というお決まりのパターンが始まる。で、DV被害者は後者の姿を「彼の本当の姿だ」「彼は本当は優しいのだ」と思い込んで、自責を繰り返すようになって共依存の出来上がり。
DVの種類
あんまり関係ないけど、会社で、掃除するときに、掃除機かける人らとごみ集めて捨てる人らに分かれて作業するとき、
「男が掃除機するのが当たり前だろう」
って言われた。
男女関係なく、他の何人かも同意してたんだけど、俺には全然意味が分からなかった。
掃除機を倉庫から引っ張り出すのは力仕事と言えなくもないけど、ゴミいっぱいのゴミ袋捨てるのも力仕事だし、ゴミとか汚いから、男女がどうこういうならむしろ、ゴミ出しが男の仕事じゃね?って思ったんだ。
まあ俺は性関連以外で男女でどうこう言うのは嫌いだから、みんなでやればいいじゃん、って思ったんだけど。
それだけ。
相手が相手がっていうけどさ、じゃあお前自身もキャラ化されて見られてるって可能性考えたことあんのか?
それでも別にいいのか、嫌なのか。
キャラ化しないと人がわからないっていうのはさ、最初から人のすべてを把握できる、もしくはしなきゃっていう、ある種の思い上がりがお前にあるんだと思うよ。
で、キャラ化とかそういう自分自身が抱くイメージを慰撫できるようなものとしてアイドルとかアニメってものが存在するわけだ。
ファンタジーとしてな。そこでは勝手なイメージを持つことが許されてるし、勝手に脳内補正することも許されてる。
だから、今回のフライデーでお前がショックを受けたのは、まぁそりゃそうかもと思う。
だけど、それでキャラ化しないと人づきあいができないっていうのは話が飛びすぎだろ?
互いにキャラ化しあってうまく回ってるように見える人付き合いとか恋愛もあるにはあるけど、それってあんまり健全じゃないぜ。
ラカンってやつは、「(まだ)わからない」という態度こそが最も人間的で、対人的コミュニケーションの可能性だって言ってる。
「なんだかよくわからないもの」に出会ったとき、「俺の前にいま、なんだかよくわからないものがある」と思えること。
そう解釈して、「わからないもの」を「わからないまま」にしておけることが「人間的コミュニケーションだ」っていうわけだ。
まぁ、そう考えられずに「わからないもの」を「既知のもの」に押し込める奴も時々いるけどなw それじゃ動物と同じだ。
だから、キャラ化してアイドルとか二次元を楽しむのは多いに結構だ。そのために存在するエンターテインメントだからな。
だけど、人づきあいはそうじゃない。いつまでたったって相手の心なんてわからない。
「ほんとの相手の心」なんて存在しないし理解することなんてできない。共感はできるかもしれないが。「ほんとの自分」なんてものも存在しないだろ。
それでも、「わからないもの」を「わからないなぁ」って思いながら人間は生きていけるもんだよ。
あー、レスきてる。どうも。
まぁ理由をあげてみると
・相手の押しに折れて付き合った感じだからまだ本当にすごく好きって訳じゃない
・以前に結構男に遊ばれた経験が多いので、セックスや男に対する嫌悪感
・そもそもセックスがあんまり好きじゃない
・妊娠したら怖いし、とか思ってる。というか妊娠以外のセックスのメリットが分からない。
こんな感じかなー。
あと、以前付き合った人とそれまでずっと仲良かったのに、セックスした次の日に別れ話をされたので、
あぁ、男って結局セックスできればいいのか…って思ってしまった事。
もしかしたらこれが一番強いのかも。
しかしなんで男って思われてんのか分からんわ…
それ何て俺?
層化ではないけれども。
ちなみにわたしはそれプラス、
病院一緒に行って先生の話を聞いているのに、私が病気だってのを信じたくないみたい。
よくわからん家族だ。
ちなみに、昨日、あんまり信じないので、きちんと病気だって口酸っぱくして言ったら、
おまえはわがままなだけだ
とか言われた。
まじ昨日の夜、首をつろうと考えたよ。
しなかったけど。
いや孤独だ。
そうなんですかね。男性側だけすそ野が広がれば、女性側のすそ野から順送りに一定の効果はありそうにも思うんですけど、
それって、全く影響が出ないほど袖にされるというのではあまりにもあんまりだ、という気持ちがそう思わせてるだけなんでしょうか。
正直、その問題については、ずっと気になっているところです。エロゲ規制にフェミニスト的なモノ以外に意味があるかどうかというのは、その一点にかかっているような気がします。
鋭いツッコミどうもでした。
コメントどうもです。20090624190018書いた増田です。
anond.hatelabo.jp/20090624231811
にも書いたんですが、狙ってるのは(2次元に旅立ってる人達)本人じゃないと思うんですよ。そういう人達も参入してくることで、男性側の競争の激化を期待するぐらいだろう、と。
で、マクロな効果を狙ってなので、政治を通しての動きに噛んでいるんじゃないかと。
分かりやすい構図の現象に対する、敢えての深読みなのであんまり自明の話ではないです。言うなれば陰謀論的な意見だと思ってください。
でも、非モテを苦手な競争に巻き込んだり、そこで存在を否定するのって、女というよりは体育会系マッチョなんだけどね。
非モテは、体育会系マッチョも大嫌いだけど、自分はマッチョに振舞えないだけで精神的にはマッチョだから、本質的にはあんまり自分を抑圧した体育会系マッチョと変わりないんだよな。
だから女叩きに走るのかもね。
彼氏の家で2ちゃんに書き込もうとしたらアクセス禁になってて、書き込めなかったから
「何かやばい事を書き込んでアクセス禁止になってるね~」と言ったら
すごい否定して「俺は絶対にやばい事を書き込んでない。絶対に。同じマンションの違う人の回線じゃない?」と言うから
「はあ?何言ってんの?そんなわけないじゃん」と言って、以前私もニラオチされていたブログのブログ主の大学名が分かったと書いたら
通報されて3か月くらい書き込めなかった話をして、「別にアクセス禁止なんて大したこと書かなくても、誰かが通報すればなるよ。
でも、個人情報特定に絡む事が多いけど、大したことないから嘘つかなくていいよ~」と言っても
「俺は絶対に書き込んでない」の一点張り。何でこんなしょうもない事に嘘を付くのが謎で「何で?バレバレだよ。」と聞いたら
「あんまり言うと俺も切れるよ」と言いだした。
多分こいつは浮気が発覚した時に、こういうシラの切り方をするんだなと思った
明らかにバレバレの嘘を、しらを切り続けるってすごい恥ずかしい事なのに、追及したら逆切れを始めたしドンひきした。
もし結婚したら、このときの事を思いだして一生後悔しそうと今、別れるか思案してる
ナンバで彼氏と歩いてた時のこと。後ろの二人の会話がなんとも凄くて。年配の男性と女性なんですけど、ずーっと女性の方が男性を大声で罵倒しながら歩いてる。
「んもう台無しや!あぁ~あ!良い気分やったのに!あんたのせいや!あんたがせぇへんかったらこんなことになってなかったのに!ホンマにアホとしか言いようがないわっ!どうしてくれんのんよぉ!もう台無しやっ」
生活に疲れた風ながさがさした低い声でヒステリックに罵っていて、相手の男性はというと、それに対して激昂するでもなく、小さい声でなにやら短く返事したりするだけ。うわー、すごいーー。振り返りたい、振り返ってどんな二人か見てみたい~~~ と思いながらも、それではあんまりエチケットに反するし我慢して前を向いたまま、目指すホテルの入り口に続く路地を曲がったのです。そしたら!その二人も同じ曲がり角を曲がった様子。「なんであんたとこんなトコにいかんといかんの!もう最低やわ!」声がせまってくるよぅ~~ 私たちが先に入ったのを見て、ちょっと待ってから入ってきた様子で結局顔は拝めませんでした。エレベーターに乗り込んで彼氏と「どんな人らか見たかった~~!」と言い合ってしまったです。声の印象ではかなり年配に思えた上に、あれだけ憎々しげにぎゃーぎゃー言ってるのに、こういうとこにくるのが不思議で不思議で、彼とイイコトしながらも、今頃あの人達はどんなsexしてるのかなぁと思いを馳せてしまいましたよ。男の人に入れられながらも「あぁ!全然気持ちいいことないわっ!やっぱやめといたら良かったわ!」とか言ってそうでした…あぁびっくりした。
のっちショックからは回復したけど
いまだに、「有名人をフィルター越しに見る」癖が抜けない。抜けないというか……それ以外実際どうすればいいのか、分からん。
のっちに対しても、「トークになるとちょっと冴えなくなるけどカッコよくてあ~ちゃん好きなのっち」なんていう一部のファンの幻想みたいなものを、まあ、自分も持っていて、で、うすうす「でも違うんだろうなぁ、実際のとこはさ」なんて思っていて実際違ったわけだけど……
勿論そういう「勝手なイメージ」からはずれたからといって当人に怒るのは筋違いも筋違いだとは思う。
でもそれでショックを受けるのも許されないのだろか。というか許さない!といわれても、受けるときは受けてしまうので、どうしようもないのではあるが。
そもそもそういう「勝手なイメージ」を持つなって話なのだろうが、
でもそれも突き詰めていくと可能なのか。と思うのである。
イメージをもたずに、有名人を「見る」というのは、一体どういうことなのか。というかまぁ弁解がましいけど、正直芸能人の場合は、相手がわざわざそういうイメージを作って売ってるところも、あるわけで……本人というより、その周辺の人たち、ってパターンが多いんだろうけど。
それでも「確かにキャラ設定はありました。でもあんたら一部のファンが勝手に思ってるような設定は少なくとも出していませんよ」ってこともあるし、キャラと生身のあいだがそもそも、はっきり分離不可能なこともあるだろうし(いや、というより、多分、全ての場合において完全には分離不可能なんだと思うけど。濃さの違いがあるだけで)そのへんの細かい事も色々あるだろうけどそこはとりあえずおいておいて
芸能人はまだ自分からそう売り出しているからまだしも、スポーツ選手などの、素人と芸能人の間にいるようなタイプの有名人てのは、別に「そういうふうに」売り出しているわけじゃないのに、勝手にマスコミによって「美人〇〇」「イケメン〇〇」なんて呼ばれて文脈作られちゃったりするわけで。ハニカミ王子なんかも、完全に「好青年」的イメージがついちゃっている。たとえば普通の少年の喫煙には「フーン」でもハニカミ王子が喫煙、とか言われたら多くの人が「え、あの子が?!」みたいな感じで驚くんではなかろうか。そしてそれは、マスコミ(でもなんでもいいけどとりあえず)によって「好青年」イメージが、好青年キャラが、彼を見るときの前提としてはいってしまっているからじゃなかろうか。そしてそれはあんまり好ましくない事態に思える。まさに「勝手にキャラ化して驚いてる」んだから。よくないなと思うが自分でもそういう反応をしそうだと言う自覚がある……。
しかしだったらばどうすればいいのか。
別に喫煙がなくとも、新聞でハニカミ王子の特集がやってて、好きになったので、応援しはじめた、色々調べた……そしたら、なんかインタビューとかみたら、どうも最初のイメージと違う。ガーン。てな、こともありうるわけで。
怒りを対象に向けるのはアウトだが、そこでショックすらも「勝手にキャラを想定して、勝手に外れたなんておもっている。生身の人間を無視している」ということで、アウトだとすると、一体どう好きになればいいのか、分からない。
というのは、言葉で、表し辛いのだけど、例えば新聞なりテレビなりでその対象を知り、対象を好きになる時点で……キャラ化はしてしまっているのではないかと思うのだ。「彼・彼女のこんなところが好き」と思っている、漠然とでも、「彼彼女の空気が好き」であってもなんであれ好きの対象が決まったそのとき、既にキャラ化は多かれ少なかれ完了してしまっているのでは?今現在気になる、芸能人以外の、スポーツ選手なり、音楽家なりの芸能人と素人の中間の有名人が多々いるのだが、「好きになった。彼・彼女らの情報を追いかけよう」という気になれないのは、「多分、今自分は彼・彼女らを、勝手にキャラ化して好きになっている部分が大きいのだろう。ということは情報を追いかけていけばいずれ、「なんか違った」という壁にぶつかるだろな」→だからやめとこ……というチキンさゆえである。
そもそもキャラ化せずに好きになれというと、どういうことか、彼彼女のありのままをうけとめることか。でも「ありのまま」ってのはなんなのか、そもそも、どうすれば受け止められる。そもそもどうすれば彼彼女の他の事を知れるのか。perfumeでいえば、のっちをキャラ化して見たのがよくないといわれても、のっちの他の部分などどう知ればいいのか。のっちの本質的な部分などどう知ればいいのか。のっちのありのままなどそもそも誰が知っているのか。のっち自身も知らない可能性もある。
芸能人は意識的にキャラを売っている部分があり、そこまでいかずとも有名な人、という人の場合は周辺の人がキャラ化して売り出している部分がある。しからばいわゆるフツーの人はどうかといえば、結局、この場合もかわりないのではないか。
フツーの人だって常に「ありのまま」を出しているわけじゃないし、ある程度相手によって自分を作っているし、それを見るほうも、大体「あいつはこうで、こういうやつ」と、キャラ化とはいわずともおおざっぱにそのようなことはしているのではないか。話がちょっとズレそうだけど、普段大人しく真面目だという生徒が何か犯罪を行い、それで近くの住民が「そんな子じゃなかったので意外」みたいなことをいったりするが、これも結局はキャラ化してるってことじゃないんだろうか。
インドア派で、外に出るのは嫌だと言ってる友達が、実はサーフィン大好きなんていわれたら「お前が?」と思うわけで……
そういうとき「ソレもありうると思ってたよ。お前は生身の人間だからね」となにがきても動じないのが正しい態度なのか。
あるいは、驚くまでは許すとしても、「驚いたけど、でも分かった。それもお前だよね」と順次認めていくのが正しい態度なのか。
それでも、いったいそれはどこまで続ければいいのか。「まさかあいつが」な事を、相手がどれだけやっても、相手を一度好きだといったならば、認めていかなくてはならないのか。というよりその覚悟がないなら、相手を好きだなんていってはいけない、ファンになっても、友達になってもいけないのだ、ということなのか。ソレは結局極限までいけば、「あいつの肉体」がしていれば、何をしようと自分は認める。ということにならないだろうか……「生身の人間だもん、いろいろあるよ」を認めていくと、結局肉体という殻の中身がどんな色になろうと、認めざるを得なくなる、それは結局、皮肉にも相手の人格を認めてないのではないか…?
またまた大袈裟な。どこかで適当に線引きをすればいいんだ。……というかもしれない。でも「適当に」ってどこにさ?その人にとっては適当な線引きでも結局ソレが他者にとって適当でないと感じれば「勝手にキャラ化し、理想を見、相手が生身の人間だということを忘れた愚行」ってことにならないか。でも「相手がどんなんでも、認めるよ」というのは極限までいけば、「お前がお前の肉体であれば認める」ということになる。実際、家族レベル(特に母と子)だと、そこまでいくような場合もあるだろうけど(なにせ、もともと肉体、血でつながれているから)、逆に言えば、家族以外にそんなマネをいちいちできやしない。
そもそもそれに加えて肉体まで微妙に変化してしまった場合、どうする。体の一部分がなくなってしまったら?そして尚且つ精神も違ってしまったら?そもそも常に爪だ髪だなんだとなくなったりはえたりしている、それどころか体の細胞は日々更新されているわけで、どれを「相手だ」と認識するのか?一部分なくなっただけならいいよ、なんていってもじゃあどこで線引きする?
我々は相手を、多かれ少なかれキャラ化しないと、相手そのものすら認識できないのでは?
こういうことを考えてしまって、三次元の人間とはついつい関わる距離を置いてしまう。「勝手に、理想化してしまうかもしれない。そして、『なんだ、思ってるのと違った』と、思うかもしれない」という自分への疑念が頭から消えないからだ。といって、理想化からは根本的には、とうてい逃れられないのでは、とも感じていて、結局どうすればいいのかわからず、もとからキャラだけで出来た二次元へ飛んでしまう。どう三次元の人間とつきあっていけばいいのか、わからない。
発注者が悪いというより、お互い悪いが
文面読む限り、やってくれなさすぎwだとは思うけど
そのために、ラフとかカンプをXX日までに上げて下さいねーとか、
行程を作って、中間をチェックしておかないと損するのは発注側だからなぁ。
あんまり良くないけど、自衛手段としては、そうなっていくよねー。
逆に受注するときは、ある程度、早めに見える物は提供するようにした上で、修正はX回までみたいな契約になるだろうし。
それも、やっぱり、自衛手段だし。
その辺が、受注するスキル・発注するスキルで、経験だよなーと。
正直、客を客と思わないで、対等か目下だと思ってる奴っているからなぁ
ほかの方もトラバで書いていらっしゃるけど、慶應幼稚舎は頭のいい子が行くところではありません。
あれは金を巻き上げるための施設です。
中学から慶応(普通部→塾高→法学部→SFC大学院)に行った知人がいますが、
知人いわく「普通部の時点から、幼稚舎上がりのやつと中学受験組とは溝がある」。
保護者も、幼稚舎ではなく普通部でも縛りのきつい「保護者の会」があってしんどそうです。
本当にお子様が大事なら幼稚舎から入れるのはやめた方がいいです。
大学での学生自体、付属上がりは「本当によくできる子」と「バカ」に二極化してますし。
湘南藤沢キャンパスの付属中高では2年に1回の割合で、自殺に追い込まれるほどの酷いいじめがあるようです。
横だがちょうど嫌な事があったんだ
親しいと思ってた学生時代からの友人が先月式を挙げたという話になった
「へえ、どこでやったんだ」と聞いたら「○○ホテル」と
「すごいとこだな、何人ぐらい入る会場だ」「100人ぐらい」と
俺は呼ばれていない
例えば親族だけの式とかなら
俺は呼ばれてなくても祝儀だけ包んで「おめでとう!」って言う気は有る
でも100人入る会場に呼ばれないって言うのはそういうことだよね
学生時代からいろんなこと一緒にやってきた友人でも
自分だけが一方的に親しいと思ってた、なんてことあるんだなあ
世の中の人々が有名企業に就職するために就活、玉の輿に乗るために婚活、かわいい子供産むための産活、あるいはどうしようもない男から慰謝料をむしり取って離婚しようとする離活に励む今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
そんな中、不況のせいもあり(?)就職に失敗したボクたち、若い(さらにはあんまり若くない)女性には見向きもされないボクたち、将来を見てくれる子供もいないボクたち、(とりあえず離婚問題で疲弊することはなさそうです)、こんなボクたちに必要なのは、人生をいかに締めくくるかという死亡活動なのではないでしょうか?
すなわち死活。
死活問題。
親の老い始めた姿を見て婚活にのめりこむ女性がいるのと同様、親はいつまでもはいないのです。
参考
死亡活動(以下、死活)という概念が考え出された背景には、日本の結婚を巡る環境の変化(以下を参照)にある。
等 こうして“特に活動を行わなくてもなんとなく結婚できたシステム”が崩れ、モテる人とモテない人が二極化。結婚を諦めた人間が独り身の死をどうするか決める活動が必要になったという。
以下の通り
なお、婚活のブーム化や、少子化対策などを背景として、結婚活動の支援に取り組む地方自治体や企業も出てきている。また、こうした社会情勢を奇貨とみた企業によって、結婚活動関係のビジネスが活況を呈している。しかし、商行為が悪質とされた企業が告発されるなどの問題も発生している。このような中、男性はますます結婚に失望するという状況に陥っており、経済的な改善が見られない状況と相まって、ますます死活は活況となっている。
橋爪大三郎東工大教授(社会学)は、「就職活動の連想で『婚活』が出てきたことに、奇妙なものを感じる」「あの世に旅立ったキヨシローじゃないが、婚活に血道を上げる連中に聞いてみたい。『愛し合ってるかい?』と。彼らに『恋愛』の2文字はみじんも感じない。あるのは『計算』だけ。」「『恋愛結婚』が定着したのは、1960年前後。まだ、社会全体が恋愛に慣れていないのです。結婚制度の変化に多くの人が戸惑っているのが現状で、独身でいることは、そんな自分に正直に生きた結果でもある。結婚する、しないは個人の自由。その意思は尊重されるべき」等々と語る。
死活をする若者が増える一方、低収入等条件が悪いと思われる若者から結婚できたという報告が出されることがある。
これを見て一部の若者が死活を中止する例があるが、同時にその報告内容に疑問がもたれることも多い。
死亡は、文学における重要なテーマの一つであるが、死亡活動として捉えられる作品はまだない。
「おまえの嫁いくつ?」
「30」
「わかいねー」
・・・聞いたことねえ。
横だし、あんまし話の本筋とは関係ないが、「30」「わかいねー」を聞いたことないのは、単に増田が若いからじゃないの。
40過ぎで30くらいの嫁さん貰ったら、同世代の友達からは「わかいねー」とか「うらやましー」とか言われまくるよ。