最近のフェミとか反ワクチンとかそういった諸々を見ていて本当に思うが、今の人間社会って議論が凄まじく不可能になってきたと感じる。
ヘーゲルはかつてアウフヘーベンという言葉を紹介したことがある。
あるトピックについて賛成と反対の両方を汲み取りより高みの結論に行きましょう的な話だ。
どんなろピックでもそうだが、賛成する人は肯定する意見だけを、反対する人は否定する意見だけを探してインプットして「以下に相手が間違えているかを証明して論破する」が目的になってしまった。
これが進んでいくことで「自分たちと反対の意見を持つ人をコミュニティから追い出して自分たちだけでやっていこう」という機運すら生まれている。
この機運によって社会は分断しているが、どのクラスターにいる人たちも一様に「彼らがもっと歩み寄ってくれればもっといい社会になるのに」と素朴に信じているところにやはり人間の本質は差別なのだろうと感じざるを得ない。
これを後押ししているのがスマホ上に展開されるタイムラインだろう。
たまにタイムラインの話をするが、人によってここまで違うのかと驚くほどに違っている。
そして「自分のタイムラインが普通であいつのタイムラインはなにかおかしい」としか思っていない。
本当に恐ろしい。
いろいろな単位で人々は分断されてきていたが、それは結局正義の境界がそういった単位で分割されていたのだろうが、もはや一人一正義になってしまい、あらゆる人たちは「自分が許容可能な半径内にいる正義の人」だけを選んで付き合うようになり、少しでも逸脱している点が見えたら完全に遮断してキャンセルしてしまうようになるのだろう。
こうなった時代で一番力をもつのが人気と言うやつだろう。もう人々は周囲の雰囲気で作り上げられた自分にとって心地よいかどうかだけで選ぶという最も低俗な民主主義に突き進んでいくしかなくなった。
まあ弱者男性の俺も元々はリベラルを志してた訳だがリアルなリベラルやフェミニストに失望して今に至る ただ希望というのはあって、人気ある奴って何だかんだ言ってリベラルとかフ...
ツイッターであらゆる言論が劣化した