某メンタリストが、まるで「力のある人」しか善を為せないかのようなことを言っていました。
例えば結婚した夫婦は家事を手伝い合うことで負担を分担します。これは一つの善です。
あるいは落とし物をした人がいれば、警察などに届けることができます。これも善です。
確かに、金をたくさん持った人がプロの慈善団体にたくさん寄付すればそれは立派な善をなせるかもしれません。
しかしそのこと自体を、庶民が行う身近な善を無価値にする理由にはなりません。
某メンタリストも、箴言の言うところの「舌の罪」を犯していると言えますし、ホームレスを侮辱するようなことを言っていたのが印象的です。
私はいっときのプライドのために吐く愚者の言葉というのは、本当に邪悪だと思っています。
なぜ「力のある人しか善を成し得ない」などと言うのでしょうか。
それは自身を「力ある者」と見做し、「弱者男性」などを見下すといった傲慢が存在しているかもしれません。
確かに、募金先を決めるといったシナリオでは、誰に募金すべきかを決める審美眼が必要になるでしょう。
そのことを指して「力ある人を見極めよ」と言っているのであれば、それは立派なことかもしれません。
しかし「力ある人のみが善を成し得る」というのは全く間違っています。
私も舌の罪を犯してしまいがちですが、「ソーシャルメディアでの発言を慎む」というのも、一つの善ではないでしょうか。
その場のプライドで他者を見下し、いい気分になるのは賢さではありません。傲慢です。