先日、とある好きなラジオ番組の終了が告知され、その最後のイベントに参加した。
物販で販売されたアーカイブCDの最終巻に収録されているスペシャルトークを聞き終えた後、この文章を書いている。
2人いるパーソナリティの方が相方への印象を語ったりスタッフさん達のコメントを読んで語ったりする内容だ。
その中でパーソナリティの方がもっと面白く話せていればと後悔を口にしていたという話が出てきた。
( 後悔を口にしていたが実際はとても上手、という話題)
それを聞いた瞬間、私は何をしていたんだという気持ちが溢れ出してきてしまった。
というのも、私はこのラジオ番組が好きで毎週欠かさず聞いていたし、
動画サイトのメンバーシップに登録し登録者だけが見れるおまけ放送を聞いてはいたが、
時折開かれるイベントには参加することはなく、グッズ等を買うことは無かった。
いわゆるライト層とでも言うのかもしれない。
ライト層の私はほぼ売上に貢献していない。
パーソナリティの方々は真剣に番組に向き合っていたのに、自分は好きだった番組に対してさえ、ちゃんと向き合って応援することが出来なかった。
それが堪らなく恥ずかしいことに思えてきてしまった。
普段は売上に貢献していないくせに、いざ番組が終わるとなると、
最後のイベントくらい行くか、行くくらいならグッズも買おうと最後の最後、番組終了が決まってからのイベントには金を出している。
出してはいるが最小限だ、アーカイブCDは他の巻も出ているが新規収録がないので最終巻だけ買うという姑息な手段を取っている。
美味しい所だけ楽しんでいる、そんな向き合い方をしている自分が情けなくなった。
私一人がグッズ購入やイベントに参加することで番組が続くとはもちろん思っていない。
勘違いしないで欲しいが、自分の出来る範囲でコンテンツを応援するというのは悪いことじゃない。
ただただ自分が失敗したというだけ、今回はお手軽に楽しみ過ぎた。
胸を張って、応援していましたと番組のスタッフさん達に言えるような向き合い方をしたい。
もう私はこの番組に関連するものを見るたびに自分がお金を出して応援していなかったことを思い出すだろう。
今私はめちゃくちゃ後悔している、泣き出しそうなほどに。
「 推しは推せる時に推せ」時折ネットで流れてくるこの言葉がここまで重くのしかかってくるとは思いもしなかった。
今後はコンテンツとの向き合い方を真剣に考えて行きたいと思う。
とりあえず日程が被っていて行けず仕舞いとなっていた別番組のイベント配信アーカイブのチケットを買おう。
いつか必ず訪れるコンテンツの終わりに、胸を張って「 ずっと応援していました、これからも応援しています。」と言えるように。
そういうの考えた事無いわ 俺は雀魂ってゲームが大好きで愛してるけど5000半荘くらいやってるけど1円も課金した事無い だって別に終わったら終わったで別のゲームに行けばいいだけだ...
それでいい 課金する他人がいっぱいいて無料で楽しめるってのはテレビなんかがそうだったように当然の手法 したい人はすればいいししたくはない人はしなくていいってのが前提のモデ...
ライト層がいなければ成立しないんだからそこまで言わんでも 大事なお客さんよ
イチヤヅケかな? 良いコンテンツだったけどなぁ。視聴者数が伸びなかった。オマケのほうが長いのも印象的でダラっと聞けたのが良かったなぁ。
アーカイブCDをお布施として買うことはチャンネル登録とか無かった時代の声オタとしては 引け目を感じない一定のラインかもしれない気がする まぁ逆に言えば今の時代チャンネル登録...
オタクってこんなオーナー目線でいちいち全ての娯楽と向き合ってんの…? 流石に引くわ 今俺の中で「推しは推せる時に推せ」という言葉のキモさの方向性が変わったと思う
「推し」とかいう気持ち悪い言葉が流行って総「プレイヤー気取りの消費者」時代になった
そんなバカほんまにおるんか 言葉の意味もわからんままオタクをエミュレートしてる非オタとかほんまにNPCもいいとこやろ
そんなの言葉は消費促進のための宣伝文句でしかないからね
結局、「推しは推せるときに推せ」とか「好きなものにはお金を落とせ」って、消費者に経営者マインドを植えつけるための洗脳のフレーズに過ぎなかったよね
金を一切かけずに推すなら一応あり
個人的にはマイナー作品にはまりがちだったから「推しは〜」の方はまあ消費の言い訳だよなとはわかりつつも 『作品や人なんて簡単に消える』という意味でまあまあ実感のこもったフ...
特にラジオは突然終わるからな
でも選挙にはいかず日本が死んでも興味ないんですよね
廃課金勢が何人もいるソシャゲでさえある日突然サービス終了するんだから、ライト層の自分がもっとラジオのコンテンツに課金してれば・・・なんて考えは思い上がりだと思うぞ。