雑誌の投稿欄だったり、査読後の論文といった、一度人の判断が入っているといったことや、
ポスターの掲載といったような特定の場所にいる人しか見れないといったことを、
ネットで最初にアナロジーとして設計できたら、変わっていたのだろうか。
誰でも情報発信できるようになった、民主化だと持て囃されたが、
個人でインプットできる量なんてたかが知れていて、日々のアウトプットなんて不可能だ。
ヤフーのコメント欄、はてブのコメント欄、ニュースについてあれこれ言っているYou Tubeなど、ほぼ意味がない。
炎上案件についても、実際の関係者間で話し合わないと何も変わらないのに、ネットで外野が盛り上がる。
ネットなら多くの人が知恵や意見を出し合い問題が解決されるかもしれない、そんなのに夢見ていて時期もあっただろう。
だが多くの無関係な人が集まっても、3,4秒で見て思いついたことしか集まらず、知識を持った人には届かない、
煽りか炎上でなければ広まらず、それで解決する問題は偏っている。
個人としては直接お金がかからない、コスパが良いようだが、衰退する社会だと長期的にコスパは悪い気がしてならない。
政府批判にしても、見てるかどうかわからないような、はてなで「だから俺はああ言ったんだ」とか言っても全く意味がない。他のサービスもそうだ。