大学生の頃、俺は人が好きだったはずだったのになあ。
なんで数年でこんなにも違いが出ているのか正直分からない。
話すと楽しくて一晩中酒を飲んで語り明かした友人は今はもういない。
皆ちいさなことから疎遠になり、今は各地で仕事や家庭や不倫や実らない復縁に必死になっているそうだ。
なぜあの頃はあんなに他者とのコミュニケーションが面白く感じたのだろう?なぜ今は面白くない?
多分それは自分が見たくない人間の負の側面を山ほど見てきてしまったからであるように思う。
人の持つ負の側面、それは自らの欠点を自認できない矮小な愚鈍さだと、俺は思う。
俺は鏡だと言われた。人間の鑑ではなく、鏡だ。
相手の目標と行動の間に自己矛盾がある時、それを友人には可能な限り角を立てず、伝えるのが俺の定義する優しさだった。
学生時代はそれに同意してくれる奴らだけが、親友として身の回りに残っていた。
彼らは喜んで言ってくれた。
俺という鏡に自分の姿が映り、自らを省みることができるのだと。
そんな言葉をかけてくれる親友が、片手に収まる程度の人数はいたものだった。
だが、今はどうだ。
友人を数えていた俺の指はもう一本しか残っていない。
皆、居なくなった。
いなくなった元友人の最後は皆同じだった。
鏡に映る自分の醜さに悲鳴をあげ、みっともなく逃げ出すしか無かったのだ。
何者にもなれそうにない自分に恐怖し、その姿を映す俺に恐怖した。
さも俺が怪物であるかのように、糾弾し、人間関係を遮断して居なくなってしまった。
その結果、大したことねえ給料を稼ぎ、訳のわからねぇ無職やら家庭持ちやらに手を出して、今ではどこぞで自暴自棄の生活を送っていると風の噂は聞いても居ない話を伝えてくる。
クソだ。
お前たちの不幸はお前たちの身から出た鯖だ。
そうなることはバカでもわかったはずなのに。
俺があの時、言った通りになっただろうに。
お前たちが自分のちっぽけさを受容し、繕うなり愛するなりすればよかったのに。
それができないほど愚かだったから、醜くなれ果ててしまったのだろう。
俺は悲しいよ。
こんなものを身過ぎてきた。