2021-09-07

クソつまらない人間による「普通」話

最近ではインターネット、ひいてはSNSの発展により「隠れた才能」なるものが注目されるようになった。

この国が無駄にした才能、拾い上げられなかった才能がこうして輝くことは素晴らしいことだと思うし、この環境を作り上げてきた技術者達には感謝してもしきれない。

しかし、そうした才能や個性が数多発掘される時代からこそ、生きづらさを感じてしまうこともあるのだ。わがままだろうか。しかしここはひとつ、冴えない子供愚痴として少しだけ聞いてはくれないだろうか。

自分ははっきり言って「普通」だ。大勢にほめそやされるような個性はもちろん、先述した人々のような「隠れた能力」も持たない。本当にただただ普通なだけの人間だ。

パラダイムシフトというやつだろうか。足並み揃えて生きることを教えてきた大人たちは突如として「個性を伸ばす」ことを声高に掲げ、「互いに個性尊重しよう」と自分達に懸命に伝えてきた。良いことだ。良いことではあるが、それならば自分のような「伸ばす個性も才能も無い奴」はどうしたらいいのだろう。「誰にだって個性はある」とでも言われるだろうか。言わんとすることはわかる。そもそも普通なんて曖昧もので、自身構成する要素のうちひとつでも平均から極端に離れればそれが才能と言われることもある。もしくは構成する要素そのものが多くと共有されない場合、それが個性だと言われたりする。そのくせこれらの現象は、マーブル状の価値観の上で矛盾することも珍しくない。繰り返しになるが普通なんてそんな曖昧ものなのだ

しか自分は、物の見事に能力全てにおいて平均かそれ以下だ。好きなことで自分を語るのはおこがましいが、ぶっちゃけ趣味も好みもありきたりだ。

正直苦しい。17年とかいうクソ短い今までの人生個性や才能と言えるほど夢中になれたものもない。誰かの笑いの種になるような出来事ひとつもない。これはほとんど承認欲求に変わりないものなのだろうが、それでも「隠れた才能」とやらが日の目を見るようになり、そこら中に個性や才能が蔓延する世の中は自分には生き辛くて叶わない。これを誤魔化せるほどに情熱を捧げられるものすらない。せめて美味い飯が食えてゆっくりと眠れるだけで幸せと言える人間でありたかった。呪うのなら普通であることに正しさを見いだせる世界がどこかにあってほしかった。

  • こういうやつが 「突出した才能」 を全力で叩くんだよなぁw

  • 普通の人の普通の話ってそれはそれで共感を持たれて需要があるよ

  • 普通の人どうしで仲間がいたらいいんじゃないかな

  • ほら、みんなにこうやってバカにされてるじゃない それだって才能だよ おれにはうらやましいよ、君みたいな人が

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