創作物は社会的にかくあるべき、という指針は個人ごとに違って規則には定められてない(わいせつ物以外は特に法律上規定されていないはず、多分)
だから社会的にかくあるべき、って意見も個人の願望として以下の文章ではくくっている
進撃が完結する前から、創作物と自身の倫理観の乖離を受け入れられなくなった旨のツイートは定期的にバズっていた(少年少女だけで戦うもの、男女観など)
「作品をありのまま受け入れるべき、思うところがあってもでかい声で触れ回るもんじゃない」という空気が主流だったところに、「感想の表明自体は自由であるべきだ」とする声が増えてきているんだなぁと思う
望ましくない表現の存在自体を許せない人が気持ちを共有できる機会が増えたとも言える
個人的にこの流れは好ましくない
でもそれらを拒絶することもできない
フィクション(特に連載物)に期待していたものが得られなくて、モヤモヤする気持ちを共有したいと考えた経験自体は自分にもあるから
それに寛容であってほしい(受け入れられない・理解できない意見の存在自体を否定してほしくない)と思うなら、まず自分から実践するべきだと思ったから
そうしてぐるぐる考えた結果、創作物が自分の望む姿であってほしいと願うことも、後から発された他者の言葉に影響されずありのままであってほしいと願うことも等しく一読者のエゴなんだよな、という結論に至った
エゴはそうなんだが、人々の個別の完成ってそんなにバラバラじゃなくて、各自がエゴで作品を評価しているとしても、結果としては全員の意見が一致したりする。 そうして全会一致で...