歴史を繰り返してるんだよな。
容姿イジリを根絶するというのは、かつて見世物小屋を根絶したのと同じものを感じてしまうのだよな。
もちろん他者から望まないイジリを受けるのは反対だ。それは正しくハラスメントとしてやめてもらう必要がある。
しかし自分から自分の障害や容姿、置かれた状況などを皮肉ったりイジったりすることを禁止するのも疑問だ。それは表現の自由の侵害でもあり、芸を制約することで障害者の経済自立の糧・幅を狭めてしまいかねない。
他虐と自虐、すべての容姿イジリをこの世から消し去る。そのために後者に犠牲になってもらう。そういう主張も一理あるだろうが、はいそうですかと後者はその主張を呑むだろうか。黙っちゃいないと思いますが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E4%B8%96%E7%89%A9%E5%B0%8F%E5%B1%8B
また別の視点では、以前にホームレスを取材したブログが炎上した件がありましたが、ああいったようにホームレスのことを興味を持って知ろうとするが、リスペクトや知識が足りないなどとまるで不敬罪で断罪してしまうようだと、その様子をみた不特定多数の第三者は「こわ。近づかんとこ」と腫れ物を触るかのようになってしまい、ホームレスについて興味を持って知ったり手を差し伸べたりすることから遠ざけてしまう。より断絶が深まってしまうという指摘もあった。
自虐的表現を規制することで、そういった興味や関心を持って障害を知る機会も減ってしまうことでしょう。「安易に触れてはいけないもの化」されてしまうわけですから。
それに、外見イジリ表現規制が進むと「美男美女」といった形容すらポリコレ棒で殴られるようになり、役者やアイドルという職業が禁止され、最終的に行き着くのは全人類の外見の均質化でしょう。
本気で差別に反対するなら全人類の外見の均質化は避けられないよ。ぱんなこったそは本気で差別に反対するなら人類はミジンコみたいになって単為生殖するしかないと言ったけど、反...
対岸の火事だと思ってるの草