眠れないのでネットを見ていたところ、なんか具が少なめの透明な和風スープの画像を目撃してしまい、猛烈にそれが飲みたくなった。
しかし冷蔵庫に入っている汁にできそうなものは味噌ぐらいのものである。
かくして俺は椀に塩・味の素を、ごく少量のみりんで伸ばし湯を入れ飲んだ。
苦肉の策だった。
するとどうしたことだろうか。実態のない、亡霊のようなうま味が俺を襲ったのだ。
いや、実態はある。味の素である。間違いない。だが言いたいのはそういうことじゃない。
つまり、何らかの味に紐づいたうま味ではなく、単純なうま味だけが塩気を伴って舌に浸透してくるのだ。
掴み所も、手応えも、奥行きもない、主役を欠いたような味。
これはなんであろうかとしばし逡巡したのちに得た結論は、「松茸のお吸い物から松茸の味を取り除いたような味と言えるもの」だった。
厳密に言うと松茸だけではなく、海苔や麩の味や風味か。なんとなく、和風の味を得ることができた気がした。
そんな風に謎汁をすすっていると、一つの考えが頭を過ぎった。この判断は舌の記憶によるものではないのかと。
つまり、俺以外の人間がこの塩と味の素の汁を飲んだ時、これはxxからxxを抜いたスープの味だと、身近な、或いは求めていたスープの名前を挙げるのではないだろうか。松茸のお吸い物ではなく、だ。
塩味とうま味しかないお湯である。そこからなぜ松茸のお吸い物の味を見出したのか。
そして、大抵のスープのベースであろう塩味とうま味。これを共通項として取り出してしまった過ちが、存在しない松茸の残滓を舌に錯覚させたのだ。
この汁は鏡だった。
塩と旨味調味料だけで構成されたこの液体は、その人の欲望と記憶を映し出す鏡だったのだ。
こういうことはこの汁に限った話ではないと思った。
人間、何にでも当てはまるような要素を根拠に、自分が知る限りだとこれだ、或いは、こうあって欲しいから、といった具合に、考えを狭め、当て嵌め、望む結論を得ようとしてしまうことがあると思う。
しかしその結論は錯覚なのだ。この汁はそういった人間の愚かさを俺に教えてくれた。
今回の件は一種の自戒のきっかけとして考えるとともに、皆様にもぜひご賞味いただきたいと思いました。
同じ人体実験した猛者けっこういるよ うまみ調味料だけじゃなく砂糖で試してた人もいたけど、 最後は横になってたな(笑)
やっぱ人間、最後は横になるんだな。