差別は良くないことだから、差別に関する記事を読むと胸が痛くなるし、社会を変えていこうという気持ちになる。
でも、そういうことに関心を向ければ向けるほどSNSやニュースを見るのがつらくなり
一番嫌なのは、良い教育を受けて、良い学校を出た、性格もすばらしい尊敬すべき友人ほど
差別に対して素朴すぎるクソ浅い認識しか持ってなくて、「差別は悪いから無くそう」と意識高く言ってること。
差別の問題は、属性だけで差別されている人たちがいるということだけでなく、
差別者と同じ属性というだけで差別してない差別の恩恵も受けていない人たちが被差別者からの反撃の流れ弾を受けてしまうことにある。
前者だけでなく後者もケアした上で簡単には見つからない解決法を模索する必要がある
ということをわかっていない人が、良い教育を受けてきた普段はとても知的な人に本当に多い。
世の中には「差別大好き!差別って楽しいなあ」という根っからの差別主義者は多いはずもなく
そう見える人は過去になんらかの被害を受けたり恐怖感を抱くようなことがあって
本人は被害の訴えやこれ以上被害を増やさないため社会を良くするための行動のつもりだったりする。
だから差別に対して思うことはいろいろあれど、それを口にすることはネットでもリアルでもしないようになったし
社会運動的なものに賛同を表明することもなくなった。政治の話に言及することもなくなった。
自分が社会的に正しいと思う行動をするようにはしているけれど、それをしたことを他人に知られないようにしている。
差別ってすっごく便利なんですよ。 日本中の町々を見て回ると、ほんと、あばら家をどうにか補修して暮らしている家々が並んでいる地域とか 今でも普通にありますからね。 そいう地...