2020-06-18

3年前、祖父が亡くなった日の日記

じいちゃんが旅立って6日が経った。

お葬式が終わって2日が経ち、数日前までに比べてじいちゃんが死んだんだという実感が湧いてきた。

昨日まではじいちゃんがいないということが信じられなかったし、じいちゃんがいないことが当たり前になることが怖かった。


じいちゃんが亡くなる直前の土曜日に会いに行った時は、意識もしっかりしているように見えてまだまだ生きられるんじゃないかと思った。

その前の週にお見舞いに行ったときはすごく苦しそうにしてたから、元気な姿を見て安心できた。

から24日に病院からじいちゃんが亡くなりそうという連絡を受けた時はとても信じられなくて、全然実感がわかなかった。

通夜葬式遺影になってしまったじいちゃんを見て、やっとそれを実感できた。


じいちゃん葬式中はパパの葬式のことをすごく思い出した。

パパの葬式ときにはじいちゃんスーツを着て出席していて、

どんな顔をしていればいいかからなくて、ふざけて笑ってた私と弟に、何笑っとるんだぁ〜と一緒に笑いながら声をかけてくれた。


通夜の日の夜は、じいちゃんがいなくなってしまたことが寂しくて寂しくて仕方がなかった。

翌日の葬式で、出棺するときにおじさんがじいちゃんによく頑張ったねと声をかけているのを見て、また泣いてしまった。

お葬式が終わって、疲れたママと二階で寝ていたら、窓からみえるすごく空が青くて、おじいちゃん24日の日に置いて、自分だけこのまま未来に進むことが寂しくてしょうがなかった。


翌日、弟とママと土岐のアウトレットに行った。

家族と居られる時間にも限りがあると思うと、やっぱりなにか思い出をつくっておきたかった。土岐は生憎の雨でつまらなかったけど、3人で居られる時間ができてよかった。

その日の夜、みんなが寝てから1人で車庫にある古いアルバムを見に行った。

じいちゃんとばあちゃんとパパとおじさんの思い出が残っていて、私がじいちゃんと一緒にいた時間なんて、じいちゃん人生のほんの一部だったんだなと思った。

じいちゃんが長くないかもしれないという報せを聞いた時、私はママ延命措置をしてほしいと伝えた。

ママやばあちゃんは、じいちゃんはそれで楽しい延命措置なんて必要ないと言って、その時の私はその意見は冷たいんじゃないかと感じた。

正直、正論だということは頭でわかっていたから、余計に悔しくて、そんなテンプレ正論じゃなくてもっと本気でじいちゃんのことを考えてほしいと、悲しい気持ちになった。


じいちゃんが死んでからばあちゃんが気になってしょうがなくなった。

ばあちゃんも数ヶ月前に比べて、最近はベッドで寝てる時間が多い。認知症も進んでいる気がする。

昨日と今日はばあちゃんに色々声をかけてみた。腰が痛くて座っていられないから寝ているらしい。舌に口内炎もできていた。

そんなばあちゃんをみてたら、じいちゃん延命措置はしなくても正解だったかもしれないと思い始めた。

胃に直接チューブをつなげば食べ物を流せるけど、口の中に常に管が通ってるなんて異物感がすごいし苦しいだろうなと思った。

私はばあちゃんにもじいちゃんにも長生きしてほしい。

でもやっぱり人には寿命があって、周りがどれだけ手を尽くしたって無理な時は無理なんだと思う。

ばあちゃんに昨日、東京オリンピックまで生きようと声かけたけど、首を横に振られてしまった。ばあちゃんは以前から自分長生きをしすぎたからということをよく言っていた。


ばあちゃんの痛みが少しでも和らいで、穏やかに残りの時間を過ごしてほしい。

ここ2週間くらいずっと雨だったけど明日からはやっと晴れるらしい。腰痛の人は雨の日に腰が痛むと聞いた。

から晴れたらまた数ヶ月前みたいに、庭を散歩くらいはできるようになってほしい。


ばあちゃんの痛みが楽になりますように。

ばあちゃん東京オリンピック閉会まで元気で生きられますように。

パパとじいちゃん私たち家族最期まで見守ってくれますように。

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