2020-05-23

ちゃんパパの作者は性暴力を軽視していないか

ちゃんパパの作者、ありま猛先生は(今は知らないが、少なくとも書いた当初は)性暴力を軽視しているのではないか

ちゃんパパで主人公が息子の担任レイプするシーンがそうだ。読者からは「一番胸糞悪い」「吐き気を催すクズ」と言われているが、作中では事件は割と淡々と流される。

というか「まさか処女だったとは」処女じゃなきゃ悪くないとでも?

担任特に重いトラウマを背負った様子もなく両親と共に進を許し、夫として迎える覚悟をあっさりとする。

読者のムカつきとは裏腹に、作中では大したこととして扱われていない。作者も大したことと思っていないのでは?

だが、連ちゃんパパは他にもクズ描写オンパレードから、これだけなら「あらゆるクズ行為の一つ」「登場人物全員狂ってるし、まぁ」で済ますことができる。

だが、「作者は性暴力を軽視している」と確信に導いたのは、同じ作者でありながら心温まる物語評価されている「きっといつかは幸福寺」の方である

作中でこんなシーンがある。

兄にお酌する未成年の妹(この時点でアレだが)。それを見て

兄「美紀もずいぶん女らしくなったな」

父「まったくだ。オッパイもでかくなりやがってな」

と実の娘にセクハラかます父。さらに、

妹「お父さんったらお風呂覗きにくるのよ」

主人公「そんなことしてんのかよ」

父「いいじゃないかよ。家族なんだからよ」

兄「親父、相変わらずだな」ハハハハ…

…いや笑い事じゃないよ!

実の娘の風呂を覗く、セクハラする。立派な性的虐待だ。笑い事ではない。

しかナレーションでは

「こんな親父だけど、初めて鬼、いや、ばあちゃんに立ち向かった親父はとてもカッコ良かったです」

まり、作中ではこの父親は「助平で困った親父だけどいざとなったら頼りになるいい父親」として描かれているのだ。もちろんこれ以降父親咎められる描写はない。

これを読んで思った。あぁ、これが作者観なのだ。連ちゃんパパのあのシーンも、きっと作者は深刻な事件とは本気で考えていないのだ、と。

父親風呂を覗かれたりセクハラされたりする恐怖も気持ち悪さも、「家族なんだから」で流される悔しさ、話の通じなさもわからないんだと。

ドラえもんのび太による覗きなんかよりずっと深刻じゃないか?あっちは同級生だし子供だし、覗くのも大半は故意ではないし、しかものび太は報いを受けるわけで。

ありま猛先生糾弾するわけではない。時代柄仕方ない部分もある。(けど、少なくともドラえもんよりは新しいんだからドラえもん糾弾されるならこっちも糾弾されるべきでは?)

だが、どんな時代だろうと女性達にとってはきっと笑い事じゃなかっただろう。そしてありま先生は今それについてどう思っておられるのだろうか。

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