2020-03-28

新型植松ウィルスBoomer Remover〜

 COVID-19で老人が減ればいいという考えは率直に言って植松聖と同じだ。ドストエフスキーが『罪と罰』に書いた「有用人間が生き残るために無用弱者犠牲となって然るべき」という倫理観と同じと言ってもいい。つまりこれは昔からありふれた考えであり、そして最後否定されて終わることが決まっている、解法の定まった既知の問題のように見える。しかし、さて「自分が直接の被害者である」という条件がつくと、これはまだありふれた道徳問題でいられるだろうか。

 社内で仕事効率を落としている(それどころか効率化の提案を握りつぶし妨害する)のは権力を握った老人、一歩外に出れば電車や店などでマナーが悪いのは大抵老人と、社会に出て以来一貫して老害世代に良い印象が無い。そもそもの心象が悪い上、就職氷河期団塊が逃げ切るためのしんがりとして一世代がまるごと犠牲にされたのだという事実までのしかかってくる。

 更に現在進行形の直接的な被害もある。高額な上に逆進性が強く「人頭税」と揶揄される本邦の社会保険料は、現役世代家計を直接に圧迫している。社会保険料が高すぎる、生活が手一杯で家庭も持てないし子供も作れない、というのは、老人を生かすため下の世代を殺しているも同然だろう。

 今回の買い占め騒動で、現役世代労働のために拘束されている平日の昼間から我先にスーパーに並び、列を成して押し寄せたのは、他でもない年金の受け取り手である老人世代だった。老人たちのために毎月高額な社会保険料をせっせと納めている現役世代は、労働が終わり帰りに寄ったスーパーで、既に食料品が売り切れとなり、ガラガラになった棚を目撃した。

 老人に対する福祉が、自分生活と直接天秤にかけられたら。被害者加害者復讐する正義物語、とまではいかなくても、これは少なくとも医療現場トリアージ問題と同じ性質の話に変わるのである

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